しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇92篇 <みずみずしく、おい茂って>

2017-04-10 | 詩篇

椎の木「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩篇92:14新改訳)

「目に青葉、山ほととぎす、初鰹(はつがつお)」と詠まれた新緑の候、大自然のみずみずしさは格別である。ちょうどそのように、福音のすばらしさは年老いれば老いるほど世の雑事から解放され、心行くまで主イエスと交われることにある。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5同)と主は言われたが、キリスト者の一生はこの世のそれと違い、終わりが近づくほど「みずみずしさ」が増す。▼エゼキエルは、「私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た」(エゼキエル1:1同)と証ししているが、身は囚人であろうと、病気や孤独という鎖につながれていようと、神のおられる天が開けていれば、エゼキエルと同じく使命に生きることがゆるされ、神が栄光をお受けになるだろう。生涯を通して、聖霊に満たされた「走り」でありたいと願う。▼兄弟団の聖書学院には、多くの大木があり、青々と繁っている。私が修養生の頃、植物の好きなH副院長が、実家から椎の木の実をもらってきて、決死祈祷室の近くに蒔いた。「わしは椎が好きなんだ」と言いながら・・。私は心ひそかに「気の長い話しだ」と笑ったものである。ところがどうだろう。それから約40年、今は堂々たる大木になってそびえている。学院には杉、ヒノキ、樫、クス、ナラ、クヌギなどが繁っているが、椎の木はこの1本しかないように思う。5,6粒のどんぐりを蒔いて、たったひとつだけ芽を出したわけだが、師が召されたあとも、この木は成長を続けている。創造者の支配されるいのちは、人にかぎらず、木々にもおよび、みことばの真実を証ししているように思えてならない。先週の大会時、この木の下を通るごとに、私は足をとめて感慨にふけった。