monologue
夜明けに向けて
 



 わたしが封印解きに関わったのはパソコン通信「世紀末フォーラムで「炎で書いた物語」と題するシリーズでアーリオーンと名乗る宇宙神霊のメッセージの解読を始めたときからであった。
かれのメッセージは超難解でほとんど歯が立たなかった。そのメッセージから黄金太陽や第三の櫛に関するメッセージと思われるものを探すと 94年2月3日のメッセージに

雪雹は熱く、金輪炎は凍るだろう…しじまを縫うのは逆三角の力

というものがあった。当時はまだ黄金太陽についての知識もなかったからなんのことかチンプンカンプンであった。このブログの連載の読者にはもうこのメッセージは難解ではないはずだ。
「雪雹は熱く、金輪炎は凍る」というのは凍るはずの雪雹が熱く金輪炎という熱いはずのものが凍るというまったく逆の世界の存在を示している。「逆三角」はもちろん裏の逆さピラミッドである。
このメッセージの示唆するものはそれだけではない。
アーリオーンは現在ネット社会から姿を消してわたしたちがかれの助けを借りずに自立して
以前は難解であったメッセージを読み解き第三の櫛をみつけだすのを楽しみに待っているのだ。
カゴメ唄とこの

雪雹は熱く、金輪炎は凍るだろう…しじまを縫うのは逆三角の力


のメッセージを鍵としてあなたはあなたの第三の櫛をみつけられるだろうか。
わたしはわたしなりの答えを次回用意しておこう。
fumio

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 では、大急ぎで結びまで読んでしまおう。
到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、「汝如助吾、於葦原中國所有、
 宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」、
賜名號意富加牟豆美命(自意至美以音)。


 イザナギが桃の実を三個投げたのは三が日向族の元々のトーテム数であるから。
見送りはそれを了解してここで引き返していった。
イザナギはその境界の桃に「わたしを助けるように葦原中國で
宇都志伎すなわち現(うつし)世の人々が苦しむとき、助けよ」といって
富加牟豆美(大神の実)と名付けた。かれはここで桃すなわち「百」を日向のトーテムとしたのである。

最後其妹伊邪那美命、身自追來焉。
爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞-殺千頭」。
爾伊邪那岐命詔、「愛我那迩妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋」。
是以一日必千人死、一日必千五百人生也。
故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。
亦所塞其黄泉坂之石者、號道反之大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。


そして最後に矢も盾もたまらずついに愛妻イザナミが一目会いたいと追って來た。
ところがイザナギはなんと千引石で黄泉比良坂を引塞いでしまったのだ。
かれは「百」を日向のトーテムとするとき白にフタをして出雲族との決別を決心していた。
現世と隔り世で一体の黄金太陽宇宙であるのに現世を日向族だけで治めることを目論んだのである。
千(チ)引石がそのフタ。その石を間において、ことばをかわし、
イザナミは、そんなイザナギの心を察し「愛する夫イザナギ、そんなことをしたらあなたの國の人を日に千(チ)人殺すわよ」と脅す。
イザナギは、「愛する妻イザナミよそれなら、わたしは日に千(チ)五百生むさ」と答える。
そうすると千五百ひく千で「五百」残ることになる。ここにちゃんとトーテム「百」がある。
相手が千といえば倍の二千ぐらい言えば景気がいいのだがそれでは「千」が残って「百」という文字で白を封じることができなかったから。それで千五百という中途半端な数が選ばれたのだ。
イザナミは黄泉津大神と名付けられる。またイザナギに追いついたことから道敷(チしき)大神とも呼ばれる。黄泉坂を塞ぐ石は道反(チがえし)大神と名付けられまた塞坐(さやります)黄泉戸大神ともいう。
その黄泉比良坂は、今は出雲國の伊賦夜坂である。
 ということでこれで一応全部読み終えた。
ごらんのようにこの結びの場面は「チ」ばかりで語られる。岩戸が千の回転をしているのが目に見えるようだ。
まるで回転扉(ライブドア)のように。
イザナギは「手」形と「毛」形のふたつの櫛を使用した。そのイザナギが閉じてしまった扉を開くために
わたしたちはカゴメ唄で約束されていた三つ目の櫛を使用しなければならないのだ。
次回、明後日には、その櫛をみつけたい。
fumio







