monologue
夜明けに向けて
 



60年代後半、わたしたちに衝撃を与えたアメリカン・ニュー・シネマの代表作といえばやはり、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーのロード・ムービー、「イージー・ライダー」 であった。ドラッグカルチャーの最中、現代のカウボーイたちは馬をオートバイに乗り換え自由の国であるはずのアメリカを疾駆していた。しかしかれらは保守的な南部では受け入れられず最後には気に入らないからと射殺されトラックにぶつかりふたりのイージーなライドは終わりを告げる。コケインを売買し、大麻を吸いながらハーレー・ダビッドソンで米国を旅する長髪の若者たちの姿は日本で暮らすわたしたちにはどこか別世界の出来事のようだった。わたしは映画を見終わってなぜ主人公のふたりが殺されなければならなかったかわからず呆然としていた。多くの人が同じように割り切れない思いを抱いて映画館を出たことだろう。ハリウッドのおきまりのハッピーエンド映画を見慣れたわたしたちにとってそれは衝撃的な結末だった。

 わたしのアメリカ在住中、グリフィスパーク天文台に登るとその駐車場にあの映画で見たハーレー・ダビッドソンやヤマハやスズキの大型バイクに跨ったバイク軍団がよく集まっていた。現代のカウボーイたちは今も各地のフリーウエイを疾駆しているのだろう。

 この映画に使用されたステッペンウルフの「ワイルドで行こう」の歌詞「I like smoke and lightning Heavy metal thunder」の 「Heavy metal」がハードロックのヘビーメタルという名称の始まりであったという。「イージー・ライダー」は ロックの歴史においても重要な作品であった。
fumio

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卒業  


     わたしたちの時代の洋画で最も影響を受けた映画といえば当時台頭してきたアメリカン・ニュー・シネマの代表作、卒業(The Graduate) であった。出演は、ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロスら。

  わたしは米国で英語クラスの先生 がこれまで見た映画で最も印象に残ったものについて書いてこい、とアサインメント(宿題)を出したので「卒業」について書いた。

 「主人公、ベンジャミンが、大学を卒業して帰郷し、友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで「プラスティック、プラスティック」と明るい未来のキーワードのように繰り返されて、それがどうした、と将来に対する不安らしきものを感じるうち、幼なじみエレーンの母、ミセス・ロビンソンに会い彼女から誘惑を受け憂鬱性に陥るが両親が幼なじみのエレーンをデートに誘えというのでわざと嫌われるようにふるまったが、エレーンに恋してしまう。そしてかれが不倫の相手はかの女の母親と告白するとエレーンはショックを受ける。
ベンジャミンは、かの女の大学に押しかけ、追いかけるがある日、かの女は退学して他の男と結婚することになっていた。かの女の結婚が執り行われている教会に駆けつけたベンジャミンは、「エレーン、エレーン!」と叫ぶ。エレーンはそれに気付き「ベーンッ!」と叫び二人は教会を飛び出す。」とこんな筋書きを思いだし思いだし書いて提出したものである。あの頃は「「プラスティック」が将来の希望のキーワードとして使用されていたことを思い出すとすこし不思議な気がする。「IT」や「エコ」ということばももう少し経てば古びてしまうのだろう。

 時代の雰囲気を表現するテーマ曲サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」 は歌詞が難解でそしてみずみずしくロック感覚もあり、若者たちに絶賛された。ギター少年たちはこぞって挿入曲「スカボロー・フェア」 などで聴かれるポール・サイモンのギター・テクニックをコピーした。そこにはこれまでのフォークではない新たな息吹があった。「卒業」は洋楽の世界にも大きい影響を与える映画だったのである。
fumio

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さて熊野のゴトビキさんがわたしに、どうだ、意味がわかるか、と挑んでいるようなので簡単に語源を検索すると南紀の方言で蟇蛙(ひきがえる)のことをゴトビキとかゴトヒキと 呼ぶ、ということくらいしか見あたらずどうしてヒキガエルをゴトビキというのかという本当の深いところはわからない。自分で真剣に考えて答えを見つけなければ許してもらえないらしい。

