「ヨシュアはその日、民と契約を結び、シェケムで彼らのために掟と定めを置いた。」(ヨシュア記24:25新改訳)
これはシェケムの契約、またはヨシュアの契約ともいわれる。カナン占領が一段落し、十二部族への相続地割り当てが終わった時、イスラエルはあらためて唯一の神・主への献身を誓ったわけである。▼ヨシュアは民に「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」(24)と命じたが、族長ヤコブも数百年前、おなじことを一族に命じた。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。」(創世記35:2同)▼また預言者サムエルも、イスラエルがペリシテ人に敗北したあと、「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい」(Ⅰサムエル7:3同)と悔い改めを命じ、民はそれに従ったのであった。信仰の勝利を願うなら、有形無形の偶像を徹底的に取り除くことが如何に必要であろうか。◆イスラエルはこうして、ヤコブ、シナイ山とモーセ、サムエル、ヨシュアと何度も契約を再確認したが、その歴史を堕落から引き戻すことはできず、ついに国を失い、捕囚となり、ほろびていった。どんなに硬い石に契約を刻んでも、人の心はそれを忘れてしまう。だからこそ、イエス・キリストによる新しい生まれ変わりが必要なのだ。「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです」(ローマ6:6同)とパウロが言う通り、キリストといっしょに肉性そのものが十字架につけられ、絶命している事実を御霊によって把握しないかぎり、ほんとうの自由はやって来ない。◆だから御聖霊は今も、すべて信じる人にこの真理を悟らせようと熱心に働いておられる。永遠の御国を建設するために。