monologue
夜明けに向けて
 

初詣  


正月三が日は霊園駐車場がいっぱいになるので外して昨日昼前頃から墓参りに出発。
まずマミーマートで供える花を買ってからメモリアルガーデンへ。霊園は広いので少し風があって寒かった。人出は少なかった。
去年の秋から来ていないのでかなり墓石は汚れている。新年にふさわしくマイタワシで墓の汚れを洗い落として新しい花を供えた。
それから初詣に「緋色の女王トヨ」の待つ石神稲荷へ廻って餅と酒を奉納した。
午後1時半頃帰宅。
fumio

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今日、十一月二十二日の夜、天照国照大神饒速日尊の『鎮魂祭』が皇居で執り行われる。鎮魂祭とは様々な説で本当のことが見えなくなっているが翌日の新嘗祭へ続く、大和を建国し統治した本来の初代天皇であった饒速日(ニギハヤヒ)尊の「ミタマシズメ」の儀式なのである。
fumio

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今年も10月22日に京都三大祭の一つとして知られる時代祭が催された。
わたしは葵祭、祇園祭よりこの祭りが好きでよく見に行ったものだった。「鳴くよ(794)鶯平安京」と覚えた平安遷都が西暦794年10月22日だったので十二十二(とにとに)という。ところが来年2019年は即位礼正殿の儀と重なるため、例年の10月22日から10月26日に変更となるという。 平安遷都をトニトニに行った桓武天皇はどのように思われるだろう。
fumio

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現在の浄土宗龍岸寺に遺る寺史によれば
「三哲通
此通ハ梅小路通也。三哲とよぶ事ハ此通大宮東入町北側に渋川三哲といひし人のやしきありし故に通の名とす。此屋敷地今ハ立願寺と云寺にて則三哲を此寺の開基とす。」ということである。
「天地明察」の主人公渋川(安井)算哲の父、僧 三哲(安井算哲)がこの寺を開いたという。
fumio

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わたしは京都市下京区の大宮通りに面した花屋町通りの小学校の帰りにいつも学校の隣の西本願寺(正式名称「龍谷山 本願寺」)、によって庭で鳩と遊んだ。本や映画の「天地明察」の主人公渋川(安井)算哲は京都市下京区大宮通り東入るの邸を立願寺という寺にした。ご近所の西本願寺と東本願寺の願寺の部分を拝借して立(龍)願寺と名付けたようだ。これにも金剛夜叉明王が関わった匂いがある。「金剛夜叉明王」という名前は丑寅の金神の別名。かれは三哲町や三哲通りと名を残していたのに今ではほとんどその謂われが忘れられてしまっているのは不思議。かくいうわたしも京都の通りを読み込んだ歌を作ろうとして調べるまで知らなかった。
fumio

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わたしが幼少の頃、暮らした京都の地区に住んでいた大和暦の製作者渋川(安井)算哲は金王八幡宮と関わりが深いのでその社伝を参照すると
渋谷重家が渋谷八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて男子を授かりその子に明王の上下二文字をつけ「金王丸」と名付け 渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)と称する。そして金王丸の名声により、渋谷八幡宮を金王八幡宮と称するようになったという。とすれば当時、算哲に囲碁や天文のインスピレーションを与えていたのは金剛夜叉明王のようだ。現在の通りに「算(三)哲通り」の名は見えず京都駅の前の塩小路ということになっている。
fumio


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初詣  


昨日、初詣に緋色の女、女王台与の鎮まる石神稲荷に参って黄金の酒と黄金餅を供えて帰った。
fumio

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休暇を終えた息子が今、ロサンジェルスへの帰途に着いた。
今回は体調不良であちこち回れなかったようだ。
めぼしいところは大宮の氷川神社だけ参拝してきた。
fumio

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11日、夜九時過ぎに寝入ってから体がガクンと暴れた。
毎日、闇の門の中におわす音(ノン)様に「十種神宝」について尋ねているのでその応えのようだった。
唇を噛んだり吠えつづけたので声がつぶれた。
翌朝首の後ろがかたくなって頭が感覚が普通ではなかった。
fumio


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出雲大社に大国主命が波の上に乗る玉と向き合う像がある。
日本書記には、大国主命の国造り中、神々しい光が海を照らしてやって来て、「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に私を祀れば、国造りに協力しよう」と告げ、助けたとある。その「幸魂奇魂」とは一霊四魂説の直霊(なおひ)と荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)をさしている。人形浄瑠璃で人形を扱うように海照(アマテラス)の幸魂奇魂が大国主命について国造りを手伝ったのである。混沌の時代を迎えた現代もアマテラスの幸魂奇魂はふさわしい人について地球救済のために働いている。
fumio

