しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <まさしくわたしです>

2017-04-23 | みことば静想

チューリップ赤「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」(ルカ24:39新改訳)

イエスが復活した日曜日夜、弟子たちの中に主は立ち、このみことばを語られた。驚きと喜びの中、弟子たちはおそるおそる主のおからだに触ったことであろう。▼後年、ヨハネは、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、」(Ⅰヨハネ1:1同)と記した。こうして彼らは、復活のいのちを五感でたしかめた最初の人たちとなったのであった。むろんそのなかには、当日朝、墓の近くでお会いした女性たちも含まれる。▼今まで見たこともさわったことも、聞いたこともない、否、想像すらしたことのない、まったく新しいいのちが目の前にある、そして自分はそれに手でふれてたしかめているのだ、そのときのヨハネの感動、それはどんな筆遣いでも十分には表せないものであった。▼私たちキリスト者の喜び、それは自分の中に生の現実として、この新しいいのちが宿り、流れ巡っているのを確信できることにある。私はときどき、筆を休め、自分の手をながめ触ってみる。70代の手と浮き出た血管が見えるのみ。でもこの中に新しい生命が実際に宿り、確かに流れている!そう思うと、たまらなくうれしい、それは抑えきれない喜びだ・・・。かの日、つまり終わりのトランペットとともに、主イエスがご自身の花嫁を迎えに空中まで降りて来られる日、一瞬のうちにこのいのちが全身をおおいつくし、栄光のからだに変わってしまう。その時の賛美と歓声、勝利がすでに聞こえるかのようだ。▼天地宇宙よ、鳴りとどろけ。世々の時代を超え、墓から出て来た聖徒たちよ、破れんばかりの声で主をたたえなさい、山よ岡よ踊れ、海よ怒涛の大波をもって鳴り響け、あらゆる造られた物よ、勝ちどきの声をあげよ、ハレルヤ。▼「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」(Ⅰペテロ1:8同)