monologue
夜明けに向けて
 



わたしは幼い頃、映画「スターウオーズ」のヨーダのモデルになった脚本家、依田義賢の依田家の嫁に入った富子叔母さんに連れられて太秦撮影所見学に行ったことがある。その時、新人、勝新太郎が遠山金四郎を演じていた。

そして時と場所は移り、後年渡米した勝新太郎は宮下フミオの自宅スタジオに居候していた時、映画「座頭市」の音楽としてティアック8トラック・レコーダーに三味線を弾いてレコーディングした。杵屋の跡取りとして修業していたので弾けたらしい。コードはE一発だった。わたしは宮下に請われてその三味線に合わせてベースをレコーディングしたことがあった。
芸能界で一番洋楽のスタンダードのうまい歌手は石原裕次郎か勝新太郎かということがよく話題になったが、その勝新太郎はたった一度、宮下フミオのアコースティックギターのバックでリトルトーキョー劇場でライヴを行ったというニュースが翌日の羅府新報に掲載されたものだった。
海外でも勝新太郎は人気でヨーダ依田義賢 が脚本を書いた映画「悪名」シリーズに勝新太郎演ずる八尾の朝吉親分が鉄砲光三郎の太鼓で河内音頭を唄う場面があった。それでわたしの息子の友達のオクラホマの大学生たちマイケルやブランドンたちは勝新太郎のファンで実際に会ったことがあるかとインターネットのチャットでわたしに尋ねてきた。かれらにとってはなにか、近寄りがたい存在のようだった。
fumio

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わたしは英語の歌を歌って生活するために渡米したのだが働かなければ暮らしてゆけないので生活のために俳優の若山富三郎がオーナーのロイさんと親しいのでアメリカに来ると寄るというロサンジェルスのダウンタウンの「栄菊」というレストラン寿司店のエンターテイナーとしてギターの弾き語りに入った。そして、しばらくしてある時、クラブ「エンカウンター」という大型クラブのオーディションが催されてシゲさん「中島茂男と初めて会ったのである。二人でエンターテイナーをしているとヨーロッパツアーからアメリカツアーにやってきたファーイーストファミリーバンドの宮下フミオと会った。フランスではかれのバンドの曲がベストテンヒットに入ったと言っていた。別の国のことなのでそれがすごいことなのかどうかもその時はわからなかった。
宮下家は妻のリンダの才覚で維持されて来る者は拒まずだった。それで、その家は渡米した芸能関係の人々のたまり場のようになっていた。ジョー山中、ミッキーカーチス、勝新太郎、などなどが居候したりパーテイしたりレコーデイングしていたのである。
fumio

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saigo  



 1968年後半に日本のフォークグループの草分け「ザ・フォーク・クルセダーズ」が解散して同志社大学出身の端田宣彦(はしだのりひこ)がシューベルツを結成する時、同志社大学の後輩たちのフォークバンド「ザ・ヴァニティー」から越智友嗣(おちゆうじ)と井上博(いのうえひろし)をメンバーに加えた。石塚成孝(いしづかしげたか)だけは学業を優先した。
   そして,メンバーの抜けた「ザ・ヴァニティー」の方は石塚成孝(同志社大) 岡田恒夫(京都産大) 松田伸昭(大阪工大)という他校のメンバーとの「ザ・ヴァニティー」を再結成して1969年9月に「最後のお話」というシングルをキングレコードからリリースしている。
fumio

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isi  



大ヒットアニメ「ケイオン」のモデルになった十字屋楽器店からスタート。
1960年代後半のある日曜日、京都市内に遊びに行っている弟から電話があった。「今からギターを持って十字屋の二階に来い」という。京都の三条通にある十字屋楽器店が主催する音楽サークルの演奏会があったのだ。わたしはギブソンハミングバードギターを携えて三条通り新京極角の十字屋に入った。階段を登って会場に着くと多くの人々が楽しそうに演奏会を盛り上げている。ただのコンサートではなくコンテストのようだった。
わたしは弟を見つけて隣に座った。次々にバンドが出てきて得意曲を演奏すると作曲家の山室紘一がパフォーマンスを批評してゆく。先日は大阪で演奏会が開催されて谷村新司のアリスを見出してデビューさせることを決めたらしかった。
出演バンドのひとつに同志社大学在学中の学生たちの「ザ・ヴァニティー」というフォークバンドがあった。メンバーはギターとヴォーカル石塚成孝(いしづかしげたか),ギターとヴォーカル越智友嗣(おちゆうじ)、ウッドベースとヴォーカル井上博(いのうえひろし)の三人。得意曲サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」で聴かせた石塚のリードヴォーカルと切れの良いギターストローク、越智の柔らかいハーモニーの組み合わせは抜群だった。
そして、かれらは日本コロンビアからカレッジフォークとして「ザ・バニティー 愛に吹く風」 というシングルを発売したのだった。十字屋のサークルグループの演奏会は当時のミュージシャンの登竜門となっていたのだ。
fumio


