monologue
夜明けに向けて
 

奈良  


そして1989年のある日、毎日新聞に「わたぼうし音楽祭」という障がい者の音楽コンテストが奈良で開催されるという記事が掲載された。それでわたしはその頃、MIYUKIがリードヴォーカルをとるシリーズとして作っていた曲を数曲選んでカセットに入れて応募してみた。すると、次の時代の合言葉となるダイバーシティ(多様性)をテーマにした作品「わかりあえる日まで」が一次審査を通過して本番のコンテストで演奏される候補作品10曲のうちの一曲に選ばれたのだった。
奈良で開催された「第15回わたぼうし音楽祭」で「わかりあえる日まで」は優勝して作詞賞作曲賞を受けたのだった。
fumio

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それでわたしは退院後、ヤマハのミュージックコンピューターにシンセサイザー音源やドラムマシンなど使用して歌作りを始めた。そしてできあがったのが軽々しく愛を口にしないで だった。その歌の見本とキーをMIYUKIに合わせたカラオケのカセットを作ってMIYUKIに送った。それでMIYUKIは次の週のイベントの仕事に初めてオリジナルの歌を歌ったのだ。ずいぶん受けたと喜んでいた。それがアルバム「水面に書いた物語」の始まりだった。
fumio

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アルバム「水面に書いた物語」よりしあわせになれる
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*<しあわせになれる>fumio yamashita

1.  look, あの日の空 look 見あげていた
    ふたつの夢を結ぶ 虹がうすれたの

    say ただひとこと say 口にできず
    ふたりの小指つなぐ 糸がほつれたの

    若さとひきかえに 見つけたしあわせを
    護りもできずになぜになぜになぜに
    生きてゆけるの ohhh

2.  try ぼくとの日々 try 忘れ去れば
     いつかはきみもきっと しあわせになれる
     しあわせになれる

     いのちを削っても 誓ったこの愛に
     さよなら告げる日 なぜになぜになぜに
     やってきたのかunnn

     shine 涙の粒 shine 風に散れば
     いつかは きみもきっと しあわせになれる

     しあわせになれる しあわせになれる
 
fumio

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aurora  


水面に書いた物語」シリーズより
オーロラの町からダンスアニメ
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   <極光(オーロラ)の町から>
                 詞、曲、山下富美雄

1. 恋に疲れて 果てしない旅
   たどりつくのは オーロラの町よ
   
   冬枯れの駅 夕映えの海
   ちぎれ飛ぶ雲 肌を刺す風よ
   
   忘れられない くちづけの日々
   あの人の胸 明日こそ帰る

   アア アア アアー
   オーロラの瞳
   
2. 波の飛沫(しぶき)に 濡れ飛ぶカモメ
   薔薇の花束 届けておくれ
  
   オーロラの下 身じろぎもせず
   故郷(ふるさと)の人 思い出す夜よ

   アア アア アアー
   オーロラの瞳
   オーロラの瞳
   オーロラの瞳   mmmn mmmmn  
**************************
fumio

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re  


「水面に書いた物語」シリーズよりのあやかしの町のダンスアニメが好きでない人にはあやかしの町(ロサンジェルス)の夕暮れの空というコンセプトで…。
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<あやかしのまち>(City of illusion)words,music and animatiion fumio yamashita

1.SAYONARA baby love やさしさ どこへ
  さまよいつづける 幻戯(あやかし)の都会(まち)

  地下鉄(サブウェイ)乗り継ぎ 約束時間に丁度 ピッタシ 
  congraturation
  早口言葉で唱えるマジナイ 脈が高鳴る 
  sweet inspirationation
  時計仕掛けの爆弾みたいに愛し愛され celebration
  恋に恋して 夢を夢見て 生きているだけさ
  hey you まっすぐねらってshoot me
  銃爪(ひきがね)ひく指ふるえてる
  no,no,そんなにあせらずtake meどうせ都会は眠らない
  SAYONARA baby love 愛しさ どこへ
  (I don’t know)
  さすらいつづける 幻戯(あやかし)の都会(まち)

