goo blog サービス終了のお知らせ 

てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

なぜ、哲学カフェに集うのか【その4】

2015年02月14日 06時43分06秒 | 参加者感想
なぜ、哲学カフェに集うのか?
その4は文学的に書いてくださった常連さんのご回答です。
3.11。
裸の本当の自分。
寛容性。
それだけで哲カフェのテーマになりそうなキーワード満載です。


「てつがくカフェの寛容性」

ひとは常にマントを被る。
ハリー・ポッターもびっくりの透明マント。
マントでひとは周囲に同化し、被ってしまえばだれにもみつからない。
そうやって多くの日本人は周囲に迎合して生きている。
それが、この社会で生きるためには楽だから。

他方、そのマントの下では大きなひずみが生じるひともいる。
周囲に迎合した自分と、ユニークな自分。
この両者がしのぎをけずり、結果大きなストレスを生む。
でも、日常はそれをやり過ごすことができるのだ。
当たり前のこととして。

しかし、突然の非日常が訪れた。
3.11である。
大きな不安と絶望は、透明マントを引き剥し、本当の自分をさらけ出すことをある意味で強要した。
取り繕う余裕などどこにもない。
本当の裸の自分。
これを隠して生きることがどれほどのストレスを感じることか。
この本当の裸の自分をありのままに受け入れてくれる空間が、てつがくカフェである。

この空間に服はいらない。
正解なんてない。
哲学なんてしらない。
カフェに集った雑多で多種多様な人々が、一杯のコーヒー片手に、その考えのおもむくままに対話し、独白し、傾聴し、そしてその後も考え続ける。

ありのままの自分をてつがくカフェは無条件に受け入れてくれる。
このなんと心地の良いことか。
そして、そこで自分の知らない世界を感じ、吸収することができる。
裸の自分を受け入れられる心地よさと、大学とはことなる知への入り口にたっているという刺激。
それを自然に享受することができる特別な空間がてつがくカフェにはある。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。