monologue
夜明けに向けて
 





<6> 汝等に伝える 傀儡の主たる者の意図せんところを

 やがて訪れる 星降る夜に宵闇山を走り抜け
 傀儡(クグツ)の掟を知らしめ 聞かしめ
 我らの名を 地に落としめることを意図せる者こそ
 いにしえの昔から 我らの敵(カタキ)として
 この宇宙(ソラ)を牛耳って来た者共
 その名を デ・ゼビアス・デニアス・アイという

 汝等に伝える 我らが母 マイ・ミュート・アーテは既に 北極磁気圏内に在る
 心して 生きよ 星降る夜は近い
「光の黙示録」より


このデ・ゼビアス・デニアス・アイという難しい名前が闇の支配者の正式名である。かれらは一般にはクリル(リトル・グレイ)と呼ばれこの世を牛耳っている。かれらは人類が覚醒して自立すると困るのだ。
「デ・ゼビアス・デニアス・アイ」(クリル)は遙かなる昔に地球に目をつけ人類と接触を持ち研究検討を重ねて植民地化計画を進め、そして19世紀にはアメリカ政府と支配の契約をした。 それでアメリカが世界の覇権を握ることになったのだ。かれらは通信衛星から発する低周波電波で人類の欲望を駆り立てコントロールしている。

「マイ・ミュート・アーテ」とはいうまでもないが我らが母イザナミのことなのである。かの女は北極磁気圏内に在って「星降る夜」に向けて用意している。
fumio

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<10>

 やがては明けゆく、この空の下
 闇から闇へと呼び交わす声が こだまする
 我々のコード・ネームは「光」
 明けの明星 金星の覇者

 呼び交わす声に惑わされる事の無い様に
 衣食住の夢は 我らの夢では無い
 我らの夢は「愛」それだけ
 我らの武器もまた「愛」それだけ

 光の下に集い 「愛」を実戦する者よ
 終わる事の無い「愛」の夢を望む者よ
 「愛」だけを武器に 闘い抜くのだ

 この惑星上に 再び我らの光が充満する様に
 衣食住の夢が 終わりを告げる様に
 闘い抜くのだ
「光の黙示録」より

この詩句はよく読まないと意味を取り違えてしまう。
「闇から闇へと呼び交わす声」には説明が必要である。
闇から闇へと呼び交わす声の正体は人類にとって善意の宇宙神霊ではないのだ。
かれらは人類を傀儡として「衣食住」の夢、金欲物欲権力欲などさまざまな欲望によって支配している。闇を走る者とかれらを呼ぶこともある。
ここで、 我々のコード・ネームは「光」 明けの明星 金星の覇者と名乗る善意の神霊の敵対者なのである。
わたしたちはかれらがコントロールする日々の欲望に惑わされることのないように愛と光によって闘い抜くのだ。
fumio

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<9>

 幽玄の彼方から待ち望んだ
 今この時 この麗しき邂逅の時を
 決して無駄にせぬ様に

 我々の計画の一端を 再び担う事を誇りに感じて欲しい
 其方達の魂が待ち望んだ この邂逅の時
 我々の元から送られる 愛のエネルギーを最大限に
 利用して貰いたい

 光と光の触れ合いには 大きなエネルギーが再現されるだろう
 光の子達よ 思い出すのだ
 其方達の愛 其方達の魂の帰る所を

 其方達の愛の誓いを この地球上で具現せよ
 忘却の淵から起き上がって来た者達の上に

 光の子の光の愛の技は 其方達のもの
 立ちはだかる 如何なる試練の壁も
 光の愛の技の前には 無に等しい

 我々と共に歩み続けると誓った其方達
 お互いの魂に誓った 其方達
 夢々 忘れる事無き様に

「光の黙示録」より




今わたしたちは邂逅の時を迎えた。
 「我々の計画」の 我々とは宇宙神霊。かれらとの巡り会いの時がきたというのだ。
かれらは宇宙生命全体の進化計画を実践している。
地球だけが勝手に暴走して絶滅しては宇宙のバランスがこわれる。
この地球上で愛の誓いを実現すべく生きるわたしたちとともに新たな時代を築こうとしているのである。
fumio








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<4> 大いなる言葉に耳を傾け

美しきヴァイブレーションを色と形から学び
音楽にのせて 全宇宙へ発信せよ

総ての生命を育む地球の存続を賭けての
これからの我々の闘いの為に

絵=色と形のヴァイブレーション
音楽=大脳記憶に訴えるヴァイブレーション
言葉=大脳に貯蔵され音楽で覚醒する為

エナジィ強化→個人から集団へ
集団エナジィ強化→地球の部分的生命強化
これを繰り返し あまねく強化してゆく

その上で 地球の地球自身の銀河系での役割を
果たす事を促進する

「光の黙示録」より


わたしは今回の夜明けのプロジェクトに選ばれた者のひとりとして
上の詩編を実行している。地のモノリス血のモノリス霊のモノリス宇宙のモノリス、より多くのモノリスが発現するように。
fumio


