「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばをください。」(マタイ20:21新改訳)
主イエスがまもなくエルサレムで十字架につけられようとしているとき、十二弟子たちの関心は、神の国における自分たちの序列はどうなるのか?ということにしかなかった。ふつうなら、主のお心は悲しみと情けなさでいっぱいになったであろう。▼主は静かに言われた。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は皆に仕える者になりなさい」と。今の世すなわち神の国と無関係の人々の間では、社長、専務、部長、課長という順序ほど重要な関心事はないかもしれない。しかし来たるべき永遠の復活世界では、それらはまったく意味がない。むしろ、すべてが正反対である。▼イエス・キリストは御父のお心を限りなく愛し敬い、その実現のためご自分を差し出し、喜びのうちに地に下り、しもべとして万民に仕え、最後は十字架の死を受け、重罪人たちといっしょに数えられた。太陽の光よりも輝き、燃え渡ったのは謙遜という二文字であった。そして新しい世界に満ちあふれるのも「謙遜」といういのちである。そこに入ることをゆるされた万物は、昼も夜も永遠に御父と御子のご謙遜を賛美し、ほめたたえてやまないであろう。