父方の祖母の命日7月5日に合わせて、
両親と実家の墓地(旭川の近文墓地)へお参りに行ってきた。
父が運転をやめてからは、
毎年私の車でお墓参りに行っている。
弟は千葉にいるのでなかなか来られず・・・
両親や私が死んだら誰が見るのかな、お墓・・・とちょっと考えてしまう。
子どもの数が少ない現代。どこの家でもお墓の問題はあるだろうなぁ・・・。
まぁ、死んだ人は、「そこに私はいません~眠ってなんかいません~」
と言ってるでしょうけどね。
今年は、父の姉妹である叔母たちも日時を合わせて集まってくれたので、
父の叙勲祝いから3年ぶりの会食ができた
4人の叔母たちは、みな70歳を過ぎているけれど、
みな温かで とっても素敵な雰囲気の人たち。
なんだか自分も、もっと年を重ねても「大丈夫」な 勇気をもらった気がした。
ん~・・・「何が大丈夫なのか」は、はっきり解らないのだけど・・・
叔母のうち二人は、うちの両親が新婚の時から数年間、
家に一緒に住んでいた。
そして二人とも保母さんになった。
私は両親はもちろんだけど、叔母たちにも赤ん坊の時にずいぶん面倒を見てもらったらしい。
もし・・・人を幸せにしたいという思いが今の私の中に、
育ち、保てている としたら(現実にそうできているかは別として)、
この叔母たちにかけてもらった愛情のおかげも大きいと思っている。
実家のルーツは九州福岡県の小倉。
祖父は屯田兵として栗澤村に入植し、
リンゴ園などを経て、旭川で馬車や馬橇で運送業をしていた。
貧乏な暮らしだったけれど、子どもの教育に熱心で、
家族や親せきだけでなく、他人の面倒までも良く見た、思いやり深い人だったそう。
祖母は、先祖は石川県で、由仁の村長だった家に生まれた。
裁縫、生け花、茶道、水引きなどの先生をして家計を助ける多才な人だった。
お料理も上手で、一緒に摘んだ蓬で、美味しい蓬餅を作ってくれたことは、
今でも記憶に残っている。
晩年はプロテスタントのクリスチャンとして生きた。
近文のお墓には、祖父母のほかに、
会ったことのない親戚のお骨が入っている。
現代の生活からは考えられないような、
苦労や不自由をたくさんたくさんしながら生きた 先祖の人たち。
ずいぶん若くして亡くなった人たちも少なくない。
もうどんな人たちだったのか、どんな人生だったのか、知りようもないけれど、
毎日 夫も含め、夫方の供養をするときに、
もうみ~んなまとめて、とにかく自分に関わりある人たちの人生に思いを馳せ、
みんなに心から感謝したいと思う。
それが、
こんなに便利で平和な時代に、
こんなに楽しく幸せに暮らしている私にできる、
せめてものことだから・・・・・・
たいていお墓参りは日帰りだけれど、
今回は両親と、新十津川温泉に一泊。
温泉に入り、ご馳走を食べ、ちょっぴりお酒も飲み、
見えない母に、父が新聞小説を読んであげてるほほえましい姿を見、
一緒に穏やかな夕暮れの景色を眺め、
周囲の田んぼから響いてくる蛙の音を聞き、
幸せな時間を過ごしてきた・・・
ご先祖様たち・・・いつかそちらに仲間入りするまで、
もうしばらく、かな~り しばらく・・・
今の恵まれたありがたい生活、ありがたい世界を、
享受させていただきますね・・・