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イザナギの使用した湯津津間櫛は爪の形をした歯の多い櫛という説があるがかれは黄金太陽の内部で具体的にはどんな形の櫛を使用したのか。
かれはまず開くために黄金太陽の「手」の形の手櫛と閉めるためには逆の形すなわち「毛(も)」の毛櫛とふたつの櫛を使用した。それが黄泉の坂本の「もも」とつながる。
「も」あるいは「もも」関連でふっと思い出した以前の藻刈り神事の宣伝をもう一度掲げる。
***********
2005年5月21日(土)
藻刈り神事 伊勢市  
霊蹟・興玉神石にて無垢塩草の霊草を刈り取る神事
開催場所 二見興玉神社
開催時間 10:00~
料金など 無料
**************

興玉神石のあたりで藻鹽草を採取する神事を藻刈り神事という。
なぜそんな神事が必要なのだろう。表面でいわれていることの裏に必ず別の意図がある。
その二見浦には答志島という島がありそこには桃取という地名があった。
なぜニギハヤヒがわたしたちを古事記(ふることふみ)つまり「布留言文」の解読に誘ったのかがわかるような気がする。
「も」を刈ること、桃を取ることは白をフタしている「百」をとることになる。
そして「も」をとれば「戻る」。いつものように得意の駄洒落で岩戸開きを示唆しているのだ。
岩戸が開けば、ふたたび統治者に戻るということのようである。
fumio

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もも  


 ではそのあとを一行ずつ解説してゆこう。
「是拔食之間、逃行。」
そして見送りがその横木を抜いているうちに先に進んで行くと、
「且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍令追。」
するとうしろから歓待してくれたあの八雷神までが軍を率いて最大限の敬意を表しに追ってきた。
なにしろイザナギは日向族の族長なのだから。現代の大国の大統領が帰国するときのようだ。
「爾拔所御佩之十拳劒而、於後手布伎都都(此四字以音)逃來、」
それでイザナギは十拳劒、すなわち十と手の力を秘めた剱を答礼として別れの挨拶に後ろ手に振ってさらに進む。
「猶追、到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。」

そうするうちについに黄泉比良坂に辿りついた。ここに戸があり異界への入り口であった。
その坂本には桃がなっている。なぜだろうか。これがこの物語の鍵になっている。
この桃がこの物語の作者の構想の核といえる。なんでもないように前に蒲子(山ブドウ)、笋(タケノコ)などをちりばめておいて桃を出してもそれほど異和感なく見過ごすので桃には魔除けの力があるからなどという説で本質が見えなくなるように封印してあったのだ。
その答えをわたしたちは自立してわたしたち自身で出してみせなければならない。
もうそれができる実力がついているのだから。
それではわたしなりの答えをここで述べてみよう。
黄泉比良坂の坂本に桃がなっている理由はそれは黄泉が泉の世界であるから。
目を閉じて「泉」という文字をイメージの中で大きな世界としてふくらませる。
すると下の水からイザナギのようにずっと昇ってくると白の世界に入る。エレベーターを使わず階段で階層を駆け上がって行くとついにはその白の一番上にあるチョンに達する。イザナギはそのチョンの一番上にまでやってきたのだ。そのとき、そこに桃がなっていたのである。桃はもちろん「百」と書ける。
白の上に戸があるのが百なのだ。百は白にフタをしてある。この百の上の戸がこの世と隔り世の間の岩戸なのである。わたしたちもやっと岩戸の前にまでのぼってきたようだ。
fumio

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さあ、宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)から先に進もう。
すると
「於頭者大雷居、
於胸者火雷居、
於腹者黒雷居、
於陰者拆雷居、
於左手者若雷居、
於右手者土雷居、
於左足者鳴雷居、
於右足者伏雷居、
并八雷神成居。」
と彼岸を司る八をトーテム数とする出雲一族の名が雷として並んでいる。
日向族のイザナギは身の縮む思いだっただろう。
妻は出雲に馴染んで帰れないというしなんとかわいそうなことか。