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息子は日本での休暇中、春日部から鷲宮神社に行った。
美水かがみ氏による4コマ漫画作品『らき☆すた』がヒットしてアニメの聖地になっているらしい。
鷲宮神社は不動産業に好評で鷲宮神社の宮司さんに鎮魂祭をしてもらう不動産会社が多い。
わたしは2003年3月26日に鷲宮神社の神職に来てもらって新しく建てた墓の納骨式を執り行ってもらったことがある。
父母の骨壺に名前をマジックで蓋に書いてご先祖様がたの名前を記した木簡も一緒に入れてもらった。
息子はそのことを知らず、アニメの聖地ということに惹かれて訪れたのだった。神楽をやっていたので見てきたという。
fumio

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昨日、昼前に墓参りと初詣に出発した。
まだ気温が上がらず寒かった。
メモリアルパークでの墓参りを終えて石神の社へ行った。
近くの立札に「初詣は武州石神稲荷へ」と惹句が書いてあって驚いた。
この社はわたしたちはこの国の二代目女王台与(トヨ)の社と認識して毎年訪れているのだが一般の人にとっては普通の稲荷なのだ。兎にも角にも二代目女王に酒と餅を奉納して帰宅した。
fumio


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2009年3月に安倍晋三氏は熊野三山を巡礼してそのバックアップを受けて政権復帰を果たし、現在首相と全閣僚が同じ人員の内閣として、戦後最長記録を更新しているが、その熊野三山とは熊野新宮、本宮、那智大社でそのそれぞれの祭神はスサノオ、ニギハヤヒ、イザナミとなっている。安倍首相は今回の安保国会に臨む前に本宮にご挨拶に行っている。土俵に上がって塩を撒き、四股を踏んで神々への挨拶を済ませているのだ。野党は衆議院では作法も知らずただ土俵に上ってつっかけて空かされて土俵の向こうに跳び出てしまうだけだった。野党側も参議院の論戦に際して熊野三山に参拝して神々に挨拶を済ませなければ勝ち目はない。あなたが先生ならいつも挨拶に来るけれどロクでもないことをしでかす喧嘩好きの不良と挨拶に来ることもなく敬意を示さず無視する優等生とどちらを応援するだろうか。野党支持者は支持する野党のリーダーに熊野参拝を奨めなければ参議院の60日ルールで法案は成立してしまう。その時70年続いた平和国家は軍事国家化してゆく。野党の指導者が安倍首相と同じ程度の挨拶をスサノオ、ニギハヤヒ、イザナミに対して行えばまだ逆転の可能性はある。かれらは参拝して挨拶する相手はだれでも応援するのだから。
fumio

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安倍晋三首相は1次政権で総理を退陣した後、政権復帰を祈願して2009年3月に熊野三山を巡礼して、政権に返り咲いたあと、今年2015年5月17日に、お礼参りとして、安全保障関連法案など重要法案の成立を祈願して和歌山県田辺市の熊野本宮大社を参拝している。熊野本宮は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする社。家都美御子とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日(にぎはやひ)命の別名。ニギハヤヒがバックについているなら反対の多い安全保障関連法案の国会通過は可能性が高い。しかし九の数に縁の深いニギハヤヒの心である憲法九条との整合性がとれないことは問題。野党も熊野三山に参拝して成立阻止を目指すべき。安倍首相はなすべきことをきちんとやっているのに野党側がそのことを無視していれば勝機はない。なにも知らず現界だけで戦っていると思っていると笑われる。ニギハヤヒを味方につけた方が勝つのだろう。現界(表の世界)と霊界(裏の世界)が入り乱れて日本の将来の姿を決めるガチンコ勝負。
fumio

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第十代崇神天皇の時代のような天変地異や怪奇現象は神々の警告なのだが欲のために直観力が鈍った現代人にはなかなか通じないのが問題。現代も地球存続のために東日本大震災によって原発を破壊して警告を与えたのだが喉元過ぎればで、政府は原発再稼働を推進して地球絶滅へと舵をとる。御嶽噴火や箱根の活動、各地に頻発する地震もただの自然現象ではないということを政治家たちは感じないのだろうか。昔から川が氾濫すれば神社を建てて鎮(しず)め富士が噴火すれば神社を建てて鎮めてきたが再稼働を決めた川内原発には神社を併設しておかなくていいのだろうか。はたして…。待っているのは企業の権益だけなのか。
fumio

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