monologue
夜明けに向けて
 



今日5月31日はわたしの父方の祖母「山下いと」の命日。
いとは明治23年 1890年に滋賀県で生を享け、20歳年上のミュージシャン山下孫吉と結婚して10人の子供を設けた。

1958年 、「火の玉ロック」のジェリー・リー・ルイスは23歳の時13歳の少女と結婚して大騒ぎになったがその年の差は10歳だった。
いとさん、いろいろあっただろうけれど孫吉と一緒になってくれてありがとう。
おかげであなたがたのDNAを継いで生きています。これから赤飯を炊いて供えます。合掌…。
fumio

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昨日、DLIFEの「エレンの部屋」を見ているとラルフ・マッチョが出てきて「ダンシング・ウイズ・スター」で組んでいるパートナーと踊ってみせた。大人になっていたので初めはだれかわからなかったが鉢巻をしてみせるとあの頃の面影が浮き上がりカラテキッドの主役の顔になった。かれについてはこのブログに以下のような文章を記したことがあった。
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1984年に製作された「カラテキッド(The Karate Kid)」邦題「 ベスト・キッド」という映画が世界的にヒットしたことがある。息子は空手が習いたい、と言いだし、映画で実際に指導していたのは寸止めではない出村先生の流派だったけれど近くのピコ通りにあった沖縄小林流空手道場に入門した。試合を見に行くと出村先生の流派のほうが優勢だった。

 するとしばらくして前作のヒットを受けて続編「The Moment of Truth Part II(The Karate Kid, Part II)」邦題「ベスト・キッド2」が製作されるという噂が流れその作品に出演する本物のカラテキッドたちのオーデションがあるということだった。未成年なのでオーデションを受けるにはまず写真を持っていってどこかの芸能事務所に所属しなければならなかった。学校の成績がオールB以上という制限もあった。息子を連れていったオーデション会場には市内の多くの道場から少年たちが集まった。べつに空手を披露して見せるわけではなく、見かけで選び息子の通う道場で通ったのは息子だけだった。撮影の日に行くと午前中は撮影所の一角に別に設けられた部屋で補修授業を受けさせられた。そうしてハリウッドの映画界は学校に出られない子供達の学業が遅れないようにサポートしていたのである。やっと出番が来ると助監督が指揮して沖縄に似せたセットの坂道を歩かせた。ついていったわたしたち夫婦もその他大勢のエキストラとしてセットをうろうろと歩いた。空手道場の場面はなく一日中祭りのような雰囲気の中で歩いただけだった。撮影が終わると主役のダニエル ・ラルフ・マッチオが「おまえたち空手がんばれよ」と子供達に声をかけて車に乗り込んで帰っていった。子供が出演する映画は親も付ききりで大変なことがよくわかった。
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ミヤギ役のパット・モリタ氏と沖縄県人会の空手ショーで会った時、わたしは空手を習ったことはない、と言っていたようにラルフ。マッチョも映画の撮影以外では空手を習ったことはなかったのだろうけれど「おまえたち空手がんばれよ」と子供達に声をかけたのは役者魂らしい。
fumio

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節電の夏が近づいてエアコンはあまり使えないのでサーキュレーターと扇風機を買ってきた。
以前使用していた大きい扇風機は消費電力が大きいので引退してもらう。
原発事故で昨年は扇風機が売れたそうだが今年はどうなるだろう。なんとか原発にたよらないで夏を乗り切らねば…。
政府はダメでも民衆は強い。できるかぎりのことをして脱原発をやりぬく。
fumio

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今週木曜5月31日に命日を迎えるわたしの祖母「山下いと」について少し記しておく。
いとは明治23年 1890年に滋賀県で生を享け、明治2年1870年生の山下孫吉と結婚。夫婦は20歳の年の差があった。