2.パソコン画面に浮かび上がった思いがけないinformation
  詠み人知らずの 妖しい誘いに 心ほどけるimagination
  ガラス細工の虹のかけらを夜にちりばめ facination
  風の吹くまま 時のゆくまま 生きているだけさ
 hey you 素朴な態度でkill meお国訛りがトレンデイ
 no,no,手管を使わずtake meどうせひとりじゃ過ごせない
 SAYONARA baby love やすらぎ どこへ
 (I don’t know)
  漂いつづける(I don’t know) 幻戯(あやかし)の都会(まち)

  ooh-la-la-la-la,ooh-la-la-la-la,
  ooh-la-la-la

how many nights have we spent?
(I don’t know)
how many times have we kissed?
(I don’t know)
how many fights have we had?
(I don’t know)
how could you say “good bye”?
how could I say “good bye”?
how could we say “good bye”?
fumio


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aya  


「水面に書いた物語」シリーズよりダンスアニメあやかしの町
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<あやかしのまち>(City of illusion) words,music and animation fumioyamashita

1.SAYONARA baby love やさしさ どこへ
  さまよいつづける 幻戯(あやかし)の都会(まち)

  地下鉄(サブウェイ)乗り継ぎ 約束時間に丁度 ピッタシ 
  congraturation
  早口言葉で唱えるマジナイ 脈が高鳴る 
  sweet inspirationation
  時計仕掛けの爆弾みたいに愛し愛され celebration
  恋に恋して 夢を夢見て 生きているだけさ
  hey you まっすぐねらってshoot me
  銃爪(ひきがね)ひく指ふるえてる
  no,no,そんなにあせらずtake meどうせ都会は眠らない
  SAYONARA baby love 愛しさ どこへ
  (I don’t know)
  さすらいつづける 幻戯(あやかし)の都会(まち)

2.パソコン画面に浮かび上がった思いがけないinformation
  詠み人知らずの 妖しい誘いに 心ほどけるimagination
  ガラス細工の虹のかけらを夜にちりばめ facination
  風の吹くまま 時のゆくまま 生きているだけさ
 hey you 素朴な態度でkill meお国訛りがトレンデイ
 no,no,手管を使わずtake meどうせひとりじゃ過ごせない
 SAYONARA baby love やすらぎ どこへ
 (I don’t know)
  漂いつづける(I don’t know) 幻戯(あやかし)の都会(まち)

  ooh-la-la-la-la,ooh-la-la-la-la,
  ooh-la-la-la

how many nights have we spent?
(I don’t know)
how many times have we kissed?
(I don’t know)
how many fights have we had?
(I don’t know)
how could you say “good bye”?
how could I say “good bye”?
how could we say “good bye”?

fumio

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mid  


「水面に書いた物語」プロジェクトの一曲目として作ったけれど依頼してきたシンガー本人に歌いたくないと拒否されて仕方なく自分で歌ったバージョンミッドナイトブルーをネットにアップしたのだったが
結局、それが世界の英語圏やラテン語圏で支持されてわたしのサイトでの最多アクセス曲となっている。
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<in the midnight blue>
                     詞、曲、山下富美雄

1. Jenny,my love
   おちこんだとき 錆び付く命を 癒してくれた
   Jenny,my love
   この手のひらに つかめる幸せ 与えにやってきた
   
   やすらぐささやき いたわる指先 ときめくまなざし

   あなたのすべてに溺れていたのに
   
   Baby,you’re in the midnight blue
   my heart is stuck on the sticky glue

  Don’t know why don’t how
  don’t know where ou’ve gone

  You’ve been just steppin’ away
  vanishin’away (so long)]
  fadin’away(what’s wrong)
  slippn’away


2. Jenny,my love
   かじかんだ夢 せつない吐息で暖めてみた
   Jenny,my love
   いさかいのあと 素直になれないわたしに気がついた

  凍えるほほえみ 隠せぬいらだち けだるいあきらめ
  別れのことばを畏れていたのに

 Baby,you’re in the midnight blue
   my heart is stuck on the sticky glue

  Don’t know why don’t how
  don’t know where ou’ve gone

  You’ve been just steppin’ away
  vanishin’away (so long)]
  fadin’away(what’s wrong)
  slippn’away

