monologue
夜明けに向けて
 



わたしのホームページ 「ようこそMONOLOGUEへ」のインストルメンタル曲以外の全ての曲の2009年前半六ヶ月間カウントダウン。
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(2009年1月1日~6月30日)
ヒット数2万9,950件中
順位   曲名  アクセス数

1位あやかしのまち 984
2位水面に書いた物語  955
3位ごめんなさい  865
4位軽々しく愛を口にしないで  721
5位ときめきFALL IN LOVE 638
6位女優(スター) 626
7位ラスト・ランデヴー  532
8位マイ・スィート・ライフ  494
9位はるかなるメロディ  492
10位オーロラの町から  453
11位それってⅨじゃない  383
12位Stay with me  321
13位素顔のマスカレード  314
14位Sentimentallady”M”  287
15位まことのひかり  277
16位恋すれば魔女  274
17位わかりあえる日まで  266
18位しあわせになれる  232
19位プロセス 209
20位NEVERGIVE UP!  162
21位もっと自由に 99
22位ひかりのくにへ 76
23位リアル・リアル・ラヴ  46
24位We all need love  38
25位カリフォルニア・サンシャイン  25


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 一昨年2007年一年間を通してのベストスリーは1位「女優(スター)」2位「軽々しく愛を口にしないで」3位「はるかなるメロディ」、
そして昨年2008年は1位「水面に書いた物語」2位「あやかしのまち」「3位「ごめんなさい」であった。ご愛聴感謝。
fumio

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サンディエゴ市長ジェリー・サンダース(Jerry Sanders)が5月8日を アダム・ランバートの日 と宣言した。

アダム・ランバートといってもまだあまり知られていないが今期のアメリカンアイドル、シーズン8でもっとも話題になった出場者である。審査員のポーラ・アブドゥールが感動して涙を浮かべたりしたほどだ。日本の放送はまだあと数回残っていて妻はかれの大ファンで毎回の意表をついたパフォーマンスを楽しみにしている。ロサンジェルスの南のサンディエゴ市出身でロック が得意な歌手なのだ。ハリウッドでの5月20日の最終審査のあと故郷の高校で歌を披露したりしたあとアルバム制作に入っているというが番組の先輩ジェニファー・ハドソンやドートリ-のように成功するのは時間の問題と思える。来年の5月8日にも、「アダム・ランバートの日」とサンディエゴ市民たちは言っているだろうか。
fumio

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  今回のマイケル・ジャクソンの急逝はスーパースターたちの変死に思いを馳せさせる。エルヴィス・プレスリーは1977年8月16日、薬物の誤用による心臓発作によって42才で亡くなっている。

 1980年12月のあの朝、八十歳を過ぎた大家さんエディ・辻本さんが「ジョン・レノンが殺されましたで」といってロサンジェルスタイムス紙を見せてくれた。わたしは呆然として記事を何度も読み直した。何度読んでも意味がよくつかめなかった。

 1983年2月4日カレン・カーペンターが摂食障害による急性心不全で32才で亡くなった。スタッフに肥ったね、と言われたことが引き金になってまともに食べられなくなった、とテレビで聞いて驚いた。それが拒食症(anorexia nervosa)という言葉の聞き初めだった。アメリカのテレビはしばらくはその話題でもちきりになった。
功成り名を遂げたスーパースターたちは思いもよらぬ形で人生に幕を引いてしまう。本人は、もういいや、とばかりに執着しないのかもしれないがせっかく与えられた特別な才能をできるだけ多くの作品を遺すことに使ってほしいものだ。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月19日(金)~6月26日(金)
ヒット数:949件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>ごめんなさい
第2位(4)<4>ときめきFALL IN LOVE
第3位(3)<3>あやかしのまち
第4位(2)<2>水面に書いた物語
第5位(6)<6>軽々しく愛を口にしないで
第6位(8)<9>マイ・スィート・ライフ
第7位(15)<8>はるかなるメロディ
第8位(14)<14>まことのひかり
第9位(12)<12>素顔のマスカレード
第10位(5)<7>女優(スター)
第11位(10)<10>Sentimentallady”M”
第12位(11)<16>恋すれば魔女
第13位(17)<18>しあわせになれる
第14位(18)<15>わかりあえる日まで
第15位(19)<17>NEVER GIVE UP!
第16位(5)<8>ラスト・ランデヴー
第17位(9)<13>オーロラの町から
第18位(13)<11>それってⅨじゃない
第19位(16)<19>Stay with me

