monologue
夜明けに向けて
 




95/01/28 封じられた門が開き、祖土(オヤツチ)は子供達に印を与える‥起きよ

わたしの場合を例に揚げて肉体的な印についていえば
一昨年『ヨブ記』についてホームページに連載しているころから背中に皮膚炎が発生した。それで皮膚の痒みでのたうちまわるヨブの苦しみがある程度実感できた。別に実地で教えて貰いたくはなかったのだがサービスが良すぎる。
近くの病院の皮膚科に通ってもなかなか好転しないので少し遠くの設備の整った病院へ行くことにした。しばらく通っている内に 今度は皮膚が鱗のようになってきて妻が「これは昔だったら蛇のたたりとかいわれるような症状よ」といいだした。
それで昨年五月に病院でその患部を採取して検査することになった。
局部麻酔して簡単に縫って検査に二週間かかった。
6月に検査結果を聞きに行くと「土肥氏鱗状毛孔角化症」という珍しい症例だという。
ネットで調べるとそれは土肥氏鱗状毛のう角皮症,という名前だった。
それでミノベンというテトラサイクリン系の抗生剤を三週間飲んで治療したのだった。
八犬士の牡丹のあざにしてもいったいオヤツチはどのようにしてそんな印を与えるのだろう。DNAを光によって変化させるのだろうか。その不思議さに頭をひねるばかり。
fumio

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95/01/28 封じられた門が開き、祖土(オヤツチ)は子供達に印を与える‥起きよ

以前採り上げた「里見八犬伝」では子供達に与えられる印は犬で始まる名、牡丹のあざ、「仁義礼智信」などの文字の浮きでる玉を持つことであった。
しかしそれは物語の中の虚構世界であった。
そして現代、現実を生きるわたしたちにもふさわしい印が与えられるのだろうか。
もうすでに与えられた人はその印に気づいているのだろうか。
fumio


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95/01/28 封じられた門が開き、祖土(オヤツチ)は子供達に印を与える‥起きよ


「開かずの扉」であった「封じられた門」はついに開き「平(磐門)き」、
祖土(オヤツチ)は子供達に印を与えるという。
それはどんな印なのだろうか…。
fumio



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95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥

これまで「開かずの扉」を「あかずの扉」と読んできたのだが「ひらかずの扉」と読めばどうか。
それは「平かずの扉」を暗示しているのか。「平」はいつもいうように「一八十イハト」である。それなら岩戸の扉ということになる。ヒラクには卍を左に回転せねばならない。
百鬼夜行の列は「卍」をヒの回転させて進んでゆく。
やがては磐門も開き彼岸と此岸はつながるのだ。
fumio



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万字  


95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥
「萬灯を掲げて」というフレーズは93年のメッセージにもあった。
それは
 93/12/29 万燈を掲げてゆけよ、そは出ずる国のため…そは流るる炎のため
というものであった。
文字使いが微妙に違っている。万は「卍」。「燈」は登る火。「掲」は「日」と「ヒ」を手にさしあげていること。
「出ずる国」で暗示されるのは出雲族を中心とする新たな国、「流るる炎」は龍の回転エネルギーの炎。
百鬼夜行の列は「卍」を回転させて進んでゆく。
fumio



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95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥


さすがは最後の開かずの扉らしく何日考えてもなにも見えてこない。
盆の間ずっと考え続けてもわからなかった。いったいどこから手を着ければいいのか。このまま永遠に開かずの扉のままで終わってしまうのだろうか…。

扉は「ヒ」と読む。「3つ」はなぜ「三つ」と書かれていないのか。アラビア数字に意味があるのか。ヒで「みっつ」というのは秘密(ヒミッツ」という駄洒落なのか。
いつものニギハヤヒ得意の駄洒落攻撃を避けながら進まねば…。

「トビラ」をアナグラムして最もふさわしいと思われる単語は「人等」。
もしかして人類をさしているのだろうか。さまざまに思考は回転しつづける。
fumio

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95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥


わたしたちは残る開かずの扉を以前「十種神宝」と「サナート・クマラ」と特定した。
するとあとひとつの扉が開かずのままに残っていることになる。
それが最後の開かずの扉なのだろうか。その扉に隠されているものはなになのか、開く鍵は何処に…。
fumio