「於是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、」
イザナギが出雲の一族と対面して畏まって恐縮して絶望し逃げ帰るように退散する時、
「其妹伊邪那美命、言「令見辱吾、即遣豫母都志許賣(此六字以音)令追」。」
「辱」はかたじけなく感謝する意味で、その愛妻イザナミは、会いに来てくれてうれしいと感謝して豫母都志許賣すなわち出雲の後継者、スセリヒメを追わせて見送らせた。
スセリヒメの豫母都志許賣という名については「根の國訪問」 を参照していただきたい。
ここから先は盛大な見送りの場面が語られるのだが化け物に追われるようなホラー話しととられている。
よく読めばわかるが愛妻との身を裂くような辛い別れの場面なのである。
それはそれとして主題は「櫛」なので肝心の櫛がまた出てくる部分をみよう。
「猶追、亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄、乃生笋。」
と今度は帰りであるから予想通り右の御美豆良の湯津津間櫛を使用することになる。
右の湯津津間櫛を投げると「乃」の字でわかるように右(水気)回転して「笋」がなったという。
この笋は筍と同字でタケノコのことではなく楽器の鐘や磬(けい)をかける横木のことなのである。
つまり出口に横木をかけて閉めたのだ。右の湯津津間櫛を投棄てることがログオフのコードだったのである。
入るときは左の湯津津間櫛に火をつけ左回転で開き閉じるときは右の湯津津間櫛を投げて右回転で横木が出て閉まる仕組みだった。
fumio


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 「宇士多加禮許呂呂岐弖」をもう一度読み直すとこれはウジではなく「ウシ」である。
カゴメ唄にも「ウシロの正面」という一節があったがここにも宇士呂ということばがちりばめてある。
「ウシ」は牛とも書ける。二見浦の地図を参照するとニギハヤヒがヒントとしておいておいた答志島の上にも牛島があった。なにかありそうだ。
この「牛」という字は千にも手にも似ているような気がする。そして「許呂呂岐弖」の「許」という文字も言偏に午でどれも回転すると似てくる。わざと似た字を使っているのである。「岐」は山に十字に又、そして最後の弖はフタか戸の上に弓(きゅう)が乗っている。これらの文字を使って黄金太陽の内部構造を巧みに表現してあるのである。
 ピラミッドを上下逆に重ねた正八面体をなぜ黄金太陽と呼ぶかといえば、ピラミッドを「金字塔」と呼ぶようにピラミッドは「金」の形で「黄」は中央の重なった四角い底辺部分。
黄泉(四三)の「黄」はこの世との接岸部分で数字では四、この世は逆になって泉黄(三四)で御代ということになる。黄金太陽全体では泉黄泉(三四三)という構造で現世が七で接岸部の交点は四で彼岸も七、このように全体で十になるのが正しいバランスのとれた宇宙。
ところが現在は泉死後(三四五)という構造になっていてバランスがとれていない。
それはともに治めるべき月讀を無視して封じてしまったから。
現世は泉の白の世界で足すと七であるべきなのだが彼岸との接岸部の交点は四で同じだが此岸の数が九で苦界になってしまっているのである。
イザナギの櫛は数でいえばその九と交点の四。それがコードであったのでかれはそのコードで黄泉に入れた。
わたしの本籍は京都市下京区櫛笥(くしげ)通なのだが大物主(ニギハヤヒ)が櫛笥(くしのはこのこと)に蛇の姿で入ったという説話はかれがこの彼岸(苦界)の主であることを指している。
「弖」の字で示された戸の上に弓(きゅう)が乗っているのはかれの姿のようである。
かれは岩戸を開き正しい泉黄泉(三四三)の宇宙にもどしたいのだが様々なところに封印があってこれまではかれら一族だけではそれがなかなかできかったのだ。それで今回は人類も自立してこちらからも岩戸をともに開かねばならないのである。「答志島」という名前は彼岸と此岸の「志を合わせる」という意味をこめている。「ウシロの正面」にはかれらが首を長くして待っている。今か今かと。
fumio

