monologue
夜明けに向けて
 



炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」
 なぜ「たたら」はこの式の中では「タタラ・アタタラ」と半角で記されているのだろう。
タタラの前に申し訳のようにちょこんと「ア」がついてアタタラにしてあるのも不可解だ。
自立しなければいけないときなのになにかヒントがほしくなる。しかしもうそんな甘えは許されないらしい。
いつものことながら天使ミカエルは細心の注意を払って預言を構築しているので「タタラ・アタタラ」でなくてはこの式は成立しないはずなのだ。なんとかその真意に迫りたい。
一見カタカナのふりをしているがこれは記号なのではないか。
「水(ミ)」→「火(カ)」の(ミ)と(カ)も一般的に思わず「ふりがな」として考えてしまうが記号として解かねばならないのかも。(ミ)は三が右回転するために右に傾いている印。(カ)は十字が回転して力を発することを形象化した文字「力」。
そういうことで本題の「タタラ・アタタラ」を心の目でじっと睨むとついに「多ラ・ア多ラ」という文字が浮かんできた。天使はこれが伝えたかったようだ。半角にしてあるのはそうすれば重なって見えるから。わかってみると簡単そうだがずいぶん時間がかかった。
さすれば「多ラ・ア多ラ」は「オオラ・アオオラ」ということになる。
似たことばに「オーム(アウム)」という「誕生ア、維持ウ、破壊終焉ム」の聖音がある。宇宙のすべてはそのサイクルに基づいている。
ところが「オオラ・アオオラ」はその終焉のムがラに入れ替えられている。ラ行の音は回転を示し停まることなく次ぎの回転へとつながるのだ。「起」に含まれる「己」は竜のエネルギーを示し、ハングルでも「リウル」と呼ばれるR行の文字なのである。火を熾すとき風を起こすとき確かに煽る(アオル)。
「タタラ・アタタラ」すなわち「オオラ・アオオラ」は「オーム(アウム)」のように終わることなく永遠に回転を続けるマジックワードなのであった。そのために前のオオラで終わることなく母音アを引き継いで「・アオオラ」となっていたのだ。
ところで今年1月から今日までの五ヶ月間のわたしのサイト ようこそmonologueへの閲覧数をみると3万を超している。以前はそんなにアクセスはなかった。エンターティメントや商業的なサイトでもなく、読もうという意志と高度な読解力を要求されるサイトなのでそれほどのアクセスがあったことに驚いている。血のモノリスが発現した人がなにげなく喚び寄せられるらしい。時代は確実に変化しているようである。
fumio


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炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 

 宇宙の最初の元素は原子番号1の水素H。それが酸素Oと交わったとき、炎となり水H2Oが生まれた。
風は大気の移動のことなのでその成分は
地球上では窒素約8割、酸素約2割で構成する気体の体積比を細かくみると
窒素 N2  78.084%
酸素 O2  20.946%
アルゴンAr 0.930 %
二酸化炭素 CO2  0.034% となっている。
これが風神、ダイダラボッチの体なのである。

ダイダラボッチが天目一箇神(アメノマヒトツメノミコト)として祭られ蛇の形をした暴風神ということは台風は風が回転するエネルギーでその中心はひとつ目。
キュクロプス、英語読みサイクロプス(Cyclops)は
ギリシャ語「回る」の意の形容詞 cyclonicからきた大暴風(サイクロン)の語源のようだ。
どうもダイダラボッチあるいはキュクロプスとは風の回転エネルギーを神格化した呼び名であるらしい。
それでどちらもひとつ目なのだ。
空気、風はダイダラボッチの体ではあるが本体ではない。それはわたしたちを生かす宇宙意識として存在する。それだからわたしたちに上の式を解かせようとしているのだ。わたしたちを存続させるために。
fumio

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  炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 

