しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <流血の町>

2023-07-10 | ナホム書
「わざわいだ。流血の町。すべては偽りで略奪(りゃくだつ)に満ち、強奪(ごうだつ)はやまない。むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び跳ねる戦車。突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なす屍(しかばね)。数えきれない死体。死体に人はつまずく。」(ナホム3:1~3新改訳)

バビロン軍の突撃により、占領破壊(せんりょうはかい)されていくニネベの光景が描かれる。▼アッシリア帝国とその首都ニネベは、他国との戦争で肥(こ)え太(ふと)って来た。残虐(ざんぎゃく)のかぎりをつくし、征服した人々を殺し、奴隷にし、手あたり次第に財をうばい、それをたくわえて自分たちの財産にしたのであった。うばい取った物は、いつかうばい返される。人々を殺して略奪(りゃくだつ)した財宝は、今度は自分たちが殺され、流血の中でうばい取られていく。これがくりかえされて来た罪の歴史である。▼こうしてニネベを容赦(ようしゃ)なくほろぼしたバビロンも、その繁栄(はんえい)は百年ほどしか続かず、勃興(ぼっこう)して来たペルシャ帝国に取って代わられた。今後も流血の人類史はキリストの御再臨まで続き、大地を赤く染めていくことであろう。わざわいなるかな、まことの神を離れた人間の歴史は!


朝の露 <ニネベの最後>

2023-07-06 | ナホム書
「追い散らす者が、おまえに向かって上って来る。塁を見守り、道を見張れ。腰を強くし、大いに力を奮い立たせよ。」(ナホム2:1新改訳)

ここはニネベの崩壊(ほうかい)をさながら実況中継(じっきょうちゅうけい)のように語っている章で、次の3章まで続く。バビロン兵は緋色(ひいろ)の軍服を着て、持っている盾(たて)も赤く染められている。おそらく敵を威嚇(いかく)するために、流血色を使っていると思われる。その兵士たちが市内になだれ込み、次々に市民やアッシリア軍を刺し殺していく。鋼鉄製の戦車は狂ったように通りや広場を走り回り、手あたり次第、破壊して行く。▼王宮に住んでいる貴人たちは男女区別なく捕らえられ、たくわえてきたぼう大な財宝は略奪(りゃくだつ)され、広場に山のように積み上げられる。獅子(しし、ライオンのこと)が獲物を引きさき、子獅子のため穴にたくわえるように、犠牲者たちは町中いたるところに横たわり、流血で道という道は赤く染まる。その残虐(ざんぎゃく)さで世界をふるえ上がらせたアッシリアが、ついに、神の復讐(ふくしゅう)を受ける日を迎えた。こうして都ニネベは崩壊(ほうかい)、ネブカドネザルに象徴されるバビロンが天下を取ったのである。▼殺されたアッシリア軍が死後にどうなったか、について、エゼキエルは預言した。「人の子よ、エジプトの大軍のために嘆け。その民と力強い国々の娘たちを、穴に下る者たちとともに地下の国に下らせよ。・・・そこにはアッシリアとその全集団がいる。周りには彼らの墓があり、みな、刺し殺された者、剣に倒れた者である。アッシリアの墓は穴の奥の方にあり、その集団はその墓の周りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者で、生ける者の地に恐怖をもたらした者たちである。」(エゼキエル32:18~23同)


朝の露 <アッシリア帝国滅亡>

2023-07-05 | ナホム書
「主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。主は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。」(ナホム1:2新改訳)

ナホム書はアッシリアとその都ニネベがほろぼされるようすを記した預言書である。▼これより約百年前、預言者ヨナがつかわされた時のニネベはまだ良いところがあった。というのは、預言者ヨナが特別に派遣(はけん)され、四十日たつとニネベは神にほろぼされる!と宣言して回ると、王から一般市民に至るまで断食(だんじき)し、悔い改めたのであった。ところがそれは長続きしなかったようだ。アッシリアはもとの堕落(だらく)した姿にもどってしまい、ナホムの宣告のように、バビロンによって倒されてしまう。すなわち、悔い改めなかったので、神のさばきが下ったわけである。▼このように、ヨナ書、ナホム書という二つの小預言書が、ニネベの運命を相前後(あいぜんご)して記しているのは注目に値(あたい)する。一時的な回心では神の審判を逃れ得ないという証しなのであろう。私たちキリスト者の信仰生涯もそのとおりだ。ペテロが言っているとおり。▼「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。『犬は自分が吐いた物に戻る』、『豚は身を洗って、また泥の中を転がる』という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」(Ⅱペテロ2:21,22同)

