「イエスは言われた。『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(マタイ4:7新改訳)
悪魔の執拗な誘惑(むしろ攻撃といったほうがよいかもしれない)を、イエスは「・・・と書いてある」と、三回とも聖書を引用することによって退けられた。これは、信仰者が最大の敵である悪魔に向かうとき、武器として聖書のみことば以上のものはあり得ない、という事実を示している。主は人の子となり、サタンの誘惑に会われたとき、全能の神としての在り方を捨て、聖書のみことばだけをすべてとして戦われた。それは人として極限の弱さに落ちたとき、しかも悪魔が持てる限りの知恵と力を発動して攻撃してきたときでもあったが、ただ「・・・と書いてある」と聖書により頼むことによってうち勝たれた。だからわれらも主にならい、同じように歩むことは当然である。▼あのハデスに落ちた金持ちが、兄弟たちの目をさますため、ラザロを死人の中から生き返らせ、遣わしてくれと頼んだとき、アブラハムは、「もしモーセと預言者との教え(すなわち聖書)に耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない」(ルカ16:31同)と答えた。すなわち聖書こそ、御国へ凱旋するための必要十分な手段であって、いかなる奇蹟、しるし、不思議も聖書のみことばに並ぶことはゆるされないのである。