monologue
夜明けに向けて
 



以前、「知ってるつもり」というテレビ番組があって紀伊國屋文左衛門の墓碑が紹介されたことがある。そこには「一無信士」と銘が彫られていた。これは最高神 一○信士ということか。
 文左衛門は一般には寛文9年(1669年)に生まれ 享保19年4月24日(1734年5月26日))に没したとされるが生没年不詳で実在を疑う説がある。ドラマや小説でいつも目にしてなぜそんな声があるのか不思議になる。生誕の碑があり墓碑もあればそれは実在の証拠のようだがそうでもないのだろうか。
生誕地は紀伊国加田浦(和歌山県和歌山市)あるいは紀伊国熊野(和歌山県新宮市など諸説あって和歌山県有田郡湯浅町に、松下幸之助が文左衛門生誕の碑を建てている。2006年7月26日の読売新聞によると和歌山湯浅町別所の勝楽寺には位牌があって表に「帰性融相信士」、裏には「俗名紀伊国屋文左衛門・享保十九年寅年四月二十四日没」とあるという。俳号が『別所千山』で、子供たちも別所姓を名乗っているから、別所生誕説が有力というのだ。
家系は武藤氏の一族。若海三浦実誠著『墓所一覧遺稿』には、「紀伊国屋文左衛門、別所氏、俳名千山、享保三年正月二日没、年五十四、法号本覚院還誉到億西岸信士、葬深川霊巌寺中成等院」とあるという。これらを読み合わせるとなんだかあいまいな感じがする。
いったいかれの背景にはなにが隠されているのだろうか。
fumio
 

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日女  


さてアメノウズメは古事記では天宇受賣命、日本書紀では天鈿女命と表記するのだがそこからかの女の真の姿を明かしてみたい。古事記では万葉がなで天宇受賣命とあるが天と命を外すと宇受賣が残り「賣」は比賣(ひめ)、 毘売(びめ)、日売(ひめ)などにみられるように性別の女性を表すので純粋な名前の部分はウズだけということになる。書紀ではそれが「細」と記されていた。「細」をウズと読むのは糸に田であるから。何度もいうように田は卍と逆卍の重ね文字で十字の回転を示している。つまりかの女は渦巻きの神なのである。岩戸開きの場面でかの女は渦を巻き舞い踊り、 そして「タヂカラ」は「千」を回転する田の力で「手」の形の黄金太陽ピラミッドの四角い底辺の部分の境界を開いた。
そして天孫降臨の際、天宇受賣(アメノウズメ)は案内にきた国津神の猿田毘古(サルタヒコ)に会い、名前をもらって猿女となるのだがどういうわけかとってつけたように、
 「さて、その猿田毘古神が阿邪訶(あざか)にいる時、漁をして比良夫貝(ひらぶがひ)にその手を挟まれて、海水に沈み溺れた。」という不自然な猿田毘古のエピソードが続く。普通に読んではなんのことかわからないけれどこれが猿田毘古の出自を仄めかしている文章であった。
「比良夫貝(ひらぶがひ)にその手を挟まれて、海に沈んだ」の中に「平(ヒラ)」と「手」「海」を暗号として盛り込んである。海はアマで天、「平」は岩戸で「手」とくれば「タヂカラオ」。かれは天では「タヂカラオ」としてウズメとともに岩戸開きに働いたのであった。
地上に降りて国津神となって猿田毘古(サルタヒコ)とハンドルネームを変えても申田に彦で田に力とあまり変わらない。ウズメも細女が申女になっただけで文字霊はあまり変わらないように見える。オカメという仮面も日売(日女)の読み替えでしかない。申男が日男になり、ヒョットコというおどけた相手役を演じ日本のロミオとジュリエットは、芸能の始祖神、道租神としてわたしたちの行く手を見守っている。
fumio




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 もうひとりの主人公アメノウズメ(アマノウズメ)の名前は天孫降臨神話でふたたび目にすることになる。古事記では天宇受賣命、日本書紀では天鈿女命と表記する。その場面を少しみると以下のようであった。
****************。
天孫降臨の際、ニニギが天降りをしようとすると、天の八衢(やちまた)に、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。そこでアマテラスと高木神は天宇受賣(アメノウズメ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神は国津神の猿田毘古(サルタヒコ)で、天津神の御子が天降りすると聞いて先導をしようと迎えに来たというのであった。そして、天宇受売(アメノウズメ)命に、「この先導として仕えた猿田毘古大神は、適役として正体を明らかにしたおまえが送って差し上げなさい。またその神の御名をおまえが負って仕えて差し上げなさい」と仰せになった。このようなわけで、猿女君はその猿田毘古の男神の名を負って、女を猿女君と呼ぶことになった。
 さて、その猿田毘古神が阿邪訶(あざか)にいる時、漁をして比良夫貝(ひらぶがひ)にその手を挟まれて、海水に沈み溺れた。
 そこでその底に沈んでいた時の名を底度久御魂(ソコドクミタマ)と言う。
 その海水が粒立った時の名を都夫多都御魂(ツブタツミタマと言う。
 その泡が裂けた時の名を阿和佐久御魂(アワサクミタマ)と言う。
******************