孫吉といとのなれ初めはロックスターとファンのような関係だった。孫吉は歌と楽器に優れ「江州音頭」を歌い近郊を廻っていた。いとは近くの村娘で20歳も年上の孫吉に恋をしてあこがれの孫吉の取り巻きとなり伴奏の太鼓を叩いた。結婚して10人の子供を設け末っ子の山下幹雄(わたしの父)を1923大正十二年三月二十一日に出産。
それは孫吉53歳、いと33歳の時でいわゆる恥かきっ子であった。そしていとが37歳の年、1927年昭和二年九月三十日に五十七才の夫孫吉を亡くす。幹雄はまだ4歳だった。いと自身はその後33年寡婦として10人の子供を育て上げ1960年昭和三十五年五月三十一日 七十才で没した。孫吉の才能は幹雄に受け継がれ幹雄は工場勤めのかたわら趣味で当時珍しいアコーディオンを弾いて地方回りしてくる歌手の伴奏などをした。そしてその音楽的才能はわたしに継がれ、わたしは米国で歌と楽器によって生活することとなった。この孫吉といとのロックスターとファンのような恋物語が現在のわたしの土台になっている。合掌…。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲とインストルメンタル曲の今週のアクセス聴取ランキング
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5月18日(金)~5月25日(金)
ヒット数901件中  
 順位前週前々週 

第1位(-)<->愛と光のテーマ
第2位(-)<->
第3位(2)<1>夢神楽
第4位(20)<7>愛し疲れて
第5位(-)<->雨の日のデート
第6位(-)<->夜明けの鐘が鳴る
第7位(-)<->まほろば回帰
第8位(-)<->カリフォルニアサンシャイン
第9位(-)<->日々の夕べに
第10位(1)<1>水面に書いた物語
第11位(6)<6>はるかなるメロディ
第12位(4)<4>女優(スター)
第18位(2)<18>あやかしのまち
第14位(3)<2>水の中で
第15位(19)<24>小舟がひとつ
第16位(17)<15>そしてなにが残った
第17位(-)<->ふるさと
第18位(11)<11>ときめきFALL IN LOVE
第19位(15)<4>オーロラの町から
第20位(14)<27>恋すれば魔女
第21位(10)<10>マイ・スィート・ライフ
第22位(5)<5>ラスト・ランデヴー
第23位(9)<16>Stay with me
第24位 (13)<19>Sentimentallady”M”
第25位(16)<9>素顔のマスカレード
第26位(-)<->ノスタルジックジャイヴ


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今週はインストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の紹介をしたのでカウントダウンの様相が一変した。
第1位は愛と光のテーマ で2位に宮下冨実夫のがつけ3位にはタイトル曲夢神楽 が入った。
これまでインストルメンタルはカウントしてこなかったけれど数えるとこんなに入ってくる。
fumio

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今朝のNHKBS1「ワールドウェイヴモーニング」でアメリカンアイドルシーズン11の決勝を採り上げていた。フィリップ・フィリップスとジェシカ・サンチェスの対決になりフィリップが優勝したという。フィリップ・フィリップスは個性派で60年代の歌を歌う時ボックストップスの「レター」を歌ったがほとんど我流で歌うのでメロデイがわからなかった。ジェシカ・サンチェスはフィリピン系アメリカ人女性でメロデイをきれいな声で美しく歌い上げるタイプの歌手。フィリップ・フィリップスのような個性派が優勝するのは面白いけれど毎週楽しみに見ていたのに優勝者がもうわかってがっかりした。それにしても米国のテレビはリアリテイショーと呼ばれる視聴者投票コンテスト番組ばかりになってきた。
つぎはどんな番組がはやるのだろう。
fumio

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昨夜のBS11「INSIDEOUT」に国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)氏が出演してイラン核問題について解説していた。
ブッシュ政権がイスラエルに扇動されてイラクに対して大量殺りく兵器疑惑で攻撃した時と同じ構図だという。イランが医療用アイソトーフのための20%のウラン濃縮と原発のための3%のウラン濃縮をやめなければ開発施設が核兵器開発疑惑で破壊される危険がある。日本も原発から出た大量のプルトニュウムを所持しているので核兵器開発疑惑をかければかけられる。現在は米国と仲が良いので狙われないだけのようである。中東問題はいつも背後にイスラエルとそれに踊らされる米国の影が垣間見える。
fumio

