「この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟(さと)ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。」(使徒28:26新改訳)
念願(ねんがん)のローマに到着(とうちゃく)したパウロ一行は、一軒(いっけん)の家を借りてそこに住むことがゆるされた。彼はローマ市民であり、皇帝(こうてい)の前で開かれる裁判(さいばん)を待つ身なので、ある程度の人権(じんけん)が保証(ほしょう)されていたのであろう。とはいえ、自費(じひ)で住居(じゅうきょ)を用意しなければならなかったから、楽ではなかったはずで、それらは弟子たちが奔走(ほんそう)し、各地から献金を募(つの)って賄(まかな)ったと思われる。▼パウロはさっそく同胞(どうほう)ユダヤ人を集め、なぜローマに来たか、イエス・キリストの福音とは何かを連日、朝から晩まで語り続けた。ところがユダヤ人たちは信じようとしなかったのである。こうしてむしろ、ローマ人、ギリシア人たちのあいだに、福音は深く静かに広がって行った。神のご計画は人知(じんち)では計(はか)り知れない深さと広さを持っていた。こうしてキリスト教は数々の弾圧(だんあつ)と多くの殉教者(じゅんきょうしゃ)を出しながら、燎原(りょうげん)の火となって世界に広がり、二千年後には東の果て日本まで届いたのであった。