猿女一族とは朝廷祭祀一族で猿女君とは宮廷祭祀において神楽を舞うことを担当した神祇官の役職名。
アメノウズメは猿女君・稗田氏の祖とされ、稗田氏の賣太神社では、
「賣太神社御由緒
社格 延喜式官幣社 旧県社
御祭神 主斎神 稗田阿礼命 ひえだのあれのみこと
副斎神 猿田彦命 さるたひこのみこと
副斎神 天鈿女命 あめのうずめのみこと
稗田阿礼命
 この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏一族の居住地であって天武天皇の舎人(とねり)稗田阿礼はこの一族として出仕したのである。
 天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で学芸諸術の才にも秀でていたのをお褒めになって御自ら御精撰になった歴代天皇の御事績と建国以来の歴史・神話・伝説・歌謠を直接お授けになった。
 この誦習った事柄を三十有余年後の元明天皇が太朝臣安萬侶に記録させられた書物が古事記である。之はわが国最古の文学書で古代人の生活・習慣・思想が書かれ祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。今日阿礼さまの宏大無辺のご霊徳を偲び学問の神・知恵の神として信仰が厚い。

猿田彦命
 天鈿女命の彦神であって土地・方位の神として全ての物事の初めすなわち新築・移転・旅立ち・結婚等に災難や悪魔を祓ってよい方に導き給うご霊験あらたかな神である。

天鈿女命
 猿女君稗田氏の太祖で「天岩戸隠れの神事」にたらいを伏せて舞を舞われた女神でオタフク又はオカメの愛稱あり福の神、芸能の始祖神として親しみ信仰されている。」

と境内案内に記され芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ、と称する。長野県北細野の鈿女神社は地元で「おかめ様」と呼ばれている。いずれにしても「おかめ」「おたふく」などの愛嬌滑稽路線の女神のよう。ロミオの相手のジュリエットのような美少女タイプではないようだ。
fumio






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手力  


さて、平成という年号ももう19年を数える。「平」という文字は以前にも述べたように「一八十」の組み合わせ文字で岩戸(イハト」を示している。岩戸はもう成る頃。
この天岩戸開きの主役と準主役にスポットを当ててみたい。そのヒロイン、ヒーローの名前は「アメノウズメ」と「タヂカラオ」、いわばロミオとジュリエットというところか。巧妙に隠されてあまりそのように捉えられていないかれらの秘密に迫ってゆきたい。

 天岩戸開きの場面で、布刀玉命(フトダマノミコト)が鏡を差し出しアマテラスに見せ、天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)がその御手を取り引き出したという。
ジュリエットがバルコニーで『ロミオよロミオ、あなたはどうしてロミオなの?』と問う名セリフのように『タヂカラよタヂカラあなたはどうしてタヂカラなの?』とたずねてみたい。かれの名前「手力男」のタヂカラだけならば田力で「男」一字ですむ。
それを手力とするのは手が「チから」きているから。岩戸を開くとき、かれは「千」を使い回転した。それは「チ」になり上下逆に重なったとき「手」となった。
手は偏になれば「才」となる。「男」という文字は十が回転して力を発することの図。別に性別を知らせているわけではない。「手力男」という名は「手」という文字でこの宇宙の仕組みを示し岩戸を開くことを示している。「手」とはピラミッドが上下逆に重なっている図そのものなのである。上図の文字は「手」を逆さまにしてあるのだがよく見ると上下の三角とその間に重なった四角い底辺が見える。これがいわゆる黄金太陽の形状なのである。岩戸が開くということはこの四角い底辺の部分の境界が通じるということなのである。
長野に戸隠神社という神社がありそこに天手力男命が祀られている。
神社名鑑から以下に抜き書きすると
***************
戸隠神社(とがくしじんじゃ)旧国弊小社
祭神(奥社)天手力男命 九頭竜大神
(中社)天思兼命
(宝光社)天表春命
神紋 鎌まんじ
由緒沿革
戸隠神社奥社は創立年代最も古く孝元天皇五年の古記録あり。
昔天手力男命曰く、
「吾天にありし時抛落せる天岩戸今科野国に留り山と成れリ。
彼の山は則吾霊魂の残れる地なり。彼所に行きて住まん」
と筑前紀伊を経て当山に遷座し給う。
********************

 科野国というのは今は信濃と改められ信州長野を指す。
天手力男は天岩戸を長野に投げ落としたというのだ。
それがこの戸隠高原ということになる。この地に天岩戸が隠されているらしい。
奥社にともに祀られている九頭竜大神がこの地の元々の地主神であるという。
それにしても天手力男命が 九頭竜大神とともに奥宮に祀られているというのは 意味深長である。九頭竜大神とはその名前からしてニギハヤヒとしか考えられない。
fumio



