monologue
夜明けに向けて
 




十字屋楽器店が主催する音楽サークルの天下一を争う演奏コンテストの結果は次週の十字屋の広報誌に掲載された。
ナンバーワンは石塚成孝(いしづかしげたか),越智友嗣(おちゆうじ)、井上博(いのうえひろし)のフォークグループ「ザ・ヴァニティー」だった。そして2位はキーボードが口髭(マスタッシュ)を蓄えているのでタッシュグループと名付けた関西ナンバーワンのソウルロックバンドと謳われたバンド「タッシュグループ」
 「・高畑晃   バンド・リーダー。エレキ・ギター。
  ・荒木卓郎  パーカッション。ギター。
  ・河合循   オルガン。
  ・古城たかし ヴォーカル。
  ・小川修   ドラムス。
  ・葵和行   ベース。」であった。
かれらのパフォーマンスはオーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダーネス」をスリードッグナイト風
に白熱演奏してすごかった。まだそのころ高価で普及していなかったテープエコーをマイクにつなぎヴォーカルのスリムな古城たかしが足踏みして踊りながら歌うのだがリーダーのギター高畑晃の合図でいっせいに決め(キメ)で盛り上げる。何度か繰り返し終わったかと思うとバックが再び決め(キメ)を演奏し、古城がはじけるように踊り息も絶え絶えに歌い上げる。オーティスやジェームス・ブラウンのステージをよく研究していたようだ。その圧倒的なステージにはだれもがスゴイものを見たと魅了された。わたしは古城たかしのリズム感とヴォーカルフィーリングに一目おいていた。古城は普段地味な青年で話をしていても控えめな態度だった。舞台に出て歌いだすと変貌するのである。かれらはのちに古城たかしとブルー・タッシュと名乗り京都レコードから「東京の夜に泣いている」をリリースしてレコードデビューした。
わたしはその演奏会に飛び入りのように参加して弟のギターの伴奏でアンチェインドメロデイを歌ったのである。作曲家山室紘一氏がサークルの顧問をしていて「ギター一本ではなくオーケストラのバックで聴きたい」とのコメントをくれたのを記憶している。しかしながら、その後わたしはアメリカでソウルやロックを歌って生活することを選択して渡米してクラブのエンターテイナーやレコード製作などミュージシャン活動したのだった。
fumio

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saigo  



 1968年後半に日本のフォークグループの草分け「ザ・フォーク・クルセダーズ」が解散して同志社大学出身の端田宣彦(はしだのりひこ)がシューベルツを結成する時、同志社大学の後輩たちのフォークバンド「ザ・ヴァニティー」から越智友嗣(おちゆうじ)と井上博(いのうえひろし)をメンバーに加えた。石塚成孝(いしづかしげたか)だけは学業を優先した。
   そして,メンバーの抜けた「ザ・ヴァニティー」の方は石塚成孝(同志社大) 岡田恒夫(京都産大) 松田伸昭(大阪工大)という他校のメンバーとの「ザ・ヴァニティー」を再結成して1969年9月に「最後のお話」というシングルをキングレコードからリリースしている。
fumio

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