しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 Ⅱ列王記25章 <エホヤキン王>

2020-09-16 | Ⅱ列王記

「彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。」(Ⅱ列王記29,30新改訳)

名君として慕われたヨシヤ王の孫にあたるエホヤキンは、バビロンに捕虜となって捕らえられていった。ちなみにこの八年前、ダニエルたち四人の少年はバビロンに連行され、その王宮でネブカドネツァル王に仕えていた。▼エホヤキンは十八歳でバビロンに行き、囚人として牢獄に入れられた。そしてじつに三七年を経て五十五歳の時釈放され、王宮で食事をし、死ぬまで生活することになったが、ここに神の深い摂理の御手を見る。すなわちマタイによれば、エホヤキン(マタイではエコンヤ)の子孫が次々とつながり、やがて聖地に帰還、ベツレヘムに籍を持つヨセフの誕生となるわけである。▼バビロン帝国は滅び、その王たちも消えてしまったが、メシアの系図は絶えることがなかった。ダビデの子孫から真の王が誕生するという神の御約束はこのようにして成就した。天地が過ぎ行くことがあっても、神のことばは断じて消えない。そして新天新地に至る。◆ここで神がダビデに語られた約束をもう一度見よう。「あなたの日数が満ち、あなたが先祖たちとともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(Ⅱサムエル7:12,13同)◆ここにある世継ぎの子とはメシア、イエス・キリストのことであるのはいうまでもない。つまりイエス・キリストとダビデは血筋と王位でつながっている必要があったのは、この約束によるのである。イスラエルの王国史を読めば、ダビデ家の血統は極細の糸一本のようになったこともあった。しかし決して切れなかったのである。私たちはこの歴史書がなぜ編まれたのか、理由がわかる。人間がいかに堕落し、様々な画策をしようとも背後にそびえる厳然たる神のことばは不変なのだ。しかも一点、一画も廃れることはないのである。これからも新天新地の出現まで続くにちがいない。なぜなら、キリストご自身が黙示録の最後で宣言しておられる。「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16同)

 

 


朝の露 Ⅱ列王記24章 <ユダ王国の最後>

2020-09-15 | Ⅱ列王記

「実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、主の怒りによることであったのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。」(Ⅱ列王記24:20新改訳)

ヨシヤ王の死後、息子のエホアハズ、同じく息子のエホヤキム、その子エホヤキン、エホヤキムの兄弟ゼデキヤと四人の王が続くが、すべて神に反抗する悪王であり、ユダの滅亡は決定的になった。ただその中でエホヤキンだけがバビロン軍に降伏、捕囚となって生きながらえ、約五百年後に子孫からマリアの夫ヨセフが出、イエス・キリストの誕生となる。主の御手の不思議さを思う。▼最後のゼデキヤは預言者エレミヤから「バビロン軍に降伏することが主のみむねである」と再三再四言われたのに従わず、とうとうエルサレムは炎上し、神の宮も焼き尽くされた。彼が預言者のことばを聞き入れていたら、神殿は焼かれず残ったかもしれない。眼をおおいたくなるユダ王国の末路、しかし全能の神の御手は少しも妨げられず、歴史は救い主の出現に向かって進んで行ったのであった。◆世界地図を見るなら、イスラエルはパレスチナの小国にすぎず、北方にアッシリア、バビロン、南にはエジプト、西にはローマと言う大国が起こり、小国の悲哀を味わう運命におかれていたことがわかる。しかしこれは神の深い摂理の上で定められたことであり、イスラエルは全能の神を信頼し、その契約に従って歩まなければ存続できない立場におかれていたのである。事実、ダビデやソロモンといった王が神を恐れて歩んでいた時は、いかなる敵も攻め込むことはできず、そうしても奇蹟的に敗北させられたのであった。◆ところが、いったん民族が神に逆らって生きるようになると、まことにみじめな有様にならざるをえなかった。猛獣のエサになる羊のごとき状態だったといってよい。これは、私たちキリスト者にとっても同じである。私たちは主を心から信じ、仰ぎ、御霊とみことばによって生きなければ、諸国民に食われるしかない存在である。だからあいまいな生き方をし、この世にも受け入れられ、神にも喜ばれるようなことを目指すべきではない。笑いものになるのがおちである。然りは然り、否は否、信仰の旗印を高く、ハッキリ掲げ、堂々と歩まなければならない。吹けば飛ぶような小さな群れと侮られようがすこしも気にすることなく、十字架を高く掲げて真っすぐに歩ませていただこう。

 


朝の露 Ⅱ列王記23章 <ヨシヤ王の改革>

2020-09-14 | Ⅱ列王記

「さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。」(Ⅱ列王記23:24新改訳)