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 「ごめんなさい 」が5月22日(金)~5月29日(金)の週以来5週連続1位を続けている。ご愛聴感謝。
fumio








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今朝、6時にテレビをつけるとマイケル・ジャクソンがUCLA病院に運ばれたという。
ロサンジェルスタイムスのネット版にアクセスすると
「ポップスター、マイケル・ジャクソンはかれのベルエア(Bel-Air)の邸宅で救急救命班に意識不明状態にあるところを発見されたのち死を宣告された。
ロサンジェルス消防署長スティーヴ・ルーダ(Steve Ruda)は語る。
家からの911コールに応じ到着した時、ジャクソンは呼吸していなかった。
救急救命班は心肺蘇生法を試みてUCLAメディカルセンターに搬送した。」ということだった。亡くなったらしい。50才。
ABC ではじめて歌う姿を見てすごい子供だと感心したが成長に従って才能も開き、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれる存在になった。一般人の感覚では量れない大きいものを抱えているようだった。人々の好奇の目にその姿と心をさらすのを怖れたかのように逝ってしまった。多くのファンに喪失感を遺して…。わたしは以前からかれを天使ミカエルのひとつの形と思っていた。やっと自分にふさわしいところへ帰れたのだろうか。合掌。

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  わたしが洋楽を聴き始めた1963年から2000年までのBillboard年間チャート歴代NO.1シングルを以下に転載しておく。
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year song artist POS WEEKS

63 SUGAR SHACK JIMMY GILMER & THE FIREBALLS 1 5
64 I WANT TO HOLD YOUR HAND BEATLES 1 7
65 WOOLY BULLY SAM THE SHAM & THE PHARAOHS 2  
66 BALLAD OF THE GREEN BERETS SSGT. BARRY SADLER 1 5
67 TO SIR WITH LOVE LULU 1 5
68 HEY JUDE BEATLES 1 9
69 SUGAR, SUGAR ARCHIES 1 4
70 BRIDGE OVER TROUBLED WATER SIMON & GARFUNKEL 1 6
71 JOY TO THE WORLD THREE DOG NIGHT 1 6
72 THE FIRST TIME EVER I SAW YOUR FACE ROBERTA FLACK 1 6
73 TIE A YELLOW RIBBON 'ROUND THE OLD OAK TREE DAWN 1 4
74 THE WAY WE WERE BARBRA STREISAND 1 3
75 LOVE WILL KEEP US TOGETHER CAPTAIN & TENNILLE 1 4
76 SILLY LOVE SONGS WINGS 1 5
77 TONIGHT'S THE NIGHT Gonna Be Alright) ROD STEWART 1 8
78 SHADOW DANCING ANDY GIBB 1 7
79 MY SHARONA KNACK 1 6
80 CALL ME BLONDIE 1 6
81 BETTE DAVIS EYES KIM CARNES 1 9
82 PHYSICAL OLIVIA NEWTON-JOHN 1 10
83 EVERY BREATH YOU TAKE POLICE 1 8
84 WHEN DOVES CRY PRINCE & THE REVOLUTION 1 5
85 CARELESS WHISPER WHAM! 1 3
86 THAT'S WHAT FRIENDS ARE FOR DIONNE & FRIENDS 1 4
87 WALK LIKE AN EGYPTIAN BANGLES 1 4
88 FAITH GEORGE MICHAEL 1 4
89 LOOK AWAY CHICAGO 1 2
90 HOLD ON WILSON PHILLIPS 1 1
91 (Everything I Do) I DO IT FOR YOU BRIAN ADAMS 1 7
92 END OF THE ROAD BOYZ II MEN 1 13
93 I WILL ALWAYS LOVE YOU WHITNEY HOUSTON 1 14
94 THE SIGN ACE OF BASE 1 6
95 GANGSTA'S PARADISE COOLIO FEAT.L.V. 1 3
96 MACARENA LOS DEL RIO 1 14
97 CANDLE IN THE WIND 1997 ELTON JOHN 1 14
98 TOO CLOSE NEXT 1 4
99 BELIEVE CHER 1 4
00 BREATHE FAITH HILL 2