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わたしのサイトにアップロードしてあるインストルメンタル曲は「夢神楽」シリーズのほかにはSFのアルバム「プロセス」の一曲「嵐」がある。この曲は宮下冨実夫がシンセサイザーと中国銅鑼などの打楽器を駆使して録音からミックスダウンまでたったひとりで制作したもの。人類発展のプロセスにおいてマホロバ到達前の嵐の時代を音で表現しているのだ。
fumio


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インストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の一曲「夜明けの鐘が鳴る」は以前このブログ上に「アンドロギュノスの夢」と題して以下の文章を書いた時作った曲。夜明けの鐘は今鳴っているはず…。

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うしろの正面だあれ、と問われるとなぜかうすうす感じるシュール・リアリスティックな思いがある。
自分のうしろの正面には自分自身がいるのではないかと何とはなしに思ってしまう。
それは最初の人類として生まれた頃の記憶のせいだろうか。

 地球上にポツンとひとり生まれたアダムはなにもない球上の世界でかれの視界をさえぎるものはなにもなく、地球を一周した光に反射する自分の姿しか見えなかったことだろう。たったひとりの世界では振り向けば後ろには自分自身がいるだけだった。アダムが自己増殖できる存在、アンドロギュノス(最初の人間で頭が二つに手足が四本づつあって、男女両性が背中合わせにくっついたような丸いからだをしていた)であったとき、かれの中心、おなかに神は宿っていた。

 やがてアンドロギュノスの身体を二つに分けたときに神の居場所の印がヘソとして残った。二つに分けられた身体を前後でみると大切な部分はほとんど前部に集められた。
人体をミクロコスモスとしてとらえると左目が太陽であり、右目が月として前面に向かって光を放っている。
われわれは光の反射によってしかものが見えないので前面にあるものしか認識できない。
われわれにとっては前面だけが光の世界なのである。

 それに反して人の『後ろ』である背面には光を放つものがない。ということは背面は人にとって光の射さない暗闇の世界なのである。それゆえ、人は背後を畏れ何度も振り返る。
目の光を闇に照射して浮かび上がるものを見ようとするのだ。後ろの正面のだれかを探すことは暗闇の住人を特定することにほかならない。
 お腹と書いて『おなか』と読むのは中ということばが神の居場所を指しているからである。腹(はら)は高天原の原(はら)と通じる。それは身体の上下左右前後の中心で臍下丹田と呼ばれる位置である。
そのおなか(高天原)に集われていた神々があるとき、隠退されて背の側に移ってしまわれた。それが天の岩戸伝説である。
 そのことを示すのが前面のおなかに対する背中ということばなのだ。 光の射さない暗闇の世界である背に中をつけて背中と呼ぶのも、そこに神々がおられるからである。
『背』とは北の月、北とは基田で基の神の居場所。人の畏れる背中の闇には元の神々が集われている。 天の岩戸は人の背で閉ざされたのである。その岩戸を背戸と呼ぶ。 
エジプトではオシリスを殺したイシスの弟Seth(セト)日本では出雲に封印をかけたアマテラスの弟、狭門(セト)として知られる。それは人の背の戸のことなのだ。

『一二三四五六七八九十』を『人フタ見よ、いつ無に為すやここの戸を』と解くとき、
ここの戸』の示す戸それは『背の戸』であるのだ。それはそこから向こうを見えない闇と捉えて畏怖するわれわれの心を閉ざす戸である。天の岩戸閉め以来、この世の実権を奪ったセトが構築した人の前面の光の世界は実は日仮(ヒカリ)の世であった。背中の暗闇に隠退していた真の光が射す時、夜明けの鐘が鳴る。
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fumio

