monologue
夜明けに向けて
 



桃栗3年柿8年というように様々な種を蒔いて水をやっているとやがて芽が出て木が成長してやっと人が食べられる果実がなった。それで食物の争いが少なくなったのである。
それは時代時代に先立って現出して人類の進化を促してくれたモノリスの発振してくれた知識智慧の波動のおかげだった。 
 fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


tane  


創世期の人類にとって争いの一番の原因は食物だった。その頃は果物や植物を食べ終わると食べられなかった部分や種はそこら中に捨てるとあたりがどんどん汚れてあまりにも汚くなるので近くの川をゴミ捨て場にして捨てていたのだ。しかし、モノリスが落下した後、モノリスのそばで倒れていた一族の智者と目される者が捨てるなら地面に捨てろ、とわけがわからないことを言う。柿の実をみんなで食べて種を捨てると今度はそれを埋めてしまえという。それでも一応片付くので、言われるまま埋めた。するとその智者が近くの川から水をでかけろという。言われるまま水をかけて何日かして見るとやがてなにやら薄緑のものが生えてきたのである。それは柿の芽だった。とにかく毎日水をかけていた。
fumio





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


基礎  


そして、時がいたずらに過ぎゆきだれも何が起こったかわからず起き上がれない。身体がなぜかしびれているのだ。つかまり立ちをしようにも掴まるものがものがない。舌まで噛んで唇が腫れている。どうしたらいいかお互いの顔を見合わせて喋ろうとすると声がうまくでない。みんな無茶苦茶に吠えすぎて咽喉がつぶれて声がしゃがれていた。ひっかかりもっかかりなんとか会話をしようとしているとそのうち、人類の明日を拓くために選ばれたわずかばかりの新たな類人類がやっとこけそうになりながら三々五々立ち上がり始めたのだった。
そのようにして、その時代の新たな類人類であるかれらががわけのわからないジャイアントロック、モノリスの発信する知識と智慧によって人類史上最高と評されるほど素晴らしいアトランティス文明の基礎を築くのである。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そのとき、その上空を静かに銀色に光るUFOが航行していた。類人猿に近い初期人類たちはなにかわからぬ巨大な黒岩をどうしたらいいかわからずあれこれ言い合ったが結論は出ず、日頃勇者と称えられているひとりの男性類人猿が勇気を見せるためにこわごわその巨岩に小便をかけようとした。すると上空の見たことのない変な飛行物がシュルシュルと音を立てて近づいてきた。先端型UFOに乗り込んで人類の進化を見守っているルシフェルやミカエルなど天使たちがなにやら巨岩に向けて発信したらしい。
それで巨岩モノリスの知識智慧発振装置のスイッチが入ったのである。ウイーンウイーンと嫌な響きの音を立て始める。その発振信号は初期人たちの額の受信装置に作用してみんな頭が痛んで立っていられなくなる。ピョンピョン跳ね跳びバタバタ倒れてゆくと今度はみんなが咽喉がつぶれるまで咆哮して叫びまくると溜まった尿をすべて失禁して順に気絶していったのである。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




創世期、地球の始まりに落下してきた巨大モノリスの発する周波数の知識や智慧を受け取る能力を持った先進的な人々によってまずアトランティス文明が花開いたのだった。
アトランティス大陸に誕生した原始猿か類人猿かと見まがうような初期の人類が食物やテリトリーを取り合い奪い合って争っているとそのど真ん中に巨大なモニュメントのような黒曜石が落下してきた。初期人類たちはみんな吹っ飛ばされ気絶してしまったのだ。何日かしてやっとめざめるとかれらは争っていたことを忘れていた。みんなでそのばかでかい巨岩すなわちモノリスをただただ見上げたのだった。
fumio




