monologue
夜明けに向けて
 




「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)」 という映画が1977年11月に公開された。翌年、その題名にちなんだような「エンカウンター(Encounter)」という日系の大型クラブがロサンジェルスのダウンタウンに開店するのでエンターティナーのオーディションがあるという噂が流れた。行くと多くのミュージシャンが集まっていた。
ロサンジジェルスのエンターティナーといっても色々でピアニスト、ギター奏者、ハープ奏者、ジャズバンド、マリアッチ、ロックバンドなどなど店や地区、人種によって様々である。当時エンターテイナーとして活躍していたロサンジェルス中のピアニスト、ギタリストが集まって覇を競った。ピアニストが多くギターではレコード大賞を獲得した「シクラメンのかほり」を弾き語りする人が多かった。順番にパフォーマンスをしてゆき、わたしも順番が来ると「シクラメンのかほり」をギターで弾き語りした。支配人は一週間分のエンターティナーを選考してそれぞれに曜日をあてがった。選ばれたのはやはりほとんどがピアニストだった。日本でレコードを出している歌手もいた。結局、ギターで選ばれたのはアコースティックギターのわたしとヒゲが印象的なエレクトリックギターの中島茂男だけだった。マネージャー、ジョージ氏は最後に、君たちはふたりでやってくれという。エンターティナーが二人でやるというのは聞いたことがない変な話しだったけれどバンドの入っている雰囲気がして店が華やぎ演奏が豪華になる。開店してしばらく店は大盛況だった。客が帰ったあと多くのホステスたちがチップの取り分争いでつかみ合いするのを目のあたりにして驚いたりしたものだった。
「エンカウンター」の支配人ジョージ氏は、プロデュース能力に恵まれて様々なイベントを企画してその開催したエンターテイナーオーデションはさながら天下一ミュージシャン選考会の様相を呈して日頃顔を合わせることのない他のエンターテイナーと知り合ったりしてコンテスト独特のある種の高揚感に包まれて楽しかった。その様子をラジオ局のサテライトスタジオと化したクラブからリモート生中継したりしてアナウンサーが番組の中でわたしになにか歌えと所望するのでわたしはその日の担当のピアニストにバック伴奏を頼んで「また逢う日まで」をライブで歌ったものだった。ところが、開店当時大繁盛していたクラブ「エンカウンター」が経営不振で突然つぶれてしまったのである。それでわたしはシゲさんとふたりで働ける店を探してハリウッドのクラブ「蝶」やLAPD(ロス市警)の隣の店「燈り」やダウンタウンのリトルトーキョーの白龍飯店(インペリアルドラゴン)に一緒に出ることにした。それである日、中島の長屋でビートルズの「No where man」など数曲練習していると、ヨーロッパツアーを終えてアメリカツアーにやって来たファーイーストファミリーバンドの宮下フミオが生まれたばかりの子供(ジョデイー天空)を抱いてやってきた。それが宮の下と山の下のフミオと中を取持つ中の島で構成されるバンドSFの始まりだった。
fumio

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