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 それでは超古代のはずの天岩戸開きの場面を現代に移してみよう。わたしたちの文明もだんだん超古代に近づいてきたので見えなかったものが見えるかしれない。

総合商社ヒノモトの女性社長アマテラスが愚弟スサノオの粗暴な振る舞いに腹を立て最新警備マンション「天岩戸」に閉じこもった。
フトダマ専務とコヤネ常務は対策を練り、女性の好きな宝石(八尺瓊勾玉)と鏡(八咫鏡)と織物(布帛)をフトダマ専務が贈り物として持参した。コヤネ常務が音声読みとりドアに「ヒフミヨイムナヤコト」のパスワードを唱え、派遣社員タヂカラオがドアの脇に隠れ、女性社員ウズメはパスワード「ヒフミヨイムナヤコト」を書体の違うフトダマ専務用とコヤネ常務用との二種類打ち込んだ。それでもドアは開かないので踊って、一般社員と騒いだ。
アマテラス社長が不審に思いドアの覗き穴 から覗くとそこでコヤネ常務とフトダマ専務がアマテラス社長の前に鏡を差し出した。それで顔形認識装置が作動し本人確認がとれドアがついに反応した。そこで隠れていた派遣社員タヂカラオが引きこもり社長を連れ出した。めでたしめでたし。

なにが言いたいかといえば「ヒフミヨイムナヤコト」が天岩戸開きのパスワードであるということ。本当にそうであれば今回わたしたちはもうわたしたちの手で天岩戸を開くことができるのだろうか。

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 上図は天兒屋根(アメノコヤネ)が作った宗源道極秘神字「ひふみよいむなやこと」十字でその横には『件者天兒屋根神作。今尚ホ宗源道極秘也。』とあるのが読みとれる。
齋部家秘伝の古代文字「ひふみの祓い」四十七文字のはじめの「ひふみよいむなやこと」までと同じように見える。

「コスモ・テン・パブリケーション発行、岡本天明筆ひふみ神示」下巻五十黙示録、至恩之巻第三帖には『天之鈿女の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ』とある。天岩戸開きの場面には12345678910というアラビア数字はいかにも不似合いだがこれが苦心の表記であったことが今にしてわかる。「ひふみよいむなやこと」をカナで表記するか漢数字にすべきか、その天岩戸開きの場面で使用されたのは天太玉(フトダマ)命が作った『斎部家極秘神字』の「ひふみよいむなやこと」十字か天兒屋根(アメノコヤネ)が作った宗源道極秘神字「ひふみよいむなやこと」十字であったのだから漢数字では真実が伝わらないとして12345678910といういかにも「ひふみ神示」にはふさわしくない表記が採用されたのであった。
fumio

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 さて、「一二三四五六七八九十」の封印に挑み考察をつづける。
大祓祝詞の「天津祝詞乃太祝詞事乎宣禮(あまつのりとのふとのりとごとをのれ)」のあとに秘言「ひふみよいむなやこと」を宣ればどうなるというのか。

すると「如此久乃良波(かくのらば、天津神波天磐門乎押披低(あまつかみはあめのいはとをおしひらきて)、天之八重雲乎伊頭乃千別爾千別低所聞食武(あめのやへぐもをいづのちわきにちわきてきこしめさむ)」という。つまり天神が天の岩戸を開いて願いを聞き入れてくださるというのだ。

 それでは伝説の中の天岩戸開きの場面はどのようであったかを振り返ろう。
『斎部家極秘神字』十字の作者、天太玉(フトダマ)命と宗源道極秘神字十字の作者天兒屋根(アメノコヤネ)は雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をした。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛(もめんと絹の織物)をかけ、太玉(フトダマ)が御幣として奉げ持った。天兒屋根(アメノコヤネ)が祝詞(のりと)を唱え、手力男(タヂカラオ)が岩戸の脇に隠れた。天細女(アメノウズメ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、八百万の神が「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」と笑いさざめいた。
それで天照大神(アマテラス)が不審に思い天岩戸の扉を少し開けるとアメノウズメが「貴方より貴い神が表れたと言い、アメノコヤネとフトダマがアマテラスの前に鏡を差し出した。そして隠れていたタヂカラオが岩戸の外へ引きずり出しフトダマが注連縄を岩戸の入口に張った。わたしたちは概ねそんな伝承を知っている。

天照太神が天の岩戸からお出ましになったこの際、八百万の神々が口々に発したという、『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』ということばが唯一収録されていたとされる書物は古語拾遺』だった

 それは、秘伝の古代文字の継承者齋部家の、斎部広成(いつくべひろなり)が、著した書物であったからこの『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』は口伝ではなく齋部家秘伝の古代文字四十七文字で記し遺されていたものとみられる。
上図が齋部家秘伝の古代文字四十七文字である。
右から縦に「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ」で神道では「ひふみの祓い」と呼ばれている。
fumio

