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てつがくカフェ@ふくしま

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対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま対話録 3.11特別編2022「復興とは何か?ー『コロナ禍』と『復興五輪』を考えるー」

2022年04月07日 15時23分38秒 | 〈3.11〉特別編記録
※冒頭のてつがくカフェのルールなどの説明部分は省いております。また内容を理解し易くするために整文を行っております。なお、発言者の特定を避けるため誰がどの発言をしたか明記しておりません。

「復興とは何か?-『コロナ禍』と『復興五輪』を考える―」
 2022.3.12(土)15:00~17:00 参加者26名(会場/18名、zoom/8名)


 それでは「てつがくカフェ@ふくしま特別編2022」を始めさせていただきます。本日は「復興とは何か?-コロナ禍と復興五輪を考える―」というテーマを立てさせていただきました。3.11から昨日で11年の月日がたちまして、だいぶ復興したというふうにみんな思っているのかいないのか。昨年は東京オリンピックが開催されました。招致の時から、なんでそんなものを招致しているのだろうと不思議に思ったし、開催に至るまで東京オリンピックをめぐっては色々なことがありましたね。終わってしまえば「良かったね」みたいな感じになってしまっていますけれども、色々な問題があったのではないかと思います。そもそも復興五輪という名のもとに招致がされたわけですけれども、果たして復興のために何か役に立ったのかというような疑問もあります。しかも、2020年からコロナ禍が始まりまして、2020年に本来やるはずだったオリンピックが1年先送りになって2021年に開催されたわけですけれども、2020年よりもさらに感染者が増えているという状態だったわけだし、ほぼだれも日本人はワクチンを接種していない状況で強行された感じでした。僕自身も色々と思うことはありますが、皆さんも色々と考えていることはあると思いますので、ぜひ考えていらっしゃることをお話しいただければと思います。コロナとオリンピックの話を交えながら3.11を思い出して復興について考えていきたいというのが、本日のテーマとなっております。私の方からの説明は以上にしまして、ここからはいつものように対話に入っていきたいと思います。どなたからでも何からでもけっこうです。

 僕は「復興とは何か?」というテーマに惹かれて来ました。初参加ですがよろしくお願いします。僕は双葉町出身です。「復興とは何か?」ということで、双葉町が色々ハード面で、建物とか建てられているのですが、それは本当に復興なのかとか、心の復興とか全然よく分かっていないので、今回みんなどんな復興というのを考えているのかなということをテーマにされているので、話を聞かせていただきたいなと思って参加させていただいた次第です。こういうことが復興だよねと話があれば、僕が「双葉町に戻って何か仕事がしたいな」とか、そんなヒントになれればいいかなと思って参加させていただきました。今日はよろしくお願いします。

 せっかくなのでご自分がお考えになっていることや、何か疑問に思っていることなどをお話しいただければと思いますが。

 僕としては、復興は11年たっても…。建物よりも、「心の復興」と思っています。同級生とか散り散りになっているので、そういった同級生とかを、遠くからでもオンライン上で集めて何か「町おこし」していくというのがいいかなと思っています。あとは「町おこしとは何か?」というのは常に疑問に思っているところでした。駅前とかでよく有名な画家が建物にペイントしてくという取り組みがあったと思うのですけれど、それは否定的に考えています。なぜかと言うと、楽しくないからです。自分の街出身でもない人によって落書きされている街というふうに受け取られてしまうのは、何か個人的に良くないかなと思っています。「落書きするのだったら自分の体に落書きしろ」と、そういう想いで怒り心頭な部分はあります。

 復興は少なくとも字だけ見ると「興」、要するに盛り上がっている状態が再びやって来るという話なので、街の復興というのは理解できなくもないが、心の復興はそもそも本当にあるのだろうかとちょっと疑問に思っています。言葉の選び方としてあんまり良くないような気がしています。心は常に行ったり来たりしているわけで、復興を文字通りに読めば何かハイな状態にずっとなってしまうみたいな感じになってしまう。決してそんなことを願っているわけではないような気がするし、元通りになることを求めているわけでもないような気もする。心の復興という言葉を色んなところでよく安易に使われている気がするのだけれども、もうちょっと本当に目指していることは何なのかという議論が必要だと思います。

 今の心の復興についてですが、僕の考えとしては自分の心が上げ下げされるというのはすごく分かるのですが、震災とかで何か大切な人とか失ってそういう自分の中の悲しい気持ちの一つが、盛り上がるというかプラスに転換されていくのが心の復興なのかなと思います。マイナスな気持ちというか悲しい気持ちを引きずって忘れないのも大切ですが、引きずっていくのではなくて何かそこから頑張ろうとか新しい気持ちに向かっていくことが心の復興なのではというふうに考えます。

 今回の震災で復興という言葉が出されていたのですけれども、今回の復興において原発事故があったことが一番特殊かなと僕は思っています。僕は原発事故によって浪江の人たちからお話を聞く機会がありましたが、やっぱりコミュニティの場所が奪われたとか、自分たちの故郷が無くなったとおっしゃる方が多かった。原発によって地元の人たちのコミュニティの場所が無くなったというのが一番大きかったのかなと思っています。今回の復興に関しては、そういうコミュニティの場所が全然戻らなかったというか、心の拠り所というか心の居場所というところがやっぱり戻る必要があるのではないかと、また中々今回そういうところが戻らなかったことが大きいかなと思っています。

 私は福島市なので故郷を失ったということはないのですが、2年くらい前に北沢町復興団地で浪江の団地の組合長の公演がありまして、復興団地の三階建ての大きな団地の中で隣の人とも声もかけられない。それで声をかけなければとなったが、今までは浪江町の社長の人が見回りで週2~3回来ていたのが、それも無くなって地元の社長になってしまった。それで今はイベントもコロナで出来なくなって。10年たって段々と借り上げ住宅だったり、復興住宅だったり家賃の補助が無くなってきたから家賃が高くなってきて、若い人は出て行ってしまいあとは年寄りだけ残って収入もなくやることも無く、何日も人と喋らないということが起きている。これも2年前の話ですが、「復興フォーラム」を大学の先生等が主催したが、二本松の団地にいた方は復興で大学の先生がやっていたのに行政に今まで何にもできなかったのかなんて、ここまでになるまでになんとか出来なかったのかってことで。NPOの助成も段々と無くなってきてNPOのボランティアする人も段々先細りしている状況で今後その人たちにとっての復興は程遠いなと私なんかは思いました。福島市民だってやっぱり原発事故に対する怒りはすごくあると思うのですが、そういう風な私さえこういう浪江の方とかあっちに避難した人たちはもう本当に怒りがあると思うのだけど、そういうのを表出できないというか話せないというか。話して相手に責任を取ってもらって、それから自分の心の折り合いを付けて前向きに行けると思うのだけれども。前向きになりなさいばっかりで責任はほったらかしでは、なかなか復興はできない。本当に復興するのであれば、もう団地みたいな3階建てじゃなくて、地元の中小企業を使った庭付きの一戸建てぐらいにしろよと私は思うのですけれども、中々今は先も難しい気がしました。

