しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <輝く明けの明星>

2022-12-03 | 黙示録
「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16新改訳)
ここで主イエスが、黙示録の受け取り手であるすべてのキリスト教会に、ご自分を明瞭(めいりょう)に示される。わたしはダビデの子孫であり、輝く明けの明星である、と・・。▼イスラエルが幾千年(いくせんねん)にわたり、到来を待望しているメシア、同時にキリスト教会も待ち望んでいる明けの明星こそわたしなのだと。そしてその証拠としてヨハネ黙示録をあなたがたに書き送るのだと・・。▼明けの明星といわれる金星は、まだ太陽が昇らないうち、東の空に美しく輝き出る星として有名である。この星に気がつく人は、朝早く暗いうちに起き出て東の空を仰ぐ人にかぎられる。日が出るまで寝ている人、または起きていても地上だけを見ている人は、金星の美しさに気がつかない。キリストの空中再臨もそのようであろう。主イエスの来臨(らいりん)を待ちわび、携挙(けいきょ)を待望している人だけがお会いできるのである。▼はるか昔のエノクも主のお出でを待ちわびていたのではないだろうか。そう思わせる聖句がユダ書にある。「アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。『見よ、主は何万もの聖徒たちを引き連れて来られる。すべての者にさばきを行い、不敬虔に生きる者たちのすべての不敬虔な行いと、不敬虔な罪人たちが主に逆らって語ったすべての暴言(ぼうげん)について、皆を罪に定めるためである。』」(ユダ14,15同)▼だからこそ、神はエノクの信仰に答えるかたちで、死を見ないで天に移るのを良しとされたにちがいない。


朝の露 <子羊は主の主、王の王>

2022-11-18 | 黙示録
「彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。」(黙示録17:14新改訳)
彼らとは反キリストとそれに従う十人の王たちである。おそらくヨーロッパを中心に再興されるローマ帝国で、患難時代のわずかな期間ではあるが、全世界を支配するのだろう。 反キリストは(むろん神に許された範囲においてであるが)強大な権力をもって、世界の軍隊を一つにまとめ、再臨したもうキリストと天の軍勢に戦いをしかけるのである。が、かなうはずもなく滅ぼされてしまう。▼そのありさまは旧約のゼカリヤ書にも記されている。「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」(ゼカリヤ14:2々)▼こうして反キリストの背後にいた悪魔も捕らえられて、底無き穴に千年間幽閉される。子羊とともにいる者たちとは、携挙にあずかったはなよめたちと天の御使いたちの連合軍と思われるが、キリストとともに栄光のうちに地上に降り、最後の決戦に参加するのだ。「その方は血に染まった衣をまとい、その名は『神のことば』と呼ばれていた。天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。その衣と、もものところには、『王の王、主の主』という名が記されていた。」(黙示録19:13~16同)


朝の露 <七つの鉢のわざわい>

2022-11-12 | 黙示録
「また、一タラントほどの大きな雹(ひょう)が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆(ぼうとく)した。その災害が非常に激しかったからである。」(黙示録16:21新改訳)

神が地上に下される七つの鉢のわざわいがこの章に記される。①666(反キリスト)とその像を拝む人々に悪性の腫瘍(しゅよう)ができる。②海が死者の血のようになり海洋生物が全滅する。③陸上の川や水源がすべて血になる。④地に住む人々は太陽の炎熱で焼かれる。⑤666の王国が完全な闇(やみ)におおわれ、人々は苦しみのあまり、死のうとして舌を噛(か)む。⑥ユーフラテス川が涸(か)れ、世界中の軍隊がハルマゲドンに招集される。⑦世界規模の地震、地殻変動(ちかくへんどう)、雹の災害。▼患難時代最後に起きる地球規模の大激変は想像できないほど恐怖に満ちたものであることがわかる。しかし人間は悔い改めるどころか、なおも神に挑(いど)みかかろうとする。この短い章に、神を「冒瀆した」という語が三度も記されている(9、11、21)が、これは創造主に反抗してやまない人間の罪性、それがいかに悪らつで固いものかをあらわしている。患難時代に世界に臨む大災害は、言語に絶するきびしさにもかかわらず、多くの人々は絶対に悔い改めようとしない。それどころか天の神とその聖なる御名を汚し、呪い続ける。▼かつて悪魔はエデンの園でエバを誘惑し、禁断の実を食べるよう仕向けた。その結果、人の心に入った悪魔の性質は人類を占領し、奴隷化し、神に向かう反逆の城塞(じょうさい)に変えた。人々は病気で打たれ、太陽の火に焼かれ、暗黒と血の海でのたうち回る塗炭(とたん)の苦しみに落ちても、悔い改めずに神を汚し、呪いの言葉を吐いてやまない。▼だから現在の福音時代に、自分の罪に恐れおののき、天の御父とキリストの十字架の前に出て悔い改めることができた人たちは幸いだ。それは人間のわざではなく、神の選びと感動によることがあきらかである。

