monologue
夜明けに向けて
 



私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月22日(金)~6月29日(金)
ヒット数: 1,109件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>女優(スター)
第2位(10)<8>Sentimentallady”M”
第3位(5)<2>はるかなるメロディ
第4位(9)<5>ときめきFALL IN LOVE
第5位(2)<12>マイ・スィート・ライフ
第6位(8)<3>ラスト・ランデヴー
第7位(3)<9>それってⅨじゃない
第8位(14)<11>わかりあえる日まで
第9位(7)<7>軽々しく愛を口にしないで
第10位(4)<10>素顔のマスカレード
第11位(4)<12>しあわせになれる
第12位(11)<3>恋すれば魔女
第13位(6)<4>オーロラの町から
第14位(12)<6>Stay with me
第15位(15)<15>NEVER GIVE UP!
第16位(16)<16>水面に書いた物語
第17位(17)<17>あやかしのまち
第18位(18)<18>ごめんなさい


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「女優(スター)」の独走がつづく。
時代を開くスターとしてイザナミさんは今度はどんな仮面をつけて登場してくるのだろうか。今は楽屋で準備中なのか。ご愛聴感謝。

fumio


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 宇宙神霊が遺した詩編に以下のようなものがある。

******
 終り無き夢を見ようとした者達の夢が、今終わろうとしている。
新しい円環を見出す為に、旧き円環を脱する者達に幸いあれ。
 全てが、ここに始まるからだ。
全てが、ここに終わるからだ。

              *******
 狭間より来る者は、印を持っているだろう。
 夕刻と朝陽の光を文字に、その者は話すだろう。
 今まで聞いた「聖なる言葉」は、彼の足元に崩れ、
 人々は、彼を怖れるだろう。
 まことに陰なるものは、まことに陽なるものとしての印を
 人々の目につくところに掲げるだろう。

 あなたがた、川の流れる先を案じていてはならない。
 あなたがた、目に見える一部分だけを信じてはならない。
 あなたがたが、本当に探しているものは、堕としめられ辱められて
 あなたがたの目に見えない所に、幽閉されている。

 1より10生きる者には、大いなる啓示と大いなる助力が与えられ、
 1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる者には、
 果てのない薄闇が与えられるだろう。

 門は、もうじき開けられるのだから・・・・・・
(92/08/30ARION これから生きる者達へ)


これは新たな夜明けへの預言詩であった。
幽閉されていた「もの(mono)」は夕刻と朝陽の光を文字に、話すのだろう。
fumio


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天地の理(ことわり)をプロセスとして辿ると
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    天アマ    
    地テラ     天地が生まれてまもない↓
  天地 地天    混沌の時代
    地       
    天

    天 
    地      子であるスサノオが生まれ
  天地子地天    アラタマからニギタマへ
    地       生長してゆく時代   ↓
    天

    天    子は生長してスありの
    地    人になる
  天地人地天   天地人のバランスがとれている時代↓↓
    地
    天


 
    天      人に内蔵されていた血のモノリスが発現し
    地      宇宙の進化のために愛(天意)を持って
天地主地天        天地の主として統治する。 
    地
   天      
         
