monologue
夜明けに向けて
 



 日記をみると3年前、2003年6月2日に時空捜査局「緋色の女救出作戦」をアップロードしている。
この時期に「緋色の女」というハンドルネームでアクセスしてきた意識は「緑」に関わりが深いことを表明していた。色々調査してゆくうちにそれが邪馬台国二代目女王「台与」ではないか、と目星をつけて「緑」との関わりを探ったのだがホウレンソウの緑ぐらいしか浮かびあがらず不消化のまま思わしい結果が得られなかった。
ところが今回、古事記の「黄泉國」の条を何度も読み直してやっとわかった。「緑」とは色のことを指しているのではなかったのだ。
「故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。」
このようにイザナミは最後に黄泉大神となった。「緑」は開示(解字)すれば糸にヨ水なのである。
ヨミの神であり水神でもあるということを示唆していたのである。
二見浦にはサルタヒコ、ニギハヤヒ、スサノオの出雲族の中心メンバーが集まっているだけではなかった。二見浦の浦の意味は「敷き連なる」である。かの女は道敷大神でもあった。
神社本庁昭和37年発行の神社名鑑から
「二見興玉神社」 の項をもう一度以下に引用する。
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二見興玉神社 旧村社
度会郡二見町江 参宮線 二見浦駅より一キロ
祭神 御食津神 猿田彦大神
例祭 七月 十五日
本殿 神明造 一坪半
由緒沿革 往昔水荒神、三狐神社とも称され、
興玉と三宮社を合祀しもの。
天平年中僧行基が此の地に勧請すと云う。
古来参宮の前にこの浜で沐潮し、これを浜参宮と称す。
明治四十一年二見興玉神社と単称した。
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由緒沿革に「往昔水荒神、三狐神社とも称され、興玉と三宮社を合祀しもの。」とちゃんと書かれている。
水荒神にあまり重きを置かずつい見過ごしていた。
イザナミはひっそりだまっていたがついに出雲一族だけではなくかの女もそこに存在することを主張しだしたのである。わたしも忘れないでよとばかりに…。どうも失礼しました。
われらが母はこれまではおとなしかったがその素顔をあらわす時が来たようだ。
fumio




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