monologue
夜明けに向けて
 



さてどうして「秘文に封印がかけられたのかということについて鈴木旭著日本文芸社刊、『古代文字が明かす超古代文明の秘密』を参照して「炎で書いた物語」に詳述したので以下にコピーしておく。
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天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、
八百万の神々が口々に発したという、
『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』ということばが
唯一収録されていたとされる書物は古語拾遺』だった。

 それは、平安初期の廷臣、斎部広成(いつくべひろなり)が、
斎部(いんべ)氏が中臣氏に排斥されて斎部氏の勢力が衰えたことを嘆き、
勢力挽回を図って斎部氏の由来を明らかにして八○七年(大同二)に
『平城(へいぜい)天皇に献じた漢文の書物である。

 それが上代史研究の貴重な資料となって、
以降の学者は、その記述を子細に研究することになった。
問題は以下に記す、その『古語拾遺』の序文にあったのだ。

『序
 蓋(ケダ)し聞けらく、「上古の世に、未だ文字有らざるときに、
貴賤老少、口口に相伝へ、
前言往行(ゼンゲンオウコウ)、存して忘れず」ときけり。
書契(シヨケイ)より以来(コノカタ)、古(イニシエ)を談(カタ)ることを好まず。
浮華(フカ)競(キオ)ひ興りて、還(マタ)旧老(クロウ)を嗤(ワラ)ふ。
遂に人をして世を歴(ヘ)て弥(イヨヨ)新(アラタ)に、
事をして代(ヨ)を逐(オ)ひて変改せしむ。
顧みて故実を問ふに、根源を識(シ)ること靡(ナ)し。
国史・家牒(カチヨウ)、其の由(ヨシ)を載すと雖も、一二の委曲、
猶遺(モ)りたる有り。愚臣言(マオ)さずは、
恐るらくは絶えて伝ふること無からむ。
幸(サキワイ)に召問(シヨウモン)を蒙(カガフ)りて、
蓄憤を手慮(ノ)べまく欲(ホリ)す。
故(カレ)、旧説(クセツ)を録(シル)して、敢へて上聞(ジヨウブン)す、
と云爾(マオスコトシカ)り。』

 この序の「蓋(ケダ)し聞けらく、「上古の世に、未だ文字有らざるときに、
貴賤老少、口口に相伝へ、前言往行(ゼンゲンオウコウ)、存して忘れず」ときけり
。」
という一節のために、上古の日本には文字がなくて口承口伝ばかりで
老いも若きも人々は記憶に頼っていた、と思いこんでしまったのである。
それが、後世の学者たちが漢字の渡来以前には日本には文字がなかった、
という根拠である。

 ところが、その約五百年後、斎部広成の一族の子孫、
忌部正通(いんべまさみち)によってこの記述の陰にあるものが明かされる。

南朝の後村上天皇(1339-1368)に仕えた、忌部正通は
「神代巻口訣」という書物を著して、
『神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇異域の経典初めて渡来せし以降、
推古天皇の御宇漢字を以て和字に付け給う』と発言したのである。

 つまり、日本の神代の文字は象形文字だったが、
応神天皇の時に外国の書物が初めて入ってきた後、
推古天皇のころから日本の文字に漢字をあてはめるようになった、
というのである。
神道を擁護して仏教に対抗した物部氏は推古天皇の頃滅ぼされている。
以来、神代文字は闇に生きることになった。
元々あった日本の文字(神代文字)が排斥されて
漢字にとって代わられたというのだ。


 斎部家とは大和朝廷で祭祀を司った一族で、
古代から神より賜った文字を世襲してきた由緒ある一族だった。
斎部広成は故あって『古語拾遺』でその文字の存在を隠し通した。
忌部正通は 直系の先祖、広成が闇に封じた
斎部家の秘密を暴露してしまった。

 斎(忌)部家に代々秘密裡に世襲されてきた文字とは、なにか。
それが、あの『ひふみ祓い詞』四十七文字、
『ひふみよいむなや。こともちろらね。
しきるゆゐつ。わぬそをたはくめか。
うおゑにさりへて。のますあせえほれけ。』であった。
その文字には「右は斎部、橘両家の極秘なり。他見を許さず。穴賢々々」
と封印がほどこされていた。

 そして、それ以外に『斎部家極秘神字』十字と
『宗源道極秘神字』十字の合わせて二十字も極秘に伝えられていた。
『斎部家極秘神字』で『ヒフミヨイムナヤコト』と書かれた十字の横には
『件者天太玉命之神作ナリ。今尚ホ忌部宿禰等ガ所傳シ也。』
と但し書きがある。これは天太玉命之神が作られたようだ。

 同じく『ヒフミヨイムナヤコト』と『宗源道極秘神字』で書かれた十字の横
には『件者天兒屋根神作。今尚ホ宗源道極秘也。』とある。
こちらの作者はあの天岩戸開きに立ち会った天兒屋根神ということになる。

 そして、この『斎部家極秘神字』と『宗源道極秘神字』の二十字にも
「右は斎卜両家の秘符なり。その職を為すと雖も、深厚の志に非ざれば、
秘伝を伝え難し。面授、口決の大事なり。能く授け、能く学び、
能く慎みて之を受けよ」という強力な鍵が掛けられていた。

 斎部一族はこれらの秘文字の存在を他に漏らすことが許されなかったのだ。

秘文字とは秘文、すなわち、『日文』であった。 
斎部家の再興を図った斎部広成は大同二年(807)に平城天皇の召問に応えて
『古語拾遺』を著した時、思案の末、斎部家の伝統を守って、これらの秘文字の存在を明かさなかった。
 しかし、内心は忸怩(じくじ)たるものがあっただろう。
大同二年といえば、最澄や空海が遣唐使として入唐して帰国後天台宗、真言宗を相次いで開いた後である。
滔々と流れ込む異文化の潮流に呑み込まれ沈むまいとして、上古には文字がなかった、と漢文で記した。
だれもが漢字を使う時代だった。
斎部家が恃みとした物部氏は仏教を仏魔とまで呼んで抗したがすでに数百年前に滅びている。 

 政(まつりごと)を牛耳る渡来人から 斎部家の伝統を護り、ひいては日本の真の文化の生き残りのためには、日文を地下に潜らせておいて時を待つよりない。
その存在を知られれば奪い消されることがある。
古来、他国を支配するには、その国の文化の元である言語や文字を奪うのが一番なのだ。
 
 この斎部広成の篤い心が真実を告げようとした平田篤胤などの国学者を偽作者と貶め誹謗させることにつながってしまった。
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 95/03/05 緋文字が黒く変わる時、氷雨が雪に変わる。歴史の穴は遠く深い


そうなのだ。上図の『斎部家極秘神字』と『宗源道極秘神字』これらの「秘文字」はあの「秘言」と大きな関わりがあったのだ。
緋文字が黒く変わる時がついに来ようとしている。あやうかった氷雨が雪に変わるのか。
fumio





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