「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」(20新改訳)
昔、イスラエル人は感謝のいけにえを神殿に持ってくるよう命じられていた。それは罪、全焼、罪過などのいけにえと同じように大切なものとされていたからである。
キリスト者にとり、神殿とは自分のからだであり、共におられる主イエスのことであるのは、いうまでもない。だから私たちは、いつでもどこでも、感謝というすばらしいいけにえをささげることができる。だが、「いつでも、すべてのことについて」感謝できるかというと、簡単ではない。それは私たちがなかなか謙遜にならないからだ。すなわち自分の心が高ぶり、自己中心であればあるほど、感謝の姿勢は遠ざかってしまうのである。
だからいつも十字架のもとに行こう。深く静まり、神の子が天の位を捨て、いかに低い所まで下って来られたかを見つめ、頭が垂れるまで跪(ひざまず)きたい。そうすれば、ご聖霊の力によって水が低い所に下るように、感謝が流れ込んで来るにちがいない。