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四三、 どの様な事が起ろうとも
    神を試してはならない
    神に試されているということに
    気付く様に


「どの様な事」というのは人によってそれぞれ試練の内容や程度が違うので一概にはいえない。わたしの場合はそれは頸椎損傷だった。首の骨を折ればほとんどの人は生き残ったことに感謝しないでまず自殺を考える。自殺を試みることが神を試していることになる。
ところがそう簡単にはゆかない。首から下が麻痺した状態では無理なのだ。近頃はいじめられたからといって自殺が流行っているがかれらは心が不自由になって動きがとれなくなってしまっている。ところが体は自由に動くから簡単に実行できてしまう。折角この世に生を受けたのにそんなことで途中で断ち切っては神も試練を与え甲斐がない。これからもっともっと大変な試練を与えて鍛え磨いて上の段階に引き上げてやろうとしているのに困るだろう。「神に試されているということに気付いて」試練を乗り越えなければ次のステージには進めない。もう舞台は用意されている。
あの幕を上げるのはだれ?


   女優(Star)
 
 1、 やがて幕があく 呼吸(いき)をとめ 人々の 視線を うけとめる
  
   気がつけば  悲劇のヒロイン
   生命(いのち)を歌い 生命を舞い 生命を終える
   
   拍手の嵐 カーテン・コール
   そのなにもかもが わたしのいきがい
   
   
 2、 そして幕があく 客席には ただひとり あなたしかいない
 
    ふりむけば 本当の わたし
    運命(さだめ)を笑い 運命を泣き 運命を生きる
    
    ためいきの響き 哀しいコメディ
    そしてそれもまた 生きてる証(あか)し
    
    「その時わたしは、わたしの時代の終わりを予感していた」
    
    




 3、 いつか幕があく ふるえながら 見知らぬ 少女が立っている
 
    気がつけば 新しいスター
    若さを歌い 若さを舞い 若さを燃やす
    
    歓声の渦  あふれる舞台
    
    そのなにもかもが 同じはじまり
    そのなにもかもが 同じかがやき



女優(スター)を聴く




fumio





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四三、 どの様な事が起ろうとも
    神を試してはならない
    神に試されているということに
    気付く様に




なぜわたしがこの夜明けの仕事に選ばれていたように思うかというと
現在住んでいる家がわたしたち一家がこの国で住むためにあらかじめ用意してあったからである。これは勝手な解釈にすぎないのだろうか。

この家のオーナーはアメリカの日系企業の社員だったが日本で仕事することになってこの家を建てたのだ。そしてアメリカから家財道具が届いて運び込んでいるとき会社からサンフランシスコ転勤命令が届いた。結局新築の家に一日も住むことなく、かれは貸家にする手続きをしてサンフランシスコに赴任した。そしてしばらくしてロサンジェルスに転勤した。
そのころ、わたしはロスアンジェルスから日本に帰って一時的に住む家を首都圏に探していた。新築のきれいな家が二年契約で出ていたので二年ほどなら丁度良いと思って契約したのだ。まだ電灯もなにもついていなくて人が住んだ気配がなかった。まるでわたしたちのために用意してあったようだった。わたしたちのうしろでだれかがひょいと人形のように入れ替えたとしか思えない。息子はアメリカに留学してその後アメリカ市民としてロサンジェルスで暮らしているがたしたち夫婦はそのだれかの計画通りいまだにこの家に暮らしている。
fumio

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四三、 どの様な事が起ろうとも
    神を試してはならない
    神に試されているということに
    気付く様に


 一般的には神が人を使うとき三段階になっていて「神選び神試し神鍛え」の順
を経て「神使い」されることとなる。
まず神になにかの機会に選ばれそしてどの程度使えるか試される。ある程度使えるとなれば鍛えが始まる。それらを合わせて試練という。とても耐えきれないところまで追い込むがそれでも残ったものをやっと使うのである。
わたしの場合もどこかで選ばれていたらしい。
アメリカで十年暮らして一時的に帰国してまたアメリカに帰って向こうで一生を過ごす気でいたのにある日首の骨を折った。死にはしなかったがなんとか生活していると今度は脳内出血を起こした。これが神試し神鍛えだったらしい。それからホームページを立ち上げたりブログを書いたりするようになったのだ。
fumio

