monologue
夜明けに向けて
 



宮下フミオの自宅スタジオに集まるアーティストのひとり、「走れコウタロー」でヒットした山本コウタロー(本名・山本厚太郎)は1年間アメリカで暮らしていた。かれはパチンコが好きだったらしくリトルトーキョーでパチンコ台と玉を買ってきて遊んでいた。
その頃のロサンジェルスには梁山泊のような芸術家集団が共同で大きな家に暮らしていた。ある日、かれらがサンフランシスコに自生するマジックマッシュルームを採ってきてカレーを作ったことがあった。わたしがその家に行って将棋をしていると昼食を食べろというのでキノコが入っていることを知らず勧められるままに食べているところにコータローが来てかれも勧められて一緒にそのカレーを食べたのである。わたしは将棋をしているうちにそのキノコの成分が効いてなにがなんだかわからなくなっていつも勝つ相手に負けかけた。コータローはサンタモニカ海岸までドライブしてきて帰ってくると太陽がすごい勢いで海に落ちたように見えたという。やはり感覚がおかしくなったらしい。そして、一休みした時わたしが将棋を指そうか、というと嫌がったのだった。
それからある時かれはシゲ(中島茂男)とわたしがコンビで出演してるハリウッドのクラブを訪れてじっと聴いていた。わたしたちはその頃、今は日本でもCD化されているプログレッシヴロックアルバム「プロセス」を作るために曲をクラブで実際に色々演奏しながら仕上げていたのだった。未完成で曲はまだ中途半端だったのであまりよく思えなかったことだろう。
そして日本に帰ると「アメリカあげます」という本を書いて中島に送って来た。その「アメリカあげます」の中でコータローはわたしの相棒ギタリスト、中島茂男を名指しでがんばれ、と応援している。
そのコータロー自身アメリカでレコードを作ろうとしたがカラオケはできたけれど最後のヴォーカル録音で満足できる歌が録音できなかったので発売までゆけなかったという。2022年7月4日、山本コウタロー、73歳で脳内出血で死去。合掌。
fumio

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