 私はこれまで世話人として何年か前まではそちらに行っていましたが、このコロナでもって昨年今年とオンラインで参加させてもらっています。私自身は、今神奈川に住んでいて神奈川から参加していますが、元々この世話人をされていた小野原さんとの関係でこの会に参加するようになりまして。変な話ですけどこういう事故があったからこの会に参加するようになって、何人かの方と実際知り合うようになったというか。そういう形でコミュニティを作ってきた人間なわけですよ。先ほどから何人かの方がコミュニティの場所が失われてしまって取り戻せないという話がありましたが、確かにそうだなと思うことがあって特にそれに関連しては、今起きているこのコロナですよね。ただでさえコミュニティが作れない、そういう原発事故の影響があって困った状況があるのにさらに今コロナで人と話せない。普通に神奈川にいますけど、それでも中々外出する機会が制限されたりして何気ない会話が出来ない。そういう問題は何というかもちろん原発事故がそこにはあるわけですけど、さらにこのコロナ禍でもってコミュニティを作るというのは非常に難しくなっているのかなとそんなことを少し思っています。

 津波による震災にしろ、原発事故にしろ、要するに福島・宮城・岩手を中心として非常に大きな災害を受けたわけです。それによってインフラ、道路とか通信とかあるいは堤防とかそういうのが崩壊してしまった。あるいは地域の人たちの人的な繋がりが失われてしまった。だから「絆」ということが叫ばれている。あるいは仕事だとか働く場や産業などの非常に大きなダメージ、それから医療だとか福祉だとか教育だとかそういうものが失われてしまった。要するに全般的に今度の災害によってズタズタにされてしまった。もちろん人命2万人以上が亡くなっているわけで、全体的に失われて非常に大きなダメージを受けたわけです。それで復興ということを考えるのですが、どういうことが復興なのか今日副題として「コロナ禍と復興五輪」とありますが、復興五輪の名のもとに競技の種目に福島だとか宮城だとか、色んなところにそれなりに貼り付けてそのスポーツで活躍する人たちを全国民が観て、あるいは災害を受けた地域の人たちが観て、勇気づけられるということを大きく語ったと思うのですが、私の見方としては残念ながらそれが非常に中途半端に終わったと思いました。もちろんコロナ禍ということもあったのですが、復興五輪については復興という役割はあまり果たせなかったのかなというふうに思います。それで全般的なダメージを受けている状態にあるところで、復興ということはどういうことなのかなと考えるわけですが、要するに将来に向けて復興の道筋というか展望が開ける、そういうことが非常に大切じゃないかなと思ったわけでして。そのためにやっぱり、それなりの色んなダメージを受けた分野事の整備計画というのを出来ないと中々具体的に復興への動きは出てこないのではないかなと。例えば福島だと原発の地域、浜通りの被災地のところに世界的な教育施設を作るとか言われていますが、実際は中々11年もたって進んでいないようだし。その面だけを取り上げると復興はいつのことやらというふうに思ってしまうわけです。だから全体としては復興ということを言える場合には、その道筋なり展望が開けることが非常に重要じゃないかなと。もちろん精神的な面でもそうなのですが、そのためにはそれぞれの整備計画、行政とかなんとか主導だと思いますがそういう裏付けが必要じゃないかとここにきて考えた次第です。

 「復興とは何か」ということで、今の方に対して質問するような形になるかもしれないですけれども、例えば戦後復興っていつまでが戦後復興だったのか、どこから先がもはや復興ではないのでないのか、あるいは阪神大震災は復興したと言えるのでしょうか。

 だから例えば阪神大震災ありましたよね。それで「復興と言えるのか」と聞かれましたが、それこそ「復興とは何か」というメルクマールというか。それをハッキリしないと「復興しました」とか言えない。だからそういうものがないと「復興した」とか「復興まだしてない」とかいう判断は、出来ないのではないかなというふうに思うのですが。それでどういうことが復興した状態かということでしたが、例えば戦後復興の話が出ましたけども、政治の流れとして「最早戦後ではない」というようなこと言い出したのは昭和でいうと30年ちょっと過ぎか、その時の理由付けは経済的に自立するようになったアメリカさんの一方的な援助でなくて、ある程度自立が出来てきたということだったように思います。だから阪神大震災にしろ、戦後復興についてはそういうことだったのかなと。そういうふうに言われたわけですけど。それで今回の震災にしろ、復興ということはどういう状態かということですが、私としては具体的にこうなれば復興だよということは中々大変。だから先ほど復興に関する展望、筋道が立つそういうことをみんなが共通的に「あぁ、そういうふうになっているわけだ」とその裏付けとして整備計画、それぞれの整備計画が出来ているということが「復興が始まる」「復興の前提じゃないか」というふうに考えるわけです。これで回答になったかと思います。

 先ほどの質問は「そもそも復興なんてありえない」というような、そういう反語的な質問なのかなと僕は聞いたのですが、そういう意味ではないのでしょうか?

 すみません先ほどちょっと割っていこうとしたのは、話がズレかけていたからなのですが。反語的で言っているというか、一方で復興には展望が必要だと話をしているのだけれども、そもそも復興とは何なのか言葉が曖昧なままでその展望とは多分見ることができなくて。それで復興の展望を考えるのであるならば、そもそも復興がどのようなものであるかということを、ある程度あったうえで展望という言葉を使えないと思います。なので、そもそも言葉遣いのところで問題があって復興がないかどうかってところよりは、僕はむしろそっちの方になんていうか話がうまく回ってないような気がして、それで何か復興というものが「私はこのように考えています。そのうえで、そのために展望が必要です」と言うのであればすごく理解できるのですが。何か曖昧模糊としたものに対して、展望がないと曖昧模糊なものが動かないと言われても、どっちもが曖昧模糊で「何が言いたいのか分からなかった」というのが一番の質問の意図です。

 復興の言葉の解釈みたいなことがあると思いますが、復興ということはある意味では、元に戻るといったそういう意味合いをもっているのかなと思います。元に戻る、さらに何か新しいものを付け加わると私はその2つだと思っている。元に戻る面、何か新しいものが付け加わるという2つの。ということでダメージを受けた色んな分野のことを考えると、例えばインフラの例をとれば防潮堤、堤防とか全部流されちゃったよと、それを元に戻す。そういう面では福島にしろ、宮城にしろ、岩手にしろ、かなり海岸線ずっと整備されて元に戻った以上のことが起こっている。それを一つインフラの面から非常に部分的だけど、復興と言っていいのではないかと思うのですが。あと変な連想なのですが今ウクライナで大変な状況が起こっている。避難民がポーランドに200万以上出て、もう病院から何から学校からみんな爆撃で、非常に攻撃でダメになっちゃう。それでもちろん人々の繋がりなんかも、失われちゃうわけですよね。避難して難民で出ていけば、復興ということを考えたとき、やっぱり難民で外に出ていった人を元に戻るということ、それから人々の繋がりが無くなっちゃうわけだけど地域も人もまた元に戻って希望が持てると非常に抽象的ですけどそんなことなのかなと思いました。