***************************

 天地を隔てた岩戸が開き上下左右回転してどこからみてもアマテラスとなるこの図の中心に人類は主としてはまることができるのか…。
fumio




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マイク・アンド・メカニックスに
「The living years」 という名曲がある。
死んでからでは遅過ぎる、生きているときに和解しておこうという歌だった。
その歌がヒットしている時、せき立てられるように感じた。
父はもう七十年生きてきた。人生の終わりに近づいている。
その正月、わたしたち一家は京都の実家に帰省した。
長い間帰ってないし今年は帰って顔を見せてあげたら、と妻が言ってくれたのでその気になったのだ。
 心臓につけたペースメーカーの話題になったとき、父は、このペースメーカーは七年くらいしかもたんそうや、と言った。
言外にあと七年は生きられる、あるいは生きたいということを含んでいるように聞こえた。三日間、過ごして帰る日、わたしは長い間言い損ねていたことばをやっとの思いで口にした。「ぼくは、お父ちゃん愛してるのや」と。
このことばはこうして文章にしてもなにか父子関係にはそぐわない感じがする。
成人した息子から父に向かってほとんど発せられることのないことばだ。
恋人同士ならいざ知らずそんなことばを面と向かっていうのはお互い気恥ずかしい。
そんなことは以心伝心で言わなくてもわかっているで済ませるのが普通だ。
ご他聞に漏れずわたしたち親子にもいくたびかの確執や軋轢かあった。
二人息子の兄のわたしはアメリカに行き、弟はフランスに行って日本を離れた。
父母は日本に二人で取り残された形になった。
十年後に帰ってきたわたしはいざこれからという時に首の骨を折り、その上しばらくして脳内出血を起こした。親としては心が安まることがなかっただろう。
 勇気をもって今言うべきことを言っておかないと、ある日突然父が逝ってしまえば機会を逃したことを後悔し続けることになると予感した。
愛という使い方の難しいことばをなんとか口にできてほっとした。
それは父の数十年間の苦労に対する精いっぱいの感謝だった。
「ほんなら、お父ちゃん、これからも元気で暮らしてな」
「おまえも、元気でやれよ」
それはあまりにも普通の別れのことばだったが込めた想いがこれまでになくお互いの胸に強く響いた。今も父の声と表情が甦る。
 
 そして三年後、父の突然の訃報に接して、曲がりなりにも伝えるべき事を伝え終えていたことを感謝した。あの歌「The living years」のおかげだった。この世を卒業した父が、より素晴らしい世界で楽しく生きることを希(ねが)った。
今年も6月17日の命日がきて墓参りをした時「おまえも、元気でやれよ」のことばを思い出した。
fumio

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宇宙神霊の遺したことばにこんなものもある。
「月の娘は既に成人になり、
 大地の掟を統べる様になった。」

月の娘が成人になり、 大地の掟を統べる様になったというのだからいよいよという気がする。「月の娘」といえばだれでも思い出すのは「かぐや姫」だけれど、かの女は一旦月に帰り大地の掟を統べる準備をしていたらしい。以下にブログに載せるにはすこし長いが以前書いた「竹取物語」についての考察を載せておく。
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 まず、だれでも知っている梗概を「小学館、大辞泉」より抜き出して記しておく。
『竹取の翁によって竹の中から見いだされ、育てられたかぐや姫が、
五人の貴公子の求婚を退け、帝の召命にも応じず、八月十五夜に月の世界へ帰る』

 とまあ、このような話である。冒頭の部分からじっくりと考察してゆこう。
「いまは昔、竹取の翁といふものありけり、
野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使いけり」
 と「いまは昔」で始まるのは後の『平中物語』や『今昔物語』と同じであるが
その嚆矢(こうし)がこの物語であることは興味深い。
その意味については様々な説があるが、今でもあり、昔のことでもある、時間を超越した普遍的な物語、ということ。

 竹取の翁の名は「さかきのみやつこ、さるきのみやつこ、さぬきのみやつこ」である。
「讃岐造」と書くという。
この名前を覚えておいていただきたい。
「新潮古典文学アルバム3竹取物語・大和物語・宇津保物語」における藤井貞和氏の説によれば翁の仕事は籠作りなので根元の光る竹の筒の中から三寸ほどの人を見つけた時
「わたしが朝ごと夕ごとに見る竹の中にあらっしゃるによって、分かったぞ。
子(こ)とおなりになる人であるらしい」と思う。
この「子(こ)とおなりになる人」の子が籠(こ)とかかっているしゃれ、という。
「籠(こ)とおなりになる人」ということである。
この物語には、軽妙なことば遊びがあちこちにしかけてある。
 