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94/06/18 百鬼夜行は滞ることなく進む、波立たせざわめかせ…あるべき所へ

イザナミはイザナギとともに世界の基礎を造ったが
イザナギがナキで「氣」の米の中心の粒子を表すのに対して
かの女はナミで波動を表す。つまりすべては粒子と波動によって創造されたのだ。

「波立たせざわめかせ」はイザナミを立たせ、三輪めかせということで
三輪とは天地人の三つの輪。天地人の和があるべき所へ進む。
fumio




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94/09/20 さて、準備は宜しいかな? 生命(イノチ)の松明に火が点る時が近い

これはわたしたちの新時代構築への準備を確認する預言。
そしてなぜかまったく同じ語り口のメッセージが一ヶ月後の20日に発されている。

94/10/20 さて準備は宜しいかな? 百鬼夜行は表と裏があり双方共に進む
ここでは百鬼夜行という不気味なことばが使用されている。
「百鬼夜行」に関する他の預言を探すと


94/11/03 少しずつ微動しながら龍王は移動する…百鬼夜行は裏表で滞りなく

94/06/18 百鬼夜行は滞ることなく進む、波立たせざわめかせ…あるべき所へ

95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥


となっている。この裏表というのは鏡の裏表でこの世と彼岸を指している。
この世では血のモノリスが発現して理想の実現を目指す者、彼岸では神霊、どちらも滞ることなく進み、
「波立たせ」で示唆されているようにイザナミの擁立、そして経綸の通りに新時代は拓かれようとしているのである。
fumio

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真珠  



94/10/26 龍王は火炎を上げ、深海で真珠を抱く人魚は眠りから覚める…

「深海で真珠を抱く人魚」の特定はこのブログの読者にはさほど困難ではない。深海はもちろん神界を示唆し「真珠」は「人魚の涙 」とも呼ばれる。

わたしたちは以前すでに「人魚の涙 」というハンドルネームがイザナミであることを読み解いたことをご記憶だろう。
龍王は火炎を上げ、水を司るイザナミが眠りから覚めるという。
火と水の準備が整ったようだ。いよいよ「たたら」の祭祀が…。
fumio



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94/10/27 入り江の外には蛍火…在りとし在る者達よ、静かに心に炎を燃やせ

「蛍火」で示唆されるのが虫(竜)の火、であるなら火炎龍が入り江の外にいるということになる。火炎龍といえばもちろん天使長、ルシファーである。
かれは入り江の外でなにをしているのだろうか。
火炎龍に関する預言を調べると

94/07/14 火炎龍は麒麟の途均(ミチナラ)しを、鏡面の途切れる時まで続ける
94/10/26 龍王は火炎を上げ、深海で真珠を抱く人魚は眠りから覚める…


火炎龍は麒麟の途均(ミチナラ)しをしているらしい。
「鏡面」とは彼岸と此岸の境、麒麟とはニギハヤヒで現在はその意志を継いで新時代を築く継承者たちだろう。

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94/10/27 入り江の外には蛍火…在りとし在る者達よ、静かに心に炎を燃やせ


この「在りとし在る者達」とはだれのことだろうか。
やはり新たな時代を拓く勇者達なのだろう。
「蛍火」で示唆されるのは虫(竜)の火、
「静」は月の主が争うこと。
心に炎を燃やさねば…。
fumio

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三橋  


94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて

 このメッセージを考察し続けて何日経つのだろう。けっしてあきらめずつづけていると最後にわかることがある。いつもそんなことの繰り返し。
見方を変えて数字にできる文字を変換して数式にしてみよう。
すると「四三帰る力。三と一、一と三、八三間に雷電と六四の六乗せて」となる。
「四三返る力」とは三四すなわち御代に帰る力。
八三間は闇間でもある。八は出雲で三は日向、その間。
最後の「六四の六乗せて」が最も伝えたかったことらしい。
六四の六乗は三八四である。これがこの数式の答え。
これは三橋と読むのかそれとも三輪氏か。


94/06/22 さて、円環から炎環に至る橋を渡る者はどのくらい居るのだろう…


この三橋が「円環から炎環に至る橋」でありこの橋を渡る者とは三輪の流れを汲む者であるようだ。かれらが出雲と日向の間をとりもって蘇る。

fumio


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