しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <聞くには聞くが>

2024-03-08 | 使徒の働き
「この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟(さと)ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。」(使徒28:26新改訳)
念願(ねんがん)のローマに到着(とうちゃく)したパウロ一行は、一軒(いっけん)の家を借りてそこに住むことがゆるされた。彼はローマ市民であり、皇帝(こうてい)の前で開かれる裁判(さいばん)を待つ身なので、ある程度の人権(じんけん)が保証(ほしょう)されていたのであろう。とはいえ、自費(じひ)で住居(じゅうきょ)を用意しなければならなかったから、楽ではなかったはずで、それらは弟子たちが奔走(ほんそう)し、各地から献金を募(つの)って賄(まかな)ったと思われる。▼パウロはさっそく同胞(どうほう)ユダヤ人を集め、なぜローマに来たか、イエス・キリストの福音とは何かを連日、朝から晩まで語り続けた。ところがユダヤ人たちは信じようとしなかったのである。こうしてむしろ、ローマ人、ギリシア人たちのあいだに、福音は深く静かに広がって行った。神のご計画は人知(じんち)では計(はか)り知れない深さと広さを持っていた。こうしてキリスト教は数々の弾圧(だんあつ)と多くの殉教者(じゅんきょうしゃ)を出しながら、燎原(りょうげん)の火となって世界に広がり、二千年後には東の果て日本まで届いたのであった。

朝の露 <激浪(げきろう)の中で>

2024-03-02 | 使徒の働き
「夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧(すす)めて、こう言った。『今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。』」(使徒27:33新改訳)

船にいた二百七十六人は、「海の藻屑(もくず)と消えるかもしれない」との恐怖心(きょうふしん)から二週間なにも口にせず、ただ船にしがみついて過ごしていた。当時の航海(こうかい)がどれだけ危険(きけん)に満ちていたかわかる興味(きょうみ)深い光景(こうけい)である。それに比べ、パウロは沈着冷静(ちんちゃくれいせい)であり、人々は内心驚嘆(ないしんきょうたん)していたであろう。こうなっては船長、水夫たち、武器を携行(けいこう)したローマの軍人たちの能力(のうりょく)、身分(みぶん)などはなんの役にも立たないことが明らかであった。▼地中海を嵐(あらし)にもまれながらただよう一隻(いっせき)の船、この姿は現代社会を象徴(しょうちょう)する一枚の絵とも取れる。終末(しゅうまつ)の混乱(こんらん)、近づく黙示録(もくしろく)の患難期(かんなんき)を前に、現代人はあまりにも無力(むりょく)だ。人類が営々(えいえい)と積み重ねて来た知識、能力、技術などは、紙細工(かみざいく)か砂上の楼閣(ろうかく)にすぎないことが暴(あば)かれようとしている。そんな中で、ただ預言者たちの語った神の聖言(みことば)のみが、鎖(くさり)のように不動(ふどう)の岩イエスにつながっている。私たちもパウロが信じたように信じ、パウロが行動したように行動したい。

朝の露 <なぜわたしを迫害するのか>

2024-03-01 | 使徒の働き
「私たちはみな地に倒(たお)れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害(はくがい)するのか。とげの付(つ)いた棒を蹴(け)るのは、あなたには痛い。』」(使徒26:14新改訳)
パウロが経験(けいけん)した「ダマスコ途上(とじょう)でのできごと」は使徒九章、二二章、二六章と三度記されているが、それぞれ若干(じゃっかん)の相違(そうい)がある。本章からのみわかることは、パウロ一行が強烈(きょうれつ)な天光を浴(あ)び、全員倒れてしまったこと、パウロに語りかけられた声はヘブル語だったこと、「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」と言われたことであった。最後の言葉は当時のことわざだとも言われている。▼だが何といっても、三か所には相違より重大な一致した言葉がある。それは「わたしはあなたが迫害している(ナザレの)イエスである」との言葉だ。もとよりパウロは神のため、神の御名を思ってキリスト者に迫害を加えていた。しかし真相(しんそう)はまったく反対で、彼は神に迫害を加えており、その神はナザレのイエスと名乗(なの)られた、ということだ。パウロの受けた衝撃(しょうげき)、おどろきは、ほかの誰にも理解できない深さだったといえる。福音はこの啓示(けいじ)の上にそびえ立つ巨岩(きょがん)である。「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」(マタイ16:18同)

朝の露 <私には見当がつかない>

2024-02-24 | 使徒の働き
「このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当(けんとう)がつかないので、彼に『エルサレムに行き、そこでこの件について裁判(さいばん)を受けたいか』と尋(たず)ねました。」(使徒25:20新改訳)

ユダヤ人が抱いている唯一神信仰(ゆいいつしんしんこう)とはいかなるものか、ローマ人たちがいやでもそれを理解しなければならない事態(じたい)が少しずつ始まっていた。まずユダヤ州の総督(そうとく)フェリクス、その次にフェリクスに代わって総督になったフェストゥスがパウロを尋問(じんもん)することにより、ユダヤ教とそこから始まった新しいキリスト教に直面したが、何が何だかわからなかった、と思われる。またその席に居合(いあ)わせたカイサリア町の有力者や貴人(きにん)、ローマ軍の長官たちもパウロの証しを聞いたのであった。思えば、これらの人々はその地位ゆえ、庶民(しょみん)とちがって福音を聞く機会のない人たちであった。ふしぎにも、神はこの人たちが囚人(しゅうじん)パウロにより福音を聞くことを良しとされたのである。▼神のご計画は、次にローマにいる皇帝にこの教えを伝えるべく、パウロを驚くような方法でそこに送ることであった。ローマ帝国には「ローマ市民たる者は、裁判(さいばん)において皇帝に直接上告することができる」という法律があり、ユダヤ人であると同時にローマ市民でもあったパウロはそれを用いることができたのである。歴史を支配する神の御手はじつに奥深く、巧みなもので、この法律があったからこそ、パウロは直接、皇帝にキリストの福音がなんであるかを自己の口から証しできたのであった。


朝の露 <神の前にも人の前にも>

2024-02-23 | 使徒の働き
「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」(使徒24:16新改訳)

ここにはパウロの持っている信仰が、弁明(べんめい)のかたちで簡潔(かんけつ)に述(の)べられている。それはどんなユダヤ人も共通の信仰として持っているもので、「正しい者も正しくない者も、いずれは復活して神の審判(しんぱん)を受ける」(→15)というものであった。▼もちろんこの観念(かんねん)は、私たち異邦人でもおぼろげに抱いているが、ユダヤ人ははるかに真剣であり、そのために日々律法による信仰生活にいそしんでいたのであった。ローマ人総督(そうとく)フェリクスはこれを聞いてどう思ったであろうか。▼彼の関心は金銭に富むこと、自己の地位と権益(けんえき)を守ることであり、神の前に正しく生きるなどということは建前(たてまえ)でしかなかった。そのため、このあと個人的にパウロの信仰に関する話を聞いたが恐ろしくなり、結局、信仰の道に入ることはなかったのである。この世の栄耀栄華(えいようえいが)に目がくらんでいる者は、どんなに名誉(めいよ)ある地位に登(のぼ)ったとしても、あさましい心しか持っていない。当時のローマ支配階級(しはいかいきゅう)のレベルはその程度であった。