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 なぜ「地球の歴史 十種神寶(とくさのかんだから)の基礎知識」のページのアクセス数が増大しているのかといえば人々がこれまで知らなかった「十種神寶」に興味を持ち始めたかららしい。
その「十種神寶」に関わりの深い石上(イソノカミ)神宮の記録には以下のようにある。

   「沖津鏡一、 辺津鏡一、八握剣一、生玉一、足玉一、
死反玉一、道反玉一、 蛇比礼一、蜂比礼一、品物比礼一
「天神教ヘ導クハ者有痛処者、 令茲十宝
謂一二三四五六七八九十
 而布留部由良由良止布留部、如此為之者、死人代生矣、
即是布留之言本矣」

    十種神宝のそれぞれの名前を並べたあとの「令茲十宝謂一二三四五六七八九十」の箇所は 「一二三四五六七八九十」をここに十宝と謂わしむ、と読める。 これは神道の「一二三の祓い」で「ひふみよいむなやここたり」と一般には奏上する。

 正式には「ひふみよいむなや。こともちろらね。しきるゆゐつ。わぬそをたはくめか。 うおゑにさりへて。のますあせえほれけ」の四十七音で「ひふみの祓い」と呼ばれるのだが秘文字「一二三四五六七八九十」以外にこちらも齋部家秘伝の古代文字四十七文字で遺されていた。「一二三四五六七八九十」や「十種神寶」の封印がやっと解けてわたしたちがこの国に降りてきた目的に目覚めようとしているのだろうか。
fumio


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前回の図は見にくかったかと思うので解りづらい部分を整理して斎部家極秘神名十字をもう一度お目にかける。
これが「ひふみよいむなやこと」の秘文字である。
上から漢字の一二三四が崩れたような形で五は四角の中にXで枡のような形。
六は卍の崩れたような形。最後の十はカゴメ紋(六芒星)のようだ。
この『斎部家極秘神字』の横には『件者天太玉命之神作ナリ。今尚ホ忌部宿禰等ガ所傳シ也。』とあり、
宗源道極秘道神名の方は井形を基本にしているような文字で「ひふみよいむなやこと」の秘文字十字が遺されている。こちらの『宗源道極秘神字』十字の横には『件者天兒屋根神作。今尚ホ宗源道極秘也。』とある。つまりいずれも秘文字は「ひふみよいむなやこと」であったのである。問題の「秘言」は吉田神道の遠い祖である天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したとされていることを考慮すれば「ひふみよいむなやこと」が秘文字であり秘言であることになる。
そして「コスモ・テン・パブリケーション発行、岡本天明筆ひふみ神示」下巻五十黙示録、至恩之巻第三帖には『天之鈿女の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ』とある。やはり謎の秘言は「ひふみよいむなやこと」であった。

これらの秘文字を遺し闇に封じた忌部氏(いんべ し・いみべ し)のちの斎部、諱部氏とは大和時代から奈良時代にかけて神事などに奉仕して宮廷祭祀の祭具の製造・神殿宮殿造営に関わった。かれらが祭主を務めた時代には「秘言」は秘されることはなかった。代々受け継いできた神名「ひふみよいむなやこと」が奏上されていた。しかしながら忌部氏は中臣氏との勢力争いに敗れ衰退した。そのことが空白の「秘言」を生むことになったのである。
神社で、六月三十日の「夏越(なご)しの大祓」と 十二月三十一日の「大晦(おおつごもり)の大祓」との年二回の「大祓祭」に奏上される大祓い詞は「中臣之祓詞、中臣の祭文、通称、中臣の祓」と勝者中臣の名で呼ばれその中程で唱えられるべき「秘言」は敗者忌部氏の封印のかかった秘伝で門外不出の「ひふみよいむなやこと」であったから中臣氏が仕切る大祓い祭の中での「秘言」は口にされることがなくなったのだ。歴史の穴は遠く深い…。
とはいっても、もう「秘言」の部分を空白のままにしないで「ひふみよいむなやこと」と正しく唱えれば時代は変わり夜が明けるだろう。
fumio


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さてどうして「秘文に封印がかけられたのかということについて鈴木旭著日本文芸社刊、『古代文字が明かす超古代文明の秘密』を参照して「炎で書いた物語」に詳述したので以下にコピーしておく。
*******************
天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、
八百万の神々が口々に発したという、
『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』ということばが
唯一収録されていたとされる書物は古語拾遺』だった。

 それは、平安初期の廷臣、斎部広成(いつくべひろなり)が、
斎部(いんべ)氏が中臣氏に排斥されて斎部氏の勢力が衰えたことを嘆き、
勢力挽回を図って斎部氏の由来を明らかにして八○七年(大同二)に
『平城(へいぜい)天皇に献じた漢文の書物である。