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 古事記はお伽噺であったり遺伝子工学であったり先端テクノロジーであったり黄金太陽宇宙構造であったり人類の進化の程度によってさまざまに表情を変える。そのように仕組んで書かれた書物なのである。
遺伝子工学は時代が進み遺伝子について人々が知識を持つようになってやっとカグツチ斬りがDNA塩基配列に関する記述であるとわかるようになった。先端テクノロジーは「十種神宝」のような先端機器についての記述もコンピューターやケータイの発達によって読み解けるようになった。時の封印が解けたのである。
「黄泉國」の条は黄金太陽の構造について書かれているのだがそもそも黄金太陽がなになのか知らない時代には真意が伝わるわけがなかった。黄金太陽についての共通認識がない人にいくら説明してもトンデモとしかとられない。やっと時(解き)の封印がほどけてきたらしい。

 筋を追うなら読み下し文でも良いがその真意を探るために読みづらいけれども以下に古事記の「黄泉國」原文を掲げる。

於是欲相見其妹伊邪那美命、追往黄泉國。
爾自殿縢戸出向之時、
伊邪那岐命語詔之、「愛我那迩妹命、吾與汝所作之國、末作竟。故、可還」。
爾伊邪那美命答白、「悔哉、不速來。吾者爲黄泉戸喫。
 然愛我那勢命、(那勢二字以音。下效此)入來坐之事恐。
 故、欲還、且與黄泉神相論。莫視我」。
如此白而、還入其殿内之間、甚久難待。

故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)
於頭者大雷居、
於胸者火雷居、
於腹者黒雷居、
於陰者拆雷居、
於左手者若雷居、
於右手者土雷居、
於左足者鳴雷居、
於右足者伏雷居、
并八雷神成居。

於是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、
其妹伊邪那美命、言「令見辱吾、即遣豫母都志許賣(此六字以音)令追」。
爾伊邪那岐命、取黒御鬘投棄、乃生蒲子。
是搜食之間、逃行、
猶追、亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄、乃生笋。
是拔食之間、逃行。
且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍令追。
爾拔所御佩之十拳劒而、於後手布伎都都(此四字以音)逃來、
猶追、
到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、「汝如助吾、於葦原中國所有、
 宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」、
賜名號意富加牟豆美命(自意至美以音)。
最後其妹伊邪那美命、身自追來焉。
爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞-殺千頭」。
爾伊邪那岐命詔、「愛我那迩妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋」。
是以一日必千人死、一日必千五百人生也。
故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。
亦所塞其黄泉坂之石者、號道反之大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。

以上、ここからいわゆる「櫛の火」に関する部分を抜き書きすると
「故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)」

 美豆良(みずら)とは「巻」や「鬟」と書いて古代の男子の髪の結い方で髪を頭の真ん中から左右に分け、耳のあたりで輪形に結んだものを指す。それで「左之御美豆良」は左側の髪の輪ということになる。
問題の櫛は「湯津津間櫛」だが普通に解釈するのではなくこれが岩戸に関係するのであればそのように意味を解かねばならない。「湯」とは火と水の交わるところを意味する。それで文字中に水と日が使われる。
「津間」は間を意味し「夫(つま)」とも書いて端の意味。「湯津津間」で日の世界と水の世界の間の端と端の交点を意味する。これはそういう櫛なのである。
そして「男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、」とここで十の回転の力「男」の柱が出てくる。
それに火をつけると左側の櫛だったから左「火垂り」に回転して戸が開いてその中に入って見たのだ。
それでこの世と黄泉の世界をつないだ部分の宇宙構造がそのあとに宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)と注意深い文字使いで記されている。
これを「蛆集(たか)れ」と読んでマイケル・ジャクソンのゾンビたちの踊りのような話しということになってしまった。「宇」はもちろん宇宙の宇で千にウカンムリ、「士」は前に述べたように千が逆になった形。則ち「千」の回転が多く加わり豊かで「呂呂」は宇宙ピラミッドの底辺同士が重なった図なのである。
イザナギは黄金太陽を内部からみている。それでわざわざ(此十字以音)としてあるのだ。
封印解きはまだ終わらないが一回のブログの量にしてはこれでも多すぎるので今回はこの程度に止(とど)めたい。fumio