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 1965年の WOOLY BULLY と 2000年の BREATHEは2位どまりだったけれど年間では1位ということである。
 さすがにどの曲も年間1位になっただけあって素晴らしかったが90年代以降のものにはわたしにはあまりピンとこないものもある。この中からベスト・オブ・オールを選べといわれると困ってしまう。
あなたならどの曲をベストに推すだろうか。
fumio



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60年代の夢、混沌と頽廃、ティモシー・リアリーやケン・キジーが主導したドラッグと花とセックスによる改革は終焉を迎え「愛と平和」を唱えたヒッピーや若者たちはやがて70年代の現実に立ち向かっていった。70年とはポップ音楽にとってどんな年だったのか。キャッシュボックス誌の1970年の年間を通じて全ての週の首位曲を以下に転載しておく。

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CASH BOX TOP SINGLES -The 1970 charts!

January 3 Someday We’ll Be Together - Diana Ross & Supremes
January 10 Raindrops Keep Fallin’ On My Head - B.J. Thomas
January 17 Raindrops Keep Fallin’ On My Head - B.J. Thomas
January 24 I Want You Back - Jackson 5
January 31 Venus - Shocking Blue
February 7 Venus - Shocking Blue
February 14 Venus - Shocking Blue
February 21 Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin) - Sly & Family Stone
February 28 Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel
March 7 Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel
March 14 Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel
March 21 Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel
March 28 Let It Be - Beatles
April 4 Let It Be - Beatles
April 11 Let It Be - Beatles
April 18 Let It Be - Beatles
April 25 ABC - Jackson 5
May 2 Spirit In The Sky - Norman Greenbaum
May 9 Spirit In The Sky - Norman Greenbaum
May 16 American Woman - Guess Who
May 23 American Woman - Guess Who
May 30 Cecilia - Simon & Garfunkel
June 6 Everything Is Beautiful - Ray Stevens
June 13 The Long And Winding Road - Beatles
June 20 The Long And Winding Road - Beatles
June 27 The Love You Save - Jackson 5
July 4 The Love You Save - Jackson 5
July 11 Mama Told Me (Not To Come) - Three Dog Night
July 18 Mama Told Me (Not To Come) - Three Dog Night
July 25 Ball Of Confusion (That’s What The World Is Today) - Temptations
August 1 (They Long To Be) Close To You - Carpenters
August 8 (They Long To Be) Close To You - Carpenters
August 15 Make It With You - Bread
August 22 Signed, Sealed, Delivered I’m Yours - Stevie Wonder
August 29 Spill The Wine - Eric Burdon & War
September 5 War - Edwin Starr
September 12 War - Edwin Starr
September 19 Patches - Clarence Carter
September 26 Ain’t No Mountain High Enough - Diana Ross
October 3 Lookin’ Out My Back Door - Creedence Clearwater Revival
October 10 Candida - Dawn
October 17 Cracklin’ Rosie - Neil Diamond
October 24 I’ll Be There - Jackson 5
October 31 I’ll Be There - Jackson 5
November 7 We’ve Only Just Begun - Carpenters
November 14 Indiana Wants Me - R. Dean Taylor
November 21 I Think I Love You - Partridge Family
November 28 I Think I Love You - Partridge Family
December 5 I Think I Love You - Partridge Family
December 12 The Tears Of A Clown - Smokey Robinson & Miracles
December 19 My Sweet Lord - George Harrison
December 26 My Sweet Lord - George Harrison

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 この年のトピックはなんといってもビートルズの解散だった。
解散したビートルズが4月から6月まで首位を抑え年末にはグループ内ではあまり目立たなかったジョージ・ハリソンが個人で「マイ・スイート・ロード」をヒットさせていたのが興味深い。
fumio


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 1997年4月21日、宇宙葬としてスタートレック(宇宙大作戦)の作者、ジーン・ロッデンベリー(Gene Roddenberry)など宇宙関係者24人の遺物とともにティモシー・リアリーの遺灰7グラムがペガサスロケットに積み込まれ発射された。