 本当に復興なんてあるのかと愕然としました。まだ11年しか震災からたっていないのに震災の時に感じた恐ろしさとか、テレビで流される方々の苦しさや悩みとか感じていた自分の気持ちは風化してしまったなと思いました。いつも本当に悔しいというか、例えば阪神大震災にしても第二次大戦にしても復興というのが、なんて言のか忘れないことだと思いますね。本当に僕も10年しかたっていないのに色んな記録とかあるけど記憶からは忘れてしまったというか。もう段々残り香かもしれないけど、そういうこれからの人たちに伝えていかなきゃなんないことが復興の一つだと思っています。

 復興と聞いて、整備計画とか道路とか防潮とかの話はものすごい違和感を覚えます。復興のイメージが分からないとかね。10年前にはもう「復興とは何か」とかその時から話をしていたわけですよね。復興税とか作って復興計画するとかずっと使ってきたわけなので、分からないとかは非常に違和感があるなというか。10年間モヤモヤし続けるというのなら分かりますが、今から考えると言われてもちょっと戸惑っているところがあるというか。それと元に戻すというのが分からなくて。どう言ったらいいですかね、元に戻すとはどういうことなのか。この間色んな事があって地域から出て行かれた方がいれば、入ってきた方もおられるし、いろんな関係があると思いますが。私は愛知県にいて、当然ですけど福島の大船町とかから家族で避難されてきた方とか、地元にたくさんおられて、色んな人たちが埼玉とか茨城とか必ずしも福島に戻られたわけではありませんが、それぞれの方の事情で色んな暮らし方をされていますけれども。復興は何て言いますか道路とか整備計画のことなのか、総生産のことでもいいのですがそういうことなのか。元に戻すとか言われても、ちょっと戸惑うというかね。それは復興がいつ終わるとか、どのことなのか私もそんなあれじゃないので。もちろん復興五輪というのはモヤモヤして、こんな何て言うか復興五輪の名のもとに税金で、いわゆる東北以外の色んなところにも施設作るとかね、いわゆるお金使わせてずっとモヤモヤしているのですが、お話を聞きながら中々納得するものも無くて。すみませんなんか感想みたいなことで。

 私は福島ではないので本当の現状は分かりませんが、復興は日本のテレビとかそういったもので取り上げられて、実際に政府とかそういったものが動いて復興という名のもとに何かをしているというふうに報道されている部分というのは、あくまで目に見える部分がきっと多いのではないかと思っています。何かを作るとか、東北の方に資金を使って具体的に何かを作る、何かをやるとかそういう部分をもって復興をしていますという呼び方をしている面が多いなと思うのですが。実際には復興と言うのは心の中のものというか、その個々の人々の繋がりという言葉で先ほどおっしゃっていた方もいたかと思うのですが、繋がりもですが精神的な面の復興の部分が、実際は一番当事者の人たちを支配しているのではないかというふうに、まぁ当事者じゃないのですが私は想像しています。なので、そこの面というのは残念ながらどれだけの期間かかったら、それが修復できるのかとか。そういったことを明確にできることではないですし、また政府とか他の日本の地域の方だったり、世界中の人だったりそういう人たちがそこの部分を何とかしようというふうにしても、なかなか具体的に難しいので。結局は復興と呼ぶときに、もうちょっとインフラも含めた目に見える部分だけを読んでいるに過ぎないと私は理解しています。なので、私の言いたいことの結論の部分としては復興と呼ぶときにそれぞれの人が復興というものをどういうふうに捉えているかということがすごく大切で、いろいろお金を投資して東北をお助けしているので「復興しているでしょ」ということではないという。本当の意味での復興というのは精神面とか、実は全然目に見えない形にならない部分が一番重要であって。復興はもう何と言いますか極端に言うとゴールがないというか。そういうことを知ったうえで、復興という言葉を使っているとまだマシなのではないかというふうに私は思っています。一つだけちょっとお聞きしたいなと思ったのは、可能であれば結構なのですが今ウクライナの難民の方々がたくさん出て、すごく被害状況がすごいことになっていて、残念ながらまだ続きそうな勢いがあるような気がするのですが。東北の方々が受けた被害というものを、根幹は戦争と災害ということで違うのですけどれも、やっぱり今まで慣れ親しんでいた場所から強制的に離れなければならなかったり、家族がばらばらになってしまったとか無くなる方が出てきたりという点では、少し似た点もあるように思いますが。あとは原発のこととかも、共通点が少しあるような気もしますし。そういった点で例えば、私は福島の人間じゃないのであくまでアウトサイダーとして、ウクライナのこととかすごく興味があるというか。ウクライナがもともと好きなので、すごく逐一1日のうちに20回以上ニュースをチェックしていますが。でもそういう私と違った福島の当事者の方というか、すごく色々な意味で痛手を受けた方々、そういう人から見て、ウクライナの今の惨状というか、そういうのはどういうふうに写っていたり、どういう問題点や意識を持っておられたりとかするのかなということを可能であれば聞いてみたいなと思います。非常にセンシティブなとこなので難しければ全くスルーしていただいても私は何とも思いません。

 一番ホットな政治的な課題ですので、それにも関わってくるだろうなと思っていました。少し整理したいのですけれども、最初から出てきている「心の復興」となんというか「物質的な復興」の話を分けるのか。あるいは、そもそも「心の復興」なんて言葉の使い方は大丈夫なのか、そんなこと使っていいのだろうかとそういう問いかけもありました。その二つを分けるというのが一つあったと思います。それと物質的な復興に関しても、こんな言い方して大丈夫か分からないのですが、多分普通に天災の被害があった時にそこから物質的に建物が、あるいは街が復興するという話はある気がします。ただ今回の3.11の場合においては、やはり放射線という原発事故があったからそれを復興することが出来ないというか、正にコミュニティが失われるみたいな話が合ったのですけれども。それが「物質的な復興」という意味でも手つかずというか、どうしようもないというか。そのようなことで、そこでちょっと分けなきゃいけないって部分があるような気がしています。あと心というか、精神的な部分での復興は意味で言うと、ある方は忘れないことと仰っていたけども、やっぱり原発事故の問題があるから忘れないという話になりますが、一般的に言うと例えば戦後復興とか阪神大震災からの復興はどういうふうになるのか分かんないですけど、やっぱり「あったよね」ということが忘れられていった時に「復興したな」という気もしなくもなくって。だから元通りにはなりませんが、それとは別の次元の新しい生活が始まってとなると、「復興した」というか、しちゃったのかなというふうに言えるのかと思います。特に戦争の話もそうだろうし、そして戦後復興はすごく難しいのですが、もちろん戦争によって身内を亡くした人たちというのは多分忘れられないだろうし。だから多分復興とかしないような気もするのですけれども。ただ街並みとかの話であるならば、街並みが再建されれば復興し、そこに新しい生活が始まるのであって、前のことを忘れてしまったら、復興と言えるのかなという気もしたりして。だからいくつか今日まだ出てきていない「復旧と復興」は違う話なので「復旧と復興」「精神的な面、物質的な面」、そしてずっと残り続ける影響みたいなものがあると、これはどうしようもなく復興はできないと物質的においても。そういういくつか分けなきゃいけない部分があるのかなと思って聞いていました。