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1965年、男性向け月刊ファッション雑誌「MEN'S CLUB」の募集欄で龍谷大学生加藤和彦がフォークグループ結成を呼びかけ、下京区在住の北山修が妹の自転車で七条通りを東に走り交差点で右に折れて南下して伏見区深草の加藤の自宅を訪ねた。それがフォーククルセダーズの始まりだったのである。
北山修の自宅の北にはジローズの杉田二郎の自宅の金光教島原教会があった。わたしはその近くの島原裏片町に住み高校三年になっていた。北山修の自宅の東の酒屋からのちに「ケメコの歌」でダーツが出てきた。中京区の北野中学校の同級生たちがコメディアン、ジェリー・ルイスの息子のバンド「ゲイリーとプレイボーイズ」の名前をもじった「サリーとプレイボーイズ」を結成してライブ喫茶「ナンバ一番」でグループサウンドの先駆けリンドアンドリンダースに名付けられた「ファニーズ」から東京で「タイガース」へと変貌していった。京都の呉服屋のボンボンの加賀テツヤもリンドアンドリンダースに加入し、その頃の京都には右を見ても左を見てもアマチュアとプロの境ぐらいのバンドがうろうろしていた。演歌界でも西陣出身の都はるみが64年にデビューしていた。運とやる気と才能の量でその後の運命が左右されていった。
そして、わたしが高校を卒業して洋楽にのめりこんでいた頃、京都駅前の「丸物(まるぶつ)」というデパートの屋上に海外ニュースのコーナーがあって、ミッキー・カーチスとサムライというバンドが海外ツアーをしている、という記事がよくあったので憧れた。外国で音楽のツアーをするというのはすごいことのように思ったのだった。
fumio

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加賀  



1960年代、毎日テレビ放送に「みんなの広場」という音楽バラエテイ番組があった。坂本スミ子が司会を務めジャズサックスの古谷充とザ・フレッシュメンなどがレギュラーで出演して、トランペットの日野皓正のバンドも出演して先鋭的なロックフィーリングの演奏を披露していた。この番組は日曜朝の楽しみだった。やがて時代がベンチャーズやアストノーツなどのエレキブームを迎え番組でもエレキバンドをデビューさせると宣伝した。芸能事務所「ターゲットプロダクション」の社長古川益夫がジャズ・ギタリスト加藤ヒロシにエレキバンド結成を指示して加藤が京都のダンス喫茶シアター「田園」に出演していたバンドのメンバーを集めて65年8月に「ザ・リンド」を結成した。ザ・リンドは「みんなの広場」にレギュラー出演して人気を博したが時代はビートルズの登場からヴォーカルグループサウンドに移行した。それで「みんなの広場」の番組中にザ・リンドにもヴォーカル部門「リンダース」を作ると宣伝した。視聴者は楽しみにして何週間も待った。そしてついに67年2月にヴォーカル部門「リンダース」の加賀テツヤのソロ名義で「ギター子守歌」をリリースした。それで演奏部門とヴォーカル部門を合わせて「ザ・リンド&リンダース」という形のバンドになったのだった。
●加藤ヒロシ(リーダー、リード・ギター)
●島 明男(ドラムス)
●宇野山和夫(ベース)
●高木和来(カズキ)(ギター、ボーカル)
ヴォーカル部門「リンダース」
●加賀テツヤ ●榊テルオ
その加賀テツヤは1979年に渡米してロサンジェルスでわたしのバンドSFの相棒中島茂男の住んでいた長屋の一室に居を構え自動車の整備工として働いていた。中島とわたしと加賀の3人でギターのセッションをしたこともあった。1981年1月のわたしたちSFのジャズクラブ「処女航海」でのコンサートに加賀テツヤも色々と手伝ってくれたものだった。加賀テツヤは1994年に帰国したようで14年間ほど米国に滞在してそして帰国後音楽活動を再開してしばらく活動しているうちに肺の持病が悪化して2007年(平成19年)12月30日に持病の悪化による肺病で61才で急死していている。合掌…。
fumio