 ティモシー・リアリー(Timothy Francis Leary)とはアメリカの心理学者でシロシビンやLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)などの幻覚剤による人格変容の 研究を行ったハーバード大学教授で、 ヒッピー、ドラッグカルチャー、サイケデリック、カウンターカルチャー運動の主導者で中心人物であった。サンフランシスコで開催された「ヒューマンビーイン」などでかれが使用した「ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト」というスローガンがその時代のキーワードになった。ジョン・レノン、ヨーコ夫妻とともにgive peace a chance のベッドイン運動を行ったことでも有名である。
様々なトラブルに巻き込まれながら常に時代の先端に位置して提言し続けた。
出発がドラッグでなければ人々のかれに対する見方評価は大きく違っていただろう。
レオナルド・デカプリオ主演によるかれの伝記映画が制作中というから楽しみだ。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月12日(金)~6月19日(金)
ヒット数:1,275件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>ごめんなさい
第2位(2)<3>水面に書いた物語
第3位(3)<2>あやかしのまち
第4位(4)<4>ときめきFALL IN LOVE
第5位(7)<10>女優(スター)
第6位(6)<6>軽々しく愛を口にしないで
第7位(5)<8>ラスト・ランデヴー
第8位(9)<4>マイ・スィート・ライフ
第9位(13)<11>オーロラの町から
第10位(10)<12>Sentimentallady”M”
第11位(16)<13>恋すれば魔女
第12位(12)<7>素顔のマスカレード
第13位(11)<9>それってⅨじゃない
第14位(14)<17>まことのひかり
第15位(8)<15>はるかなるメロディ
第16位(19)<18>Stay with me
第117位(18)<14>しあわせになれる
第18位(15)<16>わかりあえる日まで
第19位(17)<19>NEVER GIVE UP!

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 今週は1位から4位まで先週と同じだった。上位は強いらしい。
ご愛聴感謝。
fumio








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その日、ある女性ロッカーの遺灰が飛行機からロサンジェルス、スチンソンビーチ(Stinson Beach)あたりの太平洋に撒かれた。かの女の死因はヘロインの過剰摂取。いつもより高純度の製品であったためとみられている。

 そしてジャニスは伝説になってしまった。その歌やパフォーマンスに接したことのない人までもが知っているような気になった。

 テキサス州ポート・アーサーの高校時代、肥っていて、「豚(pig)」「キモイ(freak)」「ぞっとする(creep)」などと呼ばれて深く傷付いていた少女ジャニス・ジョップリン(Janis Joplin)はオースチン( Austin)のテキサス大学を中退して1963年にサンフランシスコ、ノースビーチ(North Beach)に移転した。そして ヒッピーの本拠地Haight-Ashbury(ハイトあるいはヘイト・アシュベリー)に越したことで伝説が始まったのである。ドラッグカルチャー、フラワー・ムーヴメント、カウンターカルチャーの中心に身を置きその時代を全速で駆け抜けることになるのだ。

 初めはフォークソングなどを歌っていたが、時代の先端を走るサイケデリク・ロックバンド、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーにボーカルとして参加したことで変貌する。ライヴを重ねて出演した、67年6月のモントレイ・ポップフェスティバル におけるジャニスのBall and Chain の歌唱はママズ・アンド・パパスのキャス・エリオットも「ウワオ!あれはホント、スゲー"Wow! That's really heavy!" 」と思わず洩らしたほどであった。

 奇跡的女性ロッカー出現の噂が噂を呼びジャニスはあっという間にスターとなった。レコーディング、ライヴ、おきまりのバンドの不和、新バックバンド結成、ツアーなど慌ただしい女性ロックスターとしての日々がゆき過ぎた。その間、ジャニスは常習していたドラッグやトレードマークとなったフルーツ・リキュール酒、「サザーン・コンフォート」を一時やめたりしたが高校時代のトラウマが残り故郷テキサスに帰っても評価されていないことに気付いて前より多量にドラッグを摂取したりしてゆれ動いた。

 そして1970年10月4日、アルバム『パール』の録音で、ロサンゼルスのランドマーク・モーター・ホテルに滞在中、迎えにきたロードマネージャー、ジョン・クック(John Cooke)が床の上のかの女の死体を発見した。享年27歳。ジャニスはロサンジェルスのピアース・ブラザーズ・ウエストウッド・ヴィレッジ葬祭場で火葬されその遺灰が太平洋に撒かれたのである。そのあたりの海で泳ぐ魚はジャニスの灰に含まれたドラッグの成分が溶けてすこしハイになったかも。
 
 ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンと「J」が頭文字につくロッカーたちがこの時代につぎつぎに27才でドラッグにより命を落としたのでその後「Jの悲劇」と呼ばれることになったのだが、かれらが現在まで生きながらえていればずいぶんロック界事情は違っていたのに、といつも惜しく思ってしまう。

 天才たちにはこの世での暮らしはBall and Chain につながれたようなものだったのか。

 しかしながら27才ではまだ知らないことが多すぎる。もっと世の中をよく知ってからその才能を活かした作品を遺してほしかった…。
fumio


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 1964年1月、哲学や詩を好む学生がフロリダ州立大学からカリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)映画科に編入してきた。かれの名はジム・モリソン(Jim Morrison) 本名 James Douglas Morrison、同じクラスにフランシス・フォード・コッポラ、レイ・マンザレクらがいた。ジムとレイは『知覚の扉』The Doors of Perceptionから命名した「ドアーズ」というバンドを作り、これまでのポップ音楽になかったストーリー性をもった 「ジ・エンド」のような歌作りをした。フランシスは後年このクラスメイトたちの曲を自らの傑作地獄の黙示録に使用して成功した。64年の映画科のクラスメイトたちはその才能をこの映画に結集したということになる。

 ジム・モリソンはステージを演劇として見せ、自分の人生もまた一編の映画として鑑賞する者に提供したアーティストであった。「ジム・モリソン Jim Morrison」のアナグラムとしてかれは自らを「ミスター・モジョ・ライジン Mr. Mojo Risin'」と呼んだ。それはマディ・ウォタースの名曲I Got My Mojo Workingのもじりだがモージョとはブードゥー教の呪術や人形のことで自分をそんな超自然的な力をもつ存在とみなしたのである。

 1971年7月3日、ジムは27才で人生の幕をパリのアパートで下ろした。バスタブの中で発見されたことで公式には心臓発作だがヘロインの過剰摂取や暗殺説、実は生きていてマスメディアから姿を隠したなど様々な噂が飛び交った。それもかれの制作した「ジム・モリソン、モジョ」映画のラストシーンとして重要なプロットだったのだ。

 めでたし、めでたし、みんなハッピー、のディズニー映画的エンディングにはとてもできなかったのだろう。
fumio

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愛しのラナ(Lana)
という歌があった。ザ・ヴェルヴェッツ(The Velvets)という黒人ドゥワップグループの軽快なヒット曲だった。

 わたしが高校に入ってまわりの洋楽ファンの友達に勧められて聴きだした「9500万人のポピュラー・リクエスト」というラジオ番組で聴いて好きになった。放送の翌日友達の間で話題になるのはその週のこの曲とロネッツ(Ronettes)のBe My Baby の順位だった。「愛しのラナ」の「エル・エイ・エヌ・エイ」という部分を友達とコーラスで練習したり「ビー・マイ・ベイビー」の順位が下がるとみんなでリクエストして順位を上げようと相談したりしたものだった。

 そんな青春時代のヒトコマを いとしのラナ を書いている時にふと思い出した。「ビー・マイ・ベイビー」の作者が「愛しのラナ(Lana)」を殺害したというこのへんな事件、スペクターがラナ・クラークソンに出会った時、きっと自分の曲「ビー・マイ・ベイビー」と同時期にヒットしたロイ・オービソンが書いた「愛しのラナ」のメロディを思い起こしたことだろう。

 わたしにとってもこの事件は衝撃的なもので真相に迫ろうとしてもなかなか迫れなかった。どんな事件であったのかをあれこれ調べてもうすこし書いてみる。なにか見えなかったものが見えるかも。

 2003年2月3日、911番緊急電話 を受けた警官はスペクターのロサンジェルスの邸に駆けつけた。警官のリポートによれば、警官は玄関の間の椅子にぐったり座る40才の女優ラナ・クラークソンの体を見つけた。かの女は口中を射たれ、2インチの銃身の青い鋼鉄製38口径コルト・リヴォルヴァー銃がかの女の体のそばの床で見つかった。