 正に質問しようと思っていたところですが、只見線が今度復旧しますよね。あれ誰も決して復興と言わないですよね。なので、壊れたものが元通りになる時は、普通多分復旧ですよね。多分復興とわざわざ「興」の字を使っているのは、恐らく盛り上がった状況にもの自体が元に戻るのではなくて、状況として良い状態にあったものを良い状態だと思える状況にする時に多分わざわざ使うのかなという気がしていて。なので、例えば戦後復興の時には、戦前のそのままの街並みに戻そうって発想は全く無くて。東京という街が世界に名だたる都市として、また一線に戻れるところをもって、復興と多分言葉を選んだのだろうと気がしています。それで同じように考えた時に、さて東北地方とはそもそも盛り上がっていたのか。そもそも震災前から人口が多くのとこから減っていて、仙台の一人勝ちみたいなところがあって。それで段々衰退していく。実際福島だって僕が赴任した頃は、福島駅の周りでそれなりもうちょっと店が流行っていた気がするし。それで福島であまり買い物できないから一時期郡山に買い物に行っていたけども、でも郡山が段々衰退してというふうになんかどんどん下がっている状況にあって。さて、そこで「復興とは何か」というのが文字通りに字を見る限り、すごくなんて言うのかな、政治的に良いことを言うためにわざわざその言葉を使っているようにしか見えなくて気持ちが悪いなって、僕はずっと思っていました。

 何から復興するのかってことで考えると本当に原発とか物質、経済成長でやってきた日本の国策によって、つまり僕ら一人ひとりが大事なものを見失ってしまった部分は絶対あると思いますが。決してものの豊かさとか、お金があるからとかじゃないということを教えてくれたのが、今回の原発事故を伴う震災だったのかなと。そう考えると復興は本当に人間一人ひとりみんな持っている優しい気持ちとか、社会を良くしようとそういう心を復興することかなと思います。

 復興は外から強制するのではなくて、自分から復興したと思う気持ちだと思うのですけれど。もう帰れない人は帰れないのに、福島市の中にも避難の人はいるはずですけど、そういう人と融合しないで分断されているようで。そばにそういう人がいるのに何を考えているかお互い分からないみたいなところがあって、今までは箱モノでいっぱい作っていますけれども、今度からはソフト面で。本当は「3.11は防災の日」ということで休日にして若い人なんかが休めるようにして、おばあちゃん達は墓参りだとかイベントとかに連れて行けるような、そういう日にしなければならなかったと思いますが。ちょっと駅前でキャンドルナイトをやって、それで終わって次の日からは原発のことも復興のことも何も普段の会話の中に入れられなくなっちゃう、言えなくなっちゃうという。そういう状況が私的には感じるのですが。今度ソフト面で話し合う場がある、作っておくとか居場所があるみたいなのがあるとか復興の日とか安心して喋れる、避難の人が喋れる、聞きたい人は福島市民も聞けるというそういう融合するような言葉がソフト面の必要かなと、とっても思っています。

 「復旧と復興」の違いを言われたのですが、具体的に只見線の話が出ました。あれは要するに線路だとか、橋が流されて列車が通れない状態になっています、それが通れるような状態になること、それが元に戻る復旧だと。非常に分かり易くその通りだと思う。それで復興とは何か考えたのですが、先ほど町おこしというようなことを何だがよく分からない、気持ち悪い話がありましたけど。要するに復興とは何かを興す、始めるという意味合いがあるのかなと。何かを始めないと興すということにならないのかなと。そういうことからすると町おこしということで何かをやるというのも、一つ復興に繋がっていくのかなと。例えば町おこしのやり方として、ある街では村では要するに産業としては稲作一本の農業だけ、そういうようなところ、それに近いところ福島県内でもあったし、ありますよね。そういうところが町おこしと言い出して、例えばその村なり町に今まで誰も顧みなかった、例えば文化財があるとすれば、それを使って新しく教育材料にしようとか学校でこういう古い物や由緒あるということを教えるとか。あるいはそういうものを観光の材料にして人々にもっと来てもらう。そういうことからすると町おこしという意味合いからすると非常に意味があるのかなと。別に町おこしという言葉、そういうことで行政なりその街の人たちが一生懸命やるってことに意味があるのかなと思いました。先ほど町おこしが気持ち悪いという話をちょっと私の解釈違うのかもしれないけど、そんなようなふうに聞こえたので一つ復興という「復」という言葉の問題じゃないのですけれど、再びという「再興」と同じようなことなのかなということで、復旧との違いから復興というのは何かを付け加わる、何かを始めないと復興にならないということを感じました。

 今の議論はとっても面白いと思うのですが、そこで復興の「復」はどこにいってしまったのでしょうか。復興の「興」の方は今の説明ですごいクリアだし、一つの在り方として良い解釈だと聞いていたのですけれども。でも復興の方の「復」は復元の「復」ですから、その「復」は今の説明だとどっかにかなり霞んでしまっていて。なので、そこはどこにいってしまったのかという質問です。

 おっしゃる通り。と言うのは多分復興なり再興というのは、前は何かがあったという前提だと思うのですが。ただ、それをあんまり意識しないで言っている。だってある町に産業、米作だけやっていたとしても別にずっと大昔から米作やっていたわけではなくて何かがあったという前提で復興、再興というふうに考えんのかなと。非常に曖昧ですが。またあの復旧、復興とちょっと似たよう議論になっちゃうかもしれない。それでここで思い付きばっかりなのですが、病気のことを例にとると。例えばまぁ私結核に近いようなことを経験ありますけど、そういうことで病気になり色々治療して薬なんか飲んで回復しました。すると心身、体の方はまぁ一応元に戻る。それが、まぁ病気が治るというふうに言われるわけでしょ。そして医者にかかんなくていい。それで体が元に戻るという時の体っていうのは、当然心と体が一緒になっているわけでしょ。そういうことで回復だし、回復にはなった復旧ではあるのだけれども、さらに何かが加わらないと。まぁ今までの復興ということを考えると、この元の体に戻ったということによって、何か今までにない元気が出てくる、やりたいことが出てくる、何か新しいことを始めよう、勉強しようとか思った、そういうことに取り掛かることができる。そして病気が治ったうえに、もう一つ加わった。その状態が復興というようなことになるのかなと、一つのささやかな例ですけど。そんなふうにも思います。

 回復という点で、体が回復すると復興は言葉自体違うと僕は思いますが。福祉業界にいたことがあって、福祉では回復とは言わない。寛解と言います。その人とその体を失った手足とどう向き合って生きていくか。これは回復ではなく、向き合っていく形なので寛解。なので、その復興という漢字に当てはめていく、その街と生きていくという意味では、復興ではなくて寛解という感覚で取り入れて考えた方がいいのかなと僕は思います。

 また言葉の問題。寛解というので、精神疾患等で言う。例えば統合失調症の場合、これは完全に治るということは前提としてないですよね。要するに症状が良くなる。今までのような社会的に非常に支障のあるような状態にならなくて済みますよ。それを寛解状態というふう言っていると私は理解している。

