2/12(土)に開催されたてつがくカフェについて
世話人の石井が報告させていただきます。
今回も会場&オンラインの同時開催となりました。
当日の会場には12名、オンラインでは7名の計19名の方にご参加いただきました。


定刻通り15時からの開催となりました。
ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。
【本日のテーマの候補】
・宇宙開発は宇宙破壊か?
・どこで暮らしたいか?
・選択的夫婦別姓制度の是非について
・同性婚を国として認めるか?
・ワクチンを打つべきか?
・人に迷惑をかけてはいけないのか?
・自由と責任、権利と義務について
・後悔・反省・謝罪について
・お付き合い宣言は必要か?
・恋愛とは何か?
・勉強とは何か?
・なぜ見て見ぬふりをするのか?
・スポーツの意義は?
・人間はどういう存在か?
・日本人とは何か?
・人生とは?生きる意味とは?
・今後てつがくカフェはどう進むべきか?
【どのテーマにするか?】
・話し合っていくと手間がかかるので多数決ではどうか?
→決めるの(過程)も楽しんでほしい。ただ、2時間も話せないので、今日は短い時間で話せればと思う
・一つずつやってたら何時間もかかる。世界の中で重大か、世界規模で見たとき何が緊急か?で決めてはどうか?
→それだと社会的な問題や経済的な問題だけになってしまう。個人的には哲学的な問題のほうがいいなと思いました
・どこで暮らしたいのか?というテーマについて、どういうイメージをほかの国に持っているのか聞いてみたい
→3.11直後は大問題だったが今は落ち着いて語れるかな
・時間内で出来る範囲で語れればいいと思います
・どの問題も繋がってくると思う
→今日のところは「どこで暮らしたいか?」ということで。このテーマから広げていただいても結構です
【どこで暮らしたいか?】
・自分が話したいなと思った経緯について話すと、自分は色んな土地にあっちこっち行っている。今勤務している会社では東北から異動したい若い人が増えている。どうすれば地方に人が来てもらえるのか?という話が社内で出た時に、(自分の)「暮らしたい場所」を考えるようになった
・若者は(都会など)勢いのある所に一度は行ってみるといいと思う
・自分は東京でしか暮らしたことがない。便利だし、若い人は街に出てきたほうがいいと思う。震災直後、福島から出てきた人が多いが、今でも福島から出ていきたい人はいるのか聞きたいなと思った
→若い時は福島から出たかった。ただ地元に戻ってきちゃうと、東京ではいくら通ってもお店のなじみの人にはならなかったりして。福島に仕事があれば残る人もいるのでは?
・自分は30年以上横浜に住んでいたが、仕事でたまたま福島に来て。福島は一人も知り合いのいない街だったが、すぐ仲間ができた。今思うと東京や横浜は人が多すぎる。どこで暮らしたいかは、人それぞれだが(その土地に)仕事がないと困る
・東京のラッシュとあとは家賃が高い。正直、東京は人が住むところではないなと感じた
・生まれは福島だが、自分が暮らしたところは嫌いになれない
・置かれた立場や仕事で暮らしたいところは変わってくるのでは?
