「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。」(詩篇94:12新改訳)
少しも怒られず、しつけられず、甘やかされて育つほど不幸なことはない。人は罪の自我性をもって生まれて来るため、みことばによって戒められなければ、手がつけられない悪人になるからだ。▼ダビデの息子にアブシャロムという美男子がいたが、その容姿のみごとさは尋常でなかった。「さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂きまで彼には非の打ちどころがなかった」(Ⅱサムエル14:25)と記されている。現代ならまちがいなく、国中がさわぐいけめんタレントになるところだったろう。ところがダビデは、彼をきびしくしつけたことがなかったので、わがままいっぱいに育った。その結果、アブシャロムは父に背き、悲惨な死をとげたのである。キリスト者の家庭は、親子ともども、神のみことばによるしつけを受けなければならない。▼子育てはともかく、ダビデは王位に就く前はサウル王からいじめ抜かれ、涙の谷を幾度も通った。族長ヨセフも兄からいびり抜かれ、エジプトでは地下牢にまで落とされた。エレミヤ然り、パウロ然りである。神は、ひとたび選んだ信仰者たちを、徹底的に訓練し、しつけたもう。そのすごさに、私は聖書を開いたまま黙念とすることがたびたびある。そこで教えられるのは、高ぶり、傲慢に陥りやすいという人の性質の根深さは尋常一様ではない、ということである。神はそれをよくよくご存じなので、愛する者をムチ打たれるのだ。この訓練を受けずして、御国に行けると思うなかれ。