  Baby,もしも、さだめというものがあるとしたら
  わたしはきっとあなたにめぐりあうためにうまれてきたの。
でも、こんな日がくるのなら、出会わなければよかった。
  dame dame un besso

   凍えるほほえみ 隠せぬいらだち けだるいあきらめ
  別れのことばを畏れていたのに
 Baby,you’re in the midnight blue
   my heart is stuck on the sticky glue

  Don’t know why don’t how
  don’t know where ou’ve gone

  You’ve been just steppin’ away
  vanishin’away (so long)]
  fadin’away(what’s wrong)
  slippn’away  
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fumio



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水面に書いた物語
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 <水面に書いた物語>
      (Story on the water)

    決して決して 巡りあっては いけない人に
    なぜになぜに 巡りあって 痛みをわかちあう


 1.今 流れに写すこの恋は ah ネオンの色の蜃気楼
   今  わずかな波にざわめいて ah 水面に書いた物語

   決して決して 見つめあっては いけない人と
    なぜになぜに 見つめあって 思いをつのらせる

   たとえたとえ 空が落ちても 思い切ることできない
   たとえたとえ 山が裂けても
   耐えて耐えて 燃えて燃えて 溶けて融けて ほどきほどかれ
 
   できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば何も知らない 少女にもどらせて
   

2. 今 夜明けの夢のアヤウサは ah ふたりで覗く万華鏡
   今 かすかにゆれて消え残る ah 水面に描くルノワール
   
   決して決して 愛しあっては いけない人と
   なぜになぜに 愛しあって 哀しみ深めあう

   もしももしも 海が割れても 忘れ去ることできない
   もしももしも 胸が裂けても 
   求め尽くし 与え尽くし 祈り尽くし 奪い奪われ

   できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば 何も知らない瞳にもどらせて

    決して決して 巡りあっては いけない人に
    なぜになぜに 巡りあって 悩みをわかちあう

    できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば 何も知らないあの日にもどらせて
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このダンスアニメの主人公のジェンダーは男女の性を超えている。
LGBTの時代の虹に乘るジェンダーフリー・レインボーライダー。
fumio

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mizumo  



 「水面」と書いてあなたはなんと読むだろう。
「スイメン」が普通だが歌の中では「ミナモ」が多い。
たまに「ミズモ」も聞くことがあるが「ミナモ」のほうがかっこよく聞こえる。
詩的に感じるからだろうか。
 まだテレビのできていない頃、わたしは京都市下京区に住んでいた。
友達のお母さんが窓口にいたので近くの映画館に入り浸(びた)っていた。
そこで鞍馬天狗などの映画をただで見ていたのだ。
その映画館の名前が「八雲座」だった。
その意味が出雲の国で島根県を示していたことを知ったのはずいぶん後年のことである。

 「記紀」によるとスサノオの粗暴なふるまいに腹を立てた天照大神が天の岩屋に隠れてしまってため、
スサノオは高天原を追放されて葦原中国の出雲へ降りた。

 そこで八岐大蛇を退治し、クシナダヒメを妻として、出雲の須賀(すが)の地で
「日本初の和歌とされる「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と詠んだ。
それで「八雲」は出雲を象徴する言葉となっている。
ではなぜかれは島根県を「八雲」と名付けなかったのだろうか。
べつに「出雲」と言い換えなくとも良かったのではないか。
しかし、かれには出雲と呼びたいわけがあったのだ。
それはイズモの音霊(おとだま)IZUMOが「ミズモ」MIZUMOと通じるから。
かれは元々「海原を治めよ」と命じられていたのだった。
かれは自分の治めるべき地を水面(ミズモ)と定め、その音霊に従って「出雲」と名付けた。「出雲」とは「水面」のことであった。
「水面」を「ミナモ」と発すればスサノオの意図したIZUMOの音霊が失われてしまう。
スサノオは天界から水面に降りてきたのであった。
そして、そこにかれの物語を書いたのである。
それがわれらが国、日本の物語の始まりとなった。
  
