しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 士師記21章 <内戦の顛末>

2020-03-16 | 士師記

「民はベニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである。」(士師記21:15新改訳)

この内戦の原因が、ベニヤミンの町ギブアに住む人々の不道徳にあったことは確かである。しかしそれを責め、戦いを仕掛けるほど、他部族は神の前に正しく歩んでいたか、となると疑問であった。もし彼らがほんとうに主の御旨と信じて戦っていれば、悔やむことはなかったろう。ところが悲劇的結果になったのを見て、彼らは後悔の念にさいなまれたのである。▼イスラエル人たちの信仰は手前勝手であり、矛盾に満ちていた。声をあげて激しく泣き、なぜこんな悲劇が私たちに起きたのですか?と神にたずね、祭壇を築いて神にいけにえをささげものの、神の御声を待ち望まないで計画を立て、実行した。つまり今後どのようにすべきかを神に尋ねないまま自分たちで相談し、ヤベシュ・ギルアデの町から四百人の娘たちを捕らえ、それでなお足りないとわかると、シロで行われた主の祭で二百人の娘たちを略奪、ベニヤミンの生き残りに妻として与えた。▼これは昔から異邦人世界で行われていた略奪婚で、女性の人格はおろか人間としての価値すら認めない行為である。創世記12章からもわかるとおり、当時は他人の妻が欲しいとなると、夫を殺して奪い取る風習もあった。言語道断の行動だが、ノアの子供たち、もとはといえば血を分けた人類が、時代が下がるにしたがって、ここまで腐敗堕落したことに寒気をおぼえざるをえない。しかし、現代も本質的にはこれと同じような犯罪がありとあらゆる国や地域で行われていることは周知の事実である。罪とはなんとおそるべきものかを、自分の問題として鋭く意識することが必要であり、旧約聖書の目的はそこにあるともいえる。結局最後に行きつくところはイエス・キリストの十字架である。人は自分が神の子を十字架につけるほど罪深い存在、との自覚なしに罪から自由になることは決してできない、ということだ。▼ともあれ、士師記の最終章が語るように、真の謙遜と悔い改めなしに抱いた一時的な正義感は、イスラエル民族分断の悲劇をもたらしただけに終わった。

 

 

 

 


朝の露 士師記20章 <内戦の悲劇>

2020-03-12 | 士師記

ミモザ

「さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」(士師記20:7新改訳) 

イスラエル内戦の原因を作ったこのレビ人は冷酷な性格であった。なぜなら、自分の妻(側女)をギブアの男たちに与え、殺されると遺体を切り分けて各部族に送り、暗に復讐戦をよびかけたからである。▼もしここにダビデのような王がいたら、その手には乗らず、深い配慮のうちに冷静な判断を下したにちがいない。しかし当時は士師も見当たらず、各部族の代表者たちが集まり、ベニヤミン族を詰問した結果、感情的興奮も手伝ったのか両者の間が先鋭化し、とうとう戦争になってしまった。冷静な判断、深い配慮がなければ、神の民といえども暴徒化することがわかる。かくてむごたらしい殺し合いとなり、ベニヤミン族はあわや絶滅というところまで追い込まれた。▼士師記の記者は最後をこう結ぶ。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」(士師記21:25同)と・・・。敬虔な信仰によって主を王と戴かなければ、結局は滅びである。これはイスラエル史だけでなく、教会にとっても真実であることを知らなければならない。つまり、教会は「たんなる烏合の衆」となって形骸化しないために、そのかしらであられるイエス・キリストをいつも中心に仰ぎ、みことばと聖霊の御臨在をこの上なく大切にしていくべきである。士師時代のイスラエルは神の民とはいえ、自分の欲望を中心にし、偶像と淫行に歩む者が大部分であった。そして苦しみに会うと一時的な悔い改めをするが永続せず、すぐもとの歩みに戻るという、名のみの信仰に生きていた。▼そのくせ、自分たちは正義に生きていると思い込み、悪を退けるとの強烈な意識だけは高く、それが本章のような悲劇を招いている。私たちも実は、おなじあやまりに陥りやすい。というのは、主のおことばにあるごとく、他人の不正はチリ一粒でも目ざとく見つけるのに、自分の不正は建物の梁(はり)のような大きさであっても「見えない」からだ。どうか私たちは、主に真実の愛をくださいと請い願い、その愛に生きるべく生涯をささげようではないか。「愛は・・・自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正をよろこばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(Ⅰコリント13:4~7同)


朝の露 士師記19章 <ギブアの事件>

2020-03-11 | 士師記

盛り花

「夜明け前に、その女は自分の主人がいるその人の家の戸口に来て、明るくなるまで倒れていた。」(士師記19:26新改訳)