悪魔はキリストと栄化された聖徒たちが栄光のうちに地上再臨することを知り、そのときが近づいたのを見て、世界中の軍隊をイスラエルに集める。その戦場となるのがハルマゲドンである。12節を見ると、東方、とくにアジアの軍隊もそこに含まれているにちがいない。個人的にいうと、私は日本がそこに参加しないようにと祈るものである。▼そのとき人類が作り出したありとあらゆる兵器も集合するであろう。今日、ハイテク技術を用いた想像もできない武器が開発されていると聞く。「宇宙からの侵略軍に対抗するため」との名目で準備されるのではあるまいか。優秀な頭脳を持つ人々が、日夜そのような計画に動員されている今の世界は、考えてみれば悲しむべき世界というしかない。▼子育てをする親は、目先のことに捕らわれ、少しでも優秀な学校へ、社会的地位へ、企業へと血道をあげるが、正しい聖書信仰をもった教育こそ願うべきではないだろうか。この終わりの時代、自分の一生や子孫たちのそれが、反キリストの目的達成に使われ、その歯車のひとつにされるようなことがあってはならないのだから。



朝の露 <神の憤り>

2022-11-11 | 黙示録
「また、四つの生き物の一つが、七人の御使いたちに七つの金の鉢(はち)を渡したが、それには世々限りなく生きておられる神の憤り(いきどおり)が満ちていた。」(黙示録15:7新改訳)
患難時代は「神の憤りの時代」といわれる。そもそも天の御父はかけがえのないひとり子
を私たちに与えられ、その死によって救いの道をお開きになったのに、多くの人たちがそれをあざ笑い、受け入れなかったため、ついに現在の恵みの時代(福音時代)の終わるときがやって来る。そして始まるのが患難時代である。▼もちろん神は愛と寛容、慈悲と忍耐のお方であられる。しかしそれは人間の不信仰と罪(つまり、ご自分の愛する御子を十字架に差し出してまで、和解の手を差し伸ばされた父なる神の御手を拒否したこと)を永遠に赦す(ゆるす)ということではない。神は愛と同時に義なるお方だからだ。▼その結果、恵みの時代が終わると、罪に対する怒りが注がれるときが始まる。「神の憤りが満ちる」とあるが、想像もできないはげしい怒りが、神に反抗してやまない世界に臨む(のぞむ)のは当然である。すべての人は、恵みのとき・救いの日といわれる今が、どんなに貴重(きちょう)ですばらしい時代かを深く心にとめなければならない。永遠に後悔しないために・・。

朝の露 <大バビロン>

2022-11-05 | 黙示録
「また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。『倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた都が。』」(黙示録14:8新改訳)
患難時代の最後に正体を現す者のひとりが大バビロンという商業都市で、淫行(いんこう)の母とも呼ばれている。おそらくこれは、自分をエデンの園から追放した神への反抗心を抱いたカイン、その精神が結集したものである。すべての歴史を通じて人類が抱く罪、創造主への憎悪(ぞうお)が都になって現れるとは、恐るべきことだ。淫行の罪を犯す人は、よもや、自分の淫欲の源流がバビロンという母にあるとは夢にも思わないだろう。それだけ欺かれているわけである。▼有史以来、淫行ほど人類を苦しめて来た罪はない。ソロモンの箴言や伝道の書にも、淫行に誘う女性から身を守ることこそ知恵中の知恵である、と記されている。二千年にわたるキリスト教会も、この女性の攻撃でどれだけ多くの犠牲者を出したことか。しかし最後にその黒幕(くろまく)であったバビロンが姿を現わし、滅びの火に焼かれて行くのである。▼彼女は人間を淫行に誘うだけではない、真面目(まじめ)な信仰者たちを憎み、迫害するという残忍(ざんにん)さも兼ね備(かねそな)えている。片方には甘い誘惑の杯(さかずき)を持ち、もう一方の手には剣(つるぎ)を持って、イエスを愛する人々を刺し殺す、まさに悪魔が考え出し、育てた快楽のワナであり、罪の火矢、それがこの淫婦(いんぷ)である。彼女の滅亡(めつぼう)を見て、天に大賛美が湧(わ)き起こるのも当然であろう。