しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <ユダ王国滅亡>

2021-01-07 | Ⅱ歴代誌

「彼はその神、主の目に悪であることを行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。」(Ⅱ歴代誌36:12新改訳) 

ヨシヤ王が死んだあと、ユダ王国は滅びたも同然の状態になった。なぜなら四人の王が立ったが、みな主の目に悪であることを行い、従わなかったからである。▼この混乱の時代、エレミヤは主から遣わされた預言者としてただひとり踏みとどまり、死の危険を冒して神のことばを語り続けた。その記録がエレミヤ書である。もし最後の王ゼデキヤが心からへりくだり、エレミヤを通して語られた主に従っていたなら王国の運命は変わり、エルサレム神殿も焼かれないですんだかもしれない。それが出来なかったところに人の持つ罪の深刻さがある。▼ヨシュアが民を率いてカナンに入り、約束の地を占領して約八百年、罪に罪を重ねたイスラエル民族はそこから追い出されてしまった。かつてのカナン原住民と同じ道をたどったのだ。イエス・キリストの福音により生まれ変わらなければ、だれも神の国を嗣ぐことはできない(ヨハネ3:3)。本章21節、「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった」(Ⅱ歴代誌36:21同) は意味深い。つまりユダヤ民族がバビロンに連れていかれ、聖地からいなくなったとき、この地は安息を取り戻したというのである。その地に住む人々が罪を犯し続け、神に逆らい、暴虐と偶像礼拝を続ける時、大地が苦しむ。その結果、地は居住する民をそこから吐き出すのである。なんと厳粛なことであろう。大地から造られた人間が創造主に反抗し、みことばを破りながら生きる時、彼らを産み出した地が苦しむ、そしてついにそれらの人々が消滅すると、土地はようやく安息を取り戻すのである。▼約束の地、カナンについてみると、最初そこに住みついたカナンの7民族と言われる人々はあまりにもひどい腐敗道徳に生きたため、カナンの地は彼らを支えることができなくなり、これを吐き出した。それがイスラエルによる聖絶となって実現したわけである。ところがここを継いだイスラエルも千年も経たないうちに腐敗し、同じように吐き出された。つまりアッシリアとバビロンによる捕囚がそれで、選民はその地から拭い去られたわけである。しかし憐れみにより、帰還したユダヤ民族により、約束の地はふたたび再建され、エルサレムに神殿も設けられた。ところが彼らの王として来られた神の御子を、選民は拒否し、これを十字架につけて殺してしまった。そしてふたたびそこから吐き出され、世界に流浪する民となって二千年に及んだ。こうして人間は神がお与えになった約束の地に住む資格のないことが歴史により証明されて今日に至っている。これを解決するのは、ただひとつ、イエス・キリストがふたたび地上に王として再臨されることだ、と聖書は告げている。

 


朝の露 <ヨシヤ王の戦死>

2021-01-06 | Ⅱ歴代誌

「エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。男女の歌い手は、ヨシヤのことをその哀歌で語り伝えるようになり、今日に至っている。これはイスラエルの慣例となり、まさしく哀歌に記されている。」(Ⅱ歴代誌35:25新改訳)

国民から敬愛され慕われたヨシヤ王は三九歳の若さで戦死した。なぜこのとき無謀な戦いに出かけたのか、理由はいまひとつ明らかでない。ただ、「神の御口から出たネコのことばを聞かなかった」(22同)とのことばから見て、血気にはやり、国民も奇蹟を期待しながら王を励まし、送り出したのではあるまいか。▼人々はひじょうに悲しんだ。特に戦場となったメギド平野ではそれが大きく、ハダド・リンモンの嘆きとして後世に伝えられた。ゼカリヤは、やがてメシアが地上再臨されると、エルサレムの人々はかつてなかったほど悲しみ、それはハダド・リンモンでの嘆きのように大きくなると預言している(ゼカリヤ12:11)。 私たちがヨシヤ王を戦死させてしまったとの叫びと、私たちがイエスを十字架に殺したのだとの叫びは、やがて一つになるのであろう。▼御聖霊が認罪の霊として臨むと、「私が神の御子を十字架に殺した」という意識が生じる。人がゴルゴタにおけるキリストの死を客観的に、対岸のできごとのように思っているあいだは、真の取り扱いには至っていない。まさに主イエスは「私」が殺したのである。二千年前当時のユダヤ人やローマ人ではなく、私が屠ったのだ。御聖霊は私やあなたにそう語っている。なぜなら、このお方だけが御子の死をほんとうに目撃され、その理由と事実を見たお方だからである。私たちが神の前で謙遜になり砕かれる、すべての罪深さが音を立てて崩壊するためには、認罪という取り扱いの中に入れられることが絶対的に必要である。地上の教会はそのために存在しているといっても過言ではない。▼「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(イザヤ53:4、5)