  まず初めの濁点をとってみると「コトビキ」で「コトブキ」に似ている。「ゴトビキ」と「壽」ではあまりにも響きや字面の印象が違うがそれがゴトビキさんの狙いなのだろう。

 蛙はゴートやゴータ、ゴトウと呼ぶ地方が多い。ヒキガエルを「オンビキ」と呼ぶ時、漢字にすれば「御蟇」であるということを考えれば「ゴトビキ」は自然にヒキガエルのことになる。新宮地方のお燈祭りのヒキガエルはどうも「火気蛙」ということのようだ。ヒキガエルはもちろん西洋ではバアルのひとつの頭なので火炎龍である大天使ルシファーとも関わるのだろう.

 デジタル大辞泉によるとヒキガエルのもうひとつの漢字、 蟾蜍とは 「せん‐じょ」
1 ヒキガエルのこと。
2 《西王母(せいおうぼ)の秘薬を盗んだ嫦娥(じょうが)が月に逃げてヒキガエルになったという「後漢書」の伝説から》月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと。

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ということ。

 熊野の「ゴトビキ」さんはこれらすべての属性を携えて岩に降臨されたようだ。結局、姿はヒキガエル、その気は「火」その性は「壽」、西洋ではバアル、天体は「月」、そして働く時「火炎龍」に変ずるのであろう。「ゴトビキ」というキーワードでわたしが現在導きだせる答えはこれだけである。
fumio

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昨日,地霊の声を聞く実地見聞のために戸塚安行駅あたりの小宮山城、戸塚城址を妻と何度もまわってみたが開発され宅地になっていて以前の城の跡らしきものは全く見当たらなかった。立て札などもみんな撤去されて今ではあの場所に城があったなどとはわからなくなっていた。戸塚城がなぜ龍賀城と呼ばれたのか。あたりの標識には「TOZUKA」とあったが。本当は「TATUKA」であったのではと考える。あのあたりの西立野、や立山という名称も一般に読まれているような西TATENOやTATEYAMAではなく西竜TATU)野や竜(TATU)山なのだと思った。その龍は「戸塚」というなんでもなさそうな名称に巧妙に隠されてきたらしい。そろそろ小さい宮の山からお出ましの時が来たのだろうか。
fumio


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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング

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3月19日(金)~3月26日(金)
ヒット数:968件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>ごめんなさい
第2位(4)<4>マイ・スィート・ライフ  
第3位(3)<3>水面に書いた物語
第4位(2)<2>あやかしのまち
第5位(6)<6>はるかなるメロディ
第6位(7)<7>女優(スター)
第7位(9)<5>軽々しく愛を口にしないで
第8位(8)<8>ラスト・ランデヴー
第9位(5)<10>ときめきFALL IN LOVE
第10位(11)<9>オーロラの町から
第11位(10)<18>まことのひかり
第12位(17)<11>それってⅨじゃない
第13位(18)<16>Stay with me
第14位(12)<15>わかりあえる日まで
第15位(16)<19>NEVER GIVE UP!
第16位(20)<20>プロセス
第17位(14)<13>素顔のマスカレード
第18位(13)<14>Sentimentallady”M”
第19位(15)<12>恋すれば魔女
第20位(19)<17>しあわせになれる
第21位(24)<->もっと自由に
第22位(-)<->リアル・リアル・ラヴ
第23位(21)<->We all need Love


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 ごめんなさい がまだ連続首位を続けている。いつまで続くのやら。最後尾はもっと自由にリアル・リアル・ラヴWe all need Loveなどわたしがヴォーカルをとった曲がかろうじてくっついている。
ご愛聴感謝。
fumio