この章に描かれている町ギブアの状況は千年ほど前のソドムやゴモラと良く似ている(創世記19章)。二人の御使いがロトの家に泊まったとき、ソドム中の男たちが若い者から年寄りまで、町の隅々からやってきて男色にふけろうとしたのであった。が、ここでは全部でないにせよ「町のよこしまな男たちが」押しかけて来て客人を引き出し、同じ行為をしようとしたのであった。▼人が神の前に堕落すると、多くの場合、性的不道徳となって現れ、その行き着くところは男色である(女性もおなじ)。千年後にパウロも言っている。「同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました」(ローマ1:27同)と。これが本章から約千年を経たギリシャ、ローマ時代の世相で、さらに二千年後の現代社会も変わらずに続いている。神がこのような人間の歴史を、どうしてさばかれないことがあろう。▼すべての人は最後の審判が必ず臨むことを、限りない厳粛さで受け止めなければならない。「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。・・・自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。」(黙示録22:1~15同)▼「わが慕うエルサレム 天のふるさとへ 世のつとめ終わりなば 我は勇み行かん。黄金(こがね)もて敷ける街(まち) きよき宝石(たま)の河 いのちの木生い茂る みやこぞ美(うるわ)し。ああエルサレム 天のふるさと とこしなえに輝くみやこにて 我らまた 偕に会い 御名をたたえばや」(霊感賦123)

 

 


朝の露 士師記18章 <ダン部族>

2020-03-10 | 士師記

ぼたん

「彼らは、ミカが造った物とミカの祭司を奪い、ライシュに行って、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを討って、火でその町を焼いた。」(士師記18:27新改訳)

ダン部族は割り当てられた土地を完全に占領することができなかった。そこに住むペリシテ人たちが強かったからである。そこで仕方なく別の土地を物色し、遠くヘルモン山近くに住むおとなしい原住民を滅ぼし、そこに一部が移り住んだのであった。▼このことが、はたして主の御心であったかは疑問である。ペリシテ人を征服できず、やむをえず捜し当てた土地を自分のものにしたとて、それが聖地占領といえるかどうか。しかもライシュの人々はおとなしく、平穏で安心しきって暮らしていたのに、それを突然襲い、滅ぼして町を焼いてしまったとは、なんと酷い仕打ちであろう。それだけならまだしも、ダン族は偶像と神殿をこしらえ、モーセの子孫を部族祭司に任命したのだから、あきらかに律法違反であった。なぜならイスラエルの祭司はアロンの子孫と定められており、たとえモーセの血筋といえども、祭司にはなれなかったのである。▼こうして以後数百年、ダンはベテルと並んで二大偶像崇拝地となり、人々に罪を犯す機会を与え続けた。人間は簡単に偶像をこしらえ、そのとりこになりやすいものである。その証明となったのがダン族の行動であった

 

 


朝の露 士師記17章 <ミカ>

2020-03-09 | 士師記

アロストロメリア

「彼が母にその銀を戻したので、母は銀二百枚を取って銀細工人に与えた。銀細工人はそれで彫像と鋳像を造った。こうして、それはミカの家にあった。」(士師記17:4新改訳)

本章と次章は、イスラエル北辺の町ダンが、なぜ偶像礼拝の場所となったか、その経緯を記した箇所である。▼発端はエフライム出身のミカという人物で、彼は信仰心があついのはよかったが、律法をくわしく知らなかったため、勝手に神の宮を建て、エポデ(大祭司の式服)とテラフィム(偶像)をこしらえて神を礼拝したつもりになっていた。当時、モーセの幕屋はシロにあり、人々はそこに行って神を礼拝することになっていたが、律法を守らないで自由に礼拝する人々もおり、そのひとりがミカだったと考えられる。▼イスラエル人といえども、聖書を教えられなければ、良かれと思っても知らず知らずのうちに道をそれ、偶像礼拝に陥ってしまうことがわかる。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」(箴言14:12同)とソロモンが言うとおりだ。私たちキリスト者が生涯を通じて聖書を読み、教会に結びつき、正しく信仰の道を歩んで行く必要があるのは、このためである。◆本章の「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」(6)は士師記を読み解く鍵語である。そもそもイスラエルに王がいなかったのは、神ご自身が王だったからだ。つまり世界の諸帝国とちがって、選民イスラエルは神を王といただく特別な民族であった。ではどのようにして、王意(神の御心)が民に伝えられなければならなかったか。①成文として与えられた律法とそれを解き明かし教える人たち②礼拝場所として与えられた神殿つまり幕屋とそれに仕える祭司たち、③神のことばを預かり、人々に伝える預言者、④特別な力を付与され、外敵から国を守る士師たち、これらの組織が正しく機能してこそイスラエルは啓示の民となり得たのであった。◆ところがモーセやヨシュアといった本当の指導者がいなくなったとき、民はそれぞれ自分で自由な道を歩み出してしまい、それを矯正し指導する「神の人」ともいうべき人物がなかなか出現しなかったのである。じつはモーセは①~④までを兼ね備えた人物だった。そのような人物が現れないと、イスラエルがどのように崩れていくか、その有様を語っているのが士師記である。◆永遠的な意味で全てを兼ね備えたお方は受肉された神、人にして神・神にして人、すなわち「永遠の王」なるイエス・キリストしかおられない。だから士師記が遠く指さしたのはイエス・キリストの出現であり、その再臨によりもたらされる御国である。士師記が描く人間の実相はあまりにも醜く、罪深く、むごたらしいものであることはたしかだ。しかし同時に、その底知れぬ罪から人を救い、天に座せしむる恩寵がどれほどのものかを反比例して告げているのも士師記である。そこにイエス・キリストが投影されているのを、御霊によって私たちは感じるからである。