monologue
夜明けに向けて
 




<22> 母なる大地の子供達へ

冥府(プルトーン)の王 海の王(ネプチューン)との均衡が少し、崩れて来ている
楕円の軌道修正

これは、太陽の黒点の動き 引力圏の動き
宇宙全体の空の場が乱れるのは 地球の場の温度分布の
異常から来ている

地球全体が(霊的地球 物理的地球)温度異常
地球の霊体は 人類の霊体と重なり合い、補いあっている
地球の霊体の歪みは 物理的地球に影響を及ぼし
地軸の歪みを起こしてゆく

これを 修正する為には 宗教の様に偏った方法では無く
総てを包含し得る 人類の霊的な覚醒を促す事が必要である

地球の霊体は物理的地球の形からずれて来ている
人間の覚醒した霊体で地球の霊体の凸凹を補わなくては、ならない

どのくらいの人数が必要かは 未だわからない
恐らく 人類総数の約一/一〇,〇〇〇~一/二〇,〇〇〇で 良いだろう
しかし 完全に一致し得る者なら一万人でも良いであろう
1986-4-19
「光の黙示録」より


******************

 わたしはこの数年来、日誌はハングルでつけ、息子とのメールは英語で書き、このブログは日本語で記しているのだが、同じ事を表すのにそれぞれの表現が違っていて勉強になる。この「母なる大地」をハングル翻訳サイトで確かめると「万物の(マンムルエ)根源である(クンウォンイン)大地(テジ)」と翻訳された。英語だと「Mother earth」でいいのだろうがこのハングル翻訳サイトの意訳の仕方には驚かされた。「母」を「万物の根源」と訳する感覚は深い。その「万物の根源」が温度分布の異常によって悲鳴をあげているのだ。これを修正する為の総てを包含し得る人類の霊的な覚醒とは母に対する普遍的な愛の再確認にほかならない。目覚めることのない指導者たちは母の上で争い続け皮膚に穴をあけ地下核実験をする。かれらにはムンクの描く「叫び」は聞こえない。
fumio





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<22> 母なる大地の子供達へ

冥府(プルトーン)の王 海の王(ネプチューン)との均衡が少し、崩れて来ている
楕円の軌道修正

これは、太陽の黒点の動き 引力圏の動き
宇宙全体の空の場が乱れるのは 地球の場の温度分布の
異常から来ている

地球全体が(霊的地球 物理的地球)温度異常
地球の霊体は 人類の霊体と重なり合い、補いあっている
地球の霊体の歪みは 物理的地球に影響を及ぼし
地軸の歪みを起こしてゆく

これを 修正する為には 宗教の様に偏った方法では無く
総てを包含し得る 人類の霊的な覚醒を促す事が必要である

地球の霊体は物理的地球の形からずれて来ている
人間の覚醒した霊体で地球の霊体の凸凹を補わなくては、ならない

どのくらいの人数が必要かは 未だわからない
恐らく 人類総数の約一/一〇,〇〇〇~一/二〇,〇〇〇で 良いだろう
しかし 完全に一致し得る者なら一万人でも良いであろう
1986-4-19
「光の黙示録」より


******************

 母なる大地の子供達であるわたしたちがこの地球を守るためになすべきことは宗教などによらない人類の霊的な覚醒であるという。いかなる方法でどのように覚醒してゆけばいいのだろうか…。
fumio





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2007年の「Time Magazine」の最も影響を与える100人のひとりに, ハーヴァード大学の女性教授、リサ・ランドールが選ばれた。
 リサ・ランドール(Lisa Randall)(45才)は1962年6月18日、ニュー・ヨークのクィーン地区生まれの理論物理学者で最新の量子物理学「ひも理論」「 宇宙論」「隠された次元」の研究に取り組んでいる。時代の最先端に立ちこれからの世界を導くひとりなのだろう。かの女がサインするとき、添えることばは「Be inspired」である。それは「霊感(ひらめき)を得なさい。」ということなのだろう。ニュートンの重力の発見にしても科学は「ひらめき」なしには発達しなかったのだから。かの女の姉妹、ダナはジョージア工科大学でコンピューターの教授をしている。このような「美と智」を兼ね備えた女性が次々に登場してくれば時代は変わる。
fumio

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二七、 知恵者達よ 聞くが良い
    北には山在り 南には雲在り
    東には流れ在り 西には泉在る
    心は留まり 四方へ顔を持つ
    その根は海へと張り その枝は
    地を覆う
         「光の黙示録」より