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見破られた方が多いと思うが前回の「戸隠」神社にニギハヤヒがわたしたちを誘い用意していたギャグの形のヒントは「戸がクシ」であった。天岩戸がクシであることをこの一見なんでもなさそうで意味が深そうな名前で教えているのだ。駄洒落で解かなければ解けない仕掛けになっていた。
かれらはこの土地の名前「戸隠」に天岩戸を隠しておいたのであった。親子で隠して時が満ちるのを待っていたのだ。
櫛(クシ)がヒントであれば記憶の引き出しに残っている有名な神話がある。
それは古事記の伊邪那岐命と伊邪那美命の黄泉国の場面の「櫛の火」と呼ばれる印象的なエピソード。
以下に読み下し文を参考のために載せておく。
(引用部分は太字)

是(ここ)に其の妹(いも)伊邪那美命を相見むと欲(おも)ひて、黄泉国(よみのくに)に追ひ往きき。爾(ここ)に殿の縢戸(とざしど)より出で向かへし時、伊邪那岐命、語らひ詔(の)りたまひけらく、「愛(うつく)しき我(あ)が那邇妹(なにも)の命(みこと)、吾(われ)と汝(いまし)と作れる国、未だ作り竟(を)へず。故(かれ)、還るべし。」とのりたまひき。爾に伊邪那美命答へ白(まを)しけらく、「悔しきかも、速く来ずて。吾(あ)は黄泉戸喫為(よもつへぐいし)つ。然れども愛しき我が那勢(なせ)の命、入り来坐(きま)せる事恐(かしこ)し。故、還らむと欲ふを、且(しばら)く黄泉神(よもつがみ)と相論(あげつら)はむ。我をな視(み)たまひそ。」とまをしき。如此(かく)白して其の殿の内に還り入りし間、甚(いと)久しくて待ち難(かね)たまひき。故、左の御美豆良(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の男柱一箇(ひとつ)取り闕(か)きて、一つ火燭(びとも)して入り見たまひし時、宇士多加礼許呂呂岐弖(うじたかれころろきて)、頭(かしら)には大雷居り、胸には火(ほの)雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には拆(さき)雷居り、左の手には若(わか)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なり)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并(あは)せて八はしらの雷神(いかづちがみ)成り居りき。
是に伊邪那岐命、見畏(かしこ)みて逃げ還る時、其の妹伊邪那美命、「吾に辱見せつ。」と言ひて、即ち予母都志許売(よもつしこめ)を遣はして追はしめき。爾に伊邪那岐命、黒御かづら(を取りて投げ棄(う)つれば、乃ち蒲子(えびかづらのみ)生(な)りき。是をひろひ食(は)む間に、逃げ行くを、猶追ひしかば、亦其の右の御美豆良に刺せる湯津津間櫛を引き闕きて投げ棄つれば、乃ち笋(たかむな)生りき。是を抜き食む間に、逃げ行きき。且後(またのち)には、其の八はしらの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(そ)へて追はしめき。爾に御佩(はか)せる十拳劒(とつかのつるぎ)を抜きて、後手(しりへで)に布伎都都(ふきつつ)逃げ来るを、猶追ひて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到りし時、其の坂本に在る桃子(もものみ)三箇(みつ)を取りて、待ち撃てば、悉(ことごと)に迯(に)げ返りき。爾に伊邪那岐命、其の桃子に告(の)りたまひけらく、「汝、吾を助けしが如く、葦原中国(あしはらのなかつくに)に有らゆる宇都志伎(うつしき)青人草(あをひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて患(うれ)ひ愡(なや)む時、助くべし。」と告りて、名を賜ひて意富加牟豆美(おほかむづみ)命と号(い)ひき。
最後(いやはて)に其の妹伊邪那美命、身自(みずか)ら追ひ来りき。爾に千引(ちびき)の石(いは)を其の黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、其の石を中に置きて、各対(おのおのむかひ)立ちて、事戸を度(わた)す時、伊邪那美命言ひけらく、「愛しき我が那勢の命、如此為(せ)ば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ。」といひき。爾に伊邪那岐命詔りたまひけらく、「愛しき我が那邇妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ。」とのりたまひき。是を以ちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。故、其の伊邪那美命を号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神と謂ふ。亦云はく、其の追斯伎斯(おひしきし)を以ちて、道敷(みちしき)大神と号くといふ。亦其の黄泉の坂に塞(さや)りし石は、道反之(ちがへし)大神と号け、亦塞り坐す黄泉戸(よみど)大神謂ふ。故、其の謂はゆる黄泉津良坂は、今、出雲国の伊賦夜(いふや)坂と謂ふ。


