午前中の卓球教室の後、大急ぎでシャワーを浴び、
適当に昼食を済ませて実家へ
毎月の、母の眼科の定期通院です。
車の中で「あれ?今行くのはどこだった?」「医大の眼科だよ」
「あら?保険証持ったんだったかなぁ。お財布在るかなぁ。」「さっきパパに預かってもらったでしょ。全部あるから大丈夫。」
と聞く母、答える私。
この会話は、車に乗っている数十分の間、傷のあるレコードみたいに(たとえが古い?)何度も何度も繰り返されます。
私はなるべく他のことに話題を持っていき、母の心配する気持ちを逸らしながら運転。
父は後部座席でこっくりこっくり。
札幌医大の狭い駐車場は、いつも満車状態。駐車待ちの車が道路にたくさん並んでいます。
でも私たちは、水戸黄門の印籠のように、母の「身障者手帳」をチラリと見せるだけで、
係の方に、「どうぞ~」と玄関に近い身障者専用駐車場へ案内してもらえます。
申し訳ないけれどありがたし
他の病院のときは、私だけが付き添いますが、
医大だけは最近ずっと、父も乗せて3人で行きます。
受付と会計と支払の場所が離れているし、
薬局は病院を出てかなり歩いてから、さらに道路を渡らなければならないので、
1人が母に付き添い、その間にもう1人が他の場所に行く、という連係プレーが効率的なのです。
母の視力検査の結果は、0.03と 0.005(矯正視力です)。
視野はほとんどが欠けていて、最近はもう視野検査もしていません。
2年前の春、(失明まで)あと1年か2年か・・・と言われたけれど、
ありがたいことに、ここのところ進行は比較的緩やかです。
眼科の診察室は薄暗いけれど、母は、小さな背もたれがついた青い患者用椅子に迷いなく座り、
主治医に「すごいなぁ、見えてるんですね~」と感心してもらえました
「これくらい見えますよ~。青は見やすいです。」と母。
主治医の前に行くと、「色はちゃんと分かりますよ。」とか、「読書はあまりしない方がいいですよね?」と言う母。
普段は青空の日に「空がクリーム色に見える」と言っているし、
文字もテレビ画面も、もう全く見えていないのですが、見えていると思う認知症のありがたさ・・・。
「眼圧は良い状態ですね。前回と同じ、9と12ですから。」と主治医。
「良いと言っても目が良くなっているわけじゃないですよね」と母。
「そうですね。言い方が良くなかったですが、眼圧は良くても見え方が良くなったということでは、ないですね。」と主治医。
という感じで、冷静な母です。
主治医と会話する母は、そこだけ切り取ると、とても認知症には見えません。
特に変わったことがなく、いつものように目薬を処方してもらって、
来月の予約をして帰ってきました。
帰宅後に一緒に台所に立った母は、
「やっぱり何にも見えなくなったら困るなぁ・・・」と・・・。
それでも、私が「お母さんなら、見えなくっても、ちゃんとご飯の支度はできるよ。」と言うと、
「うん、見えなくなったってやるよ!」と力強く言ってくれました。
本日購入したのは、豊漁が伝えられている春告魚
今まで見たことがないほど鱗がいっぱいの新鮮な生鰊です。
4尾で230円だから、1尾60円しません。
母が子どもの頃は、た~くさん捕れていたので、箱で買い、
お祖母ちゃんがさばいて、身欠き鰊を作っていたこと、
春は毎晩その鰊のお料理が食卓に上り、
また、軒下に干してあるのをおやつに食べたりした、
という話を聞きながら、2人でお料理しました。
その子どもの頃よく食べていたのが、「鰊のかまくら」だそうです。
下ろした鰊をみりんやお醤油で漬けておいて、翌日焼いて食べるというものです。
母は、見えないのにきれいに鱗を取り、三枚に下ろしました。
鰊は明日のおかず。
今日は、ホッケの干物を焼いたもの。
いつものように、父が母の分の骨をきれいに取り除いてお皿に分けていました。
毎日毎日、母に違う人と間違えられたり帰れと言われたりして、
その度に落胆しているかわいそうな父ですが、
献身的に頑張ってくれています・・・
さて・・・今頃はもう平和に眠っているだろう二人を思いつつ、
私はこれから、自由な時間を楽しみま~す
父が弱音を吐きながらも頑張ってくれているので、
ありがたいと思います・・・