 それが上代史研究の貴重な資料となって、
以降の学者は、その記述を子細に研究することになった。
問題は以下に記す、その『古語拾遺』の序文にあったのだ。

『序
 蓋(ケダ)し聞けらく、「上古の世に、未だ文字有らざるときに、
貴賤老少、口口に相伝へ、
前言往行(ゼンゲンオウコウ)、存して忘れず」ときけり。
書契(シヨケイ)より以来(コノカタ)、古(イニシエ)を談(カタ)ることを好まず。
浮華(フカ)競(キオ)ひ興りて、還(マタ)旧老(クロウ)を嗤(ワラ)ふ。
遂に人をして世を歴(ヘ)て弥(イヨヨ)新(アラタ)に、
事をして代(ヨ)を逐(オ)ひて変改せしむ。
顧みて故実を問ふに、根源を識(シ)ること靡(ナ)し。
国史・家牒(カチヨウ)、其の由(ヨシ)を載すと雖も、一二の委曲、
猶遺(モ)りたる有り。愚臣言(マオ)さずは、
恐るらくは絶えて伝ふること無からむ。
幸(サキワイ)に召問(シヨウモン)を蒙(カガフ)りて、
蓄憤を手慮(ノ)べまく欲(ホリ)す。
故(カレ)、旧説(クセツ)を録(シル)して、敢へて上聞(ジヨウブン)す、
と云爾(マオスコトシカ)り。』

 この序の「蓋(ケダ)し聞けらく、「上古の世に、未だ文字有らざるときに、
貴賤老少、口口に相伝へ、前言往行(ゼンゲンオウコウ)、存して忘れず」ときけり
。」
という一節のために、上古の日本には文字がなくて口承口伝ばかりで
老いも若きも人々は記憶に頼っていた、と思いこんでしまったのである。
それが、後世の学者たちが漢字の渡来以前には日本には文字がなかった、
という根拠である。

 ところが、その約五百年後、斎部広成の一族の子孫、
忌部正通(いんべまさみち)によってこの記述の陰にあるものが明かされる。

南朝の後村上天皇(1339-1368)に仕えた、忌部正通は
「神代巻口訣」という書物を著して、
『神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇異域の経典初めて渡来せし以降、
推古天皇の御宇漢字を以て和字に付け給う』と発言したのである。

 つまり、日本の神代の文字は象形文字だったが、
応神天皇の時に外国の書物が初めて入ってきた後、
推古天皇のころから日本の文字に漢字をあてはめるようになった、
というのである。
神道を擁護して仏教に対抗した物部氏は推古天皇の頃滅ぼされている。
以来、神代文字は闇に生きることになった。
元々あった日本の文字(神代文字)が排斥されて
漢字にとって代わられたというのだ。


 斎部家とは大和朝廷で祭祀を司った一族で、
古代から神より賜った文字を世襲してきた由緒ある一族だった。
斎部広成は故あって『古語拾遺』でその文字の存在を隠し通した。
忌部正通は 直系の先祖、広成が闇に封じた
斎部家の秘密を暴露してしまった。

 斎(忌)部家に代々秘密裡に世襲されてきた文字とは、なにか。
それが、あの『ひふみ祓い詞』四十七文字、
『ひふみよいむなや。こともちろらね。
しきるゆゐつ。わぬそをたはくめか。
うおゑにさりへて。のますあせえほれけ。』であった。
その文字には「右は斎部、橘両家の極秘なり。他見を許さず。穴賢々々」
と封印がほどこされていた。

 そして、それ以外に『斎部家極秘神字』十字と
『宗源道極秘神字』十字の合わせて二十字も極秘に伝えられていた。
『斎部家極秘神字』で『ヒフミヨイムナヤコト』と書かれた十字の横には
『件者天太玉命之神作ナリ。今尚ホ忌部宿禰等ガ所傳シ也。』
と但し書きがある。これは天太玉命之神が作られたようだ。

 同じく『ヒフミヨイムナヤコト』と『宗源道極秘神字』で書かれた十字の横
には『件者天兒屋根神作。今尚ホ宗源道極秘也。』とある。
こちらの作者はあの天岩戸開きに立ち会った天兒屋根神ということになる。

 そして、この『斎部家極秘神字』と『宗源道極秘神字』の二十字にも
「右は斎卜両家の秘符なり。その職を為すと雖も、深厚の志に非ざれば、
秘伝を伝え難し。面授、口決の大事なり。能く授け、能く学び、
能く慎みて之を受けよ」という強力な鍵が掛けられていた。

 斎部一族はこれらの秘文字の存在を他に漏らすことが許されなかったのだ。

秘文字とは秘文、すなわち、『日文』であった。 
斎部家の再興を図った斎部広成は大同二年(807)に平城天皇の召問に応えて
『古語拾遺』を著した時、思案の末、斎部家の伝統を守って、これらの秘文字の存在を明かさなかった。
 しかし、内心は忸怩(じくじ)たるものがあっただろう。
大同二年といえば、最澄や空海が遣唐使として入唐して帰国後天台宗、真言宗を相次いで開いた後である。
滔々と流れ込む異文化の潮流に呑み込まれ沈むまいとして、上古には文字がなかった、と漢文で記した。
だれもが漢字を使う時代だった。
斎部家が恃みとした物部氏は仏教を仏魔とまで呼んで抗したがすでに数百年前に滅びている。 