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


hana  


その黒い巨岩モノリスはハジマーシュが見上げる小高い丘にものすごい音を立てて突き刺さるとしばらくしてウイーンウイーンと音を発した。生き残っている人々は集まってその巨大な黒曜石を見上げる。それは時代の節目節目に地球各地に落下してくる知識や智慧の発信装置なのだ。それで人の額には目に見えない受信装置が用意されているのである。そのモノリスという言葉はアーサーCクラークの名作「20001スぺースオデッセイ」の映画化で世界の人々に知られたので現在では世界を動かす知識階級が知っておくべき常識になったのだ。アトランティス文明やサイリュート文明もその時代に落下してきたモノリスの発する知識や智慧を受け取る能力を持った先進的な人々によって花開いたのだった。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


巨岩  


海龍王ポセイドーンが海から浮上して激しい竜巻が起こり浜のほとんどの人々が荒ぶる波にさらわれ海に引き込まれたかと思うと今度は海底火山が新島を造る勢いで溶岩を噴き上げる。そして足元の地面が揺れて地震が起こる。やがて地面が割れ始めた。どうしょうもない。災害は軍団で来るらしく今度は見たことのないようなでっかい岩の落下に直面。
それは宇宙神霊アーリオーンがジャイアントロックと呼ぶ巨大な黒い岩だった。竜巻に海に引き込まれるのを免れて残っていた運のいい人々は自分の頭の真上に落ちてこないように祈りながらギャーと叫んで逃げまくった。ハジマーシュはオーホホと笑い、モノリス モノリスと歌いだした。生き残っている人々はモノリスとはなんだと思った。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


mono  


ハジマーシュこと森宗意軒は誕生の時からUFOに見守られていた。アーティストとしての才能に恵まれ、幼い頃から音の出るものなんでも好きで太鼓三味線、尺八、笛、琴、銅鑼、琵琶なんでもかんでも鳴らしまくって稽古していた。幼名は「宗」だったが元服の時、父の森長意軒から意軒を継いで森宗意軒となったのであった。
ハジマーシュの名前の由来は「明日を創む主」であるが、かれは朝鮮を目指す船が難破して南蛮船に助けられて渡ったオランダから、日の本の国の「明日を始める」ために帰国したのである。その時、巨大な黒いモノリスがどこからか落下してきた。
fumio



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






昨日、午後に綾瀬川沿いに車で草加と東川口、越谷の合流するあたりの花見に出た。
4月2日に墓参りに行った頃にはまだ桜並木は今年は蕾だったがどこも満開になっていた。陽気に誘われて多くの人々がたむろしている。染井吉野はあでやかに狂おしいほど咲き誇り、山桜や枝垂桜はピンクの花をためらいがちにしとやかに開いていた。一年のうちのほんの一瞬だけこの季節に打ち上げ花火のように開花しあっという間に散り行きそしてまた静かに咲く準備をして次の春を待つ。何のためにか。それはやはり愛のため。至高の愛のため。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 昨年3月15日の朝、裏に鶯(うぐいす)がやって来て
きれいな声で鳴いていた。それで今年も来るかとその頃心待ちにしていたのだが来なかった。
そして今朝、6時15分に小鳥の声がした。「ちっちっちっ、ほっほっほっ、」となにかおそるおそるさぐるように声を出しホケキョッとしめた。それが何回もくりかえし、ウグイスと気づいた。
去年のウグイスは素晴らしい鳴き声だったのだがどうもその子供らしい。しばらく稽古が必要なようだ。地震があったのでしばらくなりをひそめていたのかも。はたしてサギの方は今年も姿を見せるだろうか。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