 

 

 


朝の露 <ユダ王国最後の光>

2021-01-05 | Ⅱ歴代誌

「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主を求めよ。私たちの先祖が主のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかったために、私たちの上に注がれた主の憤りが激しいからだ。」(Ⅱ歴代誌34:21新改訳)

モーセは神殿(幕屋)を造営したとき、聖所の中に律法の書を置くよう命じた。それはイスラエルの指導者たちが絶えず読んで、神から離れない様にするためであった。だが歴代の王でそれを読んだ者はほとんどいなかったと思われる。幸いにもヨシヤ王は発見された律法を朗読させ、耳で聞いた。その結果、彼は衝撃を受け、自分の衣を引き裂きつつ泣いた。自分たちがあまりにもみ教えから離れ、罪に歩んでいることを知ったからである。▼本当の悔い改めとは、他人の罪を見つけて泣くことではない。自分の罪深さのために泣くことである。まだ二十代半ばの青年王は心やわらかにして涙ながらに悔い改め、主に従う決心をした。こうして、ユダ王国最後の時代、信仰の灯がふたたびあたりを照らすことになった。◆約500年に及ぶユダ王国史、その中で神の前に泣いた王は三人しかいない。最初の王ダビデ、15代目のヒゼキヤ、そして18代目のヨシヤである。彼らは自分が王であることを誇り、尊大ぶったりしなかった。神の前にひとりの信仰者としてひれ伏し、祈りつつ御顔を仰いだのである。特に実質的に最後の王であったヨシヤは、国全体と自分がどんなに罪深い姿をしているかを聖書のみことばによって悟り、心を痛め、王の立場にあることも忘れ、悲しみの涙を流したのであった。なんと純粋で謙遜な態度であろう。◆人間の歴史が変わるのは、誰かが「神のことばに出会った」ときである。旧約という制限された時代であったが、ヨシヤ王はその典型といえよう。もちろん人類最大の出会いは、神のことばが人となり、地上に現れたとき、ナザレのイエスとの出会いであった。世界はどれだけ大きな変革を受け、今日に至っているか想像もできない。そしてこれからもそうである。個人的にいえばパウロに天からみことば自身がお語りになったとき、異邦人世界は変わった。ルターが封じられていた聖書を調べ、ローマ書を通して神のことばに出会ったとき、新教が出現した。その他、枚挙にいとまがない。私たちも生涯において、みことばなるお方に出会い、悔い改めに導かれたのである。その点ではヨシヤとおなじである。彼がへりくだって衣を引き裂き泣いたように、私たちも心すなおに、幼子のような霊性を抱きつつどこまでも主に従って行くべきである。

 


朝の露 <マナセ>

2021-01-04 | Ⅱ歴代誌

「そこで主は、アッシリア王の配下にある軍の長たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤(かぎ)で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。」(Ⅱ歴代誌33:11新改訳)