以上、この場面でイザナギは湯津津間櫛(ゆつつまぐし)に火をつけて黄泉の国に入っている。
かれはここで千引(ちびき)の石(いは)で黄泉比良坂を引き塞いでしまったのであった。
これがわたしたちが解くべき最後の封印なのかも。
次回、明後日には湯津津間櫛の意味を解き千引(ちびき)の石(いは)を取り除く努力をしよう。

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戸隠  


 手力男が無理矢理開いた天岩戸はどこにいったのだろうか。
長野に戸隠神社という神社がありそこに天手力男命が祀られている。

神社名鑑から以下に抜き書きすると
***************
戸隠神社(とがくしじんじゃ)旧国弊小社
祭神(奥社)天手力男命 九頭竜大神
(中社)天思兼命
(宝光社)天表春命
神紋 鎌まんじ
由緒沿革
戸隠神社奥社は創立年代最も古く孝元天皇五年の古記録あり。
昔天手力男命曰く、
「吾天にありし時抛落せる天岩戸今科野国に留り山と成れリ。
彼の山は則吾霊魂の残れる地なり。彼所に行きて住まん」
と筑前紀伊を経て当山に遷座し給う。
********************

 科野国というのは今は信濃と改められ信州長野を指す。
天手力男は天岩戸を長野に投げ落としたというのだ。
それがこの戸隠高原ということになる。この地に天岩戸が隠されているらしい。
奥社にともに祀られている九頭竜大神がこの地の元々の地主神であるという。
 わたしとアメリカで知り合った宮下富実夫は日本で仕事を始めるにあたってこの地主神に挨拶してその少し下の飯綱に居を構えスタジオを造りヒーリングミュージックを創始することになった。わたしがかれの飯綱のスタジオを訪ねたときは五月というのに高地なので寒くてヤッケを着てかれの焼いてくれるバーベキューを食べたものだった。戸隠神社には「ゆっくり走って無事カエル」という交通安全のお守りも頒布されていて二見カエルとの共通性を感じさせる。
それにしても天手力男命が 九頭竜大神とともに奥宮に祀られているというのは 意味深長である。
九頭竜大神とはその名前からしてニギハヤヒとしか考えられない。
かれと特別に親しいか係累でなければともに同じ社に入っていづらいだろう。
二見浦ではかれニギハヤヒの長男サルタヒコはヒラベ貝に「手」を挟まれて海に沈んでしまった。
そして興玉(おきたま)石になったという。どうして興玉石という名前がついたのか。
二見興玉神社はサルタヒコがアマテラスである父ニギハヤヒとともに祀られている社なのだ。アマテラスのAMATとサルタヒコのHIKOを仲良くつなぐと天ではAMATHIKOとなってこれを地上で読むために逆に直すとOKIHTAMAで興玉となったのである。つまり興玉神石とはサルタヒコひとりの変身した姿ではなくニギハヤヒとの親子二柱の魂が依り憑いているのである。ニギハヤヒを祀る和歌山の「玉置神社」ではOKIには「置」を使っているがここでは「興」という文字を使用している。「興」は大修館新漢和辞典によると同と舁(二人が両手で物を抱え合う意)の合わせ字で力を合わせて物をかかえおこすことと記されている。すなわち二見興玉神社ではとにかく親子が力を合わせてことに当たっていらっしゃるということを示しているのである。
 サルタヒコは申田彦とも書ける。申も田も十の回転力を示す文字である。タヂカラオは田力男とも書ける。
そして戸隠神社の神紋 「鎌まんじ」はその図形化なのだ。土地は違ってもかれらはともにカエルをマスコットとしているらしい。そしてともにそれぞれがニギハヤヒと仲良くいっしょに祀られている。こうしてみてゆくとタヂカラオはサルタヒコと同神異名の可能性が濃い。神名は時と場合によってハンドルネームのように変わる。
スサノオ、ニギハヤヒ、トヨナミヒメ、のようにサルタヒコも多くの名前で活躍したのだろう。
fumio