・嫌なところから離れたり、(どこで暮らしたいかは)目先の問題になるのかと
【都会と田舎】
・田舎は出歩くとすぐ知り合いにあうなど、都会とは違って狭い世界
→自分も田舎出身だが、母親同士のネットワークが強すぎて。それが度が過ぎていると感じることもあった
・岩手に行ったとき、町が何となくまとまっている感じがした。反対に福島は(一つに)まとまっていない気がして。災害でないと隣近所と顔を合わせないというか
・地元の田舎は監視社会というか。そこから逃げ出したい思いがあって。とくに学生の頃は(他者に)見られているのが嫌な時代でもあって。今は地元に近いどこかに暮らしたいという妥協点になっている
・(どこに住むかは)人と人の付き合いが大事で、社会的な弱者を救えるそんな環境に自分は住みたい
・地元が田舎で、都会に行くと(田舎とは)常識が違うなと感じた。移動は車じゃないんだとか、学校は私立が当たり前とか。また住み慣れた場所から違う場所に行く困難さもある
→常識=風土というか。海外に行った際いつも同じように思うのは向こうの方は笑顔が素敵で。ハンドシェイクや笑顔から「人間」として生きているなと感じた
【ここにいる理由】
・帰国子女の自分にとってのホームというか暮らしたい条件はあるが、家族の個々の事情もある。ある程度制約されるというか。人生の背景から暮らしたい場所が現れる。自分は家族と一緒にいるところがホームで。仕事があればはどこにいても暮らしていける
・世代間の共通理解というか、そこが対立していると次の世代に発展していかない。日本は若者の投票率が低い
・首都圏にマンションを買った友人がいて、夫婦仲は良いがローンを払うのにすごく働かなければならない。結果、マンションは売却し田舎に古民家を買った。(どこで暮らしたいかは)人生をどういう風に過ごして生きていきたいのかで決まるのかと
・資格があればどこでも住みたいところで住んでいけるなと。ただ放っておくと日本では暮らしていけなくなるという危惧があって。この国の政治についてはまったく信用ならない
・どこで暮らしたいかは、「どういう生き方をしたいか」によるなと。ローンは組みたくない、田舎が嫌だからなど理由は様々
・放浪したい思いがあって、自分はいろんなところで住んでみたい。行ったことのない場所を見たい・行きたい。ただ引っ越し=人間関係のリセットになるなと
・あこがれの場所はいろいろあるが、人それぞれの合う合わないはあるが自分は変化が好きだからいろんな場所に行きたい
・家があると縛られるのではないか?そこに一生住みたいのと思ってしまう。賃貸でどこでも行きたいなと思ったから今の場所に住んでいるわけで。ただ年になると動くのがめんどくさい。また家が欲しいと放浪したいは別の話ではないかと思う。あと日本で暮らす不安というのは、国が劣化しているからだと思う
・マイホーム志向というのは社会状況で変わっていくのかなと。高度成長のときは仕事を求め大挙して上京した。そういう人は実家には戻れないから落ち着く場所が欲しいという思いからマイホーム志向になったのではないかなと。結局前の時代を背負って動くしかないのかなと
・最後はどこで暮らしたいか、死にたいかになってくるかと。自分は介護施設では死にたくないと思っている
→質問ですが、介護施設で死にたくないというのはどうしてかお聞きしたい
→自分の家で死にたいという思いからの発言です
→ご家族の手をかける場合が多いと思うが、それは今の介護施設のイメージがあるんだと思う。政策などで変わっていくのかなと。介護施設にいる人は(介護施設で死にたいと)思ってないじゃないのかな
→最後が病院や施設では難しいと思う。介護の経験や住宅の条件などあるが、今後は自宅で看取る世の中になっていくんじゃないかなと
・旅行の場合は、見えるところから行きたい場所が定まる。住むとなると目に見えない美しさで決まるというか。暮らしは自分で作っていく、自分で決める重要なポイント
・自分が福島にいる理由の一つに、この「てつがくカフェ@ふくしま」の存在がある。全国で哲学カフェは開催されていて、オンラインでも参加できるが、ここのてつがくカフェは(自分が参加しやすい)月一ペースで行われているので
【ここではないどこか】
・話を聞いているとみんな大なり小なり「ここではないどこか」を求めているのかなと感じた。それが都会だったり海外だったり
・幻想の部分というか、自分の置かれている立場が曇っていると移りたくなるのかなと。自分は変化を求めている気質なので色んなところで暮らしてみたい
・自分は本当のことが知りたいので、(そこが本当に情報通りの場所か)一年ずつ移り住んでみたい
・今の政治を多くの日本人が認めている。政治状況を変えるにはどうしたらいいかの話になるのかな。どう変えるのか理念上のことを考えているわけだが。ささやかな貢献でてつカフェに参加しているが、多くの日本人が今の状況を選択している。徒労感というか、毎回選挙のたびに落胆する。ここ最近一気にひどくなっている。自殺数も多いし、弱者が救われない。ここではないどこかを思い浮かべないわけにはいかない
・選挙制度の問題で、結局は保守系が勝つ。田舎の人が支えているというか、地方が今の政権を支えている。非常に保守的で、それが諸悪の根源の一つではないかと思っている。変えていく方向と維持していく方向だと維持の方に流れて行っている
・投票以外で変える方法としては、学校教育で哲学をするのはどうか?