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一昨日、昨日と記事を書いていてだれかがなにかを教えようとしているように感じる。わたしの居住する戸塚地域の「藤兵衛新田」は宅地造成でできた新しい町なので長い間、祭りがなかったのだが5、6年前に「とうろう祭り」という祭りが始まった。テントを張って簡易な店が出て食べ物を売ったりバンドが演奏してカラオケ大会があったりする普通の夏祭りである。べつにそれに対してなんとも考えたことはなかったが昨日、新宮の「お燈祭り」に似た名前なのかもと思った。それで「とうろう」は漢字にすると「燈籠」なので偏や冠を除けば本質が見えて「登龍」であることに気付く。それは戸塚城が龍賀城と呼ばれたことにも呼応しているのだ。

  母方の故郷、新宮の祭りは「お燈祭り」だった。そしてそれは火の流れを下り龍に例えられている。登り下りする火龍、それが「ゴトビキ」なのだろう。熊野に降りた神霊はヒキガエルの姿をとる龍だったが、わが町の「とうろう祭り」の龍は蟷螂の姿をとるのだろうか…。
fumio

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一昨日、寝る前にふとテレビを見なければと思い、つけるとBShiで熊野新宮地方の紀行レポートを放映していた。わたしの両親はともに山下性なのだが父は滋賀県の山下家で母方の故郷は和歌山の新宮市なので興味を惹かれた。わたしの誕生日2月6日に毎年行われる「お燈祭り」 という火祭りの様子を番組で採り上げていた。 ウィキペディアにその祭りの詳しい説明があるが人々がゴールとして目指すゴトビキ岩とは土地のことばでヒキガエルのことだという。それは熊野速玉神社の元であった神倉神社のご神体である。この岩に神霊が降りたことから熊野信仰が始まったというのだ。速玉神社を新宮と呼ぶのは神倉神社に対してのことだった。思わぬことで母方の出自についてすこし知ることができた。わたしの声が声変わりでガマ蛙のようになったこともなにか関係があるのかも…。
fumio


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 昨日、わたしの居住する地域「藤兵衛新田」という名前について記した文章が配布されたので以下にコピーさせていただく。

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~藤兵衛新田の生い立ち~(その1)


 1500年頃の戸塚周辺は、戸塚村・指間(差間)村・立野村でかたちが作られていた。

現在の戸塚(東福寺)差間(三仏寺)・立野(西福寺)3ケ所のお寺を中心にして栄えていたと思われる。

 東側から北側に掛けては何もない原野であり、綾瀬川・伝右川が流れ ススキ・葦・茅などにおおわれ、うっそうとした湿地帯であったと考えられる。

  その頃、戸塚には龍賀城があり、小宮山弾正介という武士が支配していましたが1589年、豊臣秀吉の命により上杉景勝が小田原、北条征伐に向かう途中、龍賀城の戦があり小宮山弾正介は破れ、あえなく落城、落ち延びるが綾瀬川のほとりにてとらえられ討ち死にしたと伝えられている。
その場所が藤兵衛新田あたりと知られている。
生き残った数人の武士たちが、この土地に暮らし始め、信仰深い人達であったのか弁財天・神明さま・やがて稲荷神社などを祭り少しずつ人が集まるようになり、徳川時代の1656年の頃に、戸張藤兵衛と言う人が村としてまとめ、新田開発をしたと言われ、町名の由来は開発者の名前をとったものです。

  また翌々年には、隣の久左衛門新田も田中久左衛門という人が開発したと言われている。


  ここ戸塚では、徳川時代となり世の中が落ち着いたことから新田開発に力を入れるようになり、一つづつ集落が造られ、開発した人の名前が数多く町名として残されたようです。
             資料(戸塚年表参照)
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 以上、小宮山弾正介忠孝は岩槻城主、太田資正の家臣だったが、跡目争いにより岩槻城を追われると忍城城主成田氏の家臣となった。かれは深井藤右衛門好秀の舅で天正年間、戸塚城主として埼玉県川口市で二百貫文を領有した。