 もしそうであれば、タケノコが生長して籠になることのようだ。 導入部ですでにこの竹の精が実は龍であり、最後に竹冠を脱いで天に昇ることを暗示している。見事な書き出しである。
「竹取」ということばに秘められているのは竹鳥であるらしい。この鳥は飛び立って仲秋(穐)八月十五夜に月に帰ることになる。三ヶ月で竹のように成長して一人前の成人女性の儀礼である、髪あげと裳着(もぎ)をして名付け親「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」に『なよ竹のかぐや姫』と命名される。
この名は一般には若竹のように輝く姫であるから、と解されているが実は、この名は結末の重要な伏線としてあるのだ。 籠造りの籠屋の姫であるからカゴヤヒメ、とも思える。
 なよ竹は、弱竹や萎竹とも書かれるが、三ヶ月や三室戸斎部にみられるような三の数霊の使い方からから考えるとこれは七世(なよ)竹ではないかと思う。この七は七五三の封印の七で四と三に分かれる。となれば四三、世竹であろう。この世のものではない黄泉の世の竹と四三の桔界の中の竹という意味が考えられる。
姫の名前は「籠八秘め」であった。出雲の数八を籠の中に秘めている。
 さて、この象徴的な名を付けた名付け親「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」とはどんな人物であろうか。
ここからは「人文書院、梅山秀幸『かぐや姫の光と影』」を参照しながら論を進めよう。
忌(斎)部氏とは竹取物語の作者と想定されている宗教的な祭祀を司った氏族であるとされる。
平安時代の『古語拾遺』には讃岐の国の忌部氏は毎年朝廷に竹を八百竿献上していた、とある。この八百という数で忌部氏が出雲の霊統であることがさりげなく知らされる。
昔から、嘘の三八(さんぱち)とか嘘八百といって、この数が嘘の代表のように理由(いわれ)なく貶められている。
 江戸時代の国学者、加納諸平は『竹取物語考』において以下に引用するように「三室戸」を三輪山に比定している。
『神南備、三室は、いづれ神地にても有りべけれど、都より遠からず、はた、名も高く聞きたればなり、然らば、三輪大明神は、産土神にて、其社の祝部の中にて、親族なる斎部氏をよびたるにあらん。
抑人生まれて、氏神、産土神に詣づる事は、中古の書にも見え、今も然にて、いと古くよりの例なめれば、其社の祝部して祷言して、名を付けさするも、亦、古例なるべきを、
今はをさをさ聞えず』
 ということは「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」とは大神神社の祝部ということになる。「あきた」は穐田とかかれるのであろう。
なんとここでも三輪山の祭神、大物主、饒速日尊が隠していた姿を現した。
この物語はニギハヤヒの霊が忌部氏にチャネルして書かせたらしい。
竹取の翁の名は讃岐造(さかきのみやつこ、さるきのみやつこ、さぬきのみやつこ)であった。「さかきのみやつこ」を「酒鬼(穐)の造」ととれば酒の神、大物主(ニギハヤヒ)である。「さるきのみやつこ」は「去る鬼の三八つこ」でAMATERASUの逆読み「う去れ霊」を思い出さされる。讃岐(さぬき)なら日向の数霊三を抜く宮つ子となる。
どうしてニギハヤヒがこのような物語を忌部氏に書かせたのかと考えるとその時代の為政者たちの愚かな行動を戯画化した風刺であったらしい。
 加納諸平は求婚する五人の皇子を
石つくりの御子-丹比真人島
くらもちの御子-藤原朝臣不比等
右大臣あべのみむらじ-阿部朝臣御主人
大納言大伴のみゆき-大伴宿禰御行
中納言石上のまろたり-石上朝臣麻呂
と比定して、みかどを707年に二十五才で夭折した
繊細で感性豊かな天皇、文武天皇とみている。
かれはそのたよやかな性ゆえにかれらの傀儡にされていた。
この竹取物語の原典らしい民話を百田弥栄子氏が発見して話題になったことがある。それはチベット地方の説話『班竹姑娘(はんちくこじょう)』という求婚難題譚であった。
内容はほとんど変わらないが大きな違いはチベットでは富士山が関わらないことである。
 竹取物語の結末はなぜか唐突に富士語源説話となり、それゆえ、かぐや姫はその神、
木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)とみられている。ここで、かぐや姫の正式名が「なよ竹のかぐや姫」であったことを思い出していただきたい。
「なよ竹の」は「よ(節、夜、世」「ふし」にかかる枕詞なのだ。
なよ竹のかぐや姫とは富士(不死)の姫ということを暗示する名前であったのである。
そのことが結末において露(あらわ)にされる。最後に、昇天するかぐや姫は不死の薬をおいてゆくがみかどはかぐや姫がいないこの世で不死の薬をのんで、長生きしてもしかたないので焼かせてしまう。そのことが文武天皇の夭折と重なる。不死の薬を飲んでいれば死ななかったかのようだ。実際は傀儡を必要としなくなった者たちの呪術によって斃(たお)されたらしい。この時代の皇位継承者たちは傀儡を操る者たちの策謀によってつぎつぎに夭折していった。
結末の原文を以下に掲げる。
『逢うことも涙にうかぶ我身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、又、壷具して、御使いに賜わす。
勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、
駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せ給ふ。
嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。
御文、不死の薬の壷ならべて、火をつけて燃やすべきよし、仰せ給ふ。
そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、
その山をふじの山とは名づけゝる。
その煙いまだ雲なかへたち上るとぞ言ひ伝へたる。』
(日本古典文学大系『竹取物語・伊勢物語・大和物語』岩波書店より)

