「そこでイエスは彼らに言われた。『ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。』」(ルカ24:25新改訳)
復活されたイエスがいっしょに歩いているのに、それがイエスだとわからない。クレオパたちの姿は、読む人たちを考えこませる。なぜだろうか?と。▼二人の心には「人は死ねばそれですべて終わり」という思いが厚くかぶさっており、まさか、眼前にいる方が三日前、十字架で死なれたイエス自身であるとは想像すらできなかったのだろう。▼しかし私たちもそうではないだろうか。毎週集まって奉(ささ)げる礼拝、そこには主イエスが臨在(りんざい)しておられる。なぜなら、「二、三人がわたしの名において集まるところには、わたしもその中にいる」と約束されたからだ。けれども会衆のうち、何名がイエス・キリストの臨在を心の目でとらえているだろう。たぶんほとんどの人たちが、それを意識しないで習慣的な礼拝をささげている。つまりクレオパたち二人とかわらないのだ。「ああ愚かな人たちよ」と、主はいまの私たちをごらんになって仰せられるのではなかろうか。