  *************

文章の基本は「だれがいつなぜどこでなにをどのようにした」という情報を記すことで英語では「5W1H」と呼ばれる。
その「WhoWhenWhyWhereWhatHow」らしきものを探してみるがよくわからない。詩の場合は説明的なことばは省略されることが多いから。
主語になるのはだれなのか、だれの心が留まり 四方へ顔を持つのか。そのように考えるとやっと霧の中に答えがうっすら浮かび上がってきた。
この詩句中で文の話題の中心となる事柄をとりたてて示す副助詞「は」を付けてあるのは「その根は」と「その枝は」だけだ。北には」などの「には」は場所を示して主体を示しているわけではない。
ごく自然なことば使いの「その根は」と「その枝は」にこの文章の主体である「Who」が隠されていたのだ。これは「祖の根は」と「祖の枝は」ということであった。わたした」ちの祖とはもちろん「イザナギ、イザナミ」、たしかに「その根は海へと張り その枝は地を覆う」のだろう。
「北には山在り 南には雲在り 東には流れ在り 西には泉在る」とこのようなところにかれらの心は留まり「山雲流れ泉」という顔を四方へ持つのである。
祖の枝(子孫)であるわたしたちは地を覆いつぎの時代を拓こうとしている。
fumio

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二七、 知恵者達よ 聞くが良い
    北には山在り 南には雲在り
    東には流れ在り 西には泉在る
    心は留まり 四方へ顔を持つ
    その根は海へと張り その枝は
    地を覆う
         「光の黙示録」より



  *************

「知恵者達よ 聞くが良い」という大仰な出だしはいかにも宇宙神霊からの挑戦のようだ。これがわからなければ知恵者ではない、と認定されそうな気がする。一見、簡単そうで風水のようだがなにかしっくりこない。どんな鍵を使えばこの詩句が解けるのか。

 もしかしたら日月神示のように数字で書かれているのか、それなら数字らしき部分を戻せば意味をなすかも…。

二七、 知恵者達よ 聞くが良い
    北には山(八)在り 南には雲(九百)在り
    東には流れ(七零)在り 西には泉(五三)在る
    心(九六)は留(十十)まり 四方(四百)へ顔を持つ
    その根は海へと張(八)り その枝(四)は
    地を覆(二九)う
         「光の黙示録」より


********************

以上のようにしてみたがいくら睨んでもなんのことかわからない。

うーむ、こうなればややこしい部分を削除してすっきりしてみる。
    
北山 南雲
東流 西泉
心留 四方顔
根海張 枝
地覆


***************
 何のことだろう。漢詩みたいに見えるが意味がありそうでなさそうで近づいたような離れたような…。
簡単そうな詩句ほど情報量が少ないので難しい。
fumio

        

 

 

 

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
**********************
8月17日(金)~8月24日(金)
ヒット数: 934件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(9)<12>軽々しく愛を口にしないで
第2位(13)<3>ラスト・ランデヴー
第3位(3)<3>はるかなるメロディ
第4位(5)<1>ときめきFALL IN LOVE
第5位(1)<6>マイ・スィート・ライフ
第6位(4)<5>女優(スター)
第7位(2)<10>素顔のマスカレード
第8位(7)<7>恋すれば魔女
第9位(11)<14>わかりあえる日まで
第10位(6)<8>Sentimentallady”M”
第11位(10)<4>それってⅨじゃない
第12位(13)<8>オーロラの町から
第13位(17)<18>NEVER GIVE UP!
第14位(12)<13>しあわせになれる
第15位(14)<9>Stay with me
第16位(18)<16>あやかしのまち
第17位(17)<18>ごめんなさい
第18位(15)<15>水面に書いた物語



*********************

順位は大きく乱高下して定まらない。時代を映している。
ご愛聴感謝。
fumio


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二七、 知恵者達よ 聞くが良い
    北には山在り 南には雲在り
    東には流れ在り 西には泉在る
    心は留まり 四方へ顔を持つ
    その根は海へと張り その枝は
    地を覆う
         「光の黙示録」より


 知恵者には東西南北四方の意味を伝えるこの詩編は容易であるらしい。
単語ひとつひとつに含まれる見せかけの意味以上になにかがあるのだろうか。
fumio

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95/05/07 思いも掛けない人、時、場所、場合‥それらに注意せよ