 以上のように最後に富士の語源が語られる。
士(つわもの)に富むからということと不死の二つの意味がかけられている。
その富士山の精、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の名を調べてみよう。「コノハナサクヤヒメ」コはすでにみたように子であり、籠であろう。数霊では五である。
とすれば「五の花咲くや姫」のようだ。かの女はこの世に五の花を咲かせるために地上に降りてきた。みかど(直角三角)の封印の四を不にすれば五の花が開くはずであった。
しかし、みかど(三角)は不死(不四)の薬を拒否した。そのために、四の世が続いた。
竹取物語の時点ではコノハナサクヤヒメは一応成女とはなったが大地の掟を統べることはできなかった。しかし、月に帰った後ついに、大地の掟を統べる様になったのである。
 コノハナサクヤヒメに比定されるシバの女王とは数霊的には「四八の女王」なのだ。
四から八へ末広がりに開く女王である。
 霊峰富士はこの世と霊界にかけて六芒星、ソロモンの封印を形づくっている。そしてその中は士(つわもの)に富んでいる。霊界で修行を積んだ士(さむらい)たちは今、
封印を解かれて出番を迎えた。
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「籠」から竹を取った姫は「龍」となって大地の掟を統べる時がきた。
fumio



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宇宙神霊が遺したことばにこんなものがある。
「アガルタに行くのに肉体はいらない。途上に肉体が必要なだけだ。   
アガルタに入る前に、肉体を脱いでいく。ある場所でそれを実行するのだ。その場所は、少しずつ位置を変えながらあなた方の世界とシャンバラとの入り口を形成している。」
その場所はどこにあるのだろう…。

   こんなことがあったそうな。   
 ある日、腹を空かせた犬が道に落ちている肉を拾った。
 それをくわえて行くと丸木橋があった。橋から水面を覗き込むとそこには肉をくわえた憎々しい犬がいた。 おもわず犬は吠え立てていた。そのとき、口にくわえていた肉は川に落ちてしまった。 
 すると犬はそのとき、突然降ってきた光とともにアガルタに昇っていった。
 自分が一番大切にしていたものを文句なしに敵に与えたからである。
 犬は思いがけなく開いたシャンバラの門を入った。
 現在、シャンバラで衣食住の心配なく楽しく暮らしているそうな。
 めでたし、めでたし…。
fumio


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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月15日(金)~6月22日(金)
ヒット数: 769件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>女優(スター)
第2位(12)<12>マイ・スィート・ライフ
第3位(9)<13>それってⅨじゃない
第4位(10)<5>素顔のマスカレード
第5位(2)<2>はるかなるメロディ
第6位(4)<6>オーロラの町から
第7位(7)<8>軽々しく愛を口にしないで
第8位(3)<3>ラスト・ランデヴー
第9位(5)<4>ときめきFALL IN LOVE
第10位(8)<7>Sentimentallady”M”
第11位(3)<10>恋すれば魔女
第12位(6)<9>Stay with me
第13位(4)<12>しあわせになれる
第14位(11)<14>わかりあえる日まで
第15位(15)<15>NEVER GIVE UP!
第16位(16)<17>水面に書いた物語
第17位(17)<16>あやかしのまち
第18位(18)<18>ごめんなさい


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「女優(スター)」が3週連続1位を走っている。
本当に時代を開くスターが登場してきそうな気配だ。
いったいどんなことが始まるというのだろうか。ご愛聴感謝。

fumio


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 うしろの正面だあれ、と問われるとなぜかうすうす感じるシュール・リアリスティックな思いがある。
自分のうしろの正面には自分自身がいるのではないかと何とはなしに思ってしまう。
それは最初の人類として生まれた頃の記憶のせいだろうか。

