しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇101篇 <私の目は真実な人たちに>

2017-04-25 | 詩篇

播磨西部の春「私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます。」(詩篇101:6新改訳)

86篇以来ひさしぶりにダビデの名が表題に出て来たが、本篇はイスラエルを治める王としての心を歌ったものだろう。家(2、7)とは彼の一族ともいえるし、国全体を指すともいえる。王が信頼し、大切にしていこうと願うのは、神を心からおそれ、真実に歩む人々だった。生涯、隣人から裏切られ続けた彼の心の表れといえようか。▼そもそも国が堅立存続できるのは何に拠るのだろう。強大な軍事力と経済力だろうか。優秀な教育と国家戦略だろうか。そうではないと私は思う。世界の国と民族を支配統御されるお方がいる以上、そのお方の御心にかなう敬虔さと信仰、そのお方に届く真実の祈りをささげ得る信仰者がいることこそ、国が支えられる原因である。神はアブラハムに「10人の義しい人がいれば、ソドム、ゴモラを滅ぼさない」(→創世記18章)と言われた。▼また、「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(Ⅱ歴代誌16:9同)とある。日本が異教国であり、キリスト者が一握りしかいない状態でも、私たちは少しも悲観する必要はない。かえって、この国の存立は宝の民である私たちキリスト者の信仰の歩みと、神に向かって叫ぶ真実の祈りにかかっていることを深くおぼえるべきである。今も天における父の右の座で、大祭司としてとりなしておられるイエス・キリストを思い、私たちも地上の祭司として執り成しに生きようではないか。ダビデやアブラハムがそうしたように。