~10分休憩~

 それでは再開したいと思います。復興の話から、復旧と復興とかの話も出てきたとこです。オリンピックの話は少し出ていますけれども、コロナの話がそんなにまだ出ていませんので、コロナ禍のことも絡めながら後半考えていきたいし、途中出されましたウクライナの問題ですね。これについても皆様からお話伺っていければと思っております。それでは後半を再開、復興したいと思います。どなたからでもどうぞ。

 誰宛てという訳でもありませんが、質問からちょっと始めたいのですが。コロナ禍から復興という言葉になりますかね。それとも復旧になりますかね。どっちがピンとくるのでしょうね。なんとなくですが、飲食店の人と話していると決して復興とは言わないような。「せめて元通りにくれ」という言い方をするから、恐らく復旧に近いのかなという、ニュアンスはなんとなく感じているのですけれどもその辺なんかどうなのでしょうねという問いから始めさせてください。

 私もそんな感じです。復興の方にはちょっと傾かないかな。コロナ禍という感染症のウイルスによって病気が蔓延していますが、それが災いでなくなるというだけの話ですよね。だから、なにか新しいことを付け加わるなんていうのは、あまり関係ないかと思います。

 ただ、なんて言うか僕すごく一番は、それこそ収束してくれればベストなわけですけれども。それで十分ベストなわけですが、一方で収束はあり得るのだろうかと。その前に復旧もあり得るのだろうかというのは、すごく不安に思っています。だから僕はすごく原発事故と重ねて考えているところがあってですね。僕がずっと「てつがくカフェ」もマスクしたまんま、そしてコーヒーは出さないみたいなのが、もう永遠に続きそうな気がしなくもないです。なんか嫌な予感がしていてですね、どうなることやらと思っています。

 私は東京から参加しておりますが、今の話で言うと感染症あるいはパンデミックと言うのは、いずれ収束すると僕は思っています。と言うのは、歴史的にどんな感染症も克服してきた人類の歴史というのがありますから。ただそのスパンというのが例えば半年後に消えて無くなるよという短いスパンじゃなくて、多少かかるだろうなと。多分スペイン風邪の時代よりも、一気にパンデミックが広がるとか。それはもうグローバル化して、そういうことのスピードはすごい勢いで広がりましたとかもあって。その分逆に言うと早く静まるのかもしれない、そうでないかもしれないけど。いずれにしても、そんな簡単に収まらないと思います。ただそれでも、10何年スパンの感じで考えていけば、克服できるのではないかというふうに思っています。それに対して原発ですが福島第一原発今双葉町の方とかもいらっしゃるので、あんまりちょっと言いたくないかと思うのですけれども、あれ廃炉にできないと僕は思っていますし、確信しています。というのは国が出した30年、40年で廃炉するというロードマップが遅れに遅れているというのは皆さんご存じだと思いますが。あれが50年延びるとか、100年延びるとかって言ったってデブリ出せますかという感じで、出せないと思います。たとえ万が一、デブリを出したとしてそれどこに持っていきますかと、問題がまた出てくるわけですよ。ですから、結局あれはもう永遠に、攻撃されたチェルノブイリというのは1986年の事故が起こった後に、石棺というかコンクリートで固めましたよね。それが持つのが30年だって言われていたから、30年後の何年か前にその上にさらに第二石棺というのをやりましたよね。それはさらにコンクリートより丈夫だから100年持つと言われています。ただ100年たったらどうするのか何も決まってなくて。多分その上に、さらに未来のもっといい物質で第三石棺を作るのだと思っています。そのように福島第一原発に関しては、周囲がどれだけ除染できるかということはあるし、どれだけ人々が住めるようになるかということがありますけども、あの原発事故自体は到底無くならないし、廃炉には出来ないと思う。だからそこはもうコロナと全く違う。ただ先ほど寛解って話をされていた方がいて「あぁなるほどな」と、復興はこう考えると分かりやすいなと思いました。さっきの方仰ってたように、例えば事故で手足を失いましたと、戻らないといったとしてもそれならそれでそういう生き方として、幸せに生きていくことが出来ればそれは寛解だと、そういうことを考えると非常に分かり易い。原発はもうどうしようもない、放っておくしかないのか、また暴れ出さないように守りつつ固めてくしかないと思うのですけれども。それを抱えながらもどうしたら、人で言えば幸せに生きていけるのかというような道がないのかなというふうに僕は思っております。

 僕も今の話聞いてなるほど、そういう手もあるのかなと思ったのですけれど。前半の話も聞いて思ったことで、僕は静岡から参加していますので福島の復興とはまた違いますが、やっぱり全国でも復興とは言わないけど「興す」ことを求めている。町おこし協力隊とかは全国にいたりとかして、町を「興そう」としている。外部から入って来てくれた人たちがいて、僕もテレビで自分の街の人たちを観てちょっと嫌な変な「興し方」をされていて。勝手にカレーの街にされそうになっていて。誰もそんな望んでない、本当に「そんな街じゃなくていいけど」みたいな。むしろ「この静かな街が好きなのだけど」とか思っています。なんか、その興され方に違和感を覚えて。確かに寛解という考え方で何か違う居心地で、自分たちが住みやすいというか幸せな街なのか、幸せな人生を送れる場所を作るということを考えればいいのになって。なんかそんな無理に興す、盛り上げる必要はないよねというのは感じたので。何かその寛解みたいな違う考え方で出来ればなと確かに思いました。なので、福島だけじゃなくて多分オリンピックが「福島を復興」と言っているのは、日本全体の復興のメタファーにされているというか。そういうのもあるのではないかと、あっただろうなというのはさっきの話を聞いていて思って、そこに暴力性みたいなものは感じました。

 僕は復旧というのは、復興と言うものの中に復旧があるという気がします。ですから、何かあった時まで戻すというのが復旧で、それからその場から少し伸びていくとか。そういう気がするので別に辞典を見て言っているわけじゃないので、想像して言っていますが。それからさっき彼が言ったみたいに、こういうように今なっていくけど、私はそう思わないみたいなね。そこで一番いつも突き当たるのが、多数決というやつですよね。多数決でこういう具合にしていくと。こっちの人も、その辺がどういう具合にやることによって復興というのが、拍手喝采となるのかという気がします。

 今多数決とおっしゃったのは、要するに多くの人がそれを望むないし、賛同するものが復興だってそういう意味での発言でしょうか。

 色々意見はあると思っていて、こういう方がいいとか。そこで最終的に落ち着くのは多数決じゃないかと。ただ僕自身は、あんまりそうは思いたくないです。そういう生き方をしてきたので。ただ、マジョリティの中のマイノリティみたいな感じで、マイノリティも大切にしないといけないというのはありますけどね。