 これは意味深長なアリオンのハロー・メッセージ。
わたしたちにとっては思いも掛けないことでもその裏にはなんらかの意志が働き経綸を進めてゆくのだ。時代は渦巻いている…。
fumio

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リトル・ダンサー(原題BILLY ELLIOT)という映画があった。それはクラシック・バレエに夢中になって周囲の反対にめげず名門ロイヤル・バレエ学校に入るビリー少年の物語だった。
初めて見たのは貸しビデオ店で借りたビデオテープだった。妻はそれがDVDになっても借りて見るたびに感動して涙を拭いた。ところがDVD版では映画の導入部でビリー少年が兄のレコードをかけて踊る場面の音楽がザ・ジャムのTOWN CALLED MALLICE <からマーク・ボランの COSMIC DANCER に差し替えられていた。COSMIC DANCER はシヴァ神の踊りを歌っているので意味としては合うのだがビリー少年のわくわくする飛び跳ねる踊りのリズムには合わなかった。妻はそれを残念がった。音楽は映画の印象をずいぶん変えてしまう。おいそれと変更するとファンを失ってしまう。
fumio

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<夏休み昔話料理講座第十一回>
  献立「桃太郎」その三


 わたしたちにいつとはなく刷り込まれている桃太郎のイメージは鉢巻きと陣羽織姿だが出雲族の象徴数は「八」なので桃太郎の鉢巻きは八を巻くということで羽織は八を折るという意味であった。
 ここでこのシリーズでこれまでみてきたように様々な昔話に潜む出雲と日向の諍いの元を辿ると日本建国の頃に始まる。
*****************

 紀元の始まり頃、中央アジア、パミール高原に天降(あも)りした、天(あま)族は二手に分かれて東方の約束の地を目指した。その地で大同団結をしてマホロバとするために。イザナギ、イザナミを長とする一隊は陸づたいに日本に達して九州日向地方に居住して一人娘ヒミコを設けた。かれらは日向族と呼ばれて象徴となる数は三で、トーテムは八芒星であった。
 一方、別の一隊は海洋を旅して出雲地方に上陸した。こちらは八の数で表され、トーテムは三日月である。このようにどちらの隊も三と八の数を象徴に持ってお互いの数霊の力を分け合っていた。出雲の首長、布都(ふつ)は斐伊(簸)川の流域、鼻高山のふもとでスサノオを生み出雲近隣諸国の平定を終え、やがて大同団結のための九州遠征が始まった。

 日向族は九州の豪族としてあたりを統治していたが、そのころ実質的に日向を治めていたのはすでにイザナギイザナミではなく、ヒミコとかの女を傀儡として操るその義弟達であった。出雲族の、スサノオとヒミコの結婚に義弟達は猛烈に反対したが大同結婚が成立するとかれらは瀬戸内海を渡って四国に逃げ込んで時を待った。そしてスサノオの息子の饒速日尊(ニギハヤヒ)が大和建国のために九州を離れスサノオが亡くなると日向に帰った。かれらの象徴数は四であった。そして、呪術によって日本全国に様々な封印を貼った。『記紀』編纂もその一つである。
しかしそういういきさつを乗り越えて最後には出雲と日向は大同団結してこのカリマホロバを真のマホロバにしなければならない。それが天降(あも)りしてきた目的なのだから…。
fumio



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<夏休み昔話料理講座第十回>
  献立「桃太郎」その二


 『古事記』「黄泉の國」の条

黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(さかもと)に到りし時、その坂本にある桃子(もものみ)三箇(みつ)を取りて、待ち撃(う)てば、悉(ことごと)に迯(に)げ返りき。ここに伊邪那岐命、その桃子に告(の)りたまひしく、「汝(なれ)、吾(あれ)を助けしが如く、葦原中國(あしはらのなかつくに)にあらゆる現(うつ)しき青人草(あをひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて患(うれ)ひ愡(なや)む時、助くべし。」と告(の)りて、名を賜ひて意富加牟豆美(おほかむづみ)命と號(い)ひき。


