しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <キリストとともに葬られた>

2017-04-30 | みことば静想

つつじ「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4新改訳)

キリストの埋葬と復活には深い関係がある。いや、両者は一体だといってもよいのではないだろうか。人が死んで墓に埋葬されるなら、もはや彼の存在に注意をはらう者はだれもいない。人は生きていてこそ価値があり、死んでしまえばすべてが終わりで、あとは記憶の彼方に消えて行くだけの存在となる。▼「キリストの死と同じようになる」(同5)とは、誰も振り向きもしない、相手にもしない、なんの価値もない者として完全にその存在を忘れ去られる、そのような場所に喜んで身を置くことだ。「しかしイエスの墓には番兵がついて見張っていたではないか」、と言うかもしれない。それは中の遺体に価値を認めたからでなく、弟子たちが盗みに来る可能性があったからだ。▼キリスト者は復活にあこがれる。が、埋葬と復活を天秤ばかりにかければ、それは完全な水平となるのだ。一粒の麦が多くの実を結ぶには、地中に落ちて消えることが必須のように。「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ6:5同)