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試し  



四三、 どの様な事が起ろうとも
    神を試してはならない
    神に試されているということに
    気付く様に


「光の黙示録」の凡夫についての節は四二節であったがその次にこんな詩句が続いている。一読して「それはそうなんだろうな」と思う。別にそんなに念を押さなくても良さそうな気がした。あまり深い意味が感じられないけれどどのように試されているのだろう。
fumio


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その頃、やっと日本にもポピュラー音楽が定着してキャッシュボックス誌の全米ベスト10を知っていることがトレンドになってきた。英語の見習い教師がわたしたちの高校のクラスに研修のために教えに来たとき授業中「今週の全米1位はなんだ?」と訊いた。
わたしは手を挙げて「バリー・マクガイヤのイーブ・オブ・デストラクションEve of Destruction」と答えた。「それで途中でo’re and o’re againというところがあるんですけどなんのことですか」と訊き返した。 研修先生は虚を突かれたようにウッと考え込みやがて「それは「over and over again」のことだ。」と正解にたどり着いた誇らしげな表情をみせた。なんだか勝負みたいだった。

それから数十年経ってわたしと同年代のジェームズ・ラッセル宣教師が家にだべりにきたとき日米互いの高校時代のヒット曲の話しになった。国は違っても互いに話題にするほとんどの曲は知っていてなつかしい気分に浸った。ところが映画「地獄の黙示録」のイントロに流れたドアーズの「ジ・エンド」という歌についてはラッセル氏は顔を曇らせた。「それじゃぁ、イーブ・オブ・デストラクションは?」と問うと「あれは最悪」と評した。キリスト者にとっては破滅ものは気に入らないようだった。
イーブ・オブ・デストラクションは当時流行ったプロテストソングで人類の破滅を歌ったていた。
しかし、わたしたちは常に「破滅の前夜」にある。世界はすでに何度も破滅するに十分な兵器を用意しているのだ。
政治家や世界の指導者達はいつも自国の安全のためといいながら血迷って地球生命体の絶滅への道を行こうとする。そうならないようにわたしたち一般市民はかれらの言動を注意深く見張り知恵と愛と勇気をもって戦うしかない。
fumio

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 フランスの最大野党、社会党が16日、マリー・セゴレーヌ・ロワイヤル(Marie Segolene Royal)元家庭・児童担当・環境相(53)を次期大統領選挙の候補者に選出した。かの女はセネガルの首都ダカール出身。
ENA(フランス国立行政学院)卒業後、行政裁判所判事となり、その後、ドゥー=セーヴル県選出の下院国民議会議員となり、入閣する。そしてポワトゥー=シャラント地域圏知事に当選。夫は社会党第一書記フランソワ・オランド氏で4人の子供に恵まれた。初期雇用契約(CPE)をめぐり、フランス全土において反対派の学生、労働組合による暴動が発生した際、強硬発言を繰り返したニコラス・サルコジ内相を攻撃したが来年春、与党・民衆運動連合(UMP)から出馬するサルコジ党首(内相)との因縁の対決になりそう。このバトルロワイヤルに勝てばフランス初の女性大統領の誕生となる。
女性枢軸の潮流は全世界を呑み込んで渦巻いているようだ。
fumo

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四二、 常に 自らを凡夫とわきまえよ
    神の御力に頼んで 道を行けよ
    如何なる奇跡の類をも人の業だと
    思うこと無かれ


「凡」とはナミでつまらないたいしたことがないということだろうか。
凡人とか凡夫はつまらない人なのか。
仏教でいう凡夫であれば悟ることのできない煩悩の中にある者、
「凡人」はおおよそ人であり、すべて人。
「凡」の字に示されるているのはチョン。チョンを内包している。
これは始まりであり終わりであり始まることがなく終わることもない点であり円である究極にして永遠の存在。梵=ブラフマンなのである。
常に自らをチョンの入った存在であるとわきまえよ、という。
どんな奇跡のように思えることも自らの内にあるチョン(究極の存在)の業なのだ。
自らとはチョンの目。

「人」の字は左のチョンから始まる。左の一本では倒れるので右足で支える。
 この左が火垂りで精神、魂魄の魂の方。
 右が水気で肉体、魄の方を表す十字をずらした字。
 十字の結び目ヘソは人では書き始めのチョンで表され、
 ちょうど人が両足で立つヘソの位置に来るように作られた文字である。
 要するに人はチョンの乗り物なのだ。凡も人も結局、チョンを内包した文字であった。
 この詩句の意味するところは 人とは、神の乗り物としての無限の可能性を持つ存在で如何なる奇跡の類も実現可能なのだ。自立して道を行かねば…。
fumio