「たたら」の神といえばダイダラボッチ。この預言をわたしたちの前に提出した日の夜、
ニギハヤヒは日本テレビ読売系で放送された映画「もののけ姫」完全版で巨人ダイダラボッチの姿で荒れ狂っていた。ダイダラボッチとはすごそうな名前だが漢字で書けば踏鞴法師。この字ではタタラを踏む坊さんのようでそれほどすごくは感じない。
桑名の多度大社では天目一箇神(アメノマヒトツメノミコト)として祭られているが各地の伝承を寄せ集めれば
隻眼一本足で踏鞴を操り風を起こす蛇の形をした暴風神ということになる。
同じような鍛冶神を西洋にもとめればギリシア神話に額の真ん中にひとつ丸い目がついている巨人、「丸い目」の意味のキュクロプス、英語読みサイクロプス(Cyclops)がいる。かれはゼウスに雷霆を、ポセイドンに三叉矛を、ハデスに隠れ兜を造ったことで有名。ニギハヤヒが以前、
「片目のジャック」というハンドルネームでわたしのサイトに現れたのもうなづける。テレビの放送に合わせたりブログを使ったりニギハヤヒはずいぶん現代的なメディア戦略を進めている。しかしもっとも有効なのはインスピレーションという昔ながらの手法なのだろう。インスピレーションとは神のスピリットが入るということで「火(カ)」→「水(ミ)」へと降ろされる。人から神へと申し上げるときは上の式のように「水(ミ)」→「火(カ)」となった。
そのとき、ことばは音霊的に逆にされたのである。
「水(ミ)」は一見鍵括弧で括ってあるように見えるがこれは式なので右(水気)回転を示すマークなのだ。
「火(カ)」のほうの括弧はもちろん左(火足り)回転のマーク。
炎と水が交わり、風が生まれ、右(水気)回転する「水(ミ)」から左(火足り)回転する火へとエネルギーは受け渡され「タタラ・アタタラ」へと進む。はたしてそのマジックワード「タタラ・アタタラ」はわたしたちが新時代を創造するエネルギーたりえるのか。
fumio



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  炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 
「炎と水、そして風」は「たたら」の材料を並べてあるようだ。
それをイコールでつなぎ「水(ミ)」→「火(カ)」のことであるという。
「火(カ)」→「水(ミ)」ではないところがミソのようだ。
それがまだ矢印で→「タタラ・アタタラ」へ進む。
なにが言いたいのだろう。
「たたら」といっても普通「なにそれ?」で興味をもつ人も多くはないだろう。
どうして今この時代に「たたら」についてわたしたちが知らねばならないのだろう。
さまざまな疑問が湧くがニギハヤヒは新時代に必要な知識を与えるつもりで提出したにはちがいない。
この式を解くにはしばらく時間が必要なようだ。
fumio

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思う  


 その子が居たこと、そして今も在り続けることを思い起こさねば…
この短い預言は「十」の形状をわたしたちの脳裏にしみこませるための文字使いがなされている。
「子、居、在、続、思、起」一見自然なこれらの漢字は慎重に選ばれていてどこかに十がある。

「その子(祖の子)」が「居た」は古(ホルス)田。
、「そして」祖志(みおやのこころざしで)て、 
今も(屋根に覆われ隠されながらも)
「在」(人に土)仕える、「続」は継ぐこと。
「こと」は(子と)。
「思」は心の上で十字を回転させること。「起」は熾すこと。
「こさねば」(超さねば)
メッセージ全体では、祖の子、古(ホルス)は、みおやのこころざしにより過去にも現在にも隠されながらも在りつづけ仕え継いでゆく。わたしたちはその子と心の上に十を回転させ火を熾すように新時代を興し超さねばならない。心で思うことが「タタラ」の秘法なのである。時代を興すためには多くの人がともに心を合わせ思わねば…。
fumio





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 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る

「父は炎」の「父」は解字すると「ハ〆」で「初め」「炎」は火がたてに重なって「交カヒ」。
「母」は女が子供を抱いている図。
「子」は一(はじめ)と了(おわり)αアルファでありΩオメガである。
「風」は虫が竜を示唆。
「亡」は陰の古字と入の組み合わせ文字で人目につかないところに入るの意。
「今」は屋根に物が覆われ隠されている図。
「至る」はきわまる。
「に至(し)る」は「西」に回転マーク「る」。時代は北から東、南、と回り西できわまる。

メッセージ全体では、初めに重なる火が水と交り、女が竜の性質の子、すなわちはじまりであり終わりである存在の子どもを抱いたが、子は人目につかないところに入り隠されていたが、今きわまる。
わたしたちはついに今の時代の終わりを迎えた。それはふたたび回る新時代の始まり。
fumio