 地球上にポツンとひとり生まれたアダムはなにもない球上の世界でかれの視界をさえぎるものはなにもなく、地球を一周した光に反射する自分の姿しか見えなかったことだろう。たったひとりの世界では振り向けば後ろには自分自身がいるだけだった。アダムが自己増殖できる存在、アンドロギュノス(最初の人間で頭が二つに手足が四本づつあって、男女両性が背中合わせにくっついたような丸いからだをしていた)であったとき、かれの中心、おなかに神は宿っていた。

 やがてアンドロギュノスの身体を二つに分けたときに神の居場所の印がヘソとして残った。二つに分けられた身体を前後でみると大切な部分はほとんど前部に集められた。
人体をミクロコスモスとしてとらえると左目が太陽であり、右目が月として前面に向かって光を放っている。
われわれは光の反射によってしかものが見えないので前面にあるものしか認識できない。
われわれにとっては前面だけが光の世界なのである。

 それに反して人の『後ろ』である背面には光を放つものがない。ということは背面は人にとって光の射さない暗闇の世界なのである。それゆえ、人は背後を畏れ何度も振り返る。
目の光を闇に照射して浮かび上がるものを見ようとするのだ。後ろの正面のだれかを探すことは暗闇の住人を特定することにほかならない。
 お腹と書いて『おなか』と読むのは中ということばが神の居場所を指しているからである。腹(はら)は高天原の原(はら)と通じる。それは身体の上下左右前後の中心で臍下丹田と呼ばれる位置である。
そのおなか(高天原)に集われていた神々があるとき、隠退されて背の側に移ってしまわれた。それが天の岩戸伝説である。
 そのことを示すのが前面のおなかに対する背中ということばなのだ。 光の射さない暗闇の世界である背に中をつけて背中と呼ぶのも、そこに神々がおられるからである。
『背』とは北の月、北とは基田で基の神の居場所。人の畏れる背中の闇には元の神々が集われている。 天の岩戸は人の背で閉ざされたのである。その岩戸を背戸と呼ぶ。 
エジプトではオシリスを殺したイシスの弟Seth(セト)日本では出雲に封印をかけたアマテラスの弟、狭門(セト)として知られる。それは人の背の戸のことなのだ。

『一二三四五六七八九十』を『人フタ見よ、いつ無に為すやここの戸を』と解くとき、
ここの戸』の示す戸それは『背の戸』であるのだ。それはそこから向こうを見えない闇と捉えて畏怖するわれわれの心を閉ざす戸である。天の岩戸閉め以来、この世の実権を奪ったセトが構築した人の前面の光の世界は実は日仮(ヒカリ)の世であった。背中の暗闇に隠退していた真の光が射す時、夜明けの鐘が鳴る。
fumio




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昨夜、日本テレビ「世界仰天ニュース」でチェルノブイリ事故を採り上げていた。
チェルノブイリとはロシア語で「ニガヨモギ」を意味して新約聖書ヨハネ黙示録第8章11節に「この星の名は『苦よもぎ』と言い、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ」とある。その町は現在「石棺」と呼ばれることになってしまった。ヨハネ黙示録は実現してしまったのだ。夜9時台のエンターティメント番組にしては現実をきちっと伝えていて驚いた。ハリソン・フォードの「K-19」は封印された原子力潜水艦事故の映画だったが 原子力事故はたびたび封印されてきた。
代替エネルギーに早く移行すべきなのはわかりきってはいても日本では原子力に頼り推進するプルサーマル計画を電力会社がテレビで宣伝しているのをよく目にする。地球をこれ以上汚しては再生できない。わたしたちのつぎの世代にもこの地球をこのまま引き継がなければならない。
fumio






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このところ毎日、夜明けにふさわしい曲を作ることに取り組んでいたが「夜明けの鐘が鳴る」 ができた。細かい手直しに時間がかかってようやくできあがった。
fumio