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英語版わかりあえる日まで」By the day we see eye to eyeの日本語訳
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「遥かなる昔より広大な宇宙に小さな星がある。われわれが住むその星は芯まで青く輝いている。
永遠にともに過ごせたらいいのに…。」

目は違うし、肌も違うし、顔も違う。
言葉も違えば、夢も違うし、国家も違う。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、 愛するだれかが必要なときは、わたしのそばに来て。
そしてあなたはこの世の終わりに孤独を感じる。あなたがどう泣いたか、どんな努力したか話して。
わたしの手を握り、目を見て
わが友よ、この歌で慰めてあげよう。 時代を超えて歌おう、所を飛び超えて、
人種を超えて歌おう、目と目を合わせてわかりあえる日まで。 悲しい涙も分かち合うたびに、痛みは氷のように溶け、
この世に生きていることの喜びに満たされる。 われわれがどうやって生き延びたか知らないの?どんなふうに再生復活したか知らないの?
わたしの言葉を受けて、わたしのやり方を見て。
あなたをこの歌でわたしのソウルに連れてゆこう。 世紀を超えて歌おう、国家を飛び越えて、
歴史を超えて歌おう、心と心が触れ合う日まで。 風に違いはなく、雲にも違いはなく、光にも違いはなく、
空に違いはないし、海にも違いはなく、陸にも違いはない。

ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、
ライ- ララララ、 ライ- ラララララララ、 戦火を越えて歌おう。鉄条ケーブルを飛び越えて、
欲望を越えて歌おう。われわれが手をつないで歩く日まで。 全地球を越えて歌い、航行者を飛び越え、
宇宙を越えて歌おう。目と目を見合わせてわかるあえる日まで。
心と心で微笑む日まで。
 兄弟、あなたと、姉妹、あなたと、友よ、あなたと。
********* ***** ***************************
fumio

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翻訳  


1991年8月、シンガポール国立劇場「カランシアター」で「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」が開催された。
司会者、
“Fumio when he wrote this song had one dream, one desire in mind. he would like to see all mankind united as one to music.
And ,I personally feel that so far tonight, we all felt as one. havn't we, yes?
“I know some people upthere."

“I know some of you having feeling very emotional about all song, up to during rehearsal.
“ You realize, I personally did realize that I didn't have to understand the lyrics of the song to feel with the songwriter
To feel with the singer,I felt very sad, I didn't know the words when I heard some of the song. then I later read the translation in the souvenir magazin which each of you have.
“I felt I was'nt too far off the map. Seein' you is Fumio and his song tells the story and his song has a special message.
“Would you like to share that message with all of us Fumio!"
“ Yes, Hello ! people in Singapole and from many places asia .
I'm going to present you this special song for you and me all whole universe.
This song is written for not only asian people, universal people, thank you!"

“When you hear the song you will know exactly whatYamashita-san is trying to tell you ." 
Performing the song with Fumio is his son, ah… right on my right, on your left , Romio.
And the lady with him is Miyuki Suzuki.
“Ladys and gentle men, Japanese song,
“By the day we see eye to eye."
**************************************************************************** 
訳文
「フミオがこの曲を書いたとき、彼は一つの夢、一つの願いを抱いていました。音楽を通じて全人類が一つになるのを見たいと願っていたのです
。そして私は、今夜ここまで、私たち全員が一つになったと感じていると感じています。そうではありませんか?
「そこの上にいる何人かの人たちを私は知っています。」 「リハーサルの間まで、すべての曲にとても感情的になっている人たちがいること
を知っています。」 ご存知のとおり、私は個人的に、作曲者や歌手の気持ちを感じるためには歌詞を理解する必要はないことに気付きました。曲の一部を聞いたとき、歌詞がわからなくてとても悲しくなり、皆さんが持っているお土産の雑誌で翻訳を読みました。
「私は、自分がそれほど遠く離れていないと感じました。あなたがたに会っているのはフミオで、彼の曲は物語を語り、彼の曲には特別なメッセージがあります。
「フミオ、そのメッセージを私たち全員と共有してくれませんか?」
「はい、こんにちは!シンガポールの皆さん、そしてアジアの多くの場所の皆さん。
この特別な歌をあなたと私、そして宇宙全体に贈ります。
この歌はアジア人だけでなく、全宇宙中の人々のために書かれています。ありがとう!」

「この歌を聴けば、山下さんが何を伝えようとしているのかがはっきりとわかるでしょう。」 
フミオと一緒に歌うのは彼の息子、あー私の右で、あなたがたの左にいるのはロミオで
そして彼と一緒にいる女性は鈴木ミユキです。
「紳士淑女の皆様、日本の歌です。
----------------------------------------------------
  
わかりあえる日まで(by the day we see eye to eye)
                         詞、曲、山下富美雄
   「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで
 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.

Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
********************************************************************
fumio             



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1991年8月、シンガポール国立劇場「カランシアター」で「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」が開催された。
司会者、
“Fumio when he wrote this song had one dream, one desire in mind. he would like to see all mankind united as one to music
And ,I personally feel that so far tonight, we all felt as one. havn't we, yes?
“I know some people upthere."
“I know some of you having feeling very emotional about all song, up to during rehearsal.
“ You realize, I personally did realize that I didn't have to understand the lyrics of the song to feel with the songwriter
To feel with the singer,I felt very sad, I didn't know the words when I heard some of the song. then I later read the translation in the souvenir magazin which each of you have.
“I felt I wasn't too far off the map. Seein' you is Fumio and his song tells the story and his song has a special message.
“Would you like to share that message with all of us Fumio!"
“ Yes, Hello ! people in Singapole and from many places asia .
I'm going to present you this special song for you and me all- whole universe.
This song is written for not only asian people, universal people, thank you!"

“When you hear the song you will know exactly whatYamashita-san is trying to tell you ." 
Performing the song with Fumio is his son, ah… right on my right, on your left , Romio.
And the lady with him is Miyuki Suzuki.
“Ladys and gentle men, Japanese song,
“By the day we see eye to eye."
****************************************************************************   
わかりあえる日まで(by the day we see eye to eye)
                         詞、曲、山下富美雄
   「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで
 Every time we share sad tears, our pains melt like the ice,
We become full of joy for living life in this world.

 Can’t you see how we survived? can’t see how we revived?
Take my word see my way.
I’m gonna take you to my soul with this song.

 Sing across the centuries, jump across the countries,
Sing across the histries,by the day we  touch heart to heart.

 Winds no difference,  clouds no difference, lights no difference,
Skies no difference, seas no difference, lands no difference

lai- la la la la, lai- la la la la, lai- la la la la la,

lai- la la la la, lai- la la la la lai- la la la la la


 Sing across the fires, jump across the wires ,
Sing across the desires,by the day we  walk hand in hand.

Sing across the whole earth, jump across the voyagers,
Sing across the universe.by the day we  see eye to eye.
By the day we  smile heart to heart.

 Brothers with you, sisters with you, my friends with you.
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fumio             









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nara  


1989年、毎日新聞に募集が掲載された「第15回わたぼうし音楽祭」は8月に奈良文化会館で開催された。わたしはその音楽フェスティバルのコンテストにおいて「わかりあえる日まで」という曲をライヴパフォーマンスして優勝した。
それで、2年後の1991年にシンガポールで開催される予定の「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の日本代表となったのだった。あらゆるものの違いが悪いものではなく大切なものという分断から統合へのコンセプトが受け入れられる時代に入ったのだろうと思った。
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<わかりあえる日まで>
  (by the day we see eye to eye)詞 曲 山下富美雄
                        
「この広い宇宙の片隅に ポツンとひとつ星がある。
    青く輝くその星に 命に輝くその星に
    ぼくらはみんな住んでいる。 ひしめきあって生きている」

   1.膚が違う 顔が違う 瞳が違う 国が違う 夢が違う 言葉が違う
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

      もしも世界の 果てに住もうと
      人を愛する 心は変わらない

      もしもあなたに いつか会えたら
      こんな気持ちで 包んで歌おうか この歌
     
      世代を超えて 人種を超えて すべてを超えて
      わかりあえる日まで


   2.わかち合うたび 溶ける悲しみ
     生きる喜び 心に甦る

     人と人との 熱いつながり
     確かめあうため 命のあるかぎり 歌おう
     
     時代を超えて 文化を超えて 歴史を超えて
     わかりあえる日まで

     風は同じ 雲は同じ 光は同じ 空は同じ 海は同じ 大地は同じ
     ライララララ ライララララ ライララララ
     ライララララ ライララララ ライララララ