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これまで踏鞴(たたら)について全く匂わされたり触れられたことがないのになぜ前回突然スポットライトが当てられたのだろう。自分で書いていてもわからない。意外な展開に目を瞠るだけだ。「たたら」について多くの人が知らねばならない時が来たというのか。「たたら」についての預言をさがしてみるとこんなメッセージが94年の1月の終わりから二月にかけて連続して発されていた。なにかありそうだ。

 01/29 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る
 01/30 その子が居たこと、そして今も在り続けることを思い起こさねば…
 01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 
 02/01 父母無くしては子は在り得ず、子無くして父母は在り得ず…


しばらく考察に時間をいただいてこれらの預言の意味を探りたい。
fumo


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最後の錦糸束を纏めるには、新たなる輪が必要だ‥カミは火と水。
 さぁ、先を急ごう。
「最後」は解字すれば日取後(五)あるいは「一人子ホルス」
「錦糸束」の「錦」は「金」がピラミッド「白」が九十九(つくも)世界「巾」は覆いかぶせる。
読みは「禁止則」「禁子息」などで「纏める」は「魔止める」二は。
すなわち、ホルス(ニギハヤヒ)が日を継承したあとの黄金ピラミッド宇宙の禁止則(いましめ)を止めるには、
「新たなる輪」すなわち新田(あらた)「七」る輪とは「縄なわ」の「な」と「わ」で回転マーク「る」を挟んでいる。「輪」とは「広」がよこ東西に対して、たて南北のこと。「廣い」と書くとき广に黄でよこを示している。 
「必」は「日(カ)ならず」「要」は「西女とカナメ」で「ナ」を挟んだカメ、イシス、イザナミを示唆。
「だ」はもちろん「田」。「日」という字は「廣」に対応して見てのとおり、よこの日だからたての「輪」が「田」を形作るために必要になる。たての火(カ)の役目をホルスが果たし。イシスは水(ミ)の役目。
それが纏める二。

「新たなる」を「アラタタなる」と読めば踏鞴(たたら)回転のこと。 
「タタラ・アタタラ」と田田螺は回転する。踏鞴の「踏」の字には水(ミ)日(カ)が隠されている。
黄金太陽宇宙の上下の田は「タタラ・アタタラ」と互いに回転してつながるのだ。
このメッセージは「たたら」に関する預言なのである。「たたら」というわかったようでわからない不可思議なことばは黄金太陽宇宙の回転を示すことばであった。
fumio

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はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝

「酒匂(サカワ)の戒めが解かれる」といっても「酒匂(サカワ)」がなになのかがわからない。このことばが目と記憶中枢にこびりついたまま十数年が過ぎた。いまだに真意を読みとれずもがいている。
以前、職場に酒匂さんという人がいた。その方は「サコウ」さんで「サカワ」ではなかった。
でも全国には「サカワ」と読む酒匂さんもおられる。この預言の場合は「サカワ」でなければならないらしい。
この音霊でなければ伝わらないから読み仮名をふってあるのだろう。この音霊を使って考えられるのは「若狭ワカサ、川佐カワサ、笠輪カサワ、沢家サワカ」等々だがどうもしっくりこない。これと思える組み合わせにぶつからない。はじめに逆(サカ)がついているのでこのブログではもう基礎知識になった伝家の宝刀、音霊的逆転法によって調べてみよう。SAKAWAを逆にするとAWAKAS、これを漢字にしてみると「阿波か、安房か、安和か、粟か、泡か」などでこれらもまたピンとこない。
しかたがないので「酒匂(サカワ)の」までをSAKAWANOとして逆転してみる。するとONAWAKASとなった。漢字にすると「お縄か」。やっと見えた。これが長年探し求めた答えだった。
辞書によると「縄」には「いましめる。継ぐ。正す」などの意味がある。
そういえば「はじかみ」が生姜で英語のジンジャーで神社を暗示して、横綱の起源の「はじかみ」が住吉神社の注連縄を纏ったことで注連縄を示唆していた。そしてこの「縄、亀、薑」の文字の類似性。なるほど、どれも田が重なっている。
「酒匂」の「酒」は水に酉(つぼの形)で「匂」は「ヒ」が包まれているさま。
「戒め」とは「今締め、閉め」のことで「今」は物が屋根に隠され覆い包まれているさま。
「酒匂(サカワ)の戒め」とは日( ヒ)を酉(つぼ)に入れて包み隠すことであった。
その「縄」すなわち糸(意図)で縛られた亀の形状の黄金太陽宇宙の戒めを解くにはどうすればいいのだろう。
わたしたちはついに最終局面を迎えつつある。
アーリオーンというコードネームを使用する大天使ミカエルは最後の場面のため、95年1月18日に
最後の錦糸束を纏めるには、新たなる輪が必要だ‥カミは火と水。
という預言を遺している。このメッセージを読み解けば戒めが解けるのだろうか。
fumio