 確かに復興が多数決で決められて、そこは東京オリンピックも多分同じで、多くの日本人は「おもてなし」で万々歳と言っていたのだろうと思いますが。マイノリティの私なんかはモヤモヤしながらそれを聞いていたという。そういうふうになってきた時にやっぱり、そもそも復興は今までの話を聞いていて経済ベースというか、経済成長を前提とした考え方になっているという感じがあって。確かに福島にいてこれだけ人が減っていって、このままでいいのだろうかとすごく不安にはなるのだけれども。そうかと言って、ここが仙台みたいになって欲しいわけでもないし。なんかその上手い寛解的な解決はないのだろうかというのは感じるところではありますね。

 じゃあ復興五輪はなんの復興だったのかと、色々考えていた時に一つだけあるなと思ったのは自民党が復興したのは間違いないと思っています。要するに民主党政権に一回奪われて、それで権力を失ったところから取り返して。それで「日本は良い状態になっています」と言うことはできる唯一の復興が謳えるのは自民党なのかなと思いました。

 僕も復興五輪についてですが、そもそも僕は復興とスポーツを結びつけるのはちょっと無理があったのかなと思っています。村や町とかの中で散り散りになった人を一回集めて何かスポーツ、運動会やってみんなのコミュニティの場を取り戻そうとかだったら、まだスポーツと復興とかは結びつけることはできんじゃないかなと思うのですけれども。世界中の人を集めてスポーツやってそれが復興だって言われても、僕は全然納得いかなくて。スポーツはあくまで僕は気晴らしとか、そういう感じだと思っています。それを最終的には復興オリンピックですらなくなって「コロナ禍の中で頑張ってみんなスポーツやろうよ」みたいな感じになっちゃって。そもそも復興とスポーツを結びつけるのは無理があったのかなと僕は思いました。

 東京にずっと住んでおりますが、東京オリンピックの招致は別に今回が初めてじゃなくてその4年前、あるいはその8年前かもしれないのですけれどもずっとやっていたわけですよね。それで、たまたま色々と招致合戦をして上手くいかなかった。今度こそという時に復興とお題目で付けただけというのは、東京にいればみんな知っているはずだと思います。というのは散々その前から名乗りあげていたわけですから。安倍晋三がまるであのプーチンが「ロシアはウクライナを侵攻してない、攻撃してない」というくらいバレバレの嘘のアンダーコントロールという誰が聞いても噓のことを言って。あれもまともに考えたらアンダーコントロールどころじゃないわけですけども。そういう嘘で塗り固めてきただけの話だと思っています。それで、何が言いたいかというと僕もずっとオリンピック反対で、最初から反対でしたが結局復興の言葉がいいように使われているわけですよね。実際何が起こったかというとオリンピック決まったって時には、福島あるいは東北三県の被災地のために色々人やモノをなくとも作らなければならない、直さなくちゃいけない。モノや人は東京の方に高い金で集められてしまったみたいなこともあり。全然復興でもなんでもない。話がズレましたが、何が言いたいかというと復興の言葉に騙されちゃいけないというか。そんな簡単に復興と言っちゃいけないぞという気が一つあります。それでさっき思いましたが、復興ではなくて先ほど言った寛解の本来の意味というのはちょっと違うかもしれないですけれども、違った概念の新しい言葉がない。混乱している。権力者も、一儲けしようとしている土木会社も、ゼネコンも、我々市民も全員が復興と言っている。それぞれが意味合いの違うことを同じ言葉でまとめているところに、すごくなんかやっぱり今他の言葉無いです。無いので中々これどうしたらいいか難しいのだけれども、そこにすごく罠があるような気がしてならないというふうに思いました。

 最初復興五輪ということで聖火リレーの出発点はみなさんご存じですか。あれ最初は浪江だったわけですよ。浪江という原発が無いところからスタートして、原発をみんなに映してもらおう、知ってもらおうという取り組みだったわけですけどそれはおかしいと。原発事故があるところからスタートしろと、なんだったら原発からスタートしろというふうに国に言ったのですけど。そうした結果Jヴィレッジになったのですけれども。でもJヴィレッジはそれって結局お金なんじゃないかなというふうに思っています。結局自分の要望は通ったから嬉しいですけども。浪江からスタートして復興というオリンピックと重ねて、さらに現状を伝えようとしている風な動きってメディアの作為というか、あるのかなというふうに僕は思っていました。

 Jヴィレッジについては、この間本を読んだのですけれど。原発の設置に反対して30年近く教員の方々とか裁判していて。Jヴィレッジは電力が寄付で作ったということであって。私も相馬にいるのですけれども聖火リレーの時にちょうど、私商工会議所というところにいるのですけれども、ぼんぼりを立てて「桜まつり」をずっと準備していたのですが。聖火リレーが中村神社の参道を通るということで。そこで協賛を頂いた地元商店街の5千円とか1万円とかぼんぼり付けますが、聖火リレーが通るから電通とか大手スポンサーが迷惑だから全部設置できなかったわけですね。そんな高々小さい商店の地域の些細なイベントですけれど、それをやるのに大手スポンサーの気を使ってわざわざ日にちをずらすとか本当ふざけんなと思いまして。全然復興も何にも関係ないというメディアとか大きいスポンサーのイベントとして行われたという。私も最初から反対はしていましたけどいい迷惑でした。

 良い情報でした、初めて知りました。残り30分くらいになってきました。ぜひまだ発言されていない方はですね、色々とこれまでで関わることでもいいですし、関わらなくてもいいです。全然別の方向からでも構いませんので、何でもご発言頂ければと思います。

 復興五輪の話出ていましたけれども、元々スポーツと復興を結びつけること自体がおかしいというご意見もありましたけれども。ただ日本に五輪が来て実現できたのに復興と言う意味合いがどれくらいだか、分からないけれどかなり効いてないこともないのかなと。つまり安倍さんがリオに行って、マリオだかのパフォーマンスをやりましたけれども、あの頃はまだ震災の余韻が残っていて世界もかなり日本は震災を受けて、それをその地域、ダメージを受けた日本を復興するために五輪を誘致するのだということでもってアピールしたわけだけど。かなり「反招致」があったのかなというふうに思わなくもないのですが。ただ実際の五輪が始まってその意味合いがちょっとというか、大分というか薄れてしまったという感じを私受けておりますが。先ほど聖火リレーもコロナと重なって全国各地をつらなく福島から始まって、浪江からですけど。始まって全国各地をリレーするというこれが非常に辞めるところも出て来ちゃったし。リレーを迎えるのもあまり好ましくないみたいなことで、その辺のアピール力もなく非常に弱まってしまったというようなことで。復興の意味合いが減殺されてしまったという。そういうことはあったと思うのですが、IOCにしろJOCにしろかなり復興ということと結び付けてやろうじゃないかということは、少しはあったのかなというふうに私は理解をしておりました。

 今の話よく分からなかったのですが、今の例がスポーツと復興が結びつくということの例として挙げられたという理解でよろしいでしょうか?

 いや先ほどからスポーツと復興ということ結びつけること自体が馴染まないのではという話があったのですが。ただそこら辺を馴染ませるという意味合いから日本がリオで誘致する際も復興とスポーツとね、結び付けてアピールしたわけですけどそれが数字的にどうとかわかんないですけど、効果があって競争している4カ国ぐらいでしたっけ、その内日本の誘致が成功したと。その一つの要因にはなっていたのかなということです。

 先ほどの話からすると、「スポーツは復興のためのきっかけに少しはなった」ということでよろしかったでしょうか?