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓



さて、次回のてつがくカフェは、
3月12日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターで行います。
テーマは「復興とは何か?-『コロナ禍』と『復興五輪』を考える-」です。
なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、
マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。
また、オンラインによる参加をご希望の際は、
てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。
そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。
▶てつがくカフェ@ふくしま Twitter
▶てつがくカフェ@ふくしま Facebook
それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
世話人の石井が報告させていただきます。
今回も会場&オンラインの同時開催となりました。
当日の会場には12名、オンラインでは7名の計19名の方にご参加いただきました。


定刻通り15時からの開催となりました。
ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。
【本日のテーマの候補】
・宇宙開発は宇宙破壊か?
・どこで暮らしたいか?
・選択的夫婦別姓制度の是非について
・同性婚を国として認めるか?
・ワクチンを打つべきか?
・人に迷惑をかけてはいけないのか?
・自由と責任、権利と義務について
・後悔・反省・謝罪について
・お付き合い宣言は必要か?
・恋愛とは何か?
・勉強とは何か?
・なぜ見て見ぬふりをするのか?
・スポーツの意義は?
・人間はどういう存在か?
・日本人とは何か?
・人生とは?生きる意味とは?
・今後てつがくカフェはどう進むべきか?
【どのテーマにするか?】
・話し合っていくと手間がかかるので多数決ではどうか?
→決めるの(過程)も楽しんでほしい。ただ、2時間も話せないので、今日は短い時間で話せればと思う
・一つずつやってたら何時間もかかる。世界の中で重大か、世界規模で見たとき何が緊急か?で決めてはどうか?
→それだと社会的な問題や経済的な問題だけになってしまう。個人的には哲学的な問題のほうがいいなと思いました
・どこで暮らしたいのか?というテーマについて、どういうイメージをほかの国に持っているのか聞いてみたい
→3.11直後は大問題だったが今は落ち着いて語れるかな
・時間内で出来る範囲で語れればいいと思います
・どの問題も繋がってくると思う
→今日のところは「どこで暮らしたいか?」ということで。このテーマから広げていただいても結構です
【どこで暮らしたいか?】
・自分が話したいなと思った経緯について話すと、自分は色んな土地にあっちこっち行っている。今勤務している会社では東北から異動したい若い人が増えている。どうすれば地方に人が来てもらえるのか?という話が社内で出た時に、(自分の)「暮らしたい場所」を考えるようになった
・若者は(都会など)勢いのある所に一度は行ってみるといいと思う
・自分は東京でしか暮らしたことがない。便利だし、若い人は街に出てきたほうがいいと思う。震災直後、福島から出てきた人が多いが、今でも福島から出ていきたい人はいるのか聞きたいなと思った
→若い時は福島から出たかった。ただ地元に戻ってきちゃうと、東京ではいくら通ってもお店のなじみの人にはならなかったりして。福島に仕事があれば残る人もいるのでは?
・自分は30年以上横浜に住んでいたが、仕事でたまたま福島に来て。福島は一人も知り合いのいない街だったが、すぐ仲間ができた。今思うと東京や横浜は人が多すぎる。どこで暮らしたいかは、人それぞれだが(その土地に)仕事がないと困る
・東京のラッシュとあとは家賃が高い。正直、東京は人が住むところではないなと感じた
・生まれは福島だが、自分が暮らしたところは嫌いになれない
・置かれた立場や仕事で暮らしたいところは変わってくるのでは?