ダビデから十八代目のヨシヤ王は、落日のユダ王朝に最後のともしびとして輝いた。山の端に隠れる瞬間、夕日がひときわ映えるように・・・。わずか八歳で王になったヨシヤ、その彼が大改革を実行したのは、26歳であった。歴代の王たちがなしえなかった宗教改革を行い、過ぎ越しの祭りまで復活させたヨシヤは実によくやった、といえるであろう。▼それにしても彼が取り除いた偶像や異教の神々の多さには驚かされる。バアルやアシェラ像、太陽神、月神、星の神々、モレク、アシュタロテ、ケモシュ、ミルコム、ベテルの祭壇、霊媒、口寄せ、テラフィム等々。八百年ほど前、ヨルダン川を渡るに際し、モーセは「これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである」(申命記18:12同)と警告した。さらに彼は、もしお前たちもこれら多神礼拝の罪を犯すなら、おなじように約束の地から追い出される、と厳しくいましめたが、はたせるかな、イスラエルは偶像礼拝とりこになったのであった。▼結局、ヨシヤの改革は成功したとはいえ、民族の堕落を完全に食い止めることはできなかったのである。何度も言うように、人はイエス・キリストにより新しく生まれ、罪の堕落性から自由にされない限り、偶像礼拝はなくならないことがわかる。


朝の露 Ⅱ列王記22章 <ヨシヤ王>

2020-09-10 | Ⅱ列王記

「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった主の憤りが激しいからだ。」(Ⅱ列王記22:13新改訳) 

ユダ最後の善王ヨシヤは、神殿で見つかった律法の書が読み上げられた時、大きな衝撃を受け、悲しみのため自分の衣を引き裂いた。神の怒りが、もはや避けられないところまで来ていると悟ったからである。当時の人々が、モーセ律法からどんなに離れていたかわかる。だいいち、国王ヨシヤでさえ位について18年間、律法(いわゆるモーセ五書)を読んでいなかったのだ。ほんとうは、王たる者は毎日律法のことばを読み、そこから歩むべき道を示され、おそれおののいて国政に当たるべきであった。モーセがそう命じているからだ。それすらしていなかったとは、おどろきというしかない。▼しかし現代はどうか。これと変わらないのではないだろうか。新約聖書が告げる神のさばき、終末の大審判はモーセ律法の比ではない。黙示録はその最たるものである。悲しむべきことに、世界の人々の大部分はヨシヤ王のように、神の前で泣くこともなく、衣を引き裂いて悔い改めることもない。かってに作り出した科学理論という上着を着こみ、宇宙は何百万年も続くのだと安心しきっている。◆それにしてもヨシヤはなんと心やわらかにして、純真な王であったことか。神はそれを良く見ておられ、女預言者フルダを通じてヨシヤに語られた。「あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり(humbled yourself before the LORD:自分を神の前に卑しめた)、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。」(Ⅱ列王記22:19同)◆私たちにとり、神の前における正しい霊的姿勢とは、みことばを純真に受け取り、幼子のように、ありのまま反応することである。理屈をこね、弁解し、自己の都合に合わせて解釈するようなことは厳につつしまなければならない。

 


朝の露 Ⅱ列王記21章 <マナセ王>

2020-09-09 | Ⅱ列王記

「彼はまた、自分が造ったアシェラの彫像を宮に安置した。主はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。『わたしは、この宮に、そしてわたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。』」(Ⅱ列王記21:7新改訳)

名君ヒゼキヤ王の息子が、どうしてこれほどの罪を犯す悪王になったのか理解に苦しむ。こともあろうに、主の神殿に木の柱でできた偶像を安置するとは、考えられない冒瀆行為であったが、マナセは平然とそれをした。そのため神は彼をはげしく怒り、アッシリア軍をエルサレムに送り、青銅の足かせにつないでバビロンへ引いて行かれた。▼こうして異国の地で苦しんだマナセは心から悔い改めて祈り、エルサレムに戻されたのであった(Ⅱ歴代誌33章)。彼の治世は五十五年の長きに及んだが、前半は悪そのもの、末期は悔い改めたものになったが、全体としてユダ王国の堕落を食い止めるものではなかった。罪を犯し、罰せられては悔い改める、その繰り返しという信仰生活が祝福されることはない。▼マナセが王位についたのは12歳であり、今でいえば小学生になる。これで一国の王として独自の政策をとるのは無理であろう。ということは、周囲にいる高官たちの意見にどうしても左右される生き方を取らざるを得ない。たぶん宮廷内には、父王ヒゼキヤの意志を継ぎ、モーセ律法を守って国を堅立させようとする守旧派と、それに反対し、宗教の自由と物質的繁栄を志向する自由派がいて権力争いをしていたのではないかと思われる。マナセは後者に取り込まれてしまい、偶像礼拝と諸国の宗教的自由政策を採用して国を堕落させたのであった。◆興味深いのは、ユダ王国史では、王位についた者の名前と母親の名前が必ず記されていることである。幼少の時期、信仰を正しく植え付けることができるのは実の母親をおいて他にはない。想像ではあるが、宮廷内で母の幼児教育が大変重要な役割をもっており、その良し悪しで王位についた人物の敬虔さの度合いが決まったのではないかと思う。王ではないが、あのモーセがエジプト王女に拾われ、長じて王宮に連れていかれるまで、奇しくも実母のもとで育てることをゆるされた。ヨケベデは幼子モーセに毎日、まことの神への信仰とイスラエル民族の大切さを教え込んだにちがいない。そしてエジプト王宮に送られたモーセは、結局偉大な神の器、大指導者モーセになった。これからみても、クリスチャンホームにおける母親の使命はじつに重大なものと言わざるを得ない。