 そういう狙いを持たせたのだと思います。それで少しは効果があったと思います。あるはずだったと。ただコロナ禍ということで聖火リレーなんかも非常にそういう復興という意味合いが削がれてしまったということでは効果は少なくしちゃったのかなということであって、全く無いというふうには思っていないと。

 そうですね。それは僕も思っていたというか、僕が二本松のブドウ農家さんからお話を伺ったのが、オリンピックでコロナ禍になる前ですけども、オリンピックがあれば福島に観客が、外国のお客さんが来てくれて二本松で作ったブドウのワインを飲んでくれれば福島というものを知ってもらえて。向こうに帰っても福島のワインというのを楽しんでくれるのではないかという意味では、それは間違っていなくてオリンピックやったことに意味はあると思います。僕が思っているのが、その頑張ったスポーツ選手の方々には申し訳ないですが、スポーツで勇気づけるというかスポーツというイベントによって復興というのは多分あるかと思うのですけれど、スポーツ自体には全くそういう力は無いと思っています。スポーツをやること自体が復興と結びつかなくて。スポーツイベントで確かに復興はできるかもしれないですが、スポーツ自体には無いかなという意味で発言したのですが。そういう意味ではどう思っているのかなと聞いてみたいです。あのすみません、先ほど発言された方はどう思っていますか?

 今の話で思ったのが、スポーツ自体にその復興とかなんか結び付ける理由とかね、無いのではないかと。それはそうかもしれない。要するにスポーツしている人がどういう目的で、あるいはスポーツ界でどういうことでスポーツを普及しようとしているのかということを考えた時に、こういうことかなって。健全な肉体に健全な精神が宿ると。要するに肉体的、精神的な限界までやってみるという。そういうことが非常にスポーツマンにとっては意味が大きいのではないかと。要するに限界まで肉体、精神の働きをやってみるという。その結果が世界一とかなんとかなると、その辺が本来スポーツの意味ということではないかと思います。ただもう五輪で私は非常にあまりいいなと思っていないのは、国を背負って出ていくそれが非常に強くなっちゃってそういう在り方、私は非常に反対です。

 健全な肉体に健全な精神は宿るのかというテーマで昔「てつがくカフェ」でやったことがあって、そもそも「スポーツと健全な精神性というのも何の関係もないのでは?」みたいなことも昔話し合ったことがあったかなと、ちょっと今思い出しながら聞いておりました。

 僕の発言はスポーツ批判かどうか分からないですけど、正に今回の東京のオリンピックと福島で本当に思ったことが「スポーツしている暇あるの?」みたいな。言ってしまうと、こんなに苦しい思いや悲しんでいる人がいるのに「そんな球蹴ったりしている余裕はない」という人が日本にも世界にもいて。にもかかわらず、それを祭りのようにして観て楽しんでいられない人もいるよねと。そこと今の発言が繋がってくるのかなって、今の僕の言い方は酷く言いましたけど。スポーツと復興とどう繋がってくるのか僕もすごい共感する部分もあります。

 スポーツのすごい人がオリンピックに出る。ただオリンピックは今スポンサーのために作られているみたいな気がするわけですよね。だからIOCのバッハ氏もそっちの方が優先やからね。だからそれがないと出来ないように大きくしたIOCというのも罪というのかな、なにかちょっとしっくりこないですよね。それで復興というのはその辺の人を持ち上げるためにただ付けただけじゃないかと。「それはすごい!」という人もいるだろうし、「なんだ!」という人もいると思う。僕はどうも復興というのは、そういうスポンサーとか、そういう人のためにというわけではないけどお金を払ってくれる人のためになにか付けたのではないかという気がします。

 パラリンピックでウクライナの選手が大活躍しているわけですが。トライアスロンでしたっけ、金メダル独占して。僕も心情的に応援しちゃうわけですよね。パラリンピックのあのウクライナの選手を頑張れと思うわけですよ。それはある意味では、国威発揚みたいなもので。気持ちの上で今のそのウクライナの人達がどれだけパラリンピックを観ているか分からないですけども、観た人が元気づけられるということはあると思います。ですから、そんな意味で必ずしも復興に役立たないというようなことではないと思います。ただ、やっぱりそれに危険な部分があって。ある種のナショナリズムを駆り立てるということはありますんで、それはもろ手を挙げて全部良いとは言いませんけれども。ただある種のスポーツの力というものが、そこに全く役立たないということは無いと思います。いかがでしょうか?

 阪神大震災の時にオリックスが「頑張ろう!神戸」みたいに付けていて、すごく盛り上がっていたのを思い出したのですが。人々を勇気づけることができるかどうかという意味では、間違いなく勇気づけたと思うのですけれども。特に野球が好きな人に対して。けれども、じゃあそれが復興に繋がったのかというのは、なんか別な問題のような気がしていて。あくまでもスポーツの役に立つのは、人の心を勇気づけているだけで復興そのものには必ずしも繋がってないのではないかという気がするわけですね。さっきからずっと考えていたのが、そもそも復興と言いだす人は誰なのかと。権力の無い人が復興の言葉を言い出すだろうかと思いまして。それで、ウクライナ問題もウクライナ側に立つのではなくロシア側に立った時に、恐らくですけれどもロシアはクリミア併合とかしているぐらいですから恐らくソビエトのような強大なロシア帝国を、それこそ復興しようとしているのではないかと見ることもできますよね。それで復興と言い出す人達というのは、なんか良からぬ権力を持っているような人のケースが多いのではないかなと思っています。そうではないケースで復興と言い出して、それが実現した例が歴史的にあるのでしょうかね。そうやって考えていくと、復興と言っている言葉自体がかなり怪しくて。なんか他の言葉を見つけて他の目指すべき目標、最初の方の議論に戻りますが、何を本当に目指しているか。それに対してどういう展望でやってくのかという、新たな作戦を立ててかない限りあんまり幸せにはならない。幸せになるのは自民党だけなのかなという気がしてならない。

 今の方のおっしゃる通りだと思います。私もさっき言った通り復興は言葉がその言葉しかないから、全ての人が復興と言うけれども権力者が使う場合の復興と、被災者が使う場合の復興と、ゼネコンが使う場合の復興と、電通が使う場合の復興は中身が違うわけですから、それを復興と十把一絡げにしちゃうってことは非常によろしくない。これ新しい概念なり、考え方というのを立ち上げていかないといけないと思います。それからもう一つ、最初の方に出ていた復興は心の問題かどうかって議論があったと思うのですけれども、先ほどの話で復興が心の問題に関わっているのであれば、スポーツもそれをケアアップすることは出来るのではないかというくらいの意味ですが、そこに全く完全に否定すること出来ないだろうなというふうに思っています。

