しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <エズラの改革>

2021-01-26 | エズラ記

「祭司の子らのうちで異国人の女を妻にした者がわかった。エホツァダクの子ヨシュアの息子たちと、その兄弟たちのうちのマアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダルヤであった。」(エズラ記10:18新改訳)

ヨシュアは大祭司として、イスラエル最高の霊的地位にあったが、その息子たちは異邦人の女を妻にしていた。モーセ律法によれば、祭司はイスラエル人の女性から妻を得るよう、固く命じられていたのに、大祭司の一家がそれを守らなかったのである。レビ記には大祭司について、「彼はただ、自分の民の中から処女を妻としなければならない。一族のうちで子孫を汚すことのないようにするためである。わたしは彼を聖別する主だからである」(レビ記21:14,15同)と規定されている。▼ゼカリヤ書に、サタンがヨシュアを神の前に訴えている光景が出て来る(三章)。それはヨシュアが汚れた服を着ているのに聖務に就いているとの非難であった。おそらくその根拠は息子たちの結婚ではなかったか、と思われる。敵の非難に対し、神はヨシュアの汚れた服を脱がせ、礼服を着せた上、きよいターバンと祭服をまとわせたと記されている。▼帰還した人々の一部は、弱さと不信仰からであろうが異邦人と雑婚し、イスラエルの存立をあやうくする罪を犯した。だが憐れみの神はその中でもイスラエルを守られたのであった。敬虔に神に仕え、信仰の道を歩む人々は絶えることなく、数百年後、イエス・キリストの誕生につながっていったのである。私たちはキリストの出現を待ち望んでいたシメオンやアンナ、ベツレヘムの羊飼いたちを思い出す。▼ただ、エズラから十数年後にネヘミヤが総督として赴任し、城壁の再建と信仰の改革を行ったが、その頃にも雑婚の問題は尾を引いていた。異邦人と結婚して子供までもうけたユダヤ人たちを、ネヘミヤが怒って罰し、神に誓わせたことが記されている(ネヘミヤ記13章)。

 

 

 


朝の露 <悲嘆にくれるエズラ>

2021-01-25 | エズラ記

「イスラエルの神、主よ、あなたは正しい方です。まことに、今日あるとおり、私たちは逃れの者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず。」(エズラ記9:15新改訳)

帰還したイスラエル人たちの「異邦人化」が始まっている、その知らせを受けたエズラはショックを受け、「衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然と座り込んでしまった」(3)が、その悔い改めが本章である。▼そもそも、イスラエル民族はカナンの地を征服したのに、なぜそこを追い出され、奴隷の民となったのか。神にきびしく禁止された多神教礼拝と淫猥な偶像文化に染まり、同化され、主との契約を破ったからではないのか。憐れみにより、こうして一部が故国に帰還したのは、聖なる契約を固く守り、二度と先祖たちが犯した罪に陥るまい、と決心したからではないか。ああそれなのに、指導者たちが率先して契約を破り、異邦人と同化することを何とも思わないとは。エズラの涙は川のように流れた。▼現代からみると、なぜそうまでして外国人との同化を毛嫌いするのか、理解できないと言う人もいよう。しかしエズラの悲しみの理由は、イスラエル人たちが「異国の忌み嫌うべき習慣と縁を断つことなく」(1)混じり合おうとしたことにあった。カナンの風習は偶像礼拝と固く結びついていて、その上甚だしい道徳的堕落が伴っていた。それと妥協すればモーセ律法を守ることで唯一神と契約を結んだイスラエルは神に罪を犯すことになる。エズラはそのことを悲しんだのである。◆もちろん主イエスは御自身の受肉により、新しい時代が到来したことを告げられた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。・・・まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」(ヨハネ4:21~23同)◆しかし主は「異邦人の風習と同化してよい」と仰っておられるのではない。新約聖書の示す義と聖化の標準は、律法の比ではないことをおぼえるべきである。「愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。」(Ⅱコリント7:1同)◆むろん自己努力で到達できる世界ではない。福音とはこの聖い世界に喜びをもって生きるため、聖なる御霊がひとりひとりの内に住んで共に歩んでくださる事実を指している。そして貴方や私も、個人として「この福音の世界を喜びのうちに生きているか?」と問われていることをおぼえるべきである。

 


朝の露 <断食と祈り>

2021-01-21 | エズラ記

「そのため私たちはこのことのために断食して、自分たちの神に願い求めた。すると、神は私たちの願いを聞き入れてくださった。」(エズラ記8:23新改訳) 

エズラたちはかねてよりペルシア王に、イスラエルの神は大いなる神であると証ししていたので、旅の安全のため護衛部隊をつけて欲しいと願うわけにはいかなかった。とはいえ女性や子供たちも大勢いる一団が、盗賊や悪人の横行する砂漠地帯を数ヶ月も旅行するのは危険をともなう。しかも彼らはエルサレム神殿で用いる貴金属の聖具をたくさん持っていたから、略奪隊にねらわれたらおしまいであった。全能の神による保護がどうしても必要である。そこで一行はエズラの指導のもと、断食をして神に祈り求めたわけだった。このことを見ても、帰還者たちがいかに真剣であったかがわかる。▼エルサレムにどうしても帰りたい。唯一の神に対する礼拝生活を復興したい。彼らは偶像地バビロンでその思いがいよいよ強くなっていたことであろう。その熱意、その信仰が命がけの帰還となった事実を思うと感動する。「私たちはエルサレムに行こうと、第一の月の十二日にアハワ川を出発した。私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった。こうして私たちはエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。」(エズラ記8:31同)