 政(まつりごと)を牛耳る渡来人から 斎部家の伝統を護り、ひいては日本の真の文化の生き残りのためには、日文を地下に潜らせておいて時を待つよりない。
その存在を知られれば奪い消されることがある。
古来、他国を支配するには、その国の文化の元である言語や文字を奪うのが一番なのだ。
 
 この斎部広成の篤い心が真実を告げようとした平田篤胤などの国学者を偽作者と貶め誹謗させることにつながってしまった。
**********************

 95/03/05 緋文字が黒く変わる時、氷雨が雪に変わる。歴史の穴は遠く深い


そうなのだ。上図の『斎部家極秘神字』と『宗源道極秘神字』これらの「秘文字」はあの「秘言」と大きな関わりがあったのだ。
緋文字が黒く変わる時がついに来ようとしている。あやうかった氷雨が雪に変わるのか。
fumio





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秘文  


「秘言」が封印された言であったようにわが国には封印され秘められた文字が存在した、秘文字とは「秘文」すなわち「日文」である。
著名な数種の辞書の記述をみてそれがどのように捉えられているか調べよう。

『ひふみ』
『漢字の渡来以前、日本で使用されたと称される、いわゆる神代文字の一。
平田篤胤が「神字日文伝(カンナヒフミノツタエ)」に挙げているもので、対馬国に秘伝したものと主張したが、実は朝鮮のハングルに模して偽作したもの。「ひふみよいむなや」で始まる四十七音の文字があげられている。』(1995年発行小学館、大辞泉第一版)

『ひ‐ふみ【日文】
神代文字と称せられるものの一。平田篤胤が「神字日文伝(カンナヒフミノツタエ)」に挙げているもので、対馬国の卜部阿比留氏の秘伝というヒフミヨイムナヤコトモチロなどの四七音をあらわす表音文字。実は朝鮮のハングルに模して偽作したもの。』(1996年、広辞苑 第四版 CD-ROM)
『『ひ‐ぶみ【日文】
いわゆる神代文字の一種。
平田篤胤の(あつたね)の「神字日文伝」にあげているもの。
実は朝鮮の諺文(おんもん)の輸入されたものか、
後世の偽作という。』(昭和四十八年(1973)発行三省堂、広辞林、第五版)

いずれの辞書も朝鮮のハングルに模して偽作したものと結論づけている。

 神代文字には、日文だけではなく、一、二、三、などの数字と点や棒を書く天名地鎮(あないち)や阿比留文字などがあるが、亀卜の灼兆(シャクチョウ)やハングルに擬した偽作と言われている。
その存否について平田篤胤は一八一九年(文政二)に神字日文伝を著して肯定したが、伴信友は一八五○年(嘉永三)にカナを真名(漢字)に対して仮名と書くことを推奨した神代文字否定論「仮字本末(かなのもとすえ)」を著して反論した。伴信友説が学会の定説となってどの辞書にも「ハングルに模して偽作したもの」のように記されることになったらしい。
 このように現代の辞書では篤胤の論じた日文(対馬の阿比留文字)の存在は否定されているが、西暦七百年代の天武天皇の舎人で古事記を誦習した、稗田阿禮(ひえだのあれ)が神代文字、阿比留文字で書いた、日本武尊を偲ぶ歌が二首、伊勢神宮文庫所蔵の「神宮文庫古字」に遺されている。それは上図のような文字で阿比留文字を知らなくともなんとハングルが読める人には以下のように読める。
「海処(ウミカ)行(ユ)けば腰なづむ大河原(オホカハラ)の植草(ウエクサ)
海処(ウミカ)はいざよふ」
「浜つ千鳥 浜よは行(ユ)かず磯(イシ)つたふ」
阿比留文字はハングルによく似ているからハングルの模倣とみられてしまった。
ハングルは1443年に李朝第四代世宗の命で作られ1446年に制定されている。
阿比留文字がハングルの模倣なら稗田阿禮は七百数十年後に成立する朝鮮の文字を模して歌を綴ったということになるのだ。対馬と朝鮮は地理的に近く交流が頻繁であった。
阿比留文字とハングル、どちらがどちらを手本にしたのか。時の自然な流れを考えればその答えは自明のことのはずだが「秘文」も「秘言」と同じく封印がかけられ現在に至ったのであった。