 復興五輪はやっぱり何が復興だという気持ちは一時的にあるのですけれど。復興とやっぱり付けたくなりますよね、オリンピックに頭にどうしても。国民を統合しやすいし、乗りやすい。やっぱりこの言葉は金が大量にかかって、それが国の負担にかかってくると分かりつつも復興と言われるともうそっちの方に寄っちゃうというか。あとスポーツをやる選手自体も、頑張ったからいいとは思いますが、銅メダルを取っても「いやまだ私は銅メダルでは満足しません」となって、取った途端に選手の口からそういう言葉が出る。あと金メダル以外は喜ばないといいますか、評価をしないような風潮がどうも蔓延しているような感じがして。だからスポーツ選手が社会貢献だとかしてもらわなくてもと思うのですけれども。スポーツ選手がね、最近口に出ることがみんな同じなような感じがして。ちょっとつまんないなって感じがします。

 費用対効果を考えるとオリンピックは、何百億とか何千億とか知らないけど、それがいつの間にかものすごい金額になって。だったら1兆円くらい使って直接希望者とか外交官みたいな人を福島に招待して、そこで福島の食べ物はこんなに美味しいだって、福島は今そんなに危なくないと直接PRした方がよっぽど良かったと私的には思います。今オリンピックは利権になってしまって、スポーツ選手は頑張っているけどそれは各々でやればいいことで。私なんかはスポーツ選手のために我慢しているみたいな感じがあって、在り方的にはおかしいのではないかと。五輪が始まったから福島の復興は2~3年は遅れたというか。なぜかと言うと、私福島の病院の先生と知り合いで資材が入らないから高騰しているという話を聞いて。人も入らなくて2~3年は五輪のおかげで遅れたということが、東電の廃炉作業員も五輪の方に流れたという話を聞くと本当に復興のためにはなったのかなと思う。費用を考えると勿体なかったという気がします。

 残り10分ぐらいになってきましたが、ぜひ皆さん発言いただければというふうに思います。

 先ほどのお話から似たような感じになっちゃうのですけれども。どちらかというと復興というよりもオリンピックに対する文句になってしまいますけれども、選手が頑張ったかよりもメダル取ったかどうかの方が重要になっちゃって。もう本当にスポーツの精神というのがオリンピックの中に、メディアとかの問題もあるかもしれないですけど「メダルが何枚取れました」「何位でした」ところしか報道しないので「選手がこれだけ頑張りました」という感じは伝わりにくいから、そういう意味ではスポーツの精神からちょっと離れているなと思って。そういう意味ではオリンピックと復興というのはどうしても繋がらないのかなと思いました。もう一つ、大分前に福島で被害あった人からウクライナの方はどう見えるかという話があったと思いますが、震災当時僕も福島に住んでいました。ただ会津の方にいたので津波とか原発とかの被害は、津波はもちろん無くて、原発の被害もそんな大きくなかったのですが。正直他人事として思っていたかというと、その時僕は多分他人事として思っていました。でも津波で流された人とかがいると思うとすごく悲しかったですし。それと同じようにウクライナで人が死んでいると思うとすごく同じように悲しいので。ウクライナからしたらあれは天災でも何でもなくて人災なので。僕は本当に他人事だとは思っていますけれども同じく悲しくは思っています。

 震災から11年たちますが、放射能の話はもう全く会話から消えましたね。これは復興ですかね、気にしなくなった。せいぜい野菜なんかの福島産の柚子となるとまだ出ているのでそれは買わない。あとはこの季節山菜を取りに行けない。山菜がまだ出るので11年たってもまだ行けていません。この時期に「あぁ原発事故のせいだな」と改めて認識しますけども、本当に市中の会話の中から放射能が消えてしまったという想いです。

 福島市内で震災後2週間ぐらいは毎日原発の話だとか、放射能の話だとかを盛んに近所の人としていましたが、山下何某さんが「安全です」と言って回ったらみんな帰ってきて、ホテルにずっといた東部に行っていた人も「大丈夫だ」と帰ってきたら、それから一切原発の話は出来なくなってしまって、なんか政治的な話に取られちゃって。原発の話未だにする人は、あと憲法の話とかする人は特殊な人みたいな、普段の生活からはもう言えなくなったというのが、すごく私も感じています。前は金曜講座が2カ所であって4~5年くらい前から「バカヤロー」なんて怒鳴られたことがあって。「風評被害を増す気か」という意味だと思うのですけれど、今は例えば何とか処理水海洋放出ですけど、害があるか私は分かりませんが風評被害は必ず起きると思います。でもその話をすると「あんた達がそう言うから風評被害は起きる」みたくなんか言われそうであんまり言えないというか。私は大阪湾とか東京湾とか地産地消で半年か一年くらい流して、風評被害が起きるかどうか実証実験して欲しいとFacebookにいつも書いていますが。実際に害が出るかどうかよりも風評被害というのは今流しちゃえば、永遠に流し続けるわけですから、遮断して地下水がどんどん入ってくるわけですから。そこきちんと遮断して、60年くらい保管するとトリチウム半分くらいで害が無くなるから、やっぱりそのくらいはやるとか大阪湾は橋本知事だかあの時流していいって言ってわけだから、交通費はかかるかもしんないけど流してみて。それで風評被害が大丈夫だって言ってから福島県で流せばいいと思っています。

 今日色々お話を聞いて、自分の中で復興の印象がすごく変わって。僕としては他人の目を気にしている言葉のように今日で感じました。例えば復興の言葉を掲げることによってすごい見栄えが良くなるし。逆に使わないと叩かれるような場面も「なんで3月11日にこの番組放送しないのか」とか。そういう叩かれる面もあるだろうし。復興を盾にするような状況とかもきっとあるというふうに今日の話を聞いて感じました。

 1964年のオリンピックの時も皆さんが盛り上がっている中、ちょっと違うなと思ってらっしゃった人がいたらしいようです。そういう人もいらっしゃったみたいで、「戦後まだ20年しかたっていないのにオリンピックなんかやって」と思った人もいらっしゃったみたいで。ただ今振り返ると1964年のオリンピックが『ALWAYS 三丁目の夕日』に描かれている限りでは良かったもののように感じますが「なんか違かったな」という感覚を私たちも今回のオリンピックでそれを覚えておくのが、すごく大事なのかなと思ったりします。先ほどお話にあったオリンピック関係の仕事で人が足りなかったという話で、私もオリンピック関係の仕事を少しやっていたのですけれど、その時確かに職員さんが足りなかったり、資材が高騰したりして「これってオリンピックのためにオリンピックやっているけど、復興の五輪なのか?」と感じることがすごくありました。なので過去振り返った時にこの気持ち、オリンピックがすごく良かったように感じるのですけれど、「ちょっと違かったよね」というのを振り返れたらいいのかなと思っています。他者に誰かに伝えられたり出来たら良いのかなと思ったり。この気持ちをパッケージ出来ればいいのかなと思います。

 最初の方に「忘れないことが復興だ」なんて言葉が出てきましたけれども、今日皆さんが話し合ったことを忘れずに伝えていきたいなというふうに思っております。今日は3.11特別編ということで、皆様にお話しいただきました。来年の特別編はもっと大々的にマスクも無く、出来るようになっていることを心から願ってやみません。それでは本日の「てつがくカフェ@ふくしま」の特別編を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。




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