当時の捕虜は悲惨なものであった。発掘されたレリーフなどを見ると、くちびるに太い釣り針状の鉤を刺し通され、足には鎖のついた輪がはめられ、じゅずつなぎになって歩く様子が彫られている。▼マナセ王は父王ヒゼキヤの業績を台無しにした上、国を偶像で満たし、国民を堕落させ、罪のない人々を次々に殺したため、その血がエルサレムの隅々まで満ちたと記録にある。「マナセは、ユダに罪を犯させ、主の目の前に悪を行わせて、罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった。」(Ⅱ列王記21:16同)▼こうして彼が遠いバビロンへ連行されて行ったのは、その悪行に対する神のこらしめにほかならなかった。しかし神はじつにあわれみ深いお方である。マナセが苦しみの中で悔い改め、嘆願すると彼をゆるし、ふたたびエルサレムに王として戻されたのだ。しかしすでに時遅く、国は偶像礼拝から戻れないほど乱れに乱れていた。王たる者の責任のいかに重いことか。◆そもそも名君ヒゼキヤ王の息子マナセが、どうして父のあつい信仰を受け継がず、国を偶像で満たしたのであろう。誰しもがふしぎに思うところだ。ヒゼキヤが重体になって、神に涙の祈りをささげたとき、神は特別にその祈りを聴かれ、寿命を15年増し加えられた。とすると、マナセは12歳で王位についたから、ヒゼキヤが病気を癒やされた3年後に誕生した計算になる。たぶんヒゼキヤにとっては、はじめての実子であったかもしれない。そうするとマナセは父に溺愛されて育ったことは十分考えられる。おまけにその父はマナセが12歳のとき死んでしまったのだ。◆その上、わずか12歳で即位したとき、周囲には信仰あつい養育係がおらず、国を自由宗教で運営しようとする肉的指導者たちが囲んでいた。預言者イザヤは生きていたが、たぶん遠くに退けられていたであろう。伝承によると彼はマナセ王から殺されたともいわれている。こんなふうに見て来ると、当時のユダ王朝には陰湿で深刻な主導権争いが繰り広げられていたことが想像できる。それでも多くの預言者がマナセをいさめ忠告したことは確実で、彼がそれを容れ、毅然たる信仰路線をとる機会は何度かあったと思われる。それをしなかったところに、彼の王としての責任があった。ユダ王国史で彼に貼られたレッテルは「王国を決定的にダメにした王」である。もはや二代あとのヨシヤが改革しても時すでに遅し、まもなくして南王朝は地図から消えて行ったのであった。エレミヤのいのちがけの預言活動もむなしく・・・。

 


朝の露 <アッシリア王センナケリブ>

2020-12-31 | Ⅱ歴代誌

「ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた。」(Ⅱ歴代誌32:20新改訳) 

エルサレムに来襲したアッシリア軍十八万五千は一夜で全滅したが、奇蹟の原因は二つある。▼一つはヒゼキヤ王とイザヤが祈り、神に叫び求めたことで、王の祈りと神の答えが詳しく記されている(Ⅱ列王記一九章、イザヤ三七章)。二つ目はアッシリア王の高ぶりで、ヒゼキヤ王に送ってよこした文面は、甚だしく侮辱的な言葉に満ちていた。神の怒りが現れたのは当然であった。「おまえたちの神は、おまえたちを私の手から救い出すことはできない」(15同)とは、センナケリブも愚かな言葉を口にしたものである。それに対する神の答え、「おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか」(イザヤ37:23同)は恐るべき刑罰の宣告であった。彼の誇る大軍はまたたく間に滅び、自身も偶像の宮にいるとき、息子たちに殺された。つまり自分の吐いた言葉の責任を神から問われたのであった。天地の主なるお方を偶像と一緒にする者は、アッシリア王の運命をたどる。▼しかしヒゼキヤにはアッシリア軍より大きな敵が存在した。神の奇蹟によりおどろくべき勝利を得た彼を、周囲の人々はひじょうに尊敬したのである。「この時以来、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬の目で見られるようになった」(Ⅱ歴代誌32:23同)とあるが、彼が心ひそかに自己称賛におちいり、高ぶりにはまったとしても不思議ではなかったろう。人間とは、つくづく罪深い者であると思う。神はそれをするどく見ておられた。そしてまもなく重病になり、もはや死を待つばかりとなったが、ヒゼキヤは床の中で涙を流して祈り、神のあわれみによって癒されたのである。▼私たち信仰者は窮地に追い込まれると、必死で主を見上げ、祈り、神のおどろくような答えを拝する。ところが、いつのまにか自分の信仰の力でそれが起きたかのように錯覚し、神をほめたたえないで自分に栄光を帰するのだ。そして神によるムチが加えられると悔い改め、憐れみによりゆるされる。このくりかえしがヒゼキヤの生涯であった。高ぶりはアッシリア軍より、はるかに強大な敵だということがわかる。