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神社で、六月三十日の「夏越(なご)しの大祓」と 十二月三十一日の「大晦(おおつごもり)の大祓」との年二回の「大祓祭」に奏上される大祓詞の中程の(秘言)として秘された不明の箇所で、かつては灯火を一斉に消して斎主が秘伝の「天津祝詞の太祝詞事」を唱えたが現在は平伏して一、二拍おいて、かく宣らば、に続けるということだがそれではせっかく「かく宣らば」と続けてもその(秘言)が封印 されたままでは大祓詞から魂が抜けた状態で力を失うのではないだろうかとの疑念が湧く。
やはりもうそろそろ正しい「秘言」を当てはめて元の「大祓詞」を復活させなければならないのだろう。そのためにだれかが今まな板の上にこの謎を乗せさせたようだ。とはいってもわたしたち一般人には神道は日頃無縁で関わりがないが実はみんなが気づいていないだけで見えないところでは大きな意味を持っているのかもしれない。

ところで基本的なことだがこの「秘言」はどう読むのだろうか。「ひげん」なのか、あるいは「ひごん」なのか。それとも「ひごと」か「ひこと」、もうひとひねりして「ひめごと」か。どうやらこのあたりに秘密がありそうな気がする。
fumio


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普通の辞書に載っていない『アヂマリカム』という珍しいことばが秘言であるとする説も面白い。それが絶対神のことを指すとされ、「十字架を負う神の子羊」、すなわち天皇の義であるというのはまるで天皇がキリストのようだ。それで宮中で『アヂマリカム』ということばの唱名が行われているという噂が流れ、南無阿弥陀仏の称名や南無妙法蓮華経の唱題に転訛したという佐藤定吉氏の説は『アヂマリカム』という秘言の触媒によってユダヤキリスト教、仏教、神道のクロスオーバーあるいはヒュージョン作用が起こったようで『アヂマリカム』の言霊が『始まり神』であることからも有力に思える。
しかし、天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したというのだから『古語拾遺』に収録されている、天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、八百万の神々が口々に発したという、『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』も有力な気がする。
迷いながら「とほかみえみため」「アヂマリカム」「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」とそれぞれ何度も唱えてみてもなぜかしっくりこない。これらの言霊が強く響いてこない。正解はいずこに…。
fumio



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「秘言」の最有力候補とされる(三種祓)の「吐菩加美 依身多女トホカミエミタメ」 とは、伊奘諾尊が禊ぎをしたとき実際に唱えたとされる、「遠つ神、恵み賜へ」に由来するといわれる。古代には亀甲の裏に刻んだ線のことを指し、「と・ほ・かみ・ゑみ・ため」の五つの線を焼いて占った。
表にあらわれたひび割れの形で吉凶を判断する太占(ふとまに)に用いられた。
陰陽五行説では、トは水、ホは火、カミは木、エミは金、タメは土とされた。

(三種祓)の古い形は
    ト ウ カミ  エミ タメ
天津祓 吐普加美 依身多女 
    カンゴンシンソン リコンダケン
国津祓 寒言神尊 利根陀見
     ハライ タマイキ ヨメ イタマフ
蒼生祓 波羅伊玉意喜余目出玉

であったが吉田神道(吉田卜部家)が周易八卦思想の国津祓いの部分を、やまとことばではないので削除した。
それで三種の祓い詞ではなくなったが『とほかみえみため』だけでも
とほを刀、かみが鏡、ためが玉で三種の神器を示すので三種の祓い詞とされている。はたしてこれが「秘言」なのであろうか。
fumio



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秘言  


(秘言)というものがある。それは天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したとされ神道の最大の謎となっている。
それは「チチンプイプイ」や「開けゴマ」のようなすごい力を持つことばのようだ。
そのことについて「炎で書いた物語」 に書いたことがあるので少し長いが興味がある方のために以下に抜き書きしておく。もしかすればこの謎を解明する人が出てくるかも…。
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 『十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)の行』の階梯が進むと禊祓のかわりにお祓いの中のお祓いというべき大祓い詞(中臣之祓詞、中臣の祭文、通称、中臣の祓)が唱えられる。それは神社では、六月三十日の「夏越(なご)しの大祓」と 十二月三十一日の「大晦(おおつごもり)の大祓」との年二回の「大祓祭」に奏上される。

大祓詞(おおはらひのことば)

『高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ち
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原水穂国を安国と平けく知ろし食せと
事依さし奉りき此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば
神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし
磐根樹根立 草の片葉をも語止めて 天之磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の国中と大倭日高見国を 
安国と定め奉りて下津磐根に宮柱太敷き立て 
高天原に千木高知りて皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
天の御陰日の御陰と隠り坐して 
安国と平けく知ろし食さむ国中に成り出でむ
天之益人等が 過ち犯しけむ種々の罪事は 天津罪 国津罪 
許許太久の罪出でむ
此く出でば 天津宮事以ちて 大中臣
天津金木を本打ち切り 末打ち断ちて
千座の置座に 置き足らはして 
天津菅麻を本刈り断ち
末刈り切りて八針に取り辟きて 
天津祝詞の太祝詞事を宣れ

(秘言)

