monologue
夜明けに向けて
 



スリーフィンガーピッキングといえば加藤和彦を思い出す。
NHK教育テレビの「スリーフィンガーピッキング奏法講座」で弾き方を教えていた。おかげでわたしもスリーフィンガーピッキングができるようになったのだ。
日本中のフォーク系のギタリストの先生のような存在だった.音楽的感性が秀でていて「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」「タイムマシンにおねがい」など新たな感覚で時代を開く存在として生きた。ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」ではイギリスに行き活躍した。すごいと感心した。
 当時、加藤和彦の母校、龍谷大学の講堂でライブコンサートがよく開かれて、わたしがスリーフィンガーピッキングで歌った 「打ち上げ花火」を女性デュオで歌いたいというのでOKした。その頃はまだ二番までしかなかったがかの女たちの参加したコンサートを見に行くとでスリーフィンガー奏法で立派に演奏していた。男のわたしが歌うより詩情に溢れているような気がした。京都という土地柄、わたしの知らないうちにご当地フォークとしてかの女たちのまわりでヒットしていたようだった。加藤和彦が拡めたスリーフィンガーピッキングは日本国内にとどまらず多くのアーティストに受け継がれた。
わたしはアメリカのハイスクールでアルゼンチン娘、オルガのエキゾチック日本語発音の「打ち上げ花火」のバックをスリーフィンガーピッキング演奏してクラスメイトや学校中に大好評になって日本でデビューさせるといいと盛り上がったものだった。日本でヒットしたかも…。しかし、オルガはすぐに中国系アメリカ人と結婚してアメリカ永住権をとったので日本には来なかっただろうとふと思う。
fumio

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渡米  


その頃、京都駅前の丸物デパートの屋上の海外ニュースコーナーでミッキーカーチスとサムライというバンドが海外ツアーをしているというニュースを読んで憧れたわたしは英語の歌を歌って生活するには本場アメリカでなければと思って渡米を決意して、ロサンジェルスのアソシエイテッドテクニカルカレッジに留学した。そしてすぐに転校したLAハイスクールのわたしたちのクラスにアルゼンチンから来たオルガ(OLGA GOMEZ)というかわいい白人系女生徒が入ってきた。アルゼンチンで撮ったフイルムを学校で映してみんなにアルゼンチンの紹介をしたりしてものおじしない外交的な性格だった。わたしがギターを弾くと知ると「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」や「ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ」「ウイ・アー・オール・アローン」などのバックを弾いてくれと頼んで歌った。声も良くてうまかった。歌手になりたいようだった。わたしの作った歌も歌いたがったので京都で女性フォークデュオが歌って人気があった「打ち上げ花火」の1番と2番をローマ字で書いて教えるとすぐにエキゾチックな香りのする発音の日本語で歌えるようになった。わたしはスリーフィンガーピッキングでバックを弾きながらコーラスしたのだった。
fumio

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