monologue
夜明けに向けて
 



以前、「知ってるつもり」というテレビ番組があって紀伊國屋文左衛門の墓碑が紹介されたことがある。そこには「一無信士」と銘が彫られていた。これは最高神 一○信士ということか。
 文左衛門は一般には寛文9年(1669年)に生まれ 享保19年4月24日(1734年5月26日))に没したとされるが生没年不詳で実在を疑う説がある。ドラマや小説でいつも目にしてなぜそんな声があるのか不思議になる。生誕の碑があり墓碑もあればそれは実在の証拠のようだがそうでもないのだろうか。
生誕地は紀伊国加田浦(和歌山県和歌山市)あるいは紀伊国熊野(和歌山県新宮市など諸説あって和歌山県有田郡湯浅町に、松下幸之助が文左衛門生誕の碑を建てている。2006年7月26日の読売新聞によると和歌山湯浅町別所の勝楽寺には位牌があって表に「帰性融相信士」、裏には「俗名紀伊国屋文左衛門・享保十九年寅年四月二十四日没」とあるという。俳号が『別所千山』で、子供たちも別所姓を名乗っているから、別所生誕説が有力というのだ。
家系は武藤氏の一族。若海三浦実誠著『墓所一覧遺稿』には、「紀伊国屋文左衛門、別所氏、俳名千山、享保三年正月二日没、年五十四、法号本覚院還誉到億西岸信士、葬深川霊巌寺中成等院」とあるという。これらを読み合わせるとなんだかあいまいな感じがする。
いったいかれの背景にはなにが隠されているのだろうか。
fumio
 

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