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しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <エルサレムの陥落>

2025-05-29 | Ⅱ列王記
「ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。」(Ⅱ列王記25:1新改訳)

ゼデキヤはダビデから数え、二二代目のユダ王でヨシュア王の子であった。信仰深いヨシュアが戦死してから四人の王が立ったが、みな不敬虔で、ユダ王国のほろびは決定的になった。こうしてゼデキヤの十一年にエルサレムは落城、人々は殺されるか捕虜になり、都と神殿は焼かれて廃墟になったのである。▼偶像礼拝と罪深い生き方は、ユダ王国を救うどころか、悲惨な結末をもたらした。これは王と支配者たちがイスラエルの神を仰がず、信仰的に盲目になり、人間的な手段方法で国の将来を決めようとしたからである。▼このとき神から遣わされたエレミヤは、いのちがけで人々に預言した。つまりバビロンに降伏することが神のみむねであると説いたのである。だが王も指導者たちも耳を貸さず、彼を迫害した。為政者たちに神のお声が聞こえなくなるという、国家最大の不幸は今も昔も変わらない。

朝の露 <エホヤキン王の捕囚>

2025-05-28 | Ⅱ列王記
「彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。」(Ⅱ列王記24:14新改訳)

文頭の彼とはバビロン王ネブカドネツァルのこと。彼の家来たちがエルサレムにやって来て、ユダ21代目の王エホヤキンとおもだった民をバビロンに捕らえ移したのはBC598年といわれる。このとき、捕囚のひとりにダニエルがいてバビロン王宮で活躍したことを記したのが、後のダニエル書である。▼王国の最後は実にみじめであわれであった。罪を犯し、主から捨てられたイスラエルはライオンの餌食(えじき)になった子羊と変わらなかった。しかし、このような中でも「ダビデの子孫からやがてキリストが出る」との預言は変わらないことに驚く。エホヤキンはバビロンで生き残り、数百年後にその子孫から主イエスの父ヨセフとマリアが生まれるのである(マタイ1章)。▼罪と反逆がどれだけ深く広いものでも、一度語られた神のことばは少しも妨げられず、時が来ると実現するとは、ハレルヤである。
 

朝の露 <神殿をきよめる>

2025-05-27 | Ⅱ列王記
「王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた器具をことごとく主の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。」(Ⅱ列王記23:4新改訳)

モーセ律法を読んで信仰の覚醒(かくせい)を経験したヨシヤ王は、主に立ち返るべく民と契約を結び、果敢(かかん)に改革を実行した。▼ここにはユダ王国がどんなに偶像に汚されていたかが記され、あきれてしまう。主の神殿の中さえ、バアル、アシェラ、星の神々が祭られ、女性が偶像に着せる衣服を織り、神殿男娼が体を売っていた。その他、太陽礼拝、子どもを偶像にささげる火の儀式など、おそるべき堕落宗教が国内にあふれていたのだ。▼ヒゼキヤ王が改革して偶像礼拝をやめさせたのに、百年もたたないうちにユダはもとに戻ってしまった。これは人間がいかに堕落しやすいかを物語る。選民、異邦人の区別なく、キリストにより新しく生まれ変わる以外、救いの道はないという事実をあらためて知るのである。

朝の露 <ヨシヤ王の涙>

2025-05-26 | Ⅱ列王記
「さらに書記シャファンは王に告げた。『祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。』シャファンは王の前でそれを読み上げた。王は律法の書を聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。」(Ⅱ列王記22:10、11新改訳)

大祭司ヒルキヤは契約の箱そばに置かれていた律法の書を発見した。これはかつてモーセが命じたもので、八百年以上を経て18代目(ダビデ王から数えて)となったヨシヤ王の手に渡ったのである。▼本来なら、イスラエル王となった者は律法の書を手元に置き、毎日読まなければならなかったが、代々の王はそうせず、王国の末期にヨシヤ王が読むことになったとは寂しい。それでも彼は内容を知り、ユダがあまりにも神の心から離れている事実に衝撃(しょうげき)を受けた。▼いつの時代でも信仰復興は聖書のみことばに対する悔い改めから始まる。ヨシヤは女預言者フルダの言葉と聖書から、きびしい審判がユダ王国に臨(のぞ)もうとしているのを知った。こうして王国最後の改革がヨシヤによって始まった。私たちも聖書から主のご計画を知り、近づいている再臨に対して、信仰の備えをしなければならない。

朝の露 <悪王マナセ>

2025-05-22 | Ⅱ列王記
「彼は父ヒゼキヤが打ち壊した高き所を築き直し、イスラエルの王アハブがしたように、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造り、天の万象を拝んでこれに仕えた。」(Ⅱ列王記21:3新改訳)

名君だったヒゼキヤ王の子マナセはユダ16代目の王だったが、ヒゼキヤの行った宗教改革と善政(ぜんせい)をみなくつがえし、はなはだしい悪政(あくせい)を行った。▼理解に苦しむが、原因として考えられるのは意志が弱く、側近(そっきん)たちの不信仰なすすめにしたがって偶像礼拝に走ったことである。わずか12歳で王位に就(つ)いたのだから、よほどしっかりした性格でなければ、父の生き方を固く守ることはむずかしかったのであろう。マナセを守るべき母ヘフツィ・バハも、意志と信仰の強い人ではなかったと思われる。▼とにかく、モーセ律法にしたがって忠実に歩む生き方は不敬虔な人々に嫌(いや)がられ、ユダ王国はヒゼキヤ路線(ろせん)を捨ててしまった。この頃から王国の凋落(ちょうらく)はもはや止められなくなり、亡国(ぼうこく)への道を急速に落ちていった。支配者が毅然(きぜん)とした態度で信仰をつらぬく大切さを、つくづく思わせられる。