monologue
夜明けに向けて
 



わたしのホームページ
「ようこそMONOLOGUEへ」の
西暦2006年度年間閲覧ページ ベスト20
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ページ名 回数

 第1位 つきのみや 2,432 (3.56%)

 第2位 炎で書いた物語目次 1,938 (2.84%)

 第3位ケプラーの宇宙像 1,098 (1.61%)

 第4位調神社の七不思議 1,069 (1.57%)

 第5位 大天使ルシファー 884 (1.30%)

 第6位最終章8-7「竹取物語 850 (1.25%)

 第7位 崇神と倭姫 761 (1.11%)

 第8位 伊雑宮事件 747 (1.09%)

 第9位 地球の歴史「十種神宝」の基礎知識 707 (1.04%)

 第10位 ピラミッドとはなにか 686 (1.01%)

 第11位 七つの子の謎 684 (1.00%)

 第12位 調神社祭神 677 (0.99%)

 第13位 毛長川 655 (0.96%)

 第14位 ニギハヤヒの容姿 643 (0.94%)

 第15位 月読命をたずねて 632 (0.93%)

 第16位水面に書いた物語目次 614 (0.90%)

 第17位 富士山とは 585 (0.86%)

 第18位 「十種の神宝」継承式 582 (0.85%)

 第19位 サナート・クマラ 568 (0.83%)

 第20位# 虹色の戦士達 553 (0.81%)

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今年一年、ホームページ、ブログともどもご愛読感謝いたします。
みなさま、良い年をお迎えください。
fumio

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 我は高領より来たり 高領を居住まいにするものなり
 我が名は此の世に知らぬ者無し
 我が名を語る社は多けれど、我が社は荒れすさび
 我が魂は鎮まるところを持たず

 我が力の成すところのものを観よ
 留まるところを知らぬ者達よ

「光の黙示録」より


すぐに「素盞嗚尊」という答えに到達した方は多いだろうが一応考え方を述べておく。

この「我」の残したヒントを拾うと「高領、社、荒れすさび、成す、留まる」あたり。
「高領」は普通「高嶺」と書くけれどわざと領にしてある。
領の意味は「首筋。えり。2 大事な所。中心。3 おさめる人。かしら。
4 支配する。」など。それらの意味を含ませたいらしい。
そしてもちろん高根で根の国(島根)をも指している。
スサノオの別名、高オカミや大宮の氷川神社の高鼻町のようにかれは高の字に関わりが深い。「社」は八城」で出雲の数の領域。
「荒れすさび」は荒神すなわち一霊四魂説の新魂(あらたま)、和魂
(にぎたま)、奇霊(くしたま)の初めの魂。すさびは素戔嗚尊の名スサ。
「成す」はスサノオ(susanoo)を音霊逆転したときの大成(oonasus)。
このようにヒントがすべてスサノオを暗示していることがわかる。

そして最後にかれはわたしたちに呼びかける「留まるところを知らぬ者達よ」と。
それは「父(とと)もあるところを知らぬ者達よ」の意味なのである。
ニギハヤヒはアラタマであったスサノオが進化してニギタマになった子供なのだが
その父もあるということを思い出せと呼びかけているのだ。
日本各地でスサノオ、ニギハヤヒ、イザナミが三位一体でわたしたち子孫を見守っている。年の瀬にもう一度そのことを心に留めたい。
fumio











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<14>

 オホツメ カイカシ マルニ
 此の言葉の意味は後程伝える

 我が力の顕在性にかくあるべし云々と言い募る輩よ
 我が力に限界は無く 又 そなた達の言う規則も
 当て填まらぬ事を ゆめゆめ忘れること無かれ

 我は高領より来たり 高領を居住まいにするものなり
 我が名は此の世に知らぬ者無し
 我が名を語る社は多けれど、我が社は荒れすさび
 我が魂は鎮まるところを持たず

 我が力の成すところのものを観よ
 留まるところを知らぬ者達よ

「光の黙示録」より


勘の良い方にはこの「我」がどなたか、すぐにわかるのだろうが
普通はこの文章から簡単にはわからない。
それでもじっくり考えればわかるようになっている。
このところニギハヤヒやイザナミにばかり焦点を当ててきたので年末にこの詩句を採り上げさせられたようだ。
ゆっくり思考する方の愉しみを奪っては申し訳ないので今日は解答を控えよう。
fumio