  埼玉高速鉄道戸塚安行駅の前の丘が戸塚(龍賀)城の跡(戸塚立山遺跡)である。
fumio

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昨日22日は米国にとって歴史的な日であった。一般の日本人にとってはそれほどピンとこないかもしれないが米国に住んでいて困るのはおいそれと病院に行けないことである。高額の医療費をとても実費では払えない 。そんな多くの人々の不安を解消する医療保険改革法案が、アメリカ議会の下院でついに可決されたのである。すでに上院が可決している医療保険改革法案を賛成219、反対212という僅差で可決した。オバマ大統領は大統領になった時よりうれしいと喜んでいる。
 
  これまで医療保険に入れなかった低所得者に公的な補助を出して民間保険への加入を促し、その財源に高額の医療保険に新たに課税し、富裕層の負担が増える。それが反対される理由であった。国民の6人に1人が無保険だった医療保険に新たに3200万人が加入するという。やっと米国も医療保険制度において他の先進国なみになるということである。公的医療保険制度は保守的アメリカ人の嫌う社会主義的ということで反発が強く見送られたがそれでも多くの困っている人々が救われることになった。本当に良かった。
fumio


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 その頃はまだアイドルということばはなく流行歌手は三人娘や御三家といって三の数で括られていた。その三人娘の始まりは「美空ひばり、雪村いずみ、江利チエミ」であった。わたしはそのうち、江利チエミが一番好きだった。映画でサザエさんを演じたり私生活では東映新人俳優高倉健と結婚して話題になった。本職の歌はカントリーの名曲「テネシー・ワルツ」 をカバーした「テネシー・ワルツ」 がヒットしてかの女の代名詞のようになった。かの女は原語で歌うことにこだわったというがチエミは英語で歌っていてもどこかそこはかとなく日本の響きを感じさせた。本人はジャズ的な欧米系の洋楽歌手を目指したのだろうがわたしはかの女の民謡 さのさ のような日本調の歌のうまさに感心したものであった。かの女は洋楽指向のわたしに日本古来の名曲の良さを教え眼を開かせてくれたのである。

 その江利チエミが1982年2月13日に酒による吐瀉物が喉に詰まって45歳で突然死亡したという報が流れた。あまりにもあっけない死に呆然とした。もう十分やることはやり終えたのだろう。かの女に与えられた役割は果たし終えたのだろう。そんな風に思う。ありがとう。多くの素敵な歌を聴かせてくれて…。合掌。
fumio

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わたしたちの時代の詩人といえば 昭和12年30歳で夭折した中原中也であった。かれの風貌とあいまってその 軽妙なリズムに込められた哀切感が当時の若者の心をうった。親友の評論家小林秀雄とのひとりの女性をめぐる奇妙などろどろの関係が世間に喧伝されたこともかれの詩に人々の興味を惹くことに役だったのである。

 中原中也の詩は読んでいると音が鳴り出す。かれは詩を作るときそのことばをリズムだけではなく高さも与えメロデイも紡いでいたと思われる。それゆえ人は中也の詩を読む度に音楽的感性をも刺激されて心地良くなるのだ。眼で追った文字が耳の中で響き、そして紡がれたことばの意味が関連しあい脳の中ではじける。中原中也は現代のラップ、ヒップホップに通じる詩の書き手であった。かれの詩は『汚れっちまった悲しみに』 のように何時の時代も古びることなく甦り続けその時代のアーティストたちの心をうつのだろう。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング

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3月12日(金)~3月19日(金)
ヒット数:1,142件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>ごめんなさい
第2位(2)<3>あやかしのまち
第3位(3)<2>水面に書いた物語
第4位(4)<4>マイ・スィート・ライフ  
第5位(10)<6>ときめきFALL IN LOVE
第6位(6)<9>はるかなるメロディ
第7位(7)<5>女優(スター)
第8位(8)<7>ラスト・ランデヴー
第9位(5)<8>軽々しく愛を口にしないで
第10位(18)<16>まことのひかり
第11位(9)<11>オーロラの町から
第12位(15)<19>わかりあえる日まで
第13位(14)<14>Sentimentallady”M”
第14位(13)<12>素顔のマスカレード
第15位(12)<17>恋すれば魔女
第16位(19)<15>NEVER GIVE UP!
第17位(11)<10>それってⅨじゃない
第18位(16)<13>Stay with me
第19位(17)<18>しあわせになれる
第20位(20)<20>プロセス
第21位(-)<23>We all need Love
第22位(21)<19>打ち上げ花火
第23位(-)<->ふるさと
第24位(-)<->もっと自由に
第21位(-)<->ハロー!エンドレスドリーム


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 ごめんなさい がまだ連続首位を続けている。
最後尾にはふるさとハロー!エンドレスドリームなど珍しい曲が入ってきた。ご愛聴感謝。
fumio

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テレビ普及前のわたしたちの世代のスーパーヒロー物といえば江戸川乱歩の生み出した「 怪人二十面相対明智小五郎と少年探偵団 」シリーズであった。 紙芝居で見たり少年雑誌で読んだり、ラジオドラマで聞いたり映画で見たりその頃の様々なメディアで親しんだものだった。江戸川 乱歩は真夜中にろうそくの灯りで怖い話しを執筆しているとか噂が流されてうす気味悪く思ったものだった。わたしは長じるに従ってかれの筆名の元になったアメリカの文豪エドガー・アラン・ポーの作品や怪盗アルセーヌ・ルパン、シャーロック・ホームズシリーズなどを読み、そして江戸川乱歩の処女作 『二銭銅貨』から始まるすべての作品を全集で読んだ。それで思ったことは、かれは日本の本格探偵小説から推理小説への父であり奇想SF文学の魁(さきがけ)だったということである。本人は偉大視されるのを嫌ったがただの「怪人二十面相」のような活劇物語の作者ではなかったのだ。わたしたちの世代の多くのアーティストが 江戸川乱歩の影響を受けて現在の物語、小説、アニメ、映画などの文化が花開いたと思えるのである。江戸川乱歩自身が文化の種を蒔く怪人二十面相であったのかも…。
fumio



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アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所群島』、毛沢東の『毛主席語録』
J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて (The Catcher in the Rye)』、リチャード・バックの『かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull)』 、ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom's Cabin)』 、五木寛之 の『青春の門』、チェ・ゲバラの『ゲバラ日記』などなど、わたしたちの青春期はどういうものかベストセラーが多かった。それら話題になった本を読んで置かないと時代に取り残されそうで不安になったりしたものだった。どの本もそれぞれ心に響いたが『毛沢東語録』は読んでもピンとこなかった。これらのベストセラーの中で最も心を打たれたのは『ゲバラ日記』であった。なぜかこういう革命家には心惹かれる。見かけは髭面で野性的で怖そうだが内面のナイーブで優しい清らかな魂を感じた。かれはドラマの英雄ではなくあの時代を生きた本物のスーパーヒーローだったのだ。
fumio



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日本のテレビでもスーパーヒーロー物は一世を風靡して社会問題化した 月光仮面を初めとしてよく流行り、わたしはその主題歌、シェパードの鳴き声で始まる少年ジェットの歌 、前田武彦が作詞したエイトマンの歌 8823でハヤブサと読ませる海底人8823(海底人ハヤブサ) などどれも好きだった。特に名曲と思ったのは快傑ハリマオの歌 であった。

 渡米して弾き語りするようになるとほとんど洋楽のスタンダードやヒット曲、そして日本のフォークやポップスを歌ったがその一連のスーパーヒーロー物の主題歌もレパートリーに入れて歌った。特にオーナーから文句も出なかったし同じ時代を過ごした人達には受けた。現在、日本のアニメのテーマソングを外国人が日本語で歌うのが流行っているというのを聞くとうれしくなる。出自がなにであろうと良い曲は良いのである。
fumio

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