「私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。」(ローマ15:2新改訳)
キリスト者の使命は、教会の中で自分を大きく見せたり、上に立って力をふるうことではない。御聖霊が与えてくださるたまものと自分の位置に満足し、心から義務(ぎむ)を果(は)たし、兄弟姉妹たちの喜びになることである。▼心臓や膵臓(すいぞう)、肝臓(かんぞう)などはからだの内部にあって働き、決して外に姿をあらわさない。もし肝臓などが外にあらわれたらたいへんである。教会の中で大切な使命をになう人ほど、だれも見ていないところでそのつとめをはたさなければならない。そしてそのことに大いなる満足と感謝をおぼえるのだ。▼反対に顔の目や鼻、口といった器官、手足などはからだの外で使命をはたすことをもって喜びとすべきである。要するに、外部に見える、見えないが問題ではなく、神に置かれた場所で忠実に務めることが大切で、それがキリストのからだを支えていく。キリスト者は自分のため生きるのでなく、主と隣人(りんじん)たちを喜ばせ、その成長を願って生きることに使命がある。