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凡夫  


四二、 常に 自らを凡夫とわきまえよ
    神の御力に頼んで 道を行けよ
    如何なる奇跡の類をも人の業だと
    思うこと無かれ

「光の黙示録」を見直しているとこんな節があった。
神仏にばかり頼っていてはいけないはずなのになんだか矛盾しているように思う。
どうしてだろうか。真意はどこに…。
わたしも「光の黙示録」という本は所持していない。ただパソコン通信やウェブ上に発表された「光の黙示録」の詩編とハローメッセージ の中から触発される文章を採り上げてみなさんと同じ土俵で解読作業をしている。まったく見当違いの解読結果に終わることも多いけれどただ夜明けに向かって進もうとしているのだ。
fumio

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ニューヨークのハード・ロック・バンド「ブルー・オイスター・カルト」に
ゴジラ(Godzilla)という曲がある。米国では日本製のゴジラはよくテレビで放映されて大人気。
「ブルー・オイスター・カルト」はプロモーションビデオに映画の怪獣の破壊場面を使い、歌の途中で「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
ゴジラが銀座方面に向かっております。大至急避難してください!大至急避難してください!」と日本語でアナウンスするのだ。思わずニヤリとしてうまいと感心するのだが「ニュース」の発音だけは「ヌーズ」になっていて惜しいと思う。アメリカ人にとっては英語を日本的に発音するのは至難の業なのだろう。
それはともかく、1954(昭和29)年3月1日午前3時42分、中部太平洋、マーシャル諸島で広島に投下された原爆の約1000倍の威力をもつ水爆「ブラボー」の実験が行われ島が三つ吹っ飛んだとき、操業中の日本の漁船「第五福龍丸」が被爆した事件があった。初代ゴジラはそれから8カ月後の11月に水爆実験によって目覚めた伝説の怪獣としてスクリーン上にお目見えした。
以来、連作が世界中でヒットしてアイドル的存在にまでなってしまったが初めは核実験に対する戒めの存在だったのだ。いい加減にしておかないと本物のGodzillaが目を覚ますかも。伊達にGodがついているわけではないだろう。
fumio


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阿鼻の冠を受けた者よ 聞くが良い
お前の待ち望んでいた力は 狭い井戸には無い
黄泉のかまどにも無い
日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている
お前の言う「忌むべき者達」の中にある


さて「お前の待ち望んでいた力」とは「狭い井戸」が大神(おおみわ)神社の摂社、狭井神社(さいじんじゃ)の薬水が湧き出る井戸、狭井であれば狭井神すなわちニギハヤヒの病を癒す霊力。
そして「黄泉のかまど」がイザナミであればさまざまな名前に隠れてわたしたちを苦難から守ろうとするイザナミの母なる力。

そういう力を否定してその力は「忌むべき者達」の中にある、というのだ。
「忌むべき者達」とは「己の心」。それは、日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている、という。


「阿鼻の冠を受けた者」はその辛さを逃れようと狭井の薬水に頼ったり弁天や姫神、瀬織津姫と名前を替えるイザナミに詣ったりする。

しかし、苦難にうち勝つ力は己自身の心にあるというのである。これは艱難辛苦にあっても神仏にばかり頼らず己にかえり自立せよというメッセージであった。
fumio





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阿鼻の冠を受けた者よ 聞くが良い
お前の待ち望んでいた力は 狭い井戸には無い
黄泉のかまどにも無い
日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている
お前の言う「忌むべき者達」の中にある

預言というものはどんなに難解でもいつか解かれなければ発する意味がない。
この部分も発表当時はやはり難解で歯が立たなかったけれど時代は進んでこのブログをお読みのみなさんにはもうわかる時が来たのだろう。
では先を急ごう。
「黄泉のかまど」とはなにか。
かまどを漢字 にすると「竃」である。大修館の漢和辞典によると
竃は「1かまど、へっつい、かまどの神またその祭り。
旧暦十二月二十三日に上天の上帝にその家のことを告げ除夜に降りるといわれ家ごとに送迎の祭りを行う、竃君。」とある。
竃君(そうくん)は中国の道教の竃(かまど)の神で1年ごとに玉皇にそれぞれの家の行いを報告する神。 「竃」はソウと読みこの字をよく見ると玄亀によく似ている。
玄亀といえば黄泉大神となったイザナミ。
「黄泉のかまど」にはイザナミがかまどでなにかを煮炊きしているようなイメージがあるがかの女は伊邪那岐命が迎えに来たとき黄泉の国の食べ物を食べたから帰れないと拒否した。そしてイザナギが地上に戻って「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と言い、中の瀬に下りて禊祓いをして八十禍津日神(瀬織津姫)が誕生した。
この瀬織(ソウ)津姫が「竃(ソウ)神」イザナミの新たに生まれ変わった姿であった。
つまり「黄泉のかまど」とはイザナミということになる。
funio


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