monologue
夜明けに向けて
 





黄泉月の日、緑の瞳を持つ女が言った「さぁ、私を逃がして…」
 このメッセージに関わりがあるホルス神話がある。
 オシリスの子ホルスは叔父セトと王位を争いその際ホルスはセトによって眼をえぐり取られてしまうが、この目は持ち主の所に戻ることができずエジプト全土を旅した。
 やがて知恵の神トトによって、この目は持ち主へと戻され癒される。その旅を経て甦ったことからこの目は「ウジャト (Udjat)『完全な、あるいは修復されたもの』」眼と呼ばれ再生のシンボルの護符として霊入来(ミイラ)に装着され箱形棺の外面につけられたりした。このホルスの眼は二つそろうと「日と月」を意味する。

 それではメッセージにとりかかると「黄泉月の日」の「月の日」ですでにホルスの眼二つ「日と月」を暗示している。並び方が逆の「月の日」となっているのは、まず「月」と左右入れ替えマーク「の」と日で、月が日の右側に入れ替えられて「明」になって「黄泉が明ける日」ということ。
「緑」はこのブログでは衆知のように糸偏にヨ水で黄泉。
「瞳」は目に童で「ウジャト眼」で有名なイシスの童、ホルス。ホルスはその月のほうの目で黄泉を見ている。
「女」はお水(ミナ)でイシス(いざナミ)。
「さぁ」は三で「さ」に小さく添えられた「ぁ」も意味がある。それは「さ」だけだと「朝」を暗示できないから。黄泉が明ければ夜明けとなり朝なのだ。「私」は「渡九四」で九四の世界を渡って。
「逃がして」の「逃」は桃のようで桃でなく逃(まじろ)ぐと読むので「真白がして」で白まがいの桃(百)ではなく真の白にしてということ。
メッセージ全体では、黄泉が明ける日、黄泉の目の童(ホルス、フル)を持つ女(イシス、イザナミ)が言った。「さぁ、朝よ、黄金太陽の九から四の世界へ渡って三の世界で百ではなく本当の白となるのよ。」
百のフタが開けてついに白夜が明けるのである。そのとき片目のジャック状態のホルスの「日」のほうの目も開く。そしてそれが真の太陽として輝こうとしている…。
fumio

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