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<14>

 オホツメ カイカシ マルニ
 此の言葉の意味は後程伝える

 我が力の顕在性にかくあるべし云々と言い募る輩よ
 我が力に限界は無く 又 そなた達の言う規則も
 当て填まらぬ事を ゆめゆめ忘れること無かれ

 我は高領より来たり 高領を居住まいにするものなり
 我が名は此の世に知らぬ者無し
 我が名を語る社は多けれど、我が社は荒れすさび
 我が魂は鎮まるところを持たず

 我が力の成すところのものを観よ
 留まるところを知らぬ者達よ

「光の黙示録」より


オホツメから始まる詩句は全体でこうなっている。
わかるようなわからないようなとらえどころがないような気がする。
いったい我とはだれなのかと首をひねる。その名を此の世に知らぬ者が無いほどの方なのにどうしてその社が荒れすさんでいるのだろう。
fumio

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<14>

 オホツメ カイカシ マルニ
 此の言葉の意味は後程伝える
「光の黙示録」より


「後程」とはいつのことだろう。
それが今のことであれば
 オホツメは芝居などの大詰めであろう。
 最後の最期。
 カイカは開花、文明開化のカイカでもあり、最後に明らかにされるカイ化とも考えられる。 マルはもちろん、丸、円、○、などで大団円。 
 この幕の終わりに人類がカイ化して
 これまでふくらんできた蕾が開花して新たな文明開化を迎える。
 そして、マルニなる。すなわち、大丸、大和となる。
 それが大団円である。
 人類がカイ化するということは人が一(ヒト)、すなわち、血のモノリスによって約束されていた大元の数、一に戻ることのように思われる。「人」の字自体が交(カイ)を示している。
 これまで明かされなかったカイの本質がカイマ見えてきた。
 最後に明かされるカイとは人のことであるらしい。
 人とは一の数であり、「界回戒海塊開」すべての属性を合わせ持つ。カイの本体。 
 そのときが終わりにして始まりのマル○宇宙大和(シャンバラ)のステージが開く。
fumio
 


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 95/12/22 天使の瞳に映る真紅の輝き、巷にはクリスマスソングが流れる…
 95/12/23 天使の瞳に映る真紅の輝き、そして真珠の涙に気付かぬ者は多い

今日はクリスマス当日。
天使が九理を済ましてしまえばあとに来るのは「十理(トリ)」
ニギハヤヒの数は九だから一を得れば絶対神十になる。
正月は前に述べたように一を止(とど)める月。
来る年はなんとしても一を得てカゴメの「十理(トリ)」が翔(はばた)く年としたい。
fumio


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 95/12/22 天使の瞳に映る真紅の輝き、巷にはクリスマスソングが流れる…
 95/12/23 天使の瞳に映る真紅の輝き、そして真珠の涙に気付かぬ者は多い


今日はクリスマスイヴ、毎年この季節になるとこのハローメッセージを思い出す。
 クリスマスソングとは「九理済ますソング」で新年に向けて天使は九理を済ます。
「真紅」はもうおわかりだろう。マコトの九で「暮れない」の意味。
そう、天使はニギハヤヒの輝きを見ているのである。
そして真珠(朱の玉)涙(イザナミの戻ること)に気付かぬ者は多い、という。
メリー・九理済ます!
fumio



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渡辺明竜王が将棋第19期竜王戦7番勝負を4勝3敗で防衛して3連覇を達成した。
このシリーズはファンに感動を与える勝負の連続だった。
今年の将棋界は名人戦移籍問題などで世間を騒がせて、日月神示に、もうすぐ囲碁将棋をなくしてしまうようなことが述べてあるので心配していた。