・嫌なところから離れたり、(どこで暮らしたいかは)目先の問題になるのかと
【都会と田舎】
・田舎は出歩くとすぐ知り合いにあうなど、都会とは違って狭い世界
→自分も田舎出身だが、母親同士のネットワークが強すぎて。それが度が過ぎていると感じることもあった
・岩手に行ったとき、町が何となくまとまっている感じがした。反対に福島は(一つに)まとまっていない気がして。災害でないと隣近所と顔を合わせないというか
・地元の田舎は監視社会というか。そこから逃げ出したい思いがあって。とくに学生の頃は(他者に)見られているのが嫌な時代でもあって。今は地元に近いどこかに暮らしたいという妥協点になっている
・(どこに住むかは)人と人の付き合いが大事で、社会的な弱者を救えるそんな環境に自分は住みたい
・地元が田舎で、都会に行くと(田舎とは)常識が違うなと感じた。移動は車じゃないんだとか、学校は私立が当たり前とか。また住み慣れた場所から違う場所に行く困難さもある
→常識=風土というか。海外に行った際いつも同じように思うのは向こうの方は笑顔が素敵で。ハンドシェイクや笑顔から「人間」として生きているなと感じた
【ここにいる理由】
・帰国子女の自分にとってのホームというか暮らしたい条件はあるが、家族の個々の事情もある。ある程度制約されるというか。人生の背景から暮らしたい場所が現れる。自分は家族と一緒にいるところがホームで。仕事があればはどこにいても暮らしていける
・世代間の共通理解というか、そこが対立していると次の世代に発展していかない。日本は若者の投票率が低い
・首都圏にマンションを買った友人がいて、夫婦仲は良いがローンを払うのにすごく働かなければならない。結果、マンションは売却し田舎に古民家を買った。(どこで暮らしたいかは)人生をどういう風に過ごして生きていきたいのかで決まるのかと
・資格があればどこでも住みたいところで住んでいけるなと。ただ放っておくと日本では暮らしていけなくなるという危惧があって。この国の政治についてはまったく信用ならない
・どこで暮らしたいかは、「どういう生き方をしたいか」によるなと。ローンは組みたくない、田舎が嫌だからなど理由は様々
・放浪したい思いがあって、自分はいろんなところで住んでみたい。行ったことのない場所を見たい・行きたい。ただ引っ越し=人間関係のリセットになるなと
・あこがれの場所はいろいろあるが、人それぞれの合う合わないはあるが自分は変化が好きだからいろんな場所に行きたい
・家があると縛られるのではないか?そこに一生住みたいのと思ってしまう。賃貸でどこでも行きたいなと思ったから今の場所に住んでいるわけで。ただ年になると動くのがめんどくさい。また家が欲しいと放浪したいは別の話ではないかと思う。あと日本で暮らす不安というのは、国が劣化しているからだと思う
・マイホーム志向というのは社会状況で変わっていくのかなと。高度成長のときは仕事を求め大挙して上京した。そういう人は実家には戻れないから落ち着く場所が欲しいという思いからマイホーム志向になったのではないかなと。結局前の時代を背負って動くしかないのかなと
・最後はどこで暮らしたいか、死にたいかになってくるかと。自分は介護施設では死にたくないと思っている
→質問ですが、介護施設で死にたくないというのはどうしてかお聞きしたい
→自分の家で死にたいという思いからの発言です
→ご家族の手をかける場合が多いと思うが、それは今の介護施設のイメージがあるんだと思う。政策などで変わっていくのかなと。介護施設にいる人は(介護施設で死にたいと)思ってないじゃないのかな
→最後が病院や施設では難しいと思う。介護の経験や住宅の条件などあるが、今後は自宅で看取る世の中になっていくんじゃないかなと
・旅行の場合は、見えるところから行きたい場所が定まる。住むとなると目に見えない美しさで決まるというか。暮らしは自分で作っていく、自分で決める重要なポイント
・自分が福島にいる理由の一つに、この「てつがくカフェ@ふくしま」の存在がある。全国で哲学カフェは開催されていて、オンラインでも参加できるが、ここのてつがくカフェは(自分が参加しやすい)月一ペースで行われているので
【ここではないどこか】
・話を聞いているとみんな大なり小なり「ここではないどこか」を求めているのかなと感じた。それが都会だったり海外だったり
・幻想の部分というか、自分の置かれている立場が曇っていると移りたくなるのかなと。自分は変化を求めている気質なので色んなところで暮らしてみたい
・自分は本当のことが知りたいので、(そこが本当に情報通りの場所か)一年ずつ移り住んでみたい
・今の政治を多くの日本人が認めている。政治状況を変えるにはどうしたらいいかの話になるのかな。どう変えるのか理念上のことを考えているわけだが。ささやかな貢献でてつカフェに参加しているが、多くの日本人が今の状況を選択している。徒労感というか、毎回選挙のたびに落胆する。ここ最近一気にひどくなっている。自殺数も多いし、弱者が救われない。ここではないどこかを思い浮かべないわけにはいかない
・選挙制度の問題で、結局は保守系が勝つ。田舎の人が支えているというか、地方が今の政権を支えている。非常に保守的で、それが諸悪の根源の一つではないかと思っている。変えていく方向と維持していく方向だと維持の方に流れて行っている
・投票以外で変える方法としては、学校教育で哲学をするのはどうか?
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓



さて、次回のてつがくカフェは、
3月12日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターで行います。
テーマは「復興とは何か?-『コロナ禍』と『復興五輪』を考える-」です。
なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、
マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。
また、オンラインによる参加をご希望の際は、
てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。
そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。
▶てつがくカフェ@ふくしま Twitter
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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
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