  今年はなんだか普段来ない鳥がよく近くに現れる、と思っていたら、昨日は黄色いインコがやって来た。インコとは虚を衝かれた気がした。昼頃、わたしの家の二階の物干しあたりにとまってそれから近所の家を飛び回ってとまる。奥さんがたが掴まえようとするとサッと逃げる。そしてまたわたしの家の物干しのところにとまってじっとしている。そのうち小学校から子供達が帰ってきて見つけて集まりだした。わたしも外に出て口笛を吹いて呼んでみたが動かない。捕虫網を持ってきて掴まえようとする子もいたが捕れない。幼稚園の帰宅バスから降りた園児や近所のオジサンオバサンが見物してちょっとした騒ぎになった、みんなキレイな鳥だね、と口々に感心していた。インコ類は昔たくさん飼っていたが普通は緑色に他の色が混じっていた。黄色だけのインコは見たことがなかった。
妻が物干しに上がって正面から写真を撮った。それからしばらくして暗くなるとインコは姿を消していた。今朝、子供達が登校途中、インコがまた来ていないか見ていたが来ていなかった。これは「生き物たちの記」シリーズを連載しているわたしに「黄色いインコ」という謎を与えて読み解かせようというのかも…。

コメント ( 23 ) | Trackback ( 0 )




今年はなんだか普段来ない鳥がよく近くに現れる。
3月15日、月曜の朝に、裏に鶯(うぐいす)がやって来てきれいな声で鳴いていた。
テレビやラジオで聴く「ホーホケキョッ」というほれぼれするような美しい声だった。その姿は視認できなかったのでだれかがテープレコーダーで流しているのかと疑った。

 そして4月11日、日曜の朝、鷺(さぎ)が裏の家の屋根にとまっていた。近くの綾瀬川あたりに住んでいる鷺が羽根休めしているのかと思った。妻に写真を撮られるとしばらくしてどこかに飛び立って、午後にまたとまっていた。まるでわたしたちにその姿を見せつけるように。そして4月18日、日曜朝8時頃裏の家の屋根にまたやって来た。

   そして夏になるとカラスがわたしのいつも座っているソファーの後ろにある柵に何度も止まって歩いた。これまで巣作りのために二階の物干しからひそかにハンガーを盗んでゆくことはあったがカラスがそんなに近くにまで来ることはなかった。なにかがおかしいような気がする。
fumio

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




    1997年4月15日、朝四時過ぎに家の前で鶏が鳴いた。
なにかと思って見に出ると普通の雄鶏がいた。どこから逃げてきたのかわからない。近所の人も首を傾げる。何度か鳴いてしばらくウロウロしていたが姿が見えなくなったのでどうしたかと思っていると翌朝も朝を告げる声がした。その後、姿を見ることはない。
あの日、わたしの家の前にやって来て夜明けをどうしても告げたかったらしい。もうあれから13年経過した。はたして今現在、夜はどのくらい明けたのだろうか。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1976年、わたしが渡米する年 の夏、伏見の桃山城に登る坂道。灼けるような陽射しの中を歩いていると道ばたにいる大きなカマキリが目に付いた。するとまわりの木々のあたりからなにかが飛び出して矢のようにそのカマキリに命中した。どうやら熊蜂(くまんばち)のようだった。組んず解(ほぐ)れつの戦いが始まった。しばらく命を賭した争いが続き、やがて熊蜂が舞い上がった。下にはカマキリが倒れていた。熊蜂はわたしの目の前の空中の一点に停まっている。よく見るとかれはなんとカマキリの首をくわえていた。それはまるで勝利をわたしに見せつけているようだった。その小さな凄惨な戦(いくさ)はあまりにも印象的でわたしの記憶に深く遺った。生き物たちはありとあらゆるところでそのように争い、生き残り、命をつないでいるのだろう。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 京都の三菱重工で自動車のエンジン部などを長年製作して定年を迎えた父はミミズを飼ってそのフンを園芸用の肥料として販売する仕事を始めた。最近はミミズで生ゴミを処理するミミズコンポストが流行ってミミズも見直されているようだ。父はその人生でありとあらゆる生き物を飼ってきて最後にゆきついたのがミミズとは…。ミミズは人の目につかないから「見えず」から名付けられたというがかれらは見えないところで縁の下の力持ちとして土壌を耕しわたしたちに栄養に富んだ食物を供給してくれている。かれらは見かけが悪くて嫌われることが多いのだがどれほど役だっていることか。人もまた見かけによらないことが多いようだ。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