        <水面に書いた物語>
      (Story on the water)

    決して決して 巡りあっては いけない人に
    なぜになぜに 巡りあって 痛みをわかちあう


 1.今 流れに写すこの恋は ah ネオンの色の蜃気楼
   今  わずかな波にざわめいて ah 水面に書いた物語

   決して決して 見つめあっては いけない人と
    なぜになぜに 見つめあって 思いをつのらせる

   たとえたとえ 空が落ちても 思い切ることできない
   たとえたとえ 山が裂けても
   耐えて耐えて 燃えて燃えて 溶けて融けて ほどきほどかれ
 
   できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば何も知らない 少女にもどらせて
   

2. 今 夜明けの夢のアヤウサは ah ふたりで覗く万華鏡
   今 かすかにゆれて消え残る ah 水面に描くルノワール
   
   決して決して 愛しあっては いけない人と
   なぜになぜに 愛しあって 哀しみ深めあう

   もしももしも 海が割れても 忘れ去ることできない
   もしももしも 胸が裂けても 
   求め尽くし 与え尽くし 祈り尽くし 奪い奪われ

   できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば 何も知らない瞳にもどらせて

    決して決して 巡りあっては いけない人に
    なぜになぜに 巡りあって 悩みをわかちあう

    できるならば 巡りあわない頃に帰して
   できるならば 何も知らないあの日にもどらせて

水面に書いた物語を聴く
fumio
  


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水面に書いた物語シリーズの一曲

ステイ・ウイズ・ミー


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       <Staywith me>詞 曲 山下富美雄


1.  Why?星のまたたきも 波のきらめきも
    あなたの瞳に にじんで fade away
    冗談まじりに 愛は 溜息まじりに 愛は
    はかないものねと 風がつぶやく
    
    なんでもないよに ドアにもたれてほほえみ
    不意に 顔をおおって “Stay with me!”

    
2.  Why?霧の街角に ひとりのこされて
    見送る背中に 最後のgood bye
    
    一日過ぎれば 愛は 一日分だけ 愛は
    さめてゆくよと 風がささやく

    なんでもないよに 窓に 息を吐きかけ
    そっと 指で書いてる“Stay with me!”

     ***************
   
     一月過ぎれば 愛は 一月分だけ 愛は
     涸れててゆくよと 風がささやく 
     
     なんでもないよに 襟を  立てて振り向き 
     道にとび出し叫んだ“Stay with me!” 
    “Stay with me!”“Stay with me!” 

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fumio   

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1991年8月21日(水)シンガポールKallang theatre(カラン・シアター)での音楽祭のあと、日本に帰国するとその模様が9月14日午後9時、
『ひびけ いのちの歌声 第1回アジアわたぼうし音楽祭』と題してNHKTVで放映された。そして東京、府中、八王子、日比谷、奈良、飛騨などあちこちのコンサートやゲストに招ばれて忙しかった。普通のストーリーならそれでめでたしめでたしのエンドマークが出て終わるのだろうがひとしきり引っ張りだこの波が去って治まった頃、思いもよらぬ意外な展開が用意されていたのである。
fumio

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アジア太平洋の広大なエリアには実に多くの音楽が繁栄している。中国といっても大陸、本土、台湾、上海、香港、等々それぞれの代表曲の醸す雰囲気肌合いがそれぞれ違って千差万別の趣を感じた。すべての出場国のパフォーマンスが終わってしばらくのパーテイのあと祭りの後の寂しさを感じる余裕もなくぐっすり眠りについた。