*****************************

 これは「桃太郎」の下敷きになった日向族の祖、伊邪那岐命が黄泉國から逃げ帰る場面である。この時点で日向族にとって桃は一族の守り神になっていたのである。

結論から述べると「桃太郎」はその日向族が出雲族を鬼になぞらえて征伐する説話であった。
老夫婦が桃を割ると中から男の子が生まれた。それが「桃太郎」なのだが「桃」を割ると「木」「兆」が生まれるがそれ以上のことが見えない。そこで「百(もも)」を割ってみる。すると「一」と「白」が生まれる。「白」は九十九(ツクモ)と読み一を上にひくと「百」になってモモと読む。 この世は「白」の世界であり、その白に一を加えた「百」をかれら日向族は象徴にしていたのだ。「白」の世界の王は文字通り重ねると「皇」となる。それが日本一の「桃太郎」の由縁であった。
鬼は、「鬼門(丑寅)北東」の存在で裏鬼門は坤(ひつじさる)で南西であるので桃太郎の従者には羊と猿がふさわしかったが当時、九州は西州と呼ばれ、筑紫の國(筑前筑後)、豊の國(豊前豊後)、火の國(肥前肥後)、日向(日向、大隅、薩摩)の國の四つの國が存在した。出雲は東の方角の寅、卯、辰とみて日向は西州であるから西の方角にある申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ)を対抗する従者に選んだのだ。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
**********************
8月10日(金)~8月17日(金)
ヒット数: 1,057件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(6)<2>マイ・スィート・ライフ
第2位(10)<10>素顔のマスカレード
第3位(11)<4>はるかなるメロディ
第4位(5)<3>女優(スター)
第5位(1)<8>ときめきFALL IN LOVE
第6位(8)<11>Sentimentallady”M”
第7位(7)<5>恋すれば魔女
第8位(2)<7>オーロラの町から
第9位(12)<2>軽々しく愛を口にしないで
第10位(4)<9>それってⅨじゃない
第11位(14)<14>わかりあえる日まで
第12位(13)<13>しあわせになれる
第13位(3)<1>ラスト・ランデヴー
第14位(9)<6>Stay with me
第15位(15)<15>水面に書いた物語
第16位(17)<18>ごめんなさい
第17位(18)<16>NEVER GIVE UP!
第18位(16)<17>あやかしのまち


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戸裏の百合はいよいよ女優(スター)として登場し時代に渦を起こしている。
ご愛聴感謝。
fumio


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<夏休み昔話料理講座第九回>
  献立「桃太郎」その一

 今回は国民的お伽噺としてあまりにも有名な「桃太郎」を採り上げることにする。
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あらすじ

 老夫婦の妻が川で洗濯をしていると、大きな桃が流れて来たので、夫と二人で桃を割ると中から男の子が生まれ、「桃太郎」と名付けて育てる。桃太郎は、鬼ヶ島の鬼退治をするために両親からもらった黍団子でイヌ、サル、キジを家来にして鬼ヶ島で鬼と戦い、勝利を収め、鬼の財宝を持ち帰り、故郷に帰る。
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 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解釈によると
「鬼は、風水では丑と寅の間の方角(北東)である「鬼門」からやって来ると考えられている事から、桃太郎はそれに対抗して、裏鬼門に位置する動物(申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ))を率いた、という解釈があるがしかし丑と寅の逆の方位に当たるのは、申、酉、戌ではなく、未と申である事から、率いている動物には別の意味があるともされる。」とある。

 なるほどそうかもしれない。すこし時間をかけてじっくり料理してみたい。
どんな風味に仕上がるか…。
fumio


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Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the proceeding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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以上は戦争と武力の放棄を謳った日本国憲法第九条の英文とそれを日本語に訳したものである。日本列島全体がサウナの我慢大会をしていたような昨日は終戦記念日のためNHKで憲法改正論議が放映された。「憲法改正」という名称なら正しく改めるのだからはじめから良いことのように聞こえる。改めることが本当に正しいのか悪いかの評価は避けてただ変えて改める「憲法改変」と呼べばどう感じるだろうか。そうすればあまり好印象を与えない表現になってしまう。今はもうそんな事に腐心している時ではない。この憲法を日本一国にとどめず全世界憲法にすることが21世紀に愛を武器として戦うもののなすべきことなのだ。
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Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Universal people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the proceeding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized
1.全世界市民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 国際紛争を解決する手段としては武力の行使は前世紀で終わりにして今世紀は愛と知恵で解決せねばならない。

fumio





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<夏休み昔話料理講座第八回>
  献立「浦島太郎」その三