朝の露 <エズラ、聖地帰還>

2021-01-20 | エズラ記

「すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。」(エズラ記7:9新改訳)

エズラたちはエルサレムに帰還した第二派といえる人々であった。現在なら一~二日で移動できる距離を四か月かかって旅をしたことから、当時の中東における旅がどんなに大変だったか想像できよう。エズラはモーセ律法に精通した聖書学者で、単なる知識としてではなく心から神を慕い求める敬虔さにあふれていた。みことば詩篇といわれる一一九篇は彼の作だといわれ、まるで新約聖書を読んでいるかのような霊的豊かさに満ちている。▼ゼルバベルたち最初の帰還から約八〇年、ユダヤ人たちの信仰は周囲の敵視もあって危機にさらされていたから、エズラのような神の器が求められたといえる。かくて神は摂理のうちに、指導者ゼルバベル、ネヘミヤ、大祭司ヨシュア、学者エズラ、預言者ハガイ、ゼカリヤを起こし、イスラエルを再興されたのであった。▼エズラの使命は彼自身が語っている。彼は「主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた」(10)のである。そもそも一つの民族が生き永らえるために、本当に必要なことは何か?というなら、それは「何を、いかなるものをもって、その民族の精神的支柱となすか」ということではあるまいか。軍備や武力を支柱とするのは愚かであり、その国は永続不可能である。またぼう大な富を蓄えることで、支柱は決してできない。だから、バビロニアにはバビロン法典があった。ローマではローマ法大全が作られたし、ギリシャにはギリシャ哲学が存在したのであった。これらは少なくとも民族、帝国を永続するためには支柱となる思想が必要なのだということを、どの民族も多かれ少なかれ意識していたことの証明であろう。▼だがそれらには、天の神、創造主による啓示の光がない。そこが致命的なのである。イスラエル民族はそれを持っており、エズラはそれこそが世界でたった一つの支柱、真の柱であることを悟っていた。大帝国、アッシリア、バビロン、ペルシャにも存在しない本当の啓示、それこそが民族の啓示であることをエズラは知っていたから、喜びのうちに聖地に帰還したのである。こうして彼らは異邦帝国が次々と消え、移り変わっていく中、イスラエル存続の道を造って行ったのであった。彼らは知らなかったが、その中からやがて啓示の啓示、イエス・キリストが出現される備えをしていたのである。▼今や福音により、永遠の御国とその中心であられる三位一体の神が姿をお現わしになった。もしエズラが生きていたなら、福音の恩寵を目の当たりにし、飛び上がって喜んだであろう。私の働きはこの時代のためであったのか、と。

 

 


朝の露 <神の御手により>

2021-01-19 | エズラ記

「私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。」(エズラ記6:8新改訳)

神殿工事が再開されたとき、神の力ある御手によって事態は大きく変わり始めた。すなわちペルシア王はアルタクセルクセスからダレイオスに変わっており、同時に最初の王キュロスが発布した命令書が見つかったのである。▼信仰に立って神に従い行動していくと、神もまた不思議としるしでお答えになるということがわかる。こうして反対者たちがぐうのねも出ない許可が王から降り、ついに四年後に神殿は完成した。西暦ではダレイオス王の治世・第六年、紀元前五一五年のことで、バビロンによるエルサレム破壊(五八六年)から七〇年後になる。なんと不思議な事実であろう。かつてエレミヤが「ユダはバビロンに七〇年間捕囚となる」と預言したとおりになったのであった(エレミヤ29:10)。▼もうひとつ興味深いのは、エルサレム神殿から持ち去られた聖具の数々が70年間、バビロンからペルシャ王朝に代わっても、大切に保管されていたことである。ただしそれは、ネブカドネツァル王が自分の神々の宮に置いていたのであったが(エズラ1:7)・・・。ここには歴史を支配される全能の神の御手が、たとえ偶像の異邦人帝国であっても、まちがいなく及んでいたことが示されている。さらにキュロス王の命令を記した巻物が20年経っても保管され、それがエクバタナの城で見つかったことも神の御守りが及んでいたことの証拠といえよう。なぜなら、この巻物が発見されなかったら、神殿の工事再開はありえなかったからだ。▼世界の歴史を支配統御される神の御手の大いなる力、それがエルサレムとユダヤ人たちを支配し、すべてを動かしていた。この力と御計画推進の動力は、現代社会にもむろん働いている。人類がどんなに神を否定し、万事を思い通り動かそうと思っても、そうはいかない。ダビデとともに神への賛歌をささげよう。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。」(詩篇19:1~4同)