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はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝
「はじかみ」を一応生姜のこととすると「はじかみの色」は「端赤み(はじかみ)」の根の色、赤。
その「赤立つ」とはなんのことだろう。赤龍だろうか。
ところで「色」にはイロ、シキ、ショク、シコなどの読みがあるが、イロと発したとき、それは後継者の意味にもなる。そのことは以前にも紹介したわたしのサイトの ページで詳述しているのでまだご存知ない方は参照していただきたい。
色が後継者を指すのであれば、「はじかみの色立つ」は「はじかみの後継者が立つ」ということになる。
それなら「はじかみ」の特定をすれば意味が通じる。どうも相撲取りの「はじかみ」は関係なさそうなので除外する。そこで「はじかみ」の漢字「薑」という字をみると草冠に田がふたつ重なっている。なんだか亀の植物版のような構造の文字である。これまでの経過を辿り「田から解くさ」というヒントを合わせるとこの文字に象徴されているのはやはりイシス、イザナミということになる。
「午後」はこのメッセージが甦ってきた日は五月五日でゴゴであった。そのように設定してあったのだろうか。
時ではなく場所の位置として考えると将棋盤、九かける九、八十一の升目の中心が五五の位置で都と呼ばれる。
九かける九は苦界である現世を表し、盤の形はヘソのある亀の姿を模している。上図のヘソは「音受け」あるいは「血溜まり」と呼ばれよくみるとピラミッドの形に彫られている。その部分の真上が五五の都なのである。スーパーマンのようにX線の眼で真横から見ればエジプトのオベリスクの形状の串が盤の中心を貫いているのが見えるだろう。オベリスクもただのモニュメントではなく天地を貫く串として造られた。その都の位置に後継者の王が立つということになる。それがカゴメ唄の「都留と亀が統べった」ということなのである。
しばらく考察のために時間をいただいて次回はいよいよ「酒匂(サカワ)の戒め」を解いてみたい。はたして長きに渡って解けることのなかった戒めが今この時に解けるのだろうか。
fumio

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はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝
「はじかみの色立つ午後」の「はじかみ」はまず、生姜や山椒のこととみられるがあまりにも暗示している内容が豊富で限定できずに困ってしまう。生姜のことなら鹿の枝角に似ていることから「角の形をしたもの」という意味のサンスクリット語からきた英語、ジンジャーは神社を暗示。漢名は百邪を強力に防ぐ意の「薑(きょう)」。生姜の「はじかみ」は、根の端が赤いので端赤みが語源。
そして、横 綱の起源に「はじかみ」説というものがある。

「抑々横綱とは往昔、嵯峨天皇の御宇弘仁年中、摂州住吉の神事九月十五日の相撲会に、近江国の住人ハジカミと云へる力士一人も対手に当たるものなかりしかば、当時の行司志賀右左衣門尉、住吉社の注連縄をハジカミの腰に纒はしめ、対手の人此の垂れに手掛ければ、ハジカミの負けにすべし定め勝負をなさしめしに、一人として手を掛け得るものなかりきとぞ、是れ横綱の始めなり」(本朝相撲之司吉田家伝)

と「はじかみ」でこの横綱起源説を示唆しているなら神社の注連縄がかかわるようだ。
そして土師家の祖、大国主、天穂日命、野見宿祢などの土師神とも考えられる。
預言解読的に数でみるなら八四神で「し」に濁りがついているので八四四神となる。
八はピラミッドの形で四四は重なった二つの底辺部。
「はじかみ」だけでこれだけの可能性をふまえて先に進まねばならない。

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はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝

夫婦岩から始まって導かれるままに進んできたわたしたちがこの預言を解くにふさわしい知識を供えたのを見計らってニギハヤヒはこの十一年間だれにも解けなかったこのメッセージを再提出してきたのだ。これは周到に用意されたプロジェクトだったらしい。
とすると「はじかみの色立つ午後、」とは今現在の時点のことのようである。
ヒントのように添えられている「十種神宝(とくさのかんだから)」についてもこのブログの読者にはすでにご存知の方が多いはず。
これは崇神天皇によって三種の神器にすり替えられる前の真の天津日継の璽(しるし)であった。
それはそれとして預言の一部としてこれまでの流れに従って「十種神宝」を読み解くと
「十種神宝」の「十」は亀甲の文様十で「種」は禾に重なるで神は示に申、「宝」は「田から」。
すべてが十と田の重なりを示唆している。そして「田から解くさ」ということなのだろう。
「田」から戒めが解かれるというヒントのように思える。
とにもかくにも「酒匂(サカワ)の戒めが解かれる」時がきた。
fumio

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はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝

やっと亀甲の文字を一応特定できてほっとしていると今度は95年11月9日に発されたこの預言が心に甦ってきた。このメッセージは「炎で書いた物語」で何度も採り上げたのだが解けることはなかった。ニギハヤヒはふたたびチャレンジせよというのだろうか。ついに解ける時がきたのか…。
まだ日々のコメントを述べるような普通のブログには戻してもらえないらしい。
fumio

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★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…

さぁ、大いなる亀の文様は読み取れるか。挑んでみよう。

まず「龍の子」の「龍」を特定する。このままではなにもわからないので「竜」にしてみる。すると「亀」の下部に隠れていることに気づいた。「亀」の形の宇宙構造の下の方にいらっしゃる方なのだ。なにやらみえてきた。
ならば「子」はこれまでの流れではホルス(フル)あるいはニギハヤヒ。
読みは「コかシ」で数にすれば五あるいは九か四。「姿」は「次(ツギあるいはナミ)の女(おミナ)。
姿一字で月(ツキ)神、ナミ(七三)、ミナ(三七)のイシス、イザナミの裏表不離の関係を示している。
「変」は亦に夂(すいにょう)「ゆっくりついてゆく意」。
「大いなる」の「大」は人が手を拡げて十の形を作っている図。
そして七(な)と回転マーク「る」。「三四三」構造の上下の七が回転している。そんな亀の文様の「文」は線が交わっている形を表す。
「様」は木に羊水(四三ヨミ)。そして「読み取られる」はやはり「ヨミとられる」で四三を強く示唆。

ここまでを一旦まとめると、龍の子、ホルス(ニギハヤヒ)は五と四で九になっている姿を変えまたついてゆく。
「亀」の中で交わっている形は上下の田の中の十字。大いなる亀の文様は「三四三」を足した十を重ねた文様。
イシス(三七)、イザナミは(七三)で互いに十の数で亀の上下の文様を形作る。フル(ニギハヤヒ)もついて九から十に姿を変える。

亀甲の文字は、旧いものの上に新しい文字を書き連ね改められた

「亀甲」はこうしてみなおすとほとんど「田」ばかりでできている。
「旧(フル)」は「田」になりそこねたような字である。「新」は「あらた」と読んで
「改められた」の「改」もまた「あらた」である。これはやはり「新田(あらた)」を強く示唆しているよう。
「旧いもの」は日の脇に縦棒が立ち「九キュウ」であった。今度は日に正しく棒をきちんと書き連ねて四角の中を十にして「田」に改められたということ。この「田」はまともに回転して上下の田が重なりつながって玄亀の力をふたたび発する。亀は「日目」カメでありヒメでもある。「おかめ」と呼ばれて親しまれたり全国の神社にヒメ神として祀られたりイザナミは忙しく働いている。これまで見せなかったわれらが母のさまざまな素顔をさらけ出し(石神(イシス)として再臨するのである。
fumio


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亀甲の文字は、旧いものの上に新しい文字を書き連ね改められた

今度は数字ではなく文字である。手がかりらしきものはない。それでもわたしたちは夜明けのために
その改められたという新しい文字をみつけねばならない。かなり終点に近づいてきた。トンネルの向こうでは向こうから掘り進んできた彼岸の勇者たちが待っている。こっちからも掘り進めばもう少しでつながるはず。
しかし、どこをどう掘ればいいのか。試行錯誤で一日が終わる。もっとヒントを探してみよう。
すると93年09月11日に
★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…
という宇宙神霊アーリオーンのメッセージがみつかった。
こちらのメッセージでは 読み取られる、とされている。読み取られるのだ。これに意を強くして次回は読みとる努力をしたい。
fumio


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