「御伽草子」原文
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昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母(ちゝはゝ)を養ひけるが、ある日のつれづれに釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝生(しゃう)あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船(せうせん)一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處(いづく)へ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀(しろがね)の築地をつきて、黄金の甍をならべ、門(もん)をたて、いかなる天上の住居(すまひ)も、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴のかたらひもあさからず、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。さて女房申しけるは、「これは龍宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木(さうもく)をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥(うぐひす)の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗(かきほ)には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀(みぎは)涼しき漣(さゞなみ)に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけわけて、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃の、煙にしるき賤がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年(みとせ)になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦(ゑんわう)の衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻(ゆめまぼろし)の契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめざめと泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥を一つ取りいだし、「相構へてこの筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
會者定離(ゑしゃぢゃうり)のならひとて、逢ふ者は必ず別るゝとは知りながら、とゞめ難くてかくなむ、
日かずへてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見む
浦島返歌、
別れゆくうはの空なるから衣ちぎり深くば又もきてみむ
さて浦島太郎は互に名殘惜しみつゝ、かくてあるべき事ならねば、かたみの筥を取りもちて、故郷(ふるさと)へこそかへりけれ。忘れもやらぬこしかた行末の事ども思ひつゞけて、はるかの波路をかへるとて、浦島太郎かくなむ、
かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかゞせむ
さて浦島は故郷へ歸りみてあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野邊となりにける。浦島これを見て、こはいかなる事やらむと思ひける。かたはらを見れば、柴の庵のありけるにたち、「物いはむ。」と言ひければ、内より八十許りの翁いであひ、「誰にてわたり候ぞ。」と申せば、浦島申しけるは、「此所に浦島のゆくへは候はぬか。」と言ひければ、翁申すやう、「いかなる人にて候へば、浦島の行方をば御尋ね候やらむ、不思議にこそ候へ、その浦島とやらむは、はや七百年以前の事と申し傳へ候。」と申しければ、太郎大きに驚き、「こはいかなる事ぞ。」とて、そのいはれをありのまゝに語りければ、翁も不思議の思ひをなし、涙を流し申しけるは、「あれに見えて候ふるき塚、ふるき塔こそ、その人の廟所と申し傳へてさふらへ。」とて、指をさして教へける。
太郎は泣く泣く、草ふかく露しげき野邊をわけ、ふるき塚にまゐり、涙をながし、かくなむ、
かりそめに出でにし跡を來てみれば虎ふす野邊となるぞかなしき
さて浦島太郎は一本ひともとの松の木陰にたちより、呆れはててぞゐたりける。太郎思ふやう、龜が與へしかたみの筥、あひ構へてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせむ、あけて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてにける。
さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。
君にあふ夜は浦島が玉手筥あけて悔しきわが涙かな
と歌にもよまれてこそ候へ。生あるもの、いづれも情を知らぬといふことなし。いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。情ふかき夫婦は二世の契りと申すが、寔まことにあり難き事どもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。龜は甲に三せきのいわゐをそなへ、萬代(よろづよ)を經しとなり。扠(さて)こそめでたきためしにも鶴龜をこそ申し候へ。只人には情あれ、情のある人は行末めでたき由申し傳へたり。其の後浦島太郎は丹後の國に浦島の明神と顯はれ、衆生濟度し給へり。龜も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。

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この「御伽草子」では舞台は丹後の國で主人公は「浦島太郎」という名前をもち、年は二十四五の男性となっている。この名は「浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし」というように海辺の不特定の地域の長男というだけで特別な情報を排除してあるようにみえる。それでもこの名前をつけた真意を探ると結局、「裏島太郎」ということである。つまり裏の世界に行った男という意味。龜を一つ釣り上げる「ゑじまが磯」は「會者定離(ゑしゃぢゃうり)」の「會島(ゑじま)」であるのだろう。つまり太郎と亀が会った島としてその名前をつけたのだ。龍宮城とは裏の世界、(隔り世、シャンバラ)。ここにはなぜかヒロインの名前は出ていないがわたしたちはかの女の名前が乙姫であることを知っている。乙姫とはもちろん「音秘め」ということ。龍宮城の主「音を秘めた亀」は○の存在で北の玄亀、われらが母、イザナミ。太郎は最後に鶴になって、虚空に飛びのぼるが鶴のイメージは一。夫婦の明神となれば一○の最高神となる。かれらには七百年を玉手筥の中にたゝみ入れることも容易であったと思える。
fumio




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