新人王になった高校生棋士糸谷哲郎(いとだに てつろう)四段は表彰式で「今の将棋界は斜陽産業」と語っていた。十年一日の如く同じような将棋を見て喜ぶファンはいないからかれらの世代が台頭して戦法的にもメデアの利用でも将棋界を変革してゆくのだろう。
渡辺明竜王はかれのブログで正直に対局中の心情を吐露してこれまでファンには見えなかった棋士の内面を見せることによってファンとの垣根をとり払った。日本文化の存続にも新たな発想が必要な局面を迎えている。
fumio

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解答  


一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より


それでは真に求めている者の名」を解いてゆこう。
「真」はシンと読むのだろうか。まずわたしたちの伝家の宝刀「音霊逆転法」を試してみよう。sinあるいはshinを逆にしてもnisまたはnihsでまだ意味をなさない。ということはマコト。makotoを逆にすればotokamで以前みたように音神である。音は立ての日で横の日と重なったとき「田」を形成する。すなわち霊的精神的な日神ということになる。つぎに「求めている」であるがこの求は「モト」とも「キュウ」とも読む。
そこで思い出すのがニギハヤヒの持つ数「九」である。かれは憲法九条の精神や旧事本紀のキュウに関わりが深い。そして「者」は土の日でありこのプログ「monologue」のmonoであって大物主(AUMの主)を指している。
こうして「真に求めている者の名」は立日の神で元(モト)神でもあり九の数を持つ大物主、天照国照彦天火明奇甕玉饒速日尊(ニギハヤヒ)であると判明した。
fumio


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一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より


「真に求めている者の名」はわたしのサイトやこのブログの読者は基礎知識を十分持っているので知ることができるはずである。
真に求めている者の名」がそのままヒントなのだから…。
しばらく熟考されたい。
fumio




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一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より

「どちらかが重くなった時」というのだからこの天秤は今バランスがとれているのだろうか。
これは以前、述べた日読月読の関係。
すなわち三四三の関係である。四が支点で日読側から見ても裏の月読側からみても三四三になっている。合計十が表裏で二十である。そんな世界にわたしたちは生きているはずだった。
表裏一体でどちらかが大切というとはない。ところがアマテラスを偏重して月黄泉を無視する時代が続いた。左右のバランスが崩れたのだ。そのために日本の歴史は変調を起こした。
歴史の歯車は軋み悲鳴をあげながら現代を迎えた。
いよいよ真に求めている者の名をだれもが知る時代の幕が上がる。
fumio




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表裏  


一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より


神の名を呼ぶのは人なのだろうから影は呼んでいる人のうしろの部分になる。
陽の当たる正面の自分とウシロの影の部分が神の名と黄泉を等しく呼ぶのだ。
人にも表と裏があり神にも表と裏があるということのようだ。
神と黄泉の関係は表裏であり黄泉では音霊(オトダマ)は逆転する。
それで解読に音霊逆転法が必要なのだ。
fumio

 



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天秤  



一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より


「光の黙示録」もこうして採り上げているとかなりわかってきたようだが
やっぱりよくわからない詩句が多い。
この「影」とはなんだろう。天秤とは何を量るものなのか。
いったいわたしたちはだれを真に求めているのか。
容易には像を結ばない。
fumio




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1.全世界市民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


日本は敗戦後、人類の理想といえる戦争と武力の放棄の条文を含む平和憲法を世界に先駆けて制定した。そして日本国民は紆余曲折を経ながらも試練のようにその憲法を順守した。やがて戦争の世紀は終焉し新たな舞台の幕が上がる今この時代に全世界に必要な憲法としてこの憲法が注目を浴びるときが来た。日本ができたことが世界でできないことはない。日本の精神は様々な分野で世界に波及している。柔道、相撲、その他の武道、茶道、俳句、漫画、アニメ、映画、将棋、枚挙にいとまがない。武力という憎しみに基づいた力を使わず愛を基礎にした知恵で、紛争を解決する時代に入ったのである。
fumio

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Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the proceeding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


以上は戦争と武力の放棄を謳った日本国憲法第九条の英文とそれを日本語に訳したものであるがこの憲法を

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Universal people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the proceeding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized
1.全世界市民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

として全世界憲法にすることが21世紀に愛を武器として戦うもののなすべきことなのだ。
fumio




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