朝の露 ナホム書3章 <流血の町>

2018-12-19 | ナホム書

八朔「わざわいだ。流血の町。すべては偽りで略奪に満ち、強奪はやまない。」(ナホム3:1新改訳)

流血の町という表現はエルサレムにも使われている。「ああ。流血の町、さびついているなべ」(エゼキエル24:6同)とあり、預言者ハバククも、「わざわいだ。血で町を建て、不正で都を築き上げる者」(ハバクク2:12同)と非難している。▼大洪水から救い出されたノア一家に、神は仰せられた。「わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する」(創世記9:5同)と。いかなる理由があっても、神のかたちに造られた人の血を流してはならないとは、ノアの子孫である人類の歴史をつらぬく創造者の御声、厳粛な命令である。▼イスラエルが亡国の憂き目に遭ったのも、ニネべが恥辱のうちに滅びたのも、結局は平気で人を殺し続けた流血の罪を神に問われた結果であった。今日まで戦争を止めないノアの子孫たる現代人、最後は神から血の価を求められる。◆エデンの園において、アダム夫妻に罪が入ったとき、それは息子カインによる弟アベルの殺人となってあらわれた。それは当時の人類に広がり、「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた」(創世記6:11同)というありさまになった。たぶん地上は流血でおおわれたのであろう。その結果ノアの大洪水となり、8人を残して人は滅んだ。洪水後のノアたちに、神は「人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神のかたちとして造ったからである」(創世記9:6同)と言い、殺人と流血を禁止された。しかし人類はそれを破り続けて今日に至っている。◆流血の極致は神の御子が殺された十字架である。人は神のかたちに造られた人を殺したどころか、神そのものである方を殺したのである。この事実を私たちは受け入れなければならない。自分が神殺しの当事者であると心から認めて・・・。そして、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」(使徒2:37同)とくずおれた、あの日の人々に加わるべきである。


朝の露 ナホム書2章 <ニネべの消滅>

2018-12-18 | ナホム書

椿の花「町々の門は開かれ、宮殿は消え去る。王妃は捕らえられて連れ去られ、そのはしためは鳩のような声で嘆き、胸を打って悲しむ。」(ナホム2:6,7新改訳)

アッシリアの首都ニネべの落城は、ちょうどサマリアのそれと似ている。▼BC722年、シャルマヌエセル王はサマリアを滅ぼし、生き残った北イスラエルの人々を連れ去った。宮殿は消え去り、ホセア王もその王妃も捕囚となった。嘆き悲しむ長蛇の列がパレスチナからアッシリアまで続いたのである。▼だがそれから百年後、今度は世界帝国の首都ニネべがおなじ目に遭った。偶像礼拝と暴力、血を流す罪を止めない国に、神による審判の剣が襲いかかった。あのヨナの宣教により、悔い改めた王の態度が続いていればニネべは助かったであろうに、それは一時的なものでしかなかったことがわかる。▼神は今も世界の国々に、心からの悔い改めを求めたもう。偶像礼拝と尊大なあり方を撤回し、万物の創造者に対して礼拝の姿勢を取れと。しかし諸国は反逆をやめないであろう。それゆえ世界は永遠のさばきを逃れることができない。◆ホセアは、アッシリアについて、「銀を奪え。金も奪え。その財宝には限りがない。あらゆる尊い品々があふれている」(ナホム2:9同)と記した。アッシリアとその王を駆り立てたもの、それはひと口でいえば「征服欲」である。彼らは周辺の国々を次々に飲み込み、その財宝を奪い、ニネべに集め、そこを宝の山にした。だがよく考えてみれば、現代の国々、世界大の企業なども同じことをやっている。彼等もまた「征服欲」の奴隷となり、製品や技術やあらゆる形の何物かを売って、人々や国々を支配していくことに喜びをおぼえているわけである。その証しが手元に集められた富、権力といえるであろう。◆イエス・キリストがなさったのは、これと反対であった。主は御自身のいのちをこの世界にお与えになられたのだ。そしてすべてを与え、すべてを注ぎ出したすえ、最後に残ったのは十字架上に骨と皮になったしかばねだったのである。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15:13,14同)