翌日、各国の人々が打ち解けるようにバスに乗っての市内巡りがあった。みんなギターなどの楽器を提げているので名所から名所へ巡る間バスの中は演奏会のようだった。音楽祭での
出場曲も世界的有名ヒット曲も次から次に演奏していた。わたしたち一行が香港チームと一緒のバスになった時だれかがビートルズのミッシェルのイントロをギターで弾き出した。それに他のメンバーが合わせ次々に音が重なってゆく。こんなところで耳にするといいな、いつもみんなで練習しているのだろうな、なかなかうまいなと心の中で思っているとだれか歌えという。演奏はかっこいいのだけど歌は歌えないらしかった。途中フランス語があるのでむづかしいのかも。それでギタリストがだれもが弾きたがる有名なイントロのクリシェのあと、わたしは思いを込めて歌い出した。演奏している人たちは日本人が英語とフランス語の混じった歌を歌うと思っていなかったようで意外そうだった。それでもわたしにはビートルズは基本なのでまともに歌い切った。それでわたしが英語の歌を歌えると知るとかれらは他の曲もセッションしようとするのでわたしはみんなが知っていて弾けそうなそうな有名曲「グリーングリーングラスオブホーム」をリクエストした。かれらのギターのバック伴奏や間奏とともに色々歌った。楽しいセッションだった。次の名所でバスを乗り換える時同じ停車場でバスを降りたマレーシアチームがわたしを見つけて寄ってきてみんなで日本代表曲「わかり合える日まで」のメロデイをコーラスで歌ってくれた。わたしはビックリした。どうして歌えるのだろうと不思議に思った。とにかくマレーシアは対日感情がいいということだけはわかった。どこの人々もみんなフレンドリーで楽しかった。しかしながら唯一韓国代表だけはわたしたちを避けているようだった。日本統治時代の記憶が完全に癒えるにはしばらくかかりそうだった。「時」という名前の薬や様々なアクテイビテイで意識が変化してゆく。国によって違う対日感情をアジア太平洋の現場で実際に肌で感じて学ぶことができたのだった。この旅でそんないい経験をさせてもらったのである。
fumio

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そして楽屋にやってきた手話通訳の背が高くて浅黒い肌の青年としばらく歌詞の打ち合わせをしてからいよいよ本番に臨んだ。そのうちに順番がきてステージ上でインタヴューされた時、この歌をアジアの人々に向けてばかりではなく宇宙全体(whole universe)に捧げます、と応えた。いつもパフォーマンスする時は天と地とそして宇宙の仲間を意識している。かれらは常にわれわれの動向をどこにいても注視して見守っているから。
fumio

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そして音楽祭会場であるカランシアターでリハーサルが行われた時用意してきた英語版代表曲を歌うと観客席にいたNHKのプロデューサーやデイレクターたちが難色を示しなにやら揉めているようだった。NHKは日本放送協会なので日本の視聴者を常に意識して番組作りするので英語では日本の視聴者に合わないと思ったのだろうがわたしたちは日本という狭いエリアを相手にするNHKの番組を制作するためにシンガポールにまできたのではなく「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」に出場するためにやってきたのだ。そこに集う広大なアジア太平洋地域の聴衆に向けてメッセージを発するつもりなので日本国内にほぼ限定される日本語より世界で通じる言語として英語の歌詞を選んだのだった。NHKの番組制作陣は日本語版を歌ってみせてほしいという。歌うとまた意見が対立して思案しているようなので日英両語版もあるというと聴かせてほしいという。それで日英両語版も歌ってみせたのであった。
fumio


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1991年になると「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」番組制作のためにNHKの撮影チームがやってきてわたしたちの家庭生活を収録した。練習風景を録っていた音声さんがわたしのドイツノイマンU87コンデンサマイクロフォンを見てNHKにない、といって羨ましがっていた。「水面に書いた物語」プロジェクトのカセットテープ収録曲中、どの曲がベストなのかと訊かれてわからなくて迷ったあげく「ネヴァー・ギヴ・アップ」と一応答えておいた。
8月になってシンガポールに出発する日にも空港に顔なじみになったデイレクターなどスタッフがやってきて撮影していた。シンガポールではどんなことに対しても「ノープロブレム(問題ない)」と応えるのでミスター・ノープロブレムと呼ばれている現地の音楽祭のマネージャーが仕切っていてまずある程度この国についての知識を持ってもらおうという方針のようで車で手分けして市内観光の案内をしていた。それであまり知識のなかったシンガポールという国のマーライオン以外の名所も一応見て知ることができたのだった。
fumio


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