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手力  


 天岩戸開きの場面で、
布刀玉命(フトダマノミコト)が鏡を差し出しアマテラスに見せ、天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)がその御手を取り引き出したという。
ジュリエットがバルコニーで『ロミオよロミオ、あなたはどうしてロミオなの?』と問う名セリフのように
『タヂカラよタヂカラあなたはどうしてタヂカラなの?』とたずねてみたい。
かれの名前「手力男」のタヂカラだけならば田力で「男」一字ですむ。
それを手力とするのは手が「チから」きているから。
岩戸を開くとき、かれは「千」を使い回転した。それは「チ」になり上下逆に重なったとき「手」となった。
手は偏になれば「才」となる。「男」という文字は十が回転して力を発することの図。別に性別を知らせているわけではない。
「手力男」という名は「手」という文字でこの宇宙の仕組みを示し岩戸を開くことを示している。
「手」とはピラミッドが上下逆に重なっている図そのものなのである。
上の文字は「手」を逆さまにしてあるのだがよく見ると上下の三角とその間に重なった四角い底辺が見える。
これがいわゆる黄金太陽の形状なのである。
黄金太陽についてはわたしのサイトの「「ピラミッド黄金太陽シリーズ」を参照していただきたい。
岩戸が開くということはこの四角い底辺の部分の境界が通じるということなのである。
イザナミが閉じてしまったこの境界が開いたとき新たな時代が始まる。
fumio


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 日々の出来事について述べるはずのブログにニギハヤヒが唐突に封印解きシリーズをこんな形で始めさせたのはもう時が満ちたのだろう。これまでだれも謎とも思わないで解こうともしなかった封印なので衆人環視の中で結末のない探偵小説をライヴで書いて見せているようなものである。はたして見事解決して大団円を迎えられるのだろうか。
 二見興玉神社の蛙はただのカエルと思っていたが谷潜(たにくぐ)というヒキガエルだったとは意外だった。
「旭」という文字や九月九日を重陽ということでわかるように九という文字は日を指し「九九」(くぐ)という読みももちろん日の神であるかれを暗示している。注連縄に尻籠め縄を使うのは「尻」の文字中の「九」を籠めてしまう意味なのだ。注連縄は飾りではなく決してそこから出入りすることができないようにするために結ばれる結界なのである。
谷潜(たにくぐ)という見慣れないことばにニギハヤヒは得意のギャグを忍ばせていた。
「潜」の文字で夫婦岩の仕組みそのものを目に見えるように教えているのである。それはもちろん水の中に日が沈みその上に動かせないように夫夫の岩が乗っかっている図なのである。いつもそうだがギャグというにはかなり考え込まれていて感心する。だれもが見過ごしそうなところに仕掛けてあるので気を付けないといけない。
 では先を進もう。封印の鍵「チ」が「千」の転形であるのは「千」をぐるぐる廻せということなのだろう。岩戸の鍵穴に差し込んで回転すると「千」が「チ」になり逆になって「士」にもなる。
まだまだ回し続けると目がおかしくなってなんと二重になって「手」のようにも見えてくる。
サルタヒコは比羅部貝に手を挟まれて沈んで興玉神石になった。ということは興玉神石は比羅部貝と手のことである。そしてニギハヤヒが二見浦内に用意していた「答志島」の平手崎はその比羅と手をつないだ名称であるとわかる。「平」という文字は以前にも述べたように「一八十」の組み合わせ文字で岩戸(イハト」を示している。「平手」とは岩戸「手」という暗号になっているのである。岩手県という県名や天岩戸を手力男尊が開けたという故事にもその秘密が隠されていた。次回は具体的に岩戸を「手」で開いてみよう。
fumio

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