     戦さを超えて 砦をこえて はざまを超えて
     わかりあえる日まで 

     地球を超えて 銀河を超えて 宇宙を 超えて
     わかりあえる日まで 愛しあえる日まで

     あなたと あなたと あなたと

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fumio


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女優  


「水面に書いた物語」シリーズより
女優=’スター)

女優歌詞
女優(star)舞台
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女優(Star)words and music fumioyamashita 歌 Miyuki
 
 1、 やがて幕があく 呼吸(いき)をとめ 人々の 視線を うけとめる
  
   気がつけば  悲劇のヒロイン
   生命(いのち)を歌い 生命を舞い 生命を終える
   
   拍手の嵐 カーテン・コール
   そのなにもかもが わたしのいきがい   
   
 2、 そして幕があく 客席には ただひとり あなたしかいない
 
    ふりむけば 本当の わたし
    運命(さだめ)を笑い 運命を泣き 運命を生きる
    
    ためいきの響き 哀しいコメディ
    そしてそれもまた 生きてる証(あか)し
    
    「その時わたしは、わたしの時代の終わりを予感していた」
    
    
 3、 いつか幕があく ふるえながら 見知らぬ 少女が立っている
 
    気がつけば 新しいスター
    若さを歌い 若さを舞い 若さを燃やす
    
    歓声の渦  あふれる舞台
    
    そのなにもかもが 同じはじまり
    そのなにもかもが 同じかがやき
******************************************************************
fumio


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きみよ、幸せに 退院してゆく患者さんを見送る歌
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<きみよ、幸せに> 詞 曲 山下富美雄

1、なじんだベッド今日あとにするんだね
同じ場所同じ時ともに過ごした仲間が旅立つ

巣立ちゆく背中にかけることばは

「おめでとう。元気でね。」

きみよきみよ、幸せに

きみよきみよきみよ、幸せに

2、長い坂の 途中で一休み 

もういちどもういちど歩み始めるめでたい日がきた

それぞれの人生それぞれ生き抜いていつかまた会える日まで

きみ よきみよ、幸せに

きみよきみよきみよ、幸せに
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fumio


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spa  


「現代の愛」シリーズより夜明けの鐘が鳴る
スパスシフィカ
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<スパスシフィカ>fumio yamashita
1、まわれ まわれ  十字(クルス)  廻(めぐ)れ 廻(めぐ)れ卍(まんじ)

古(いにしえ)の言い伝え、今も 胸にひびく。
降り注ぐ叡智の光、いつもいつの代も
スパスシフィカは いま一度 旧き鎖解きはなち 浮かぶ 愛の化身

2、まわれ まわれ  銀河  廻(めぐ)れ廻(めぐ)れマグマ

スワスチカ サヴァスティカ 重ね合わせて 
炎の祭典に集う人々

   スパスシフィカよ、もう一度  果てしない時の旅人たちの  愛を 愛を結べ

3、まわれ まわれ  十字(クルス)  廻(めぐ)れ  廻(めぐ)れ卍(まんじ)

エルニーニョ ラニーニャ ともに踊れば 波間に浮かびゆく真珠の光

  スパスシフィカよ、もう一度 未来を創る 夢追い人の   夢を 夢を紡げ

まわれ まわれ  十字(クルス)  廻(めぐ)れ廻(めぐ)れ卍(まんじ)

まわれ まわれ  十字(クルス)  廻(めぐ)れ廻(めぐ)れ卍(まんじ)
*****************************************************************

fumio


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インストルメンタル曲アルバム「夢神楽」より夢神楽
ノスタルジックジャイヴ
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fumio

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アルバム「カリフォルニアサンシャイン」より自由の天地
しあわせになれる

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 自由の天地(TheJapanese story)

1 静かに眼を閉じ想う 今は昔の物語
  はるかな波涛もを越えて
  たどりついた 自由の天地
  むかえる人もない 異国の空で
  土地と闘い ふるさとしのぶ
  男の歴史 女の歴史
  つづり合わせて 昨日を生きる
 2 苦しさ 辛さもみんな
   時の流れに溶けてゆく
   祖国をふたたび見ずに
   闘い半ばに倒れた友よ
   やがてわれらも この国の
   土になる日がやってくる
   男の夢と 女の夢と
   重ね合わせて 今を生きる

   やがてわれらも この国の
   土になる日がやってくる
   息子の未来 娘の未来
   つなぎ合わせて 明日を生きる
fumio

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