 クラークソンは女優でそしてウエスト・ハリウッド、サンセット・ストリップのクラブ、「ハウス・オブ・ブルース」のVIP ラウンジでホステスとして働いていた。
その夜、かの女は62才のスペクターと出会いかれのリムジンでかれとともにでかけた。かれの運転手アダリアノ・デ・ソウザ(Adriano De Souza)は陪審団 に語った。
ふたりがかれの邸に入ったあと外で待っていた。ふたりが家に入ってほとんどすぐに、スペクターは車に戻りブリーフケースをもっていった。1時間ほどして運転手デ・ソウザは銃声を聞いた。そしてスペクターが裏から銃を手にして出て行くのを見た。申し立てによると、スペクターは運転手デ・ソウザに "I think I killed somebody."と言った。

警官が現場に到着したあとスペクターが前ポケットに突っ込んでいる手を見せるように言われた時小さいもみ合いがあった。かれは警官と争い、警官はスタンガンを使って鎮圧してそれから地面に倒した。

 警官は家宅捜査を行い9挺の火器とひとつの血痕を見つけた。大陪審の供述書の写しでは、スペクターは警官に初め、かれは事故で女優ラナ・クラークソンを射ったと語った。そしてのちに、かの女は自殺を図ったと言った。
警官ベアトリス・ロドリゲス(Beatrice Rodriquez)が現場に到着したとき、スペクターは "I didn't mean to shoot her. It was an accident." 「わたしはかの女を射つつもりじゃなかった。あれは事故だったんだ」と言った。

 そして6ヶ月の調査のあと2003年11月スペクターは公式にラナ・クラークソン殺害により起訴されたが100万ドルの保釈金で保釈された。

 その後、2007年9月、米ロサンゼルス郡地裁で開かれた裁判では陪審団が全員一致の評決に達することができず「評決不能」を宣言していたが、2009年5月13日(月)再審理では第2級殺人で有罪、少なくとも18年以上の懲役、最高で終身刑の評決が下され、5月29日には懲役19年から終身刑の判決が最終的に申し渡されたのである。

 一応、これだけが調べることができたこの事件の概要である。それにしてもわたしの青春期の偉大なるヒーローのひとりフィル・スペクターが終身刑となったのはすごく残念だった。
fumio



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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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5月5日(金)~6月12日(金)
ヒット数:1,424件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>ごめんなさい
第2位(3)<3>水面に書いた物語
第3位(2)<2>あやかしのまち
第4位(4)<7>ときめきFALL IN LOVE
第5位(8)<6>ラスト・ランデヴー
第6位(6)<5>軽々しく愛を口にしないで
第7位(10)<9>女優(スター)
第8位(15)<8>はるかなるメロディ
第9位(4)<8>マイ・スィート・ライフ
第10位(12)<15>Sentimentallady”M”
第11位(9)<14>それってⅨじゃない
第12位(7)<16>素顔のマスカレード
第13位(11)<10>オーロラの町から
第14位(17)<17>まことのひかり
第15位(16)<13>わかりあえる日まで
第16位(13)<11>恋すれば魔女
第17位(19)<19>NEVER GIVE UP!
第18位(14)<18>しあわせになれる
第19位(18)<12>Stay with me

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 「ごめんなさい」の独走が続いている。そんなに強かったのかと不思議な気がする。
ご愛聴感謝。
fumio








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 2003年2月3日、ロサンジェルス、サンセット通りのクラブ「the House of Blues」でカクテル・ウエイトレス(ホステス)として働いている女優ラナ・クラークソン(Lana Clarkson)(当時40才)は60年代ポップ音楽の生ける伝説、プロデューサー、フィル・スペクター(現在69才)と出会った。かれはウェイトレス、キャシー・サリバン(Kathy Sullivan)とともに酩酊状態で到着して、家で一杯飲もう、と誘った。スペクターのリムジンのブラジル人運転手アダリアノ・デ・ソウザ(Adriano De Souza)の証言によればラナは初めかれの家に行くのに気が乗らないようだった。

 その後、ラナは翌朝早く、スペクターのアルハンブラの邸の玄関の間で口中射殺死体となって発見された。運転手の通報によってスペクターは逮捕された。
スペクターが使用していた銃身の短いコルト・コブラ・リヴォルヴァー拳銃に合うホルスターがその玄関の間の引き出しで見つかった。

 フィル・スペクターは被告となって、2007年9月、米ロサンゼルス郡地裁陪審団は全員一致の評決に達することができず有罪か無罪かを判断できない「評決不能」を宣言していた。そして先日、2009年5月13日(月)検察の申し立てを受けた再審理の結果米ロサンゼルス郡地裁陪審は第2級殺人で有罪、少なくとも18年以上の懲役、最高で終身刑の評決を下した。そしてついこの間、2009年5月29日、懲役19年から終身刑の判決が最終的に言い渡されたのである。

