しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <千年王国のエルサレム>

2023-04-06 | エゼキエル
「町の出口は次のとおりである。北側は四千五百キュビトの長さで、町の門にはイスラエルの部族の名がつけられている。北側の三つの門は、ルベンの門一つ、ユダの門一つ、レビの門一つ。・・・この町の名は、その日から『主はそこにおられる』となる。」(エゼキエル48:30~35新改訳)

千年王国のエルサレムと新天新地の新エルサレム(黙示録二一章)の違いを見てみよう。▼千年王国のエルサレムは現在のパレスチナに建設され、新エルサレムは新しい天地に神のもとから降って来る。大きさは千年王国のエルサレムが八キロ四方、新エルサレムははるかに大きく二千二百キロ四方、門は十二でイスラエルの部族名がつけられているのは同じ。▼しかし新エルサレムには土台があって、子羊の十二使徒の名が刻まれている。千年王国のエルサレムには石造りの神殿が中心にあるが、新エルサレムにはなく、神と子羊が神殿そのもので、都それ自体が純金と宝石で出来ている。つまり新天新地のエルサレムのほうが圧倒的に大きく、素晴らしく、千年王国のエルサレムは千年間存在するが、新エルサレムは永遠に存在するのである。全人類から選ばれた子羊の妻であるはなよめが神とともに住む都、それが新しい都・新エルサレムだ。この永遠の都に住む条件はただ一つ、イエス・キリストを救い主と信じ受け入れることである。そうすればどのような者でも子羊のはなよめとなり、神とともにこの都に住めるのである。▼主のお約束を心にとめたい。「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ14:1~3同)▼願わくは、私たちの家と私たちの教会も、「主はそこにおられる」と人々から言われますように!

朝の露 <いのちといやしの川>

2023-04-05 | エゼキエル
「彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。」(エゼキエル47:1新改訳)

キリストが栄光のうちに臨在される千年王国のエルサレム神殿、そこから不思議な水が流れ出て川となり、死海に流れ込む。その水は癒(いや)しの力を持っていて、死海は死海でなくなり、ひじょうに多くの魚が棲息(せいそく)し、川の両岸にはあらゆる果樹が繁茂(はんも)、実は食物、葉は薬となる。ゼカリヤ書には、エルサレムからもう一本の川が流れ出し、地中海に注ぐとも記されている。「その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一(ゆいいつ)となられ、御名も唯一となる」(ゼカリヤ14:8,9同)。▼結局のところ、イエス・キリストご自身が唯一の神となられることにより、はじめて世界に恒久(こうきゅう)平和がおとずれるのであって、それまでは人類が何をやっても争いと対立が生じるだけである。理由は、すべての人間の心に罪性が存在するからだ。今から約80年前、世界は戦争のない世界を願って国際連合を作った。ほとんどの国が平和を願い、これに加盟した。結果はどうか?政治、経済、軍事などあらゆる分野で対立が生じ、戦争の危機(きき)はむしろ高まっている。もはや事態(じたい)は一刻の猶予(ゆうよ)もできなところまで来ている、というのが実情ではないか。主の再臨だけがこれを解決する。▼そして感謝なことに、聖書はその日がかならず到来することを約束している。だから私たちも神にむかって声をあげさせていただこう。「『わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。』御霊と花嫁が言う。『来てください。』これを聞く者も『来てください』と言いなさい。・・・アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示録22:16~20同)


朝の露 <例祭の日に>

2023-04-04 | エゼキエル
「しかし、民衆が例祭の日に主の前に入るとき、北の門を通って礼拝に来る者は南の門を通って出て行き、南の門を通って入る者は北の門を通って出て行かなければならない。自分が入った門を通って帰ってはならない。その反対側から出て行かなければならない。」(エゼキエル46:9新改訳)

千年王国時代にエルサレムで行われる例祭には、ひじょうに大勢(おおぜい)の民が集まると思われる。自然界が祝され、人間の寿命(じゅみょう)は木のそれと同じになるから人口も爆発的(ばくはつてき)に増えるだろう。▼9節はイスラエル人たちの礼拝に関する規定で、内庭に入るとき二列が互いに逆向きに進んで行くありさまを描く。彼らは聖所の前の祭壇の所まで行って礼拝し、そのまま内門から外へ出るわけである。異邦人は外庭までしか入れないので、そこから神殿に向かって礼拝するのであろう。世界中から人々が参集するから、そこも人々であふれることになる。エゼキエルが示された平和な時代のエルサレム、それは文字どおり喜びと賛美に満ちた都と神殿の姿であった。主よ、はやく戦争がなくなり、平和の御代(みよ)が来ますように。

朝の露 <過越しの祭り>

2023-04-03 | エゼキエル
「第一の月の十四日に、あなたがたは過越しの祭りを守り、その祭りの七日間、種なしパンを食べる。」(エゼキエル45:21新改訳)

千年王国においても、回復したイスラエル民族は過越しの祭りを守るべきことが定められる。▼昔、出エジプトした夜に守った祭りを、今度は大患難から救い出された記念として盛大(せいだい)に祝うのではなかろうか。世界中で戦争が止み、平和が海のように満ちる千年王国、その中心に住む祭司の国イスラエルは、現臨(げんりん)されるイエス・キリストを仰ぎながら過越し祭を祝う。それは最大の例祭となり、地の四方から諸民族が集まる中に行われると思われる。▼かつて預言者イザヤは、ウジヤ王が死んだ年にエルサレム神殿で神を拝した。「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾(すそ)は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた」(イザヤ6:1,2)。たぶんこのように天と地上が一つに結ばれた礼拝が行われる、それが千年王国での祭りなのであろう。そのとき地上の人々は感動と恐れに満たされながら、イザヤのように主を仰ぐことになる。▼私たち教会がいま守っている聖餐式は、千年王国での過ぎ越しの祭りの先取りともいえよう。いや、それよりもすばらしい祭りといえる。なぜなら、王なるキリストのいのちを、今の時代にあって、復活の保証としてすでに食するからである。


朝の露 <主の栄光が宮に>

2023-03-30 | エゼキエル
「彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、主の栄光が主の宮に満ちていた。私はひれ伏した。」(エゼキエル44:4新改訳)

御使いはまず東向きの外門にエゼキエルを連れて行き、ここは二度と開けてはならないと告げる(1、2)。これは、エルサレムに住まわれる主イエスは、もう永遠にそこから離れることはない、との宣言である。そのあと、エゼキエルは北門から神殿の前に導かれるが、聖なる主の栄光が神殿に満ちているではないか。モーセが荒野で幕屋の神殿を造営したとき、そこに主の栄光が雲のように満ちたため、さすがの彼も内に入れなかったとある。それとおなじことがエゼキエル神殿にも起きるのである。▼現在のエルサレムは争いの場所で、その所有権をめぐってユダヤ教、イスラム教、キリスト教までもが衝突(しょうとつ)している。世界平和にはほど遠いのが現実だ。だが二千五百年前にエゼキエルは、その永遠の回復を預言した。しかもそのとき造られる神殿の詳細(しょうさい)な見取り図まで神から示され、私たちに伝えてくれた。エルサレムは必ずこのようになるであろう。