monologue
夜明けに向けて
 

戸隠  


 手力男が無理矢理開いた天岩戸はどこにいったのだろうか。
長野に戸隠神社という神社がありそこに天手力男命が祀られている。

神社名鑑から以下に抜き書きすると
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戸隠神社(とがくしじんじゃ)旧国弊小社
祭神(奥社)天手力男命 九頭竜大神
(中社)天思兼命
(宝光社)天表春命
神紋 鎌まんじ
由緒沿革
戸隠神社奥社は創立年代最も古く孝元天皇五年の古記録あり。
昔天手力男命曰く、
「吾天にありし時抛落せる天岩戸今科野国に留り山と成れリ。
彼の山は則吾霊魂の残れる地なり。彼所に行きて住まん」
と筑前紀伊を経て当山に遷座し給う。
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 科野国というのは今は信濃と改められ信州長野を指す。
天手力男は天岩戸を長野に投げ落としたというのだ。
それがこの戸隠高原ということになる。この地に天岩戸が隠されているらしい。
奥社にともに祀られている九頭竜大神がこの地の元々の地主神であるという。
 わたしとアメリカで知り合った宮下富実夫は日本で仕事を始めるにあたってこの地主神に挨拶してその少し下の飯綱に居を構えスタジオを造りヒーリングミュージックを創始することになった。わたしがかれの飯綱のスタジオを訪ねたときは五月というのに高地なので寒くてヤッケを着てかれの焼いてくれるバーベキューを食べたものだった。戸隠神社には「ゆっくり走って無事カエル」という交通安全のお守りも頒布されていて二見カエルとの共通性を感じさせる。
それにしても天手力男命が 九頭竜大神とともに奥宮に祀られているというのは 意味深長である。
九頭竜大神とはその名前からしてニギハヤヒとしか考えられない。
かれと特別に親しいか係累でなければともに同じ社に入っていづらいだろう。
二見浦ではかれニギハヤヒの長男サルタヒコはヒラベ貝に「手」を挟まれて海に沈んでしまった。
そして興玉(おきたま)石になったという。どうして興玉石という名前がついたのか。
二見興玉神社はサルタヒコがアマテラスである父ニギハヤヒとともに祀られている社なのだ。アマテラスのAMATとサルタヒコのHIKOを仲良くつなぐと天ではAMATHIKOとなってこれを地上で読むために逆に直すとOKIHTAMAで興玉となったのである。つまり興玉神石とはサルタヒコひとりの変身した姿ではなくニギハヤヒとの親子二柱の魂が依り憑いているのである。ニギハヤヒを祀る和歌山の「玉置神社」ではOKIには「置」を使っているがここでは「興」という文字を使用している。「興」は大修館新漢和辞典によると同と舁(二人が両手で物を抱え合う意)の合わせ字で力を合わせて物をかかえおこすことと記されている。すなわち二見興玉神社ではとにかく親子が力を合わせてことに当たっていらっしゃるということを示しているのである。
 サルタヒコは申田彦とも書ける。申も田も十の回転力を示す文字である。タヂカラオは田力男とも書ける。
そして戸隠神社の神紋 「鎌まんじ」はその図形化なのだ。土地は違ってもかれらはともにカエルをマスコットとしているらしい。そしてともにそれぞれがニギハヤヒと仲良くいっしょに祀られている。こうしてみてゆくとタヂカラオはサルタヒコと同神異名の可能性が濃い。神名は時と場合によってハンドルネームのように変わる。
スサノオ、ニギハヤヒ、トヨナミヒメ、のようにサルタヒコも多くの名前で活躍したのだろう。
fumio


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