 リムジン運転手アダリアノ・デ・ソウザ氏が陪審団の前で「スペクターが"I think I killed somebody."と言った」と語ったのが重要証言となったのだが弁護側はかれは聞き違えたのだと反論した。興奮状態のブラジル人がアメリカ英語を正確に聞き取れたのかどうか。殺したのならもってまわった言い回しをせず単刀直入に"I killed her."と言うのが当たり前のように思われる。

 気になるのは運転手ソウザ氏がエマージェンシーサービス(911番)に電話したとき "I think my boss killed somebody"と言ったということである。この文体は他者の行為のリポートとしては正しいと思われる。ところが「スペクターが"I think I killed somebody."と言った」というのはなにか腑に落ちない。当事者がそんな言い方をするのだろうか。ごまかすためにそう言ったのか。ソウザ氏のことば"I think my boss killed somebody"という構文とスペクターが言ったという"I think I killed somebody."の構文が同じであることにひっかかるのだ。ブラジル人で英語が不得手だから自分のことばも主人のことばも同じ構文で証言したのか。本当にスペクターが"I think I killed somebody."と言ったのなら、「あまり関わりの深くないだれかを殺したかもしれない」という意を伝えようとしたのだろう。

  弁護側は自殺と主張していたが、検察側はスペクターは過去に何度も銃で女性を脅し、酔うとよくロシアン・ルーレットで女性の命をもてあそぶ歴史に引き込もうとしたと主張した。ロシアン・ルーレットはロックバンド、シカゴのリードギタリスト、テリー・キャスが1978年1月23日に死亡したことでも有名である。

 俳優という職業は因果なもので手を叩いた瞬間に思考することなく号泣したり大笑いしたりする訓練をいつもしているので。ロシアン・ルーレットでもこわがる前に平気で引き金を引いてしまう。もしそうだったのならラナ・クラークソンは自分の死によってスペクターが終身刑に処されたことをどう思っているのだろう。

 そしてあなたはこれから日本でも始まる裁判員制度でかれを裁くとすれば、終身刑を与えるだろうか?
fumio

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1969年11月7日からスタートした全米ツアー中、ローリングストーンズのミック・ジャガーは記者会見に臨んだ。矢継ぎ早の記者の質問に"Free concert in San Francisco" "When?" " December 6th"と答えた。

そのときはまだ場所は決まっていず予定していたゴールデンゲートパークは警備問題などで市に断られ二転三転して最終的にサンフランシスコ郊外リヴァモアのオルタモント・スピードウェイに決定した。

 それは8月に開催された東のウッドストックフェスティバルの成功を受けて西のウッドストックとしてサンフランシスコでもフリーコンサートをやろうと企画されたコンサートだった。
それがローリングストーンズのツアーと重なりトリとしての出演場面が「ギミー・シェルター」というローリングストーンズの公演のドキュメンタリー映画に収められることになったのだ。

 ところがウッドストックとは違い、コンサートは荒れ、場内整理のために雇われたヘルスエンジェルズのメンバーがジェファーソン・エアプレインのボーカル、マーテイ・ベイリンの顔を殴ったり 収拾がつかなくなる。
 あっちでもこっちでも小競り合いや喧嘩が起こりヘリコプターで乗り込んできたローリングストーンズにももうそれを収拾することはできなかった。
 
 演奏を始めても治まらない喧噪の中、「Under My Thumb」の演奏中に オルタメントの悲劇と呼ばれる殺人事件が起きていた。メレディス・ハンター(Meredith Hunter)という18才の黒人青年がステージ近くの乱闘に回転式銃(リヴォルヴァー)を向けて警備のヘルスエンジェルスのメンバー、アラン・パサロ(Alan Passaro)にナイフで背中を刺されたのだ。メレディス・ハンターは銃を出したので、アラン・パサロは正当防衛で無罪となった。

 この事件で60年代の夢、混沌と頽廃、ドラッグと花とセックスによる改革は終焉を迎えた、と多くの人々は認めている。「愛と平和」を唱えたヒッピーや若者たちは目の前に迫る70年代の現実に立ち向かわねばならなかったのだ。
fumio



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