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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月8日(金)~6月15日(金)
ヒット数: 1,036件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<5>女優(スター)
第2位(2)<4>はるかなるメロディ
第3位(3)<7>ラスト・ランデヴー
第4位(6)<9>オーロラの町から
第5位(4)<14>ときめきFALL IN LOVE
第6位(9)<8>Stay with me
第7位(8)<11>軽々しく愛を口にしないで
第8位(7)<6>Sentimentallady”M”
第9位(13)<10>それってⅨじゃない
第10位(5)<1>素顔のマスカレード
第11位(14)<13>わかりあえる日まで
第12位(12)<3>マイ・スィート・ライフ
第13位(10)<2>恋すれば魔女
第14位(11)<12>しあわせになれる
第15位(15)<17>NEVER GIVE UP!
第16位(17)<16>水面に書いた物語
第17位(16)<15>あやかしのまち
第18位(18)<18>ごめんなさい


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今週のベストスリーは先週とおなじ。「女優(スター)」が二週連続1位になっているが これはいよいよ時代を開くスターの登場を予感させる。ご愛聴感謝。
fumio


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广  


この神札に使用されている文字「矢的成玉置宮弓神楽弦音須礼波悪广退久」の
「广」はニギハヤヒらしいひねった使い方で 大修舘新漢和辞典三訂版によると「魔」の意味はなく
 「广 ゲン
1、いえ。がけの上に高く作った家。2、むなぎ 解字、指事。厂はがけを、厂の上の「、」は屋根を示し、がけの上に高くかまえた家を表す。」ということであった。
 そしてこの「广」は現代の中国語では 玉篇に炎の (エン)のことで低くゆっくり発音する上声のyanと発音されてその意味は
1、玉を磨いて光をだす。玉を削って上端をとがらす。また、その玉。 王炎圭(エンケイ)。3,美玉の名。4、光沢のあるさま。」という。

すなわち、炎の玉(魂)を意味して悪をつけることによって炎の天使ルシファーを示唆しているのである。
「退」もまたニギハヤヒのイメージから遠い文字のように思えるが「しりぞく」と読めばかれの数字九が「宮弓久(キュウ)」とともに「尻」の中に現れる。やはりかれは慎重に文字とデザインを選択してしいたのである。
fumio

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以前、宇宙神霊ARIONがわたしたちに託した詩編「SOUNDとこの部屋の仲間へ」の一節に「 私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。」という部分があった。

そのとき意味不明であった「木の葉擦れ」が玉置社の札で意味をもってきた。
そうなのだ。「この波須礼」であったのだ。波はイザナミ、須はスサノオ、そして礼は本字の「禮」に戻せば示篇に豊で「豊の国霊」ニギハヤヒということになる。時空捜査局の読者の方はここで 「緋色の女」そう、あの第二代邪馬台国女王、台与を祀る「禮波社」を思い出されることだろう。
fumio

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この神社で奉納される弓神楽の歌詞は「熊野なる玉置の宮の弓かぐらつる音すれば悪魔しりぞく」であるからそれに従って書けば「矢的成玉置宮弓神楽弦音須礼波悪魔退久」で「熊野なる」と「矢的成」が違うだけ。なぜ昔は「大和成」であったものを「矢的成」にする必要があったのだろうか。レイアウト的には矢が二本組み合わせてあるので「矢的成」のほうが合っている気がするが矢が二本で裏に日本(やまと)を匂わせているので「大和成」でも良かったような気がする。祭神はニギハヤヒなので一筋縄ではゆかない。太陽と月をデザインして日月(ひふみ)の神であることも示し、この神札全体がニギハヤヒに関わりの深い文字と図柄で統一されているのである。それゆえ十種神宝の秘密を解く鍵がこの中に隠されているように感じてしかたない。ただの思い過ごしだろうか。
fumio

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神札  


上図は十種神宝が隠されたという玉置神社の現在の神札である。
上の文字は「成的矢」と読めるが、昔の札には「成和大」と書いてあったという。
これはもちろん「ヤマトナル」と読むようだ。
その下に「音・弦」「波・須・礼」などの文字をちりばめてある。
この矢は、スサノオの須、アマテラスの主(ス)である須(ス)を中心に回転して大和鳴る音によって大和を成らせようとしているのだ。
         
         大   
         胎 金   
         日     
  
  黒くなっていてよく見えないが一番下に「大胎金日」を組み合わせて輪を描き仏教の胎蔵界、金剛界、大と日で宇宙の実相、大日如来、ビルシャナ佛の天地人(アマテラス)の回転を示している。これはずいぶん多くの思想を包含したお札である。
fumio


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