しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <ダビデの仮庵(かりいお)を起こす>

2023-06-13 | アモス書
「その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕(つくろ)い、その廃墟(はいきょ)を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。」(アモス9:11新改訳)

ユダの農夫だったアモスは、神から北イスラエルに行き、預言するよう命ぜられた。危険な任務だったがそれをなし終え、結びとしてユダとイスラエルが後の日に回復することを記す。▼彼の活動していたとき、両王国は霊的にひどいありさまだった。そのため、とおからず悲劇がおとずれるであろう。そう告げる預言者の胸中は重苦しかった。だが神はアモスをなぐさめるかのように将来における王国の回復を示されたのである。▼そのようなことが、はたしてあるのか。誰もが疑問を抱いたと思う。しかしその答えこそ、神の子イエス・キリストの出現である。人々が待ち望むメシア、キリストが来られたとき、回復は始まる。しかもその回復は全世界、全時代の回復、永遠の回復だ。なんとおどろくべきことであろう。「イスラエルよ、あなたの神がそう言われるのだ」とアモスは記す。▼主が復活されて弟子たちにあらわれたとき、彼らはたずねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」(使徒1:6同)と・・。それに対し、主は否定されなかった。ただ、「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです」(使徒1:7同)と言われたのである。福音はまず異邦人を中心とした全世界に宣べ伝えられなければならない。そして救われる異邦人の数が満ちた時、キリストのご再臨となり、イスラエルの回復と救いが始まる。アモスが記したのはその時のことにちがいない。いずれにせよ、歴史はそこに向かって進んでいる。ダビデの子、かがやく明けの明星なるイエスは、まもなく来臨されるであろう。主よ、すみやかにおいでください!


朝の露 <決して忘れない>

2023-06-12 | アモス書
「主はヤコブの誇りにかけて誓われる。『わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも決して忘れない。』」(アモス8:7新改訳)

神はイスラエルの国内で人々が犯している不正な行いを、すべて天から見ておられた。▼ 弱者を踏みつけ、苦しむ人たちを消し去る。商売では平然と不正を行い、儲(もう)けた金で人々を奴隷(どれい)にする。どんなにうわべの礼拝を行っても、悪の行いがそれを無にするのを知らないのか。だからあなた方の国は刑罰(けいばつ)によってほろび去るのだ。その日に、盛大(せいだい)な祭は喪(も)に変わり、歌は哀歌(あいか)になり、すべての人に「ひとり子を失ったような苦渋(くじゅう)のとき」がやって来る。▼アモスの預言からわかるのは、国が倒れ滅びるのは、人々の罪がどうしようもないほどあふれ、神のみことばが失われてしまうことよる、ということ。書店に聖書がならび、ネットでも自由に手に入ることが解決にはならない。国民の心の中からみことばなくなることが亡国(ぼうこく)の原因である。真の神をおそれ、みことばに生きる人たちが見い出せなくなったとき、国も消えていく。

朝の露 <ここは王の聖所>

2023-06-08 | アモス書
「アマツヤはアモスに言った。『先見者よ。さあ、ユダの地へ逃げるがよい。そこでパンを食べ、その地で預言するがよい。ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の宮だからだ。』」(アモス7:12,13新改訳)

預言者アモスに、迫害の手が伸びて来た。偶像神殿の祭司アマツヤが彼を脅迫(きょうはく)したのである。イスラエルの聖所ベテルで、王と宮の滅びを預言するとはなにごとだ。収入を得たかったら、お前の国ユダに帰り、そこで預言せよ、ここは王の聖所、王国の宮だから、と。▼なんと無礼(ぶれい)であざけりに満ちた言葉だろう。アモスはパンが欲しくて、預言活動をしているのではない、神が「おまえは北王国に出かけて行き、そこでわたしが授(さず)ける警告(けいこく)の言葉を人々に告げよ」と命じたから、いのちがけで伝えているのだ。アマツヤは金の子牛を祭るベテルの祭司として多くの金銭を得、ぜいたくな暮らしをしていたのだろう。彼の言葉は、はからずも偶像に仕える祭司の実体をあらわすものとなった。それに対してアモスはアマツヤの悲劇的な最後を宣告する。「あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測り縄で分割される。あなたは汚れた土地で死に、イスラエルはその土地から必ず捕らえられて行く。」(アモス7:17同)


朝の露 <安逸を貪る>

2023-06-07 | アモス書
「わざわいだ。シオンで安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)る者、サマリアの山に信頼している者。イスラエルの家が頼って行く、国々の最高の首長たち。」(アモス6:1新改訳)

自分たちの国が、今どのような状況に置かれているかを正しく判断できない指導者、国の首長たちはわざわいな存在でしかない、とアモスは言う。当時のユダ、イスラエル両王国(BC8世紀ごろ)は、預言者たちの語る声に耳を傾けず、エジプトなど大国の援助(えんじょ)をあてにし、自分たちの住む場所の堅固なありさまを見て安心していた。その上、目先の一時的な繁栄(はんえい)に惑(まど)わされて安心し、ぜいたくな暮らしを楽しんでいた。「彼らは鉢(はち)から酒を飲み、最上の香油を身に塗り、ヨセフ(北イスラエル王国を指す)の破滅(はめつ)のことで嘆き悲しむことがない」(6)とはそのありさまの描写(びょうしゃ)である。▼国のほんとうの姿は、ぼう大な情報を集め、AIで分析したところで把握(はあく)できるものではない。それは永遠の神の言葉に謙遜な態度で耳をかたむけることにより、はじめて可能になる。しかし現代人は聖書を軽視し、ただの神話として片づけ、あの知識、この情報を集めて解決をはかろうとするのだ。▼預言者アモスやイザヤが生きていたら、今の時代を笑うであろう。真の神の前に盲目な人たちよ!なぜ主イエスとそのみことばの所に来ないのかと・・・。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」(マタイ7:24~25同)


朝の露 <主を求めて生きよ>

2023-06-06 | アモス書
「主を求めて生きよ。そうでないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下る。火はこれを焼き尽くし、ベテルにはそれを消す者がいなくなる。」(アモス5:6新改訳)

偶像に仕え、不正を許容(きょよう)するイスラエルに向かって、神はなおも「悔い改めよ」とよびかけるが、それを記したのがこの章である。▼わたしを求めて生きよ(4)、主を求めて生きよ(6)、そうでないと審判の火はあなたがたに下ることになる・・切々とした神の御心(みこころ)の痛みと愛が迫って来るよびかけだ。あなたがたがどれほどわたしに背き(そむき)、その罪がいかに重いかをわたしはよく知っている、そのままの生き方をやめないなら、やがて来る「主の日」に、あなた方はダマスコのかなた(すなわちアッシリア)に移されることになる。▼だから賄賂(わいろ)や不正なさばき、みだらな歌や酒宴(しゅえん)などのバカ騒ぎをやめ、わたしへの真実な礼拝を復興(ふっこう)せよ、そうすればわたしはあなたと共にいよう。イスラエルの人たちよ、公平を水のように、義を谷川の流れのように回復させよ。南ユダからやって来て、危険をおかし、イスラエルの町々で叫ぶ一人の農夫・アモス。たしかに彼は「荒野に叫ぶ者の声」であった。