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インストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の一曲「愛と光のテーマ」は1991年8月,シンガポールで開催された「第1回アジアわたぼうし音楽祭』の日本代表として出場した頃、作ったインストルメンタル曲だった。その後世紀末フォーラムでARIONの存在を知った時。「愛と光の天使」という表現を用いるのに驚いたものだった。見えない世界ででなんらかの関わりがあったらしい。聴いたことのない方は題名をクリックして開いたページでプレイボタンを押してお聴きください。ご愛聴感謝。
fumio



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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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5月11日(金)~5月18日(金)
ヒット数463件中 
 順位前週前々週 

第1位(1)<2>水面に書いた物語
第2位(18)<17>あやかしのまち
第3位(2)<->水の中で
第4位(12)<8>女優(スター)
第5位(13)<21>ラスト・ランデヴー
第6位(6)<1>はるかなるメロディ
第7位(8)<10>ごめんなさい
第8位(3)<4>軽々しく愛を口にしないで
第9位(16)<5>Stay with me
第10位(20)<12>マイ・スィート・ライフ
第11位(17)<15>ときめきFALL IN LOVE
第12位(4)<->わが人生の日々
第13位 (9)<11>Sentimentallady”M”
第14位(27)<22>恋すれば魔女
第15位(4)<3>オーロラの町から
第16位(9)<14>素顔のマスカレード
第17位15)<7>そしてなにが残った
第18位(22)<19>それってⅨじゃない
第19位(24)<18>小舟がひとつ
第20位(7)<9>愛し疲れて
第21位(21)<20>わかりあえる日まで
第22位(25)<16>しあわせになれる
第23位(26)<21>まことのひかり
第24位(23)<13>NEVER GIVE UP!
第25位(5)<->ナルシスの花びら

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今週もやはり水面に書いた物語 が他を引き離しての首位だが現代の愛シリーズ水の中ではまだベストスリーの圏内に残っている。アトランティス水没の記憶はまだ多くの人々の深層意識に沈んでいるのか…。ご愛聴感謝。
fumio

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インストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の一曲雨の日のデートは「時空捜査局」の「 緋色の女救出作戦 その6」 で述べたように2003年6月18日(水曜)に歴史から削除された女王トヨが人知れず祀られている神社を探して車で走った時、流れてきたメロデイを曲に仕上げたものだった。それは緋色の女、女王トヨとの雨の日のデートだった。トヨさんはこんな軽快なメロデイがお好きらしい。聴いたことのない方は題名をクリックしてお聴きください。ご愛聴感謝
fumio

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インストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の一曲まほろば回帰はもとは「はるかなるアジア」という曲名で「アジア、緑なすわが大地」という歌詞がついていたのだが歌詞をとって純粋なインストルメンタル曲にしたのだった。アジアがわたしたちのマホラすなわちマホロバであることをことばに頼るのではなく音によって表現したのであった。いつかまことのマホロバに回帰せねば…。聴いたことのない方は題名をクリックしてお聴きください。ご愛聴感謝
fumio

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小学校の朝礼後、教室にもどる時、放送でクラシックを初めとしていろいろな音楽が流れた。そのうち一番かっこ良くて心に残ったのがグレン・ミラー楽団の「アメリカンパトロール」という曲だった。子供ながらなんだかウキウキした。あの頃、そんな米国のヒット曲をかける先進的な先生がいたらしい。ラジオで日本の歌謡曲しか聴いたことのない小学生がそれで変わった。なにが転機になるかわからない。
その小学生時代を思い出して作ったのが夢神楽シリーズの一曲ノスタルジックジャイヴだった。只今、アップロードしたのでどうぞお聴き下さい。
fumio

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今度契約したサイトは容量に余裕があるので以前のサイトでは容量超過でアップロードできなかったインストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」からタイトル曲夢神楽をアップロードしたのでどうぞお聴き下さい。ご愛聴感謝。
fumio

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