しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇89篇 <喜びの叫びを知る民>

2017-04-04 | 詩篇

さくら 1「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。」(詩篇89:15,16新改訳)

イエス・キリストが死の力を打ち破り、復活されたとき、天地宇宙と万物の間に喜びの叫びが沸き起こった。エタンは喜びの叫びを知る民としてイスラエルをあげているが、今や復活の希望と喜びは全被造物のものとなったのである。▼特に民と言う場合、それはこひつじの新婦とされた教会を指す。じつに私たちこそ、喜びのあまり叫び出すにふさわしい存在だ。なぜなら、十字架にあがないにより、罪の力と律法の呪いから解き放たれたからである。そして主が再びおいでになるとき、私たちの肉体までも、死と腐敗から解放され、永遠のいのちに飲み込まれ、復活栄化される。そのあとには、こひつじの婚宴が続き、新天新地の出現となる。キリスト者の未来は喜びが津波のように、あるいはゴールドラッシュのように押し寄せる未来である。「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」(マタイ5:12同)▼ただし、警戒しなければならない点もある。それは、イスラエルが神の宝の民とされたのに、自分からそれを捨て、偶像礼拝に走って滅ぼされた、ということ。私たちもそうならないため、絶えず御顔の光の中を歩むことが大切なのは言うまでもない。「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1:7同)