此く宣らば 天津神は天の磐門を押し披きて 
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞こし食さむ
国津神は高山の末 短山の末に上り坐して
高山の伊褒理短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風夕風の吹き払ふ事の如く
大津返に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて
大海原に押し放つ事の如く彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて
打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ
此く持ち出で往なば
荒潮の潮の八百道の八百道の潮の八百会に坐す速開都比売と云ふ神
持ち加加呑みてむ
此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神 
根国 底国に気吹き放ちてむ
此く気吹き放ちてば根国 底国に坐す速佐須良比売と云ふ神 
持ち佐須良ひ失ひてむ 
此く佐須良ひ失ひてば今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事
天津神国津神 八百万神等 共に聞こし食せと白す』


 以上の大祓詞の中程に(秘言)として秘されたまま不明の箇所がある。
その箇所で、かつては灯火を一斉に消して
斎主が秘伝の「天津祝詞の太祝詞事」を唱えた。
現在は平伏して一、二拍おいて、かく宣らば、に続ける。
「天津祝詞の太祝詞事」とは吉田神道の遠い祖である天児屋根命が
天の岩戸開きの時に奏上したとされる。
その(秘言)が神道の最大の謎となっている。

本居宣長はこの大祓詞自体が「天津祝詞の太祝詞事」であるとしているが、
様々な人が(秘言)の部分を様々に解釈してあてはめた。

伝統的な『トホカミエミタメ』、
『禊ぎ祓い詞』、『ひふみ祓い詞』などを「天津祝詞の太祝詞事」とする説は

有力であるが普通の辞書にも載っていない
『アヂマリカム』という珍しいことばが秘言であるとする説もある。
それは絶対神のことを指すとされ、
「十字架を負う神の子羊」、すなわち天皇の義であるという。
宮中で『アヂマリカム』ということばの唱名が行われている、
という噂が流れ、南無阿弥陀仏の称名や南無妙法蓮華経の唱題に転訛した
という説を佐藤定吉氏は唱えている。
ぼくには『アヂマリカム』の言霊が『始まり神』であるように聞こえて納得で
きる。

 また、天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、
八百万の神々が口々に発したという、
『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』が
『古語拾遺』に収録されていて、
それが「天津祝詞の太祝詞」であるという説もある。
「あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ」まではそれなりにわかることばだ

「おけ」は木の葉が揺れる状態を意味すると言われる。
しかし、天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したというのは
『開けゴマ』のような戸を開ける力を持った秘言であろうと思われる。
お出ましになったあと『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、お
け』と
八百万の神々が騒いだのなら合わない気がする。

 あるいは伊勢神道の秘言「一切成就祓」説。
『極めて汚きも滞(たま)りもなければ 汚きものはあらじ
内外(うちと)の玉垣 清く淨しと申す』
等々、諸説が紛々として入り乱れている。
現在の神道系の新宗教ではそれぞれの教祖が作った独自の『天津祝詞』を
奏上しているらしい。

 大祓詞は天皇即位後初の新嘗祭である大嘗祭でも奏上されて、
その際、下のように宣(の)るという。

大嘗(オオニエ)の祭
 「集侍(ウゴナ)はれる神主(カムヌシ)・祝部(ハフリ)等、諸(モロモロ)聞(キコ)しめせ」と
宣(ノ)る。
 「高天(タカマ)の原に神留(カムヅマ)ります、皇睦(スメムツ)神ろき・神ろみの命もち

て、天(アマ)つ社(ヤシロ)・国つ社と敷(シ)きませる、
皇神等(スメガミタチ)の前に白さく、今年十一月(シモツキ)の中の卯(ウ)の日に、
天つ御食(ミケ)の長御食(ナガミケ)の遠御食(トオミケ)と、
皇御孫(スメミマ)の命の大嘗(オオニエ)聞しめさむための故に、
皇神等あひうづのひまつりて、堅磐(カキワ)に常磐(トキワ)に斎(イワ)ひまつり、
茂(イカ)し御世に幸(サキ)はへまつらむによりてし、
千秋(チアキ)の五百秋(イオアキ)に平らけく安らけく聞しめして、
豊の明(アカ)りに明りまさむ皇御孫の命のうづの幣帛(ミテグラ)を、
明るたへ・照るたへ・和(ニギ)たへ・荒たへに備へまつりて、
朝日の豊栄(トヨサカ)登りに称辞(タタエゴト)竟(オ)へまつらくを、諸聞しめせ」と
宣る。

 「事別(ワ)きて、忌部(イミベ)の弱肩(ヨワカタ)に太襁(フトダスキ)取り挂(カ)けて、持

ち斎(ユマ)はり仕へまつれる幣帛を、
神主・祝部等請けたまはりて、事落ちず捧げ持ちて奉(タテマツ)れ」と宣(ノ)る。
                  〈日本古典文学大系〉

         (広辞苑CDロム第四版より)
 
 これらの祓い詞に本当の秘言が存在して、それを人々が奏上したとき、
真の天照太神がお出ましになるのだろうか。
その時は近い…。
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以上、現代人には祓い詞を読むだけでも疲れてわけがわからなくなってしまう。